☆3話 ようこそ小さな花園へ!?
で、言われたとおりに来たんだが。
来る途中、初等部の子達が俺を見て不思議そうな顔をしていたよ。「この人誰だろう……」ってな感じで。普段、俺らが中等部や初等部の子を見かけないようにあっちも見ないだろうからな。
おかげで防犯ブザーを鳴らされること3回。警備員さんに後ろから肩を叩かれること2回。1、2年生に先生と間違えられること5回。いや君達、高等部の制服くらいは知っとこうね。
妹もここの初等部に通っているのだが、俺がここを徘徊していたなんて噂になったら迷惑がかからないかな……? 運良く出会うことはなかったけど、もし鉢合わせしてしまっていたら色々と終わっていた。ほんと色々と。
そんなこんなで来るだけでも危険地帯だったこの場所だが……なんであの女は俺をこんなところに呼び出したんだ。しかもあいつの名前聞いてないし。これで中に入ったら即通報とかマジで勘弁してほしいぞ。
俺は体育館の鉄の扉に手をかけた。
もう防犯ブザーは勘弁どころか若干トラウマになってきたからいつでも逃げ出せるように身を低くして逃走体勢を整えて顔を手で隠す。
その姿はまるで戦争中の兵士。傍から見ると不審者にしか見えないが。あ、そこの子、俺を指ささないで。また警備員さん来ちゃう。
もう早いとこ中に入った方が良いと判断して扉を開ける。
ゴウン……!という重い音と共に体育館の中の景色が見えてくる……と思ったが、扉の前に誰かが立っていたみたいで身を低くしていた俺に見えたのは高等部の制服を着た女子のお腹だった。
至近距離なので女子特有の良い匂いもする。小学生じゃないから安心。俺は顔を隠していた手をどけてその女子の顔を確認する。
「遅い。放課後になったら5分以内に来いって言ったよね?」
「5分以内とか、そんなこと初めて聞いたんだが」
まぁ予想通りと言うか、俺をここに呼び出した女だった。俺が遅すぎたせいか大層怒ってらっしゃる。仕方ないだろ。お前のせいで犯罪者になりかけたんだから。
「っていうかお前一体誰なんだよ。初対面だよな? なんで俺をこんなところに呼んだんだ? 何が目的だ」
「あーうるさいうるさい。さっさとこっち来て」
俺の質問なんか無視して早く中に入れと言ってくる。なんて横暴なんだ。俺は来てあげた側なんだけどなぁ……。今からカツアゲでもされるのか俺は。
「そこでちょっと待ってて」
誰もいない体育館のちょうど中央に立たされ何かを待てと言われる。女も俺の横に立って何かを待っているようだ。いったい今から何があるっていうんだよ。
ゴウン……!
「ん?」
俺が溜息をついているとまた扉が開く音がした。俺以外にも呼ばれた奴でもいるのか? と思ったが……
「しおりー! 算数の宿題やった?」
「もうとっくに終わってるわよ。でも見せてあげない」
「なゆさん、靴は脱がなきゃダメですよ」
「? そうだった」
なんと、4人の小学生が入って来たぞ……!
大丈夫なのか? このままじゃ俺達2人共不審者と思われるんじゃ……いや女子にはあまりそういう事案を起こす印象はないだろうし、この場合は俺だけが通報対象になるのでは?
危険を感じて逃げ出そうとすると「逃げるな」と女に肩を掴まれた。ひぃぃ! 脱出失敗っ!
「あー、なつきだー!」
「マネージャー、早いわね」
「白戸さん、今日もよろしくお願いしますね」
「なつ姉。こんにちは」
どうやらこの4人の女の子と俺を呼びだした女は知り合いらしい。
しかもここで初めて名前が「しらと なつき」だと知った。別に名前が知りたかったわけじゃないけど他人の口から出てようやく名前を知ることができたなんて変な話だ。
にしても……「マネージャー」だって?
「す、すみませんー! 遅れちゃいました!!」
と、この体育館にまた新たな小学生が補充された。靴を脱いでこちらにパタパタと小走りにやってくる。
その時に見えた少しだけ長い髪を後ろに束ねてできる小さな尻尾。柔と剛の両立を成した綺麗な脚。
天使のようなあどけない声でやってきたその女の子は……なんと朝、学校に行く途中で出会ったフットサルをしていると言っていた子だったのだ。
「君は……」
「あ……」
目が合うとお互いに「どうも」と軽い会釈をしてしまう。まさかまた会うと思わなかったしここの初等部の子ということも知らなかった。
今思えば、体操服から近衛学園初等部とわかったかもしれないけどあの時は一応急いでる時でもあったしどこの子かは気にならなかったんだ。
それにここまで言ってなんだが体操服なんてよく見ないと他のとことの違いなんてわからん。
「はーい皆注目。この人はここの学園の高等部にいるお兄さんでーす」
白戸が俺のことを不思議そうに見ていた女の子達に紹介してくれる。ザックリとしすぎていたがこれで一応変な目で見られることはなくなった。
「そして、我らが女子フットサル部の『新監督』となる人でーす。はい拍手」
「………………………………は?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。そのせいで間抜けな声も出てしまう。
すぐに「そんなこと知らない」と否定しようとしたがパチパチパチパチ!! と小学生女子達の拍手の音で圧倒され行動を封じられてしまった。
「そういうわけだから。今日からこの子達の指導よろしく」
「待て待て待て! 聞きたいことが山ほどあるぞ」
「聞きたいこと? あー、名前? あたしの名前は『白戸 夏月』」
「そっちじゃねぇ! 名前はもういいわ! 名乗るの遅すぎなんだよ!!」
俺と白戸、歯車が噛み合わなさすぎだろ。会話すら困難なレベル。小学生の前で漫才みたいなやり取りを披露してしまいまたパチパチと拍手されてしまっている始末だ。
「なんで俺がフットサル部の指導なんかしなくちゃいけないんだ!? しかも女子の!」
「ここの元監督があんたを指名したのよ。『もう本人から許可を取ってある』って言ってたけど?」
「誰だよその元監督って」
「あんたの父さん」
「父さん!? 初等部で監督やってるってこの部のことだったのか……!!」
フットサル部の監督やってたなんて初耳だし俺が監督を引き受けたなんて初耳どころか完全な捏造じゃねえかあのクソ親父……!
