表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

どうしてくれるんですか、店長。

「おはようございまーす」


私はM駅店のドアをくぐり、オープンの準備をしていた野口君に声をかけた。


「おはようございます」


野口君はレジにお金をセットしていた顔を上げて、ふわりと微笑んだ。

私は会釈しながら、奥の更衣室に入り、須藤店長のタイムカードをカチャン、と押した。6時45分だけど、大丈夫だったかな。


私はM駅店のバイトさん共用のクリーニング済みの制服のビニールをビリビリと破り、シャツとスカートを着用すると、鏡の前に立ち手首に着けていた白いシュシュで髪を一つにくくった。今日は家から黒いパンプスを履いて来たので、靴はこのままだ。


私はカチャリ、と更衣室のドアを開け、野口君に声を掛けた。


「何かやること、ありますか?」

「大丈夫です。あとは、7時になるのを待つだけ、です」


私がチラリと時計を見ると、7時5分前だった。ふむ。

私はカウンターの中に入り、改めて野口君にぺこりと頭を下げた。


「今日は突然やって来て、すみません。こちらの店舗は初めてで、ご迷惑お掛けするかもしれませんが、須藤店長が戻られる10時過ぎまで、どうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


野口君も、笑顔で私に頭を下げてくれた。

今日突然私が須藤店長の替わりにM駅店の早番に入ることは昨日、須藤店長がレジに居た野口君にも説明してくれていた。


野口君はM駅店の早番スタメンの一人であるらしく、たまたま今日の早番も野口君であったため、話が早かった。

そして須藤店長は私の替わりにS駅店に早番で入り、山田と色々話をして、仕事ぶりもチェックしてくる、と仰って下さったのだ。


山田、大丈夫かな〜。


そう考えてから、私はハッとした。

いやいやいや。別に山田のこと心配したりとか、してないから。

須藤店長は怒ると恐いからな〜、とか思ってないから。

何があっても山田の自業自得だから。うん。

私はとにかく、これから始まるM駅店業務に集中、集中。


私はキリッと姿勢を正すと、カウンター内のカップの位置とか、食材の配置とか、一通り確認をする。野口君がレジを担当し、私のポジションは主にコールド系ドリンクとフード系の作成だ。

メニューとかやる事はS駅店と一緒であるからして。微妙な置き場所の違いだけ把握しておけば、初めての私でもきちんとお役にたてるハズだ。


さて。

時刻は7時。

カフェ pausaパウザ M駅店オープン、だ。

野口君が店内の明かりを全てオンにし、お客様が次々と自動ドアをくぐる。


「いらっしゃいませ〜」


私は明るい笑顔でご挨拶をして、お客様をお迎えした。



***



10時17分頃。

黒いスプリングコートを着た須藤店長がウィン、とM駅店の自動ドアをくぐった。私は整理していた返却棚から顔を上げた。


「おはようございます。お帰りなさい、須藤店長」

「ただいま」


須藤店長は私にふわり、と微笑んで、野口君に「ご苦労さま。ありがとな」と声をかけた。そして一旦更衣室へ消え、コートを脱いだ制服姿でホールに出て来た。


「須藤店長、少し休憩してていいですよ。私もう少し居られますから」

「ありがとな。大丈夫だよ。山田がやる気アリアリモード全開だったから、俺はたいして動いてないし」


須藤店長はカウンター内に入り、手を洗浄しながら穏やかに笑った。

私がやり途中だった返却棚の整理を引き受け、私が上がれるように促しながら、山田について語る。


「今日見てきたけど。あいつ、変わってたな。仕事辞めたい、って言ってたひと月前が嘘のように、気合入ってた。仕事ぶりも問題なかったし。……明希の、お陰だな。ありがとな、明希」


