07.閑話:ナサニエル [改]
おじいちゃん神官・ナサニエル様のお話です。
王族を離れ、神官として生きるため、ただのナサニエルとなってもうどれだけの年月が流れただろう。
身分を鑑みて、若年ながら大神官・神殿長という名誉職に就いた。
だから何だというのだ。
この神殿は、何者にもなれなかった者たちが集う場所だというのに。
若い頃は、運営に関する実務にも携わってきたが、最近は決裁への署名と面会依頼ぐらいだ。
老齢の神殿長への気遣いという。
それは侮りであり、権力を徐々に削ぎ、中央から追いやるために。
筆頭は現在の神官長だろう。
わたしには魅力のなかった神殿長という役職が、彼には違って見えるのかもしれない。
この国が建国されてしばらくは、神殿こそが国の中枢だった。
竜の加護を授かり、膨大な魔力を持って国を治めていた王が、神の代理人として神事も行っていた。
しかし権の集中は国を荒らし始めた。
下位の神官でさえ神の威を借りて横柄なふるまいをし、民が搾取され、国の礎であるはずの魔力そのものが低下していった。
憂えた十三代目の王が政と神事を別け、改めて法を整備したことからどうにか持ち直した。
賢王と名高い十三代オーディン王の治世のあと、更に改革は進み、改善があり、改悪もあった。
かつて、王位争いはなく、魔力の一番高い者が王となったので、もちろん女王もいた。
しかし、ある女王が無能で国を荒らしたことがあった。
魔力は十分でも、当人に国を治める気概がなかった、もしくは精神に異常があった、などの伝文がひっそりと王宮の秘蔵文献に残されている。
嘆かわしくもこれが二代続き、その後女王は国を荒らすという忌避感により、王は魔力の高い男子に限ると綱紀に記されることとなった。
それがなければ、姉は素晴らしき女王として君臨出来たのかもしれない。
わたしから見れば兄は平凡だった。玉座への執着以外は。
どれほど魔力が高かろうが、優れた知性と教養を持とうが、王女は女王に就けないというのに、刺客を放つほど恐れていたのだろう。
公爵家へと降嫁する姉の顔を、今もたまに思い出しては胸がしくしくと痛む。
わたし自身、玉座への未練はなかった。
しかし身の危険は常に付きまとい、王位継承権を放棄する、それを内外に知らしめるため神官となった。
神殿へ逃げたのだ。
◆◇◆
「本日の面会はどうなっている」
わたし付きの側仕えに問うと、何とも言えない渋面を作り、
「お一人だけです」と、面会依頼の書面を差し出された。
カイエン・オズワルド・サーフェズ。
そこには、ここを去った元神官の名が記されていた。
「久しいな、カイエン」
「卑小の身、御前にさらすご無礼をお許しください」
目の前に跪き畏まるカイエンは、件の神官長と相容れず神殿を去った男だ。
優秀で、まだ三十歳そこそこであれば、こんな箱庭にいつまでも縛られることもないだろう。
還俗し、没落の憂き目に遭っているとはいえ、実家の伯爵家子息として名乗る魔導師は、上げた面に楽し気な笑みを浮かべている。
「忍び込んだのか」
「いやぁ、神官長一派と顔を合わせると何かとまずいでしょうから」
先ほどの低姿勢から一気に砕けた口調となるカイエンは、わたしなりに目を掛けていた神官だったので、このように親し気に話すこともたまにあった。
「それで面会申請書はいかがされましたか? ヒューゴ殿は生真面目ですから」
密かに面会したかったカイエンに対して、わたしの側仕えヒューゴは生真面目に面会申請書を書かせた。
あとに残すのも面倒だというのに。
「焼却済みだ」
申請書に目を通した端から燃やし、灰は風に載せてもはや跡形もない。
ヒューゴはけしてカイエンを悪く思っているわけではない。
カイエンと面会したことで、万が一わたしの不利に働く危険に渋面を作っていたのだ。
もしくは面会依頼が、変則的なたった一人だったことを憂えたからかもしれないが。
「わざわざ面倒な真似をして会いに来るとは、何事かあったか」
そうでなければ理屈に合わぬ。
しかしカイエンは、心外だとばかり首を振る。
「ナサニエル様のご機嫌伺いとわたくしの近況を……」
つまらぬ言葉に、わたしは窓の外に視線を向ける。素晴らしき曇天だ。
わたしの態度に、上っ面の面会理由を早々に諦めたカイエンは、居住まいを正し一つ咳払いをする。
「実は少々お願い事がございます」
そうだろうとも。無言で頷き、先を促す。
「現在わたくしは魔導師として家庭教師をしております。下級の男爵令嬢の魔法指導をしているのですが、その令嬢がなかなか興味深く、制御に苦慮しておりますが魔力が多いのです」
「男爵家の者で魔力が多いのか。珍しいな」
通常、身分が高いものほど魔力が多い。王族、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵へ下るにしたがって少なくなる。
「はい。属性も今の段階で、風・水・土の三つを持っているようです。魔力制御を教えなければ危険と判断した親族の者が、家庭教師を依頼してきた訳ですが……」
「三属性か」
「もしくはそれ以上かもしれません。わたくしが持ち合わせない火属性の授業は出来ませんから。その令嬢は一か月後に洗礼式を控えておりまして、出来るならばナサニエル様の祝福を頂ければと、お恥ずかしながらお願いに参りました」
令嬢の属性と魔力を見極めよ、ということか。
「ずいぶん気に入っているようだな、カイエン」
とたんに眉尻が下がるカイエンの、表情やしぐさに注意を払う。
意図的に隠されたものがないか、つい探ってしまうのは、身に染みついてしまった警戒心がゆえだ。
「気に入っている……うーん、確かに気に入ってますかね。気になることもありますし」
また口調が砕けてきた。握りこぶしを口元に当てて首を傾げ、言葉を探す様はわたしが知るカイエンそのものだ。
去って戻ってきた者への警戒は無用かもしれぬ。
「アリス・ロイドというお嬢さんなんですが、大変可愛らしい子ですよ。ピンクの髪に赤い色の瞳でして……そこにたまにですが金色の光が浮かぶんです」
ぎくりと体がこわばるのを自覚する。
「――金、とな。魔力にも混じるのか?」
「たまに混じってますねぇ。ロイド家の畑は、母親のロイド夫人が土魔法で耕し、アリスが水魔法で水やりをしているんですが、土は祝福されたもののように感じられます。はっきりそうだとは判断が付かないため、ナサニエル様に見極めていただければと」
――『聖女』かもしれないと。
「なるほど、そういうことか」
結局、わたしは承諾した。
当日担当する神官をヒューゴに調べさせ、わたしが割り込む余地を確保する。
もうじき去り行くこの世にもはや未練はなかったが、少しばかり最後に楽しみが出来たようだ。
次回こそ、ヴィンスリ―男爵家へ向かいます。