28.アリスの涙
「……ビアンカ様、それ、【ハリセン】……」
「ええ、閉じ込められて時間はたっぷりありましたもの、怒りを込めて念入りに仕上げましたわ。なかなか良い出来でしょう?」
パシンと左手の平に軽く打ち付け、たった今自身がぶちのめした兄をちらりと見やって、ツカツカとナサニエル様の元へと挨拶に向かうビアンカ様。
「……ふふっ」
いや、もう、あのキラキラ貴公子が、ハリセンで一撃って……
「ぷぷぷぷぷっ、ん゛~、すごい、ですっ、ビアンカ様! あはははは」
令嬢としてはしたなくも、わたしは声をあげて笑ってしまった。
もうケタケタと。両手で口を押えても止まらなくて。あー、お腹イタイ。
さすがだわ、ビアンカ様!
(いい気味だけどぉ、【ハリセン】って、こっちの世界にもあるのぉ?)
(いやいや、ないでしょ。蝶子さん、ビアンカ様も仲間なんですよ!)
(ええ!? そんなにゴロゴロ転生者っているものなのぉ!?)
(ねー? どうなんだろ)
ビアンカ様の行動に度肝を抜かれた面々は、ケタケタ笑うわたしに呆れたような視線を送ってくる。
ああ、すみません、淑女らしさがどっか行っちゃってる聖女で。
呆気に取られつつも気を取り直した公爵が、娘の顔とハリセンを交互に見た。
「ビアンカ……邸の者はどうしたんだ?」
「皆、正気を取り戻していますわ。ただ、その過程で少しわたくしの部屋が破壊されましたの。ほんの少しですけれど安全に過ごせませんから、本日から学園の寮に戻ってもよろしいですわよね、お父様?」
ビアンカ様と一緒に応接室にやって来た、護衛騎士のユーイさんにリンダさん、そしてヘンリー様。
ああ、きっと脱出に手を貸したのね。
でも、破壊って、何が起きたのやら。
「……その方がいいだろう。聖女様と一緒に行動しなさい」
深い深~い溜息を吐いて、公爵様は許可を出した。
「ありがとう存じます、お父様。実はもう荷物を運び出してますの」
きれいな弧を描く唇は、してやったり感が滲んでいる。
ここでようやくショックで固まっていたマクシミリアン様が、ゆっくりと妹を振り返った。
「――ビアンカ、目上の者に手を挙げるような育て方をした覚えはありませんよ」
「まぁ! お兄様に育てられた覚えはございません。確かに、お母様よりわたくしの教育に口を差し挟んでおりましたけれど」
おっと、ここでシスコン疑惑が浮上したわ!
ということは、やっぱり?
「お兄様は人でなしです。聖女であるアリスを囮に使うなんて。しかも閉じ込めたんですって?」
テーブルを回って、ビアンカ様はわたしの傍までやって来て、おじい様と父さまに頭を下げた。
「わたくしの身内がアリスを危険に晒してしまった事、誠に申し訳ございません」
小さな淑女の謝罪を突っぱねるほど、おじい様は冷たくはない。
「貴女も監禁されていたのだろう? 謝罪には及ばない」
「そうですね。さぁ、こちらに座って」
父さまがビアンカ様にニコニコ笑顔を向けて、わたしの隣の席を譲った。
わたしは笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙をハンカチで拭いながら、ビアンカ様へと体の向きを変える。
「ビアンカ様がお元気そうで何よりです」
「貴女も思ったよりは元気そうね。バカ笑いしながら祝福がだだ漏れていましてよ?」
「それはビアンカ様へですから。だけど【ハリセン】って……ん゛ん゛っ」
また笑いが吹き出しそうになって、口をハンカチで抑え込んだわ。
一度ツボに入ると、なかなか収まらないよね。
「うまく出来なくて試行錯誤の末の一品ですわ。何でしたら、アリスも怒りの一撃をしてみてはどう?」
「それは……無理です。近づいたら吐いてしまうかもしれないので」
ビアンカ様の眉がぴくっと跳ねる。
「それほど怖い思いをしたのね。でも……ふふ、あのお兄様にうっとりするご令嬢は数多いるけれど、吐き気を催すほど嫌う人は貴女が初めてかもしれなくってよ」
