試験は終わり・・・
リズム練習を叩き終わり、他の試験も終わった僕は楽器室を出ようと、座っていた椅子から腰を上げた。
「日頼君は、日頃からなにか音楽を聞いていたりするんですか?」
そんな僕を、呼び止めるように水戸先生は言った。
試験が終わったことで緩まっていた緊張が、水戸先生の一言で舞い戻ってくるから驚きだ。(自分の緊張しいっぷりに。)内心アタフタしながら、先生の質問に答える。
「い、いいえ。あまり……。」
「そうですか。楽器もやってないんでしたよね?」
「はい……。」
一体何を確認されているのか、僕には分からなかった。先生の質問の意図が汲み取れず、曖昧な返事になってしまう。
そんな僕の様子が伝わったのか、
「いえ、テンポ感がしっかりしているので、何か音楽に関わっていたのかと思ったんです。」
と、水戸先生は、質問の理由を説明してくれた。
だが、褒められているのが分かると、緊張とは別に妙にむず痒いものが体中を走っていく。
「素晴らしく安定したテンポでしたよ。」
「い、いえ…そんな……。」
「今後の課題は、楽譜に頼り過ぎないことですね。メトロノームを一度も見ないで叩いていたようですから。」
先生の指摘にドキッと図星を突かれたように心臓が高鳴った。まるで、悪いことをしていたことがばれてしまった子供のようだ。
しかし、よくよく考えてみれば、前で見ていた水戸先生が気付かないはずがなかった。僕が楽譜通りに叩けているかどうか確認する際に、僕の目線が楽譜から動いていないことなど、水戸先生でなくても気付くはずだ。
「私が最後に、メトロノームの音が鳴らないようにしていましたが、気付いていましたか?」
「………。」
気付かなかった。緊張のせいで、メトロノームの音が聞こえなくなったのだと思っていた。途中そんなことをされているのなら、僕に、誤魔化しの余地は残されていなかった。
だんまりとしている僕に、水戸先生は、注意するわけでも、笑いかけるでもなく、優しく言い放った。
「希望通りの楽器をさせてあげられるか分かりませんが、まだまだ課題はあります。これからも頑張って下さい。」
そして、ようやく僕は楽器室の外に出た。
外に出ると、音楽室で待機していた一年生の視線が集中して、途端に居心地が悪くなる。試験に時間をかけ過ぎたのかと、時計に目をやるが、僕が中にいたのは、十分足らずで、特筆して長い訳でもない。
予想するに、楽器室の出入りが気になっているのか。僕は楽器室から離れるように、もとい、注目から逃げるように、小唄の傍に駆け寄った。
小唄は、他の試験を終えた一年生と話しているようだったが、僕が近づいてきていることに気付くと、左手を上げて、気さくに言った。
「お疲れっ、どうだった?」
僕は、ハイタッチの要領で、小唄の左手を叩くと、小唄の隣の席に座る。僕が、試験前に座っていた席とは違うが、文句を言う人はいなかったので、問題ないだろう。
「……最後まで叩くことは出来たけど、緊張しちゃった。楽譜ばっかり見てて、メトロノームを全く見なかった…。」
「マジかよっ、……止められたりしなかったか?」
小唄は、僕だけが聞こえるぐらいの大きさまで、声のトーンを落として、聞いてきた。僕としても、あまり周りに聞かれたくないと思っていたので、嬉しい配慮だった。
「止められたよー…。リズム練習の一行目も過ぎないうちに止められちゃって…。」
なんなら、メトロノームの音も止められました。
「ま、まぁ、最後まで叩くことは出来たんだろ。終わりよければ、すべて良しってな。結果を待とうぜ。」
「そうだけど……。」
何か、引っ掛かる言い方だ。まるで、最後まで叩くことが出来なかった人がいるかのような言い方だ。悪い予想が頭のすみを過ぎる。
もしかして、小唄は止められたのだろうか。
僕よりも先に試験を受けてきた小唄だが、僕は小唄に試験の手ごたえは聞いていない。正確には、自分のことで一杯一杯で、聞くことが出来なかった。
しかし、それでも、小唄は心配ないと思っていた。小唄が、リズム練習を叩くことが出来ることは知っていたし、木管楽器ならば、なんなくマウスピースを鳴らすことが出来ることも知っている。僕と違って、緊張することもなく、僕からみれば、緊張しないように見える小唄が本番であがる姿など想像もできない。完璧な出来栄えで試験を終え、自信満々にしている小唄の姿を想像していた。
だって、そうじゃなければ、僕がサックスパートを目指す理由がなくなってしまう。
「ちなみに……小唄君はどうだった?」
「……。」
僕の質問に、小唄は困ったように頬を掻いて、視線を逸らした。その反応の意味を理解できない僕は、ついつい首を傾げてしまう。
小唄は、小さく顎を動かして、僕にその先を見るように求めてくる。小唄が、指し示す先には一人の女子を取り囲むように集まっている一団があった。
僕が、楽器室に行く前に、あんな集団、出来上がっていただろうか。
よくよく、その集団を観察してみると、真ん中にいる女の子が泣いているのが分かった。どうやら、周りの人はその女の子を慰めているようだった。
「あの女子も、はーちゃんと一緒で緊張しいみたいでな。途中で頭が真っ白になって、先生に止められて、そのままリズム練習は終わったらしい…。」
同じ緊張しい……。
なんだか、不思議なシンパシーを感じてしまう言葉だが、それが、小唄が困ったような仕草をするのとなにか関係があるのだろうか。
「さっき、あの女子の近くで試験の話しててな。最後まで出来たか、聞かれたから答えただけなんだが、それであの女子、いきなり泣き出してさ…。」
気まずそうに、小唄は言った。確かに、そんなことがあったのなら、試験の話はしづらいだろう。
「……つまり、小唄君は手ごたえがあるってことでいいんだよね?」
「当たり前だろっ。じゃなきゃ、こんな気まずい思いしてねぇよ。」
小唄の返事を聞いて、ようやく僕は安心した。悪い予感が的中しなくて良かった。
僕は、力が抜けてしまった身体を何とか支えながらも、ゆっくりと息を吐きだした。今日、試験が始まって、ずっと体中を支配していた緊張が吐く息に合わせて、ゆっくりと解かれていく。試験が終わり、緊張もなくなり、心地良い風を受けているような、清々しい気分だ。出来ることなら、もう今日は家に帰って、寝てしまいたかった。
「……緊張した~……。」
本当に、緊張した。
「はーちゃん、もう終わったかのようなこと言ってるけど、発表はまだ。」
そう、後は、発表を聞くだけだ。
サックスパートに入れるかどうか、小唄の傍にいられるかどうか、ついに決まってしまうのだ。
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