第百五話(完)
朝もやのなかで、冬真は厩から馬を引き出した。
「ルシュラと子どもたちをよろしく頼むよ。もちろん領地もね」
「お任せください」
横で頷くフェルティスも、随分老けたと思う。肉体が衰えているのを感じるとぼやいているのを聞いたのは、数年前だったか。
フェルティスには、特別武官として、息子たちの護衛兼、教育係兼、剣術指南役になってもらっている。実にぴったりの役回りだと思う。
当初は、アイザー侯爵家家臣が王家の跡継ぎを教育するのは問題があるかと思ったので、次子の教育だけを任せるつもりだったのだが、フェルティスほどの人材を独り占めするつもりかとルシュラに怒られて、二人ともフェルティスに面倒を見てもらうことになった。
「主君にお仕えできて、実に光栄でした。……ご武運を」
「俺が顔をひっかいてくる相手にブレスを吐かずに去ることができるのは、フェルティスのおかげだよ。感謝してる」
ずいぶん昔のたとえ話を思い出して、冬真は言った。フェルティスが懐かしむような顔になる。
「十分に吐いておいででした」
冬真は首を傾げた。
「どうやら見解の相違があるようだね」
「はい」
譲るつもりはないらしい。冬真は苦笑した。
「じゃあ、フェルティスも元気で」
冬真が言うと、フェルティスが深々と首を垂れた。
冬真は馬の腹を蹴った。視界の中を、この十一年で馴染んだ王都の景色が流れていく。目が熱くなる。誰も彼も、冬真には過ぎた家族と家臣たちだった。
この世界で得た全ての物に未練がないと言ったら、嘘になる。だけど、ここで誘惑に負けて、魔王を倒せなくなったら――レベル1からまたやり直しになったりしたら、到底自分を許せない。
だから、冬真は馬を駆けさせる。王都を南下して、ヴィルキアを過ぎて、その先。人類の未踏領域、魔王の棲む場所へと。
このゲームを、終わらせるために。
* * * *
荒野には、ぼろぼろになった石壁の残骸が連なっていた。冬真は、石壁の残骸を横目に、道の残骸を進んだ。
中天にかかった陽の光が、かつて人々の生活した跡を燦燦と照らし出している。陽の光は明るく温かいのに、却って寒々しさを感じる光景だ。
ヴィルキアから南下して王国領外に出ると、そこには広大な荒野が広がっている。かつて整備されていた道の名残――いまはもうほとんど獣道状態だ――を辿っていくと、スタンピードによって放棄された町、ルーストの遺跡にたどり着く。
ルーストは、ゲームではちゃんと人間が活動する町だった。冬真にとっては、ゲーム終盤に拠点とした、最も馴染み深い町だ。奥地に分け入ればレベル上げに最適な魔物もいるし、一通りの店があって、定期的に有用な素材なども入荷してくれる。この先にはもう、ゲーム内でスタンピードイベントののち放棄された国境城砦と、広大な魔物の領域と、魔王の住処しかない。
ヴィルキアからルーストまでの道は、道から外れさえしなければ、そこまで危ない道でもなかった。この世界でも、何度か人間の領域として開拓し直すという話が出たそうだ。
しかし、スタンピード時に来襲してくるのが強力な魔物で、スタンピードごとに都市を放棄して、その後の駆除をするのが現実的ではない――平たく言えば、誰もやりたがらなかった――と言う結論に至ったと聞いている。既に王国の地図からも除外されて、最初からなかったもの扱いになっている。
冬真がこの世界で、実際にルースト周辺までやって来るのは初めてだった。町が滅んだことはとっくに聞いていたから、そこまでの感慨はない。既にレベルを上げる必要もないし、アイテムも十分すぎるほど用意した。緊急対応のために、ステータスの振りなおし薬も複数用意している。
革のブーツが規則的に荒れ地を蹴る音だけが辺りに響く。
石壁の残骸に沿って歩くことしばし、冬真は足を止めた。眉を寄せて、廃墟を眺めやる。何かが煌めいたように見えたのだ。しかし、何もあるようには見えない。