「何を言うんですか、ビアンカ。アリス様は男性恐怖症なのです。だからわたしにだけ拒否反応を示した訳ではないでしょう」
自己弁護ですか。そうですか。
わたしはもうマクシミリアン様を視界に入れないように、ビアンカ様の花の顔を見つめることにした。
ソファの後ろには美女剣士3人に美少女顔の美少年もいるし、ああ、和むわー。
「アリスが男性恐怖症をこじらせていることは手紙で知ってます。そんなアリスを閉じ込めてあまつさえ脅迫なんて! お兄様が怖いに決まっているではありませんの!! 普段のアリスはお人好しで誰にでも基本的に笑顔対応ですし、話している相手の目を見ますわ。それが今はもう顔さえ背けているではありませんか! 人でなしのお兄様にはアリスの恐怖が分からないのですわ!!」
ビアンカ様が怒りに頬を紅潮させている様は、見惚れるくらいきれいで、そして嬉しい。
わたしの事を分かってくれていて、代わりに怒ってくれる友達。
惚れてまうやろぅ、的なやつだわ。
可笑しかったし、嬉しいし、今までの怖さも思い出して、感情が混沌としてぽろぽろと涙が零れてきた。
ハンカチ持ってて良かった。すぐに隠したのに、
「貴女はもう、人前で泣いてはいけないと言ったでしょう?」
バレテーラ。
窘めてはいるけれど、ビアンカ様はわたしの背中に腕を回して、トントンと優しく叩く。
「う~~~」
収まるどころか、逆に涙が止まらなくなって、ビアンカ様の肩に顔を埋めた。
後ろから大きな手が頭を撫でてくれる。きっとおじい様ね。
「ビアンカ、別室にアリスを連れて行ってくれないか。ここでは落ち着けぬだろう」
「そうですね。あちらには僕の妻と息子が控えてますので、そこに連れて行って頂けますか?」
ナサニエル様の言葉を引き取って、父さまが促すと、ビアンカ様は快く引き受けてくれた。
よたよた歩くわたしを支えるビアンカ様とは反対側に、ヘンリー様が寄り添う。前後を美女剣士たちに挟まれ応接室を出た。
◆◇◆
「さて――」
ニコニコと穏やかな笑顔を浮かべてアリスたちを見送ったハリスが、室内へと振り向いた時には表情が一変していた。
孫がいなくなったことで、ハイドからも圧のある怒りが前面に押し出されている。
2代前の庶子の王子とその息子は、同じ碧眼を怒りに染めている。
今までは魔力制御の腕輪を身に着け、人の目に留まらぬようしていたのだろうが、王家縁の者と公表してからはその腕輪を外し、貴族に相対するようになったようだ。
怒りの矛先は、南の雄・サザーランド公爵とその継嗣。
サザーランドは潤沢な資産と海軍を擁する軍事力も高い。北のフォードと南のサザーランドで、大国に睨みを利かせているのだ。
あからさまな対立は好ましくはないが、聖女側の関係者を蔑ろにした件は無視できない。
「わたしからも言っておこう。神殿長として、神殿に所属する聖女を危険に晒した件に対し、正式に苦情を申し立てる。更にマクシミリアン卿においては、聖女に精神的苦痛を与えた事、慰謝料を請求するべきかもしれぬが、金銭で解決する問題ではない。であれば、今後アリスとの面会を許可しない。これを破れば、今後神殿の立ち入りを禁じるものとする」
「お怒りはごもっともです」
サザーランド公は反論せず、殊勝にも頭を下げた。
ここで悪戯に言葉を返せば、より立場が悪くなると理解しているのだろう。
「我々に知らせず、事を進めた事、せめてシリウスやカイエンに知らせていればまだしも、計画決行直前に知らされ、慌てて駆けつけてみればオーディン学園内に不埒者どもが暴れまわり、アリスは閉じ込められていたという。誰がまともか判別出来ぬための処置であることは理解しているが、あまりにも身勝手が過ぎる。マキシマム公も処罰覚悟ではあろうがな」
今まで静観していた分、わたしも少々怒りに任せて口を滑らせている自覚はある。
その怒りが過ぎ去るのを待つかのように、サザーランドの親子は口を噤む。