私は首を振った。


「私、何もしてないですよ。山田店長が変わったというなら、それは山田店長ご自身の力によるもの、です」

「うん……そうだな」


須藤店長はニッと笑い、少しだけ声をひそめた。


「山田の、昨日の明希への暴挙は、謝っても謝りきれないんだけど。ただ、あいつがあいつなりに真剣だってことは、わかった。明希のことを大事にしたいと思ってる、ってことも」


はい……。私は神妙な面持ちで俯いてしまった。


「だから、明希が決めていいよ。M駅店に移りたいなら移ってもいいし。今のままS駅店で勤務を続けるなら、それもいいと思う。どちらを選んでも、俺は明希の気持ちを一番に尊重するよ」


私が顔を上げると、須藤店長は優しく穏やかに私を見つめていた。


須藤店長……

ありがとう、ございます。ホントに……色々ありがとう、ございます。

今日、一日だけでも山田と離れて勤務してみて、わたしの中でも色々、気持ちの整理をすることが出来ました。

須藤店長のお陰です。


私は深々と頭を下げた。


「須藤店長、私、腹くくりました。つきましては、本日放課後S駅店を訪ねて、私の口から山田店長に改めて報告したいと思います。これからも、S駅店で勤務していくので、よろしくお願いします、と」


「そっか」と須藤店長は破顔して、「がんばれ、明希」と右手の親指を立ててみせた。

私は笑顔で「ハイ!」と良いお返事をして、最後にダスターを手にとりラウンドでホール内のテーブルを丁寧に拭いて回った。

そのまま須藤店長と野口君に「お先に失礼します」と声をかけ、更衣室の扉をくぐった。


私が更衣室の扉をパタン、と閉めた後。

野口君が須藤店長に声をかけた。


「長澤さん、明日からはS駅店に戻られるんですか?」

「ああ。そう決めたみたい。野口には、申し訳なかったな。今日突然、シフトを変更したりして。ありがとな、色々」


野口君は「いえ」と俯いて、頬を染めた。


「長澤さんは元々、カフェ pausaパウザでのバイト歴三週間の俺より、全然ベテランですし。むしろ俺の方が色々勉強になったというか、心地良かったので、お礼言いたいくらいです。そっか……もしかしたらこれからもM駅店に勤めてくれるのかなって思ったけど、戻られるんですね。残念……あ、いや、なんでもないです」


そう言って頬を染めたまま、野口君はレジ周りの業務を再開した。

そんな野口君を横目に見ながら須藤店長はしみじみと、呟いた。


「明希もなぁ……。あの天然の相方キラーぶりが、罪作りなんだよなぁ……」


そう言ってハァ〜、と須藤店長が溜め息を吐いたことなど。

私は知る由も無い、のだった。



***



時刻は15時20分。

大学の講義を終えた私は、家路に着く途中のS駅で電車を下車し、カフェ店を目指していた。


この時間だと通常ならお店は三人体制になっている。早番の山田は15時で上がりで、もう一人の社員さんが13時から閉店後の21時半まで入るのが基本だ。

そこに朝と夜が二人体制、日中が三人体制になるようにバイトさんを配置しつつ、それぞれの社員さんが週休二日になるように毎月シフトを組むわけである。


しかし、実際には社員さん達はなかなか時間通りに上がれなかったり、休みも綺麗に週二日取れていないこともしばしばだ。

社員さん、特に店長である山田にはお店の営業以外にも事務関係の仕事もあるし。入れるバイトさんが居ない時や、急に休んでしまった時などに、最終的なしわ寄せがいくのは社員さん達だからだ。


なので、15時上がりとはいっても、この時間はまだ山田は店舗に居るハズ。それで私は放課後やって来た訳である。

山田と話をするために。今日山田と離れてM駅店で勤務してみたことで、色々整理できてしまった自分の気持ちに、正直になるために。


ウィン、と自動ドアをくぐり、カウンター内の皆様に「お疲れ様です」とご挨拶をする。遅番勤務の社員さんである高橋 めぐみさん24歳、が「あれぇ、明希ちゃん。どうしたの」と明るく声を掛けてくれた。


