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ヨルベのない音  作者: 幸村 洋夏
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始まったばかり

 「皆さん、お疲れ様です。」

 

 水戸先生は、まず初めにそう言って、深々と頭を下げた。先生が頭を下げるところを、見たことがなかった僕は思わず面を食らった。

 すべての一年生が試験された翌日の放課後。音楽室に集められた僕達は、水戸先生の次の言葉を待っている。

 いや、正確には、昨日行われた楽器決めのための試験結果が気になっている。自分が希望した楽器になっているかどうか気になっていない人はいないはずだ。


「皆さん、昨日はよく頑張りました。昨日の結果をもとに、部長、副部長と話し合い、皆さんの楽器をこちらで決めさせてもらいました。中には、希望の楽器になれなかったという人も出てくると思いますが、選ばれた楽器で、頑張って下さい。」


 水戸先生は、そう言うと、ずっと手に持っていたファイルに目を向ける。


()(ぐう)(とも)さん。」


 阿宮さんからということは、名簿順か。

 阿宮さんは、確かバリトンサックスを希望していたはずだ。


「バリトンサックスをお願いします。」

「……はいっ!」


 聞こえてくる阿宮さんの声は、安心しているように感じた。よほど、不安だったのだろう。なにせ、僕程度の人間にも譲るように言うくらいだ。

 阿宮さんのことを僕は何も知らない。一回、話したことがある程度の関係しかないが、それでも素直に良かったと思う。あれだけやる気がある人が、違う楽器をやるなんて考えられない。

 阿宮さんの後も、次々と名前が呼ばれていく。反応は様々だ。阿宮さんのように、希望通りの楽器になれて胸をなでおろす人もいれば、泣くほどに喜ぶ人もいる。反対に、希望楽器になれずに、泣くほど悲しんだり、肩を落としている人も目についた。

 それだけ、皆、本気だったんだろう。そして、もちろん、僕も。

 決して、人に胸を張って言えることではないけれど、頼りある人の近くにいるために、この二週間は頑張っていた。


(たか)(つき)()(うた)君。」


 小唄の名前が呼ばれた。隣で、小唄は短く返事をする。

 小唄の希望は、アルトサックス。そのために、小唄は、サックスパートの練習に参加していたのだ。


「アルトサックスをお願いします。」

「はいッ。」


 さすが、小唄だ。

 小唄は、喜びを噛み締めるように、小さくガッツポーズをした。どれだけ自信満々でも、実際に選ばれるとやはり嬉しいのだろう。

 小唄は、一番、楽器決めの練習していなかったかもしれない。他の一年生が、音楽室で、リズム練習をしていたり、マウスピースを鳴らしたりしている時に、サックスパートの練習場所まで行って、練習に参加していたからだ。

 しかし、だからこそ、僕の中では、アルトサックスを吹くのは、小唄だ。練習はしていないかもしれないが、リズム練習は出来ていたし、一番やる気を示していたのは、小唄だと思うから。

 小唄と、阿宮さんは希望通りに決まった。後は、僕だけだった。

 やるだけのことはやった。結果は散々だったが、出来る限りの力は尽くした。

 誰よりも練習したわけでもない。

 誰よりもやる気があるわけでもない。

 誰よりもやる気を示したわけでもない。

 それでも、小唄の傍にいたかったから、僕は、出来る限りのことはしたはずだ。


()(らい)(はる)()君。」


 いよいよ、僕の名前が呼ばれた。

 第一希望は、テナーサックスと書いた。第二希望は、バリトンサックス。第三希望は、なんて書いたのかすら覚えていない。

 バリトンサックスは、阿宮さん。アルトサックスは、小唄と決まった。もう、一つしか枠はない。幸運なことに、ここまでテナーサックスに選ばれた人はいなかった。まだ、僕にも可能性がある。


「はい……」


 僕は、俯きがちに返事をする。

 時間の流れが遅く感じる。水戸先生の口がスローモーションになってしまったかのようになかなか動かない。

 落ちたか?

 選ばれたか?

 

「……………………スをお願いします。」


 良く聞こえなくて、顔を上げる。

 水戸先生は、復唱する。


「テナーサックスをお願いします。」


 待ち望んだ言葉だった。

 選ばれた。勝ち取ったのだ。


「はい…!!」


 僕は横にいる小唄を見る。小唄は、こっちの方が冷や冷やしたと言わんばかりの顔をしていたが、僕が見ていることに気付くと、両手をこちらに向けた。

 僕は、その手に向かって、ハイタッチをした。


「やったな。」


 小唄は、小さく僕に言った。

 やった。選ばれた。小唄と同じアルトサックスは無理で、阿宮さんはバリトンサックスを譲るように言ってきた。狭まっていく選択肢が怖くなり、怖気づいてしまったけれど、諦めなくて良かった。