気のせいだっただろうか、と一歩を踏み出して、また足を止める。何かがキラキラと視界の隅に見えた。冬真は身体を左右に動かしながら、廃墟を眺めてみた。気のせいではなかった。陽光の中で分かりにくいが、ゆるやかに光が瞬いている。それも、規則的に。しばらく待ってみたが、特に光が近づいてくる様子はない。
少しだけ迷ってから、冬真は遺跡に足を踏み入れた。中には魔物もうろついているが、既にレベルが上限の冬真にとっては対処が難しい敵ではない。
光の点滅は続いている。冬真は慎重に近づいて行った。光源を視認できる距離まで近づいて、冬真は眉を寄せた。
「……神像?」
半ば崩れた石壁を背にして、それは立っていた。おそらくルーストにあった教会の跡地なのだろう。ルキアの石像だ。顔は半ばが崩れ、手もひび割れて先がなくなっている。首飾りにはめられた大きな青い石が、明滅をくりかえしていた。近くまでくると、それなりに眩しい。
冬真は石壁の後ろに隠れてから、身体強化魔法をかけた。足元の瓦礫を拾い上げて、石像に向かって投げる。瓦礫は、乾いた音と共に大地の上に転がった。しばらく待ってみても、何の反応もない。魔物も周囲にはいない。
冬真は、石壁の後ろから出て、慎重な足取りで石像へと歩み寄っていく。
教会だっただろう石壁の境界を越えた瞬間、それは起きた。
明るかった周囲が、一気に暗転する。冬真は身構えた。視界の中に、灰色の画面が浮かび上がっている。いつもステータス画面が出る位置だ。
「は?」
そこに書かれているメッセージを読んで、冬真は呆然とした。
『セーフポイントに入りました!※神像に祈ることで、あなたの世界に帰還することが可能です。※この場所から帰還した場合、二度とこの世界に戻ってくることはできません。※この場所にいる間、外の世界の時間は停止します』
視線を上げると、石像があった位置に、青く輝く神像が立っている。神像――違う、これは。
冬真は青く輝く物体に走り寄る。それは、少なくとも、たった今、崩れかけた瓦礫のなかで見つけたルキアの神像ではなかった。立っているのは、女性のように整った顔で微笑む男の像だ。左手には網のようなものを提げている。
台座を見て、冬真は顔をしかめた。そこには、ご丁寧にアルファベットで――Loki、と書かれている。
ロキ。よくゲームでモチーフとして登場する北欧神話の神である。おおよそ、悪戯好きで、世界をひっかき回す悪神として描かれる。冬真でも知っているくらいの、有名な神。
冬真は神像の美しい顔を睨みつけた。自分がやったと、最後に主張したいわけだ。そして、無事に地球に戻りたいのなら、自分に向かって祈れと。何という悪趣味だ。
――要するに、これは問いかけだ。誘惑と言ってもいい。魔王を倒さなくても、帰ることができる。その事実を、プレイヤーにつきつけて試すための。
冬真は神像から視線をもぎ取って、瞑目した。
地球で交わした、友人の和樹との会話を思い出す。この世界にやってきた当初は恨み混じりに何度も思い返したものだったが、最近は思い返すこともなくなっていた。冬真にとっては、もう十五年ほども昔のことだ。それなのに、思い出そうと思えばおかしなほど鮮明に思い出せる。
――和樹はトゥルーエンドを見れなかった。成長二倍アビリティ持ちでなければおそらく見ることができないと言った。
ずっと不思議だったのだ。和樹の消耗ぶりを考えると、和樹もこの世界にやってきていたのは間違いない。それなのに、どうやって地球に帰ったのか。
この世界では冬真以外の人間はレベルを持たない。普通の人間の能力の上昇曲線は、ゲームよりもずっと緩やかで、そして天井がくるのが早い。必然的に、魔王を倒すのはソロ戦闘になる。この世界の仕様から言って、救済が入っているとも思えない。
成長二倍アビリティを持たないのに、和樹は魔王をソロで倒してクリアすることができたのか? それとも、和樹には仲間がいたのか?