「ちょっと、近くまで来たもので、来月のシフト希望出して行こうと思って。店長、まだいますか?」


真っ赤な嘘であるが、私がニコリと笑顔で恵さんにお伺いをたてると、恵さんは「うん。まだスタッフルームにいるよー」とにこやかに答えてくれた。私はぺこりと会釈をして、奥にある更衣室兼スタッフルームに足を運んだ。


コンコン、とドアをノックすると、中から「どうぞー」と山田の声がした。

私は不覚にもドキッと胸が鳴ってしまった。


なんてこった。

ほんの一日離れていただけだというのに。平日毎朝会うことに慣れすぎてしまったのか。

今朝会わなかった山田の声を今聞いて、キュンとしてしまう、なんて!?

ううう嘘でしょ? しっかりしろ、私!


私は「失礼します」と声をかけて、そうっと扉を開けた。

中で椅子に腰掛け、デスクで何やら書類に向かっていた山田は私を見て、信じられない、といったように目を見開いた。


「あ、明希ちゃん! どうしたのこんな時間に」

「……店長に、お話があって。来ちゃいました」


私はテヘヘ、と笑ってみせた。山田は顔を赤くしながら、「どうぞ」と椅子をもう一つ開いて、置いてくれた。

私は「失礼します」と腰をおろし、鞄を足元に置いた。


「今朝は、急にM駅店の方に入ることになってしまい、驚かせてしまいまして、申し訳ありませんでした」


私はぺこりと頭を下げた。


「ううん。須藤さんの計らいでしょ。明希ちゃんは気にしなくていいよ。びっくりはしたけど、久しぶりに須藤さんと話させて貰って、良かったしねー」


山田はヘラリ、と笑った。


う。


いつもなら、普通にスルーしていたこの、山田のヘラリ、とした笑顔が。今朝会わなかったせいなのか。

ああ、山田の笑顔だな、と思って。

なんだか安心してしまう、とか。


ううう嘘でしょ!?

どうした、私!


私の動揺に気付かない山田は、神妙な面持ちで、私への謝罪の言葉を口にする。


「明希ちゃん、昨日はいきなりあんなことしてゴメンね。今朝須藤さんに、めっちゃ怒られた。頭下げまくって、ホント二度としません、てことで、怒りは納めてくれたけど。明希ちゃんがS駅店に残ってくれるか、M駅店に異動するかは、明希ちゃんの気持ち次第だ、って言われて」


山田はすがるような目で私を見つめた。


「俺、明希ちゃんに、M駅店に行きたいって言われても仕方ないようなこと、しちゃったんだけど。でも、俺は。明希ちゃんが、ホントに好きだから……。もう、あんなことしないって約束するから。だから、行かないで、ここに……いて欲しい」


山田が、私をギュウウッ! と抱きしめたそうに腕を伸ばしかけて、駄目だと思い出したらしく手をワキワキと動かし、ギュッと拳を握って大人しく膝に下ろすという、一連の動きを見つめながら。

私は山田の言葉に唇を噛み締めた。

くううぅぅ〜〜っっ

もおおぉぉ〜〜っっ

駄目だ。やっぱり。どうやら。私は。



私は椅子からすっくと立ち上がり。



座ったままの山田の首元にギュッ! と抱きついた。



山田がピシリと固まった。



「あ、明希、ちゃん……」

「今日、M駅店で野口君と早番勤務して……何回も、こう思いました」


私は山田を抱きしめたまま、ポツリポツリと語り出した。今日山田と離れてM駅店で勤務してみたことで、色々整理できてしまった自分の気持ちを、正直に話す。


「レジにお金をセットしている野口君を見て、あ、店長と違う人だな、とか。おはようございますって挨拶して、あ、店長と違う声だな、とか。ふわりって笑うのを見て、あ、店長と違う笑い方だな、とか。ラウンドから帰宅した時に、お帰りぃって言わないんだな、とか。それから、それから……」