 早く報告したい。

 僕が怖がったままでいらずに済んだ、きっかけをくれた、あの人に報告したい。楽器決めの試験の時、頭によぎった言葉をくれたあの人に、いろんなことを言いたいと思った。


 ありがとう、あなたのお蔭で僕は、寄る辺を失わずに済みました。


 水戸先生は、全ての一年生に楽器の割り当てを伝えると、手に持ったファイルを閉じ僕達に向かい合った。


「楽器は、以上で決定になります。これから先は、パートの先輩と合流して、練習に混ざっていくようにして下さい。」


 水戸先生は、これからの一年生の行動を軽く指示すると、「それでは、解散してください。」と言い、その場を締めた。



 「じゃあ、さっそく、依辺先輩達のところに行こうぜ。」

 水戸先生による楽器決めの発表が終わり、僕と小唄、それと阿宮さんが集まっていた。これから先は、同じサックスパートのメンバーである。僕は、阿宮さんを知っており、小唄もどうやら阿宮さんを知っているようなので、お互い自己紹介の手間も省くことが出来て、気心が知れているわけではないが、全くの知らない人よりは楽なメンバーだ。

 さっそく、小唄の言う通りに、サックスの練習場所に進んでいく。小唄、僕、阿宮さんとまるでRPGのパーティみたいだ。

 そう思ったのも束の間、後ろにいた阿宮さんが僕の横まで進んで来た。なんだろうなと見てみれば、阿宮さんのきつく尖った目と目が合ってしまい、心臓がキュッと締め付けられるような気分になった。なんでそんなに攻撃的なんだ。

 さらに、阿宮さんは攻撃的な口調で言った。


「今度はあたしの名前覚えてるでしょうね?」

「………」


 どうやら、最初に僕が阿宮さんを覚えていなかったのを、相当根に持っているらしい。僕は、痙攣する喉が声に影響しないように、精一杯虚勢を張りながら、言った。

 

「阿宮友さん……だよね。大丈夫、覚えてるよ。」

「あんた、記憶力がいいのか悪いのか分からないわね。っていうか、なんでそんなにビビってるのよ。普通にしなさい普通に。」


 まったく隠しきれていなかった。

 全く知らない人よりも楽だというのは、嘘かも知れない。話すだけで、ここまで怯えてしまう自分も情けないが、普通に話すためにここまで労力を費やさなければならないのはいささか面倒だ。

 小唄に頼ってしまおう。


「じゃ、じゃあ、前にいる人は、分かる?」

「高槻でしょ、割とこっちとは話すから、知ってるわ。」

「こっち呼ばわりはひでぇな。」


 クックックと、小唄は楽しそうに笑う。何が、そんなに楽しいのか。もしかすると、アルトサックスになってしまうと、依辺先輩のような笑い癖が引き継がれるのかもしれない。

 だが、これで、話題が小唄にずれた。僕は、安心して一歩後ろに下がろう。


「っていうか、阿宮ははーちゃんのこと、あんたあんた言ってるけど、名前分かんの?正直、阿宮とはーちゃんが知り合いだってことすら今日初めて知ったんだけど。」

「はーちゃん?」


 …ずれた話題が戻ってきた。

 しかも、小唄は僕が阿宮さんと面識があることを知っているはずだ。良く顔色一つ変えずにさらりと嘘をついたものだ。


「阿宮の言う『あんた』の仇名。」


 小唄は、そう言って僕に指を指す。阿宮さんは、訝し気に僕を見た。


「あんた、はーちゃんって感じの奴なの?」


 はーちゃんって感じの奴ってどんな奴だよ。

 そんな雑談を、主に小唄と阿宮さんがしながら、僕達は、サックスパートの練習場所に辿り着いた。音楽室と同じ階にある二年生の教室だ。

 小唄が、失礼しますと一声入れてから入室する。阿宮さん、僕と続く。

 中には、見たことがある先輩が二人いた。四月先輩と、夜具先輩だ。


「依辺先輩、まだ来てないんッスか?」


 小唄が聞くと、二人の先輩は、呆れたように溜息をついた。先輩達が言うには、来ているが、集まっているのに気づいておらず別の場所で練習しているのだそうだ。

 顔合わせをするために、呼びに行ってほしい。

 先輩達は、僕達一年生にそう頼んだ。僕は、身を翻して廊下に飛び出した。後に聞けば、先輩達にその気はなかったらしいが、頼まれた時、一番廊下側にいるのは、僕で、僕に言われていると思ったのだ。

 僕は、音楽室まで引き返し、階段を下りていく。場所は聞かなかったが、おそらく、理科室にいるだろう。理科室は、本来、別の部活が使っているらしいが、依辺先輩の行き場所に他に心当たりがなかった。

 理科室の前に辿り着くと、いつか聞いた音色が聞こえてきた。しっとりとした品のある音。を感じさせる、しっとりとした音。何処か喫茶店に入ったときおしゃれなBGMとして聞こえてきそうな音が、理科室の中から聞こえてくる。

 扉に手がかかる。なるだけ聞こえてくる音の邪魔をしないようにゆっくりと横にスライドさせていく。

 人一人が入れる広さまで開くと、カーテンをくぐり、中に入った。

 中にいたのは、やはり依辺先輩だった。

 ケラケラと笑う姿は今はなく、真剣な表情で楽器を吹いていた。

 けれど、その姿は、やっぱり楽しそうに映った。生き生きとしているのが伝わってくる。

 羨ましいと思った。僕が手に入れられない勇気や自由を持っているこの先輩を僕は羨ましいと思う。

 僕もこんなふうに吹けるだろうか。寄る辺に頼る生き方をする僕が、そんな生き方をいらないと一蹴しそうな先輩と同じように演奏できるだろうか。

 わかんないな……。

 僕の吹奏楽部での日々は、まだ始まったばかりなのだから。

閲覧ありがとうございました!!!!!!

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