ここに来て、ようやくその答えが分かった。和樹は、おそらくここから地球に帰ったのだ。魔王を倒せなかった。もしくは魔王を倒すのを諦めた。そう考えると辻褄が合う。
冬真は、苦い気持ちでもう一度、神像を睨みつける。
「マジでクソゲーすぎる……」
成長二倍アビリティがなければ、冬真ほどの序盤の苦労はなかったかもしれない。しかし、奇跡が起きるまで、魔王を倒しに行ってまたレベル1から上げ直し、というループは冬真の味わった序盤の地獄とはまた別種の地獄だ。
肉体的な苦痛のあるこの世界で、そんなことができる人間は間違いなく狂っている。しかも、周りの人間はどんどん歳をとり、レベル25と75ではスタンピードイベントがあり……。冗談じゃない。冬真がその状況に置かれたら間違いなく地球に帰る。
冬真は首を振った。改めて神像を見上げる。
祈れば帰れる。魔王と戦うことなしに。冬真が無理やり取り上げられた、平和な日常に帰ることができる。それはとてつもない誘惑だ。――でも。
冬真はふっと笑った。
冬真が別れを告げた人たちの顔を、順番に思い出す。みんなが武運を祈ってくれた。
「あんなふうに格好つけて挨拶して別れたのに、結局魔王と戦わずに逃げ出したんじゃ、トゥルーエンドとは言えないよな?」
冬真は、トゥルーエンドを見るためにゲームを始めた。トゥルーエンドを見るための、選択を続けた。だから最後まで、選択する。
「俺は魔王を倒すんだ」
そしてトゥルーエンドを、見る。
* * * *
部屋の中には、エアコンが冷気を吐き出す音と、PCの排気音が響いている。
冬真は、ぼんやりと部屋の中を見まわした。見慣れた自分の部屋だ。尻の下のPCチェアの感触も、右手に持ったマウスも、左手の下のキーボードも、何の異常もない。
しばらく、色々なものを確かめるように触ってから、PC画面に視線を戻す。そこにはチャット画面が表示されている。
冬真は笑った。カタカタカタと軽快な音を立てて、キーボードを叩き始める。
少しのやり取りを楽しんだ後、冬真は椅子から立ち上がって伸びをした。――喉がカラカラだ。そうだ、久しぶりに、コーラが飲みたい。きっと、文字通り生き返ったような心地がするはずだ。そして、ベッドで眠るんだ。何も心配することなく、ゆっくりと。
それにしても、本当に信じられないくらいの、ひどいクソゲーだった。こんな経験はもう二度とごめんだ。
……でも、悪くない。いつまでも、浸っていたかったと思うくらいには。
Tomaが6分の通話を開始しました 9:25 PM
Toma 9:26 PM
天才って呼ぶ覚悟しとけよ
Kazu 9:28 PM
おいちょっと待て
Kazu 9:28 PM
おい
Kazu 9:29 PM
遅かったか
まあ、お前ならきっとクリアできるだろ
Toma 9:38 PM
おう、天才って呼んでいいぞ
Kazu 9:38 PM
トゥルーエンド、見れたのか?
Toma 9:38 PM
見た見た、マジクソゲーだったわ。クッソ疲れた。お前もっとちゃんと教えとけよ
Kazu 9:39 PM
おまえやっぱり変態だよな…
だから恨むなよって言っただろ
Toma 9:39 PM
天才って言え!
そんでもって、恨むに決まってんだろ、アホか!
Kazu 9:39 PM
どうせ、言ったらもっとやる気出しただろ!
Toma 9:39 PM
クソ野郎
Kazu 9:40 PM
クリアおめでとう。てか通話は?
Toma 9:40 PM
疲れたから寝る
Kazu 9:40 PM
おつかれw
Toma 9:40 PM
次はもっと軽いゲームをくれ
Kazu 9:41 PM
自分で買え
最後までお付き合い、ありがとうございました!
楽しんでいただけたなら、評価などでご支援いただけるとありがたいです。
102話について、悪ふざけで書いた没ネタがあります。
こちらは大人の紳士淑女用ネタであり、何より世界観と雰囲気をぶっ壊しそうなので没にしたのですが、一応Pixivで新設した私のアカウントに供養しておきます。(年齢制限付きです)
何でも許せる方のみお進みください。※特殊嗜好などはございません。
繰り返しますが、悪ふざけです。おこっちゃやーよ!
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=28127288
この作品は、投稿前に知人からすごい辛口感想をもらったので、大規模な改稿を行いました。
ミスリルあたりから分岐してしまったのですが、改稿前本文を読んでくれた別の友人の反応が悪くなかったので、近日中に改稿前本文もカクヨムに投下しようと思います。クソミソには言われましたが、折角書いたものなので。
こっちのバージョンより大分とがっていますが、読んでみてもいいよ、という方はこちらの作者ページよりお越しください。
改稿に至った経緯も、エッセイにしています。
https://kakuyomu.jp/users/Nagatsuki_Toko
ではでは、これにて失礼します!
またいつか、どこかで拙作を読んでいただけたら幸いです。
2026/5/21 長月透子 拝