「あんたの父さんはフットサル部の監督だったけど急遽サッカー部の方を指導しなきゃいけなくなったのよ。あっちの監督さんが身内の介護がどうとかで監督辞めなきゃいけなくなってね。それでサッカー部はこっちより入ってる子が多いからそっちに移されたわけ」
「そのことも含めて全部初めて聞いたよ。ったく、監督なんかやってられるか。こっちは忙しいんだ」
「は? これもあんたの父さんに聞いたけど、もうサッカーやってないんでしょ? 何が忙しいの?」
「う、うるさい!」
痛い所を突かれて少し恥ずかしくなる。
そもそもなんで俺がこんなことやらなきゃいけないんだよ。
とりあえず帰ったら勝手すぎる父さんをどうにかしなくてはならない。普通自分がいなくなるからってその監督の枠に自分の息子をぶち込む奴なんていないだろ……。
父さんは昔からこうだったからこの際それはもういいとして、俺がサッカー辞めた理由を知ってるくせに……! 母さんにチクって叱ってもらおう。
そんなこと考えながら俺は出口に向かっていった。そんな俺に白戸は声をかける。
「へー、逃げるんだ?」
「逃げるってなんだよ。こんな無茶苦茶されて帰ることのどこが……!」
「あんたが嫌なのは勝手されたことじゃなくてまたサッカーに関わることでしょ? 別にあんたがサッカー辞めた理由までは聞いてないけどさ。サッカーとフットサルは違うのになんでそこまで避けるわけ?」
「同じだろ。サッカーとフットサルなんて。フィールドが小さくなったお手軽サッカー。それだけじゃ─」
「同じじゃないです!」
声を発したのは白戸ではなく、小学生の方。朝に出会った子だ。まさか小学生の方から何か言われるなんて思ってもなかったから少し面食らってしまう。
「同じじゃないなら俺に教えられることなんてないだろ」
「自分のサッカーの経験から言えることだってあるんじゃない? 一応、フットボールだし。それにあんた強くて有名だったんでしょ?」
「中学の話だ。それに、強いことが良いことってわけじゃないんだよ……!」
ギリ……! と歯ぎしりする楓を見て夏月は「?」と首を傾げる。
その曇る表情に何かあるなーとは思ったが、触れない方がいいかと口にはしなかった。
だが、このままでは監督を引き受けてくれなそうだったので夏月は最後の手段を使うことにした。
「まーいいや。あんたがやってくれないって言うならこっちも取る手段ってのがあるから」
「な、何するんだよ」
白戸はニヤ……と笑って体育館の隅に置いていた自分のカバンから数枚の紙を取り出してきた。なんだあれ。なんか……作文用紙に見えるが。
再び俺の前に立ち、作文用紙を広げて息を吸う。そして発した言葉は─
「『ぼくのゆめはおかあさんとけっこんすることです。』」
「……ッ! 待て。待ってくれ。早まるな。話し合おう……争いは悲しみしか生まない」
小学生達はさっきの一言を聞いても何が何だかわかってない顔をしているが俺はその一言を聞いた瞬間、白戸が持っている作文用紙がなんなのかわかってしまった。
結論から言うとあれは…………俺のだ。
すごく小さい時に書いて学校で発表した後に母さんにプレゼントしたという自分としては速やかに消去しておきたかった超絶黒歴史物。
ただ、母さんが断固として返してくれず妹を含めて誰にも見せないという条件で処分は保留にしていた、もとい封印させていた代物。
こいつが持ってるってことは父さんがこっそり母さんから盗んでこいつに渡したのか……!? なんて凶器を持たせているんだ。正気の沙汰じゃないぞ。
「あたしとしては第二章まで読んであげたいところだけど?」
「ふざけんな。なんだよ第二章って」
「『おかあさんのすきなところはいつもえがおで』」
「わー! わー! 本当に喋るなこのバカ!」
第二章と聞いてピンとこなかったが、白戸が勝手にそう名付けていただけだった。
だが、それはすでに自分はこれを熟読しているぞという意味でもある。マズイ……気分はさながら証拠を押さえられた犯人のよう。退路が…………断たれたっ!
「どうする? 監督、やる?」
「やり、ます……!」
グギギギ……と奥歯を噛みしめて白戸を睨みつける。
それを涼しい顔で見ている白戸は気持ちよさそうだ。どうせこうなるとわかっていたよと言いたげに。
ムカツク。何より父さんはもう母さんへのチクリが決定した。この窃盗犯め。
「安心安心。ま、あんたはロリコンじゃなさそうだし、この子達に手を出すとかそこらへんは心配してないのよね。この作文からするとどう見てもマザ─」
「小さい頃の話だからもう黙ってくれ……頼むから……」
俺は真っ赤な顔で盛大な溜息をついた。人間が人生で経験することは数少ないであろう「絶望」というものを感じた。