私が言い終わらない内に、山田が椅子からガタンと立ち上がり。

ギュウウッ! と、痛いくらいの力で私を抱きしめ返した。

立ち上がった山田の首元から腕が外れてしまった私は、山田の胸の中にすっぽりと埋まってしまっている。


その、余裕がなくキツめに抱きしめられた苦しさが、今はなんだか、とても愛しくて。

私は今まで抑えようとしていた想いを開放した緩みから、ボロボロとベソをかいてしまい。それでも一生懸命、山田に想いを伝えた。


「店長、私、思い知ってしまったんですよ。店長のそばが、定位置になってしまった自分を。野口君と店長の違うところばっかり、発見してしまう自分を。今ここで店長に会って、安心してしまう自分を。私、これからもS駅店ここで、店長と一緒にいたいから……どこにも、行きません」

「明希ちゃん……」


私は涙の溢れる瞳で真っ直ぐに山田の瞳をジィッ、と見上げた。



「店長、どうしてくれるんですか。私、店長のことが、好きです。責任、取ってください」



山田は私の瞳を見つめ返しながら、驚いたように目を見開いている。


きっと、山田にとってはしっかりめ女子の私が、こんな風にボロボロと泣きながら、駄々っ子みたいに想いを告げて山田を見上げるなんて、驚くべきことなのだろう。

そして、私にとっても。

いつも軽めにヘラリと笑っていたあなたの、

そんな真剣な顔を見るのは、初めて、です……


やがて山田は切なげに目を細めて、左腕でもう一度私を胸にしっかりと抱きしめると、右手で私の頭を優しくかき抱いた。そして私の耳元に唇を寄せ、噛み締めるようにそっと、呟く。


「そんなこと言っていいの、明希ちゃん。俺、調子に乗っちゃうよ……止まらなくなっちゃうよ……たぶん、加減できないよ……」


私は何も言わずに山田の胸をつかむ手にギュッ、と力を込めた。

それを了承と取った山田は、かき抱いていた私の頭の後ろ髪に右手の指をすき入れて、クッと引き、上を向かされた私に、唇を重ねた。


昨日と同じ、山田に口付けられている、私。

でも、今は二人とも、勤務中では無いから。

お互いに、同意だから。

途中で止めない。山田が自然に離すまで。

私はされるがまま、だ。

そして私はそれを、嬉しいと思っている。


そう。あえて言おう。

私はガッツリ、山田に落ちている、と。

てかもう、落ちていたのだ。

でも、まあ、いい。

だってもう、逃げる必要が無いから……


「店長……」


ようやく山田が唇を離したので、私は少し息切れしつつも、二人の唇の隙間から、吐息交じりに囁いた。


「これからも一緒に、仕事しましょう、ね……」


いいですか? ……と。涙が止み、ニコリと笑って見上げた私に、山田もヘラリと破顔して、のたまった。


「了解」


そしてもう一度、私に唇を重ねた。



……



……



……



……う〜ん。


でも。そろそろ。

めぐみさん達が怪しむので、離して。

山田。

山田!

やー、まー、だーー!!


私はその後しばらくドン、ドン、ドン! と山田の胸を、ひたすらタップし続ける羽目になった、のであった。


私は、後でもう一度しっかりと、釘を刺す必要性を切に感じた。


いや、ちょっと、店長。

くれぐれも、勤務中は、仕事してください、ね!?



このお話をお手に取って頂き、最後までお読み下さり、感謝致します。


明希ちゃんと山田店長のその後を「日曜、朝。布団から出る出ないの攻防」という短編で投稿しました。生暖かい目で読んで欲しいコメディ……です。よかったら覗いてみて下さい。


今後とも、皆様と何かの作品上でお会いできたら嬉しいです。ありがとうございました。

(^人^)ペコリ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