わたしは苛立ちを紛らわせる為、人差し指をひじ掛けに打ち付ける。
「ハイド卿、まだ申し立てたい事があろう?」
大層不機嫌な面構えで頷いた男に、後は任せよう。
「ナサニエル様、アリスを慮って下さり、ありがとうございます。聖女様の件は神殿にお任せする事として、わたしからは商会の不利益について、いかように始末をつけるおつもりかサザーランド公に問いただしたい」
わたしと相対するよりは、ハイドの方が与し易いと思っているのか、マキシマムは貴族らしい薄い笑みを浮かべた。
「ハイド卿は現在、商会の事業から一線を引いておいでだと伺っております」
「そうです。事業は全て息子に移譲し、わたしは相談役に下がりました。現在は内務大臣に着任し、より商会とは遠ざかってはおりますが……だからこそ、此度の一件の根回しがし易くもありました」
元々貴族間への根回しは、ハイドの得意分野で、後を継いだハロルドは商売に強い。
「根回し……」
マキシマムにしては珍しく察しが悪い。
「イズラェール商会が売った魔石による事件は、あちらにとっても信用問題に関わる事。面会の申し入れにはすぐにも対応してくれ、現在ハロルドが交渉中です」
「国家の危機に繋がるかもしれない案件に、一商会が単独で対応とは身の程知らずな……」
「サザーランド公は勘違いされている。まさかヴィンスリ―商会だけで交渉に当たっているなどと思われるとは」
「では?」
「サザーランド公爵領と王都に危機を招いた魔石について、他国の商会の会頭と面会するのに、何故単独だと思われるのかこちらが訊きたい。この度、魔石の調査を名目に、ヴィンスリ―商会・会頭ハロルドと共に、外務大臣キース伯と魔導師団長ハノーヴァ候が、イズラェール商会・会頭、バル・バラ殿と交渉を行っている。サザーランドを仲介せずとも、商人には商人の横の繋がりがある。元々イズラェール商会とは取引を行ってもいた」
ハイドはもはや、丁寧な言い回しを止めたようだ。相当腹に据えかねているのだろう。
「一体、どこで……」
「あちらの信用が失墜しかねぬ事態に、バル・バラ殿はすぐに招きに応じてくれた。現在、王都のとある邸にて交渉中、とだけ伝えておこう」
「王都にあの女傑が来ているのか!」
マキシマムもマクシミリアンもさすがに驚いている。
通常であれば、パールミュラ王国の者が国内に入る時はサザーランドを経由しなければならず、その情報は逐一公爵の耳に入るのだが、今回は魔石騒動もあってか全く知らなかったようだ。
これでは面目丸つぶれであろうな。
「宰相のアウグス侯も承知のことである」
相手の言葉を待たずに、ハリスが言葉を継ぐ。
「そして、ヴィンスリ―商会が扱う魔導具が、アリスが開発者であると偽りの情報を吹聴して、娘を、聖女を危険に晒したことも許しがたい」
「しかし、それは事実では?」
「”わたし“が作ったのです。アリスは傍で見ていて口を差し挟むこともありますが、子供らしい思い付きを口に出していただけです」
ハリスの背後に青白い炎が見えるようだ。娘を溺愛する父の怒りは凄まじい。
なまじ、陛下に似た美貌で睨まれるので、マキシマムも落ち着かないのかもしれぬ。
今後、魔導具は自分が作ったとハリスは言い通すだろう。
「実害が出た場合には相応の補償をして頂きましょう。今後についてはバル・バラ殿との交渉後、改めて場を設けたいと思いますが、いかがでしょうか」
凄みのある笑みを浮かべ、ハリスがマキシマムに迫る。
対してマキシマムは眉間にシワを寄せた。
「貴公は一介の魔導具師ではないのか?」
「確かにヴィンスリ―商会の魔導具師ではありますが、先ごろから会頭の補佐も務めております。何しろ後継ぎがまだ幼いので」
二組の親子対決の中心で、火花が見えるようだ。
さて、この落とし所はどうしたものだろうな。
お読みいただきありがとうございます!((w´ω`w))
前半はアリス視点、後半はナサニエル様視点です。
次回はシリウス君事情について。




