2-10 そして勇者は勝利した
「──貴方はっ! 貴方は本当にそれでいいのか!」
俺は魔力を維持したまま彼に目を向ける。
トルテは立ち上がり、泣きそうな表情でこちらを見ていた。
「それが本当に貴方の意思なのか! 違う世界の人間のために自分を犠牲にするなんて、それが本当に貴方の望む結果だっていうのか……!」
「犠牲になるわけじゃない。ただ魂に、元の状態に戻るだけだ」
「それでも同じことじゃないか! どうして、自分から死のうとするんだ……!」
「……」
必死に言い募る勇者に、俺は少し考えた後、肩をすくめて魔力を霧散させた。
腕を下ろした俺に、シルフィはほっとした表情をする。
別に安心する場面ではない。話くらいは付き合ってやろうと思っただけだ。
俺は椅子に再び腰を下ろし、足を組んだ。
「それが俺の親友の頼みだからだ。あいつの頼みを俺が請け負った。それだけだ」
「な……、ダチが死ねって言ったからって死ぬのかよ!」
「……まあ、普通ならありえない頼みだよな」
ファルスのつっこみに俺は苦笑する。
それを引き受けた俺も大概か。
「貴方にそんなことを頼んだ親友とは何者なのです?」
シルフィが問う。そうだな。気になるよな。
俺は頷く。
「神だ」
「神!?」
ファルスがまたも素っ頓狂な声を上げた。
シルフィも目を丸くし、口に手を当てている。
まあ普通は神と魔王がグルだとは思わないだろう。
「えっと、つまり──。貴方は神様に頼まれて、世界を守るために魔王になり、この世界の人間のために死ぬと……?」
「まあ、そういうことになるか」
だがそういう風に言われると、なんだか滅茶苦茶人のために動く人みたいだ。
ものは言い様だと思った。
「死んだら、貴方はどうなるんですか?」
「魂だけの存在としてしばらく漂うことになる。本来ならすぐあいつに拾われる予定だったんだが、生憎野暮用でこの世界を離れてるからな。帰るまではまだ何ヶ月もかかるようだし……全く、何やってんだか」
「え、神って今いないのかよ……」
右手で頬杖をつき、ため息をつく。いかん。愚痴になった。
余計な情報を与えてしまったようだ。ファルスが少しがっかりしている。
ちなみに、これは遼也が出発する前に聞いたことだが、本来計画が終わった後、俺は神の補佐のような役割につかせられる予定だったらしい。端的にいうと話し相手のようなものだ。
まあ、遼也が天界に行ってしまったせいで数ヶ月から数年ほどは幽霊なのだが。
まったく、ちゃんと後のことを考えて行動しろと。
彼が帰ったら説教しようか。
「──でも、そんなのってやっぱりおかしいじゃないか」
立ったまま、トルテは小さく呟いた。
拳をぐっと握り、俺を見つめている。
「神様に頼まれたからって、用が済んだら死んで終わるだなんて、絶対におかしい。貴方は道具じゃない。言いなりになることなんてない」
「それでも、あいつと約束したからな。違える気はない」
俺は静かに返す。しかしトルテは首を振る。
「その神様だって、貴方に死んでほしいわけじゃないんじゃないか? 人類に結束と平和が与えられれば、それでいいんじゃないのか?」
「……」
それは、どうだろうか。
前半部分も少し自信がない。
だが大事なのはそれよりも。
「……魔王が生きていれば、それだけで人類にとっての脅威となる。かつて自分たちを脅かした者が生きている。いつ気が変わって牙を剥くかわからない、その恐怖に怯える毎日が平和といえるか? あいつが与えたがっている平和は、魔王討伐あってのものだ」
だから魔王が人類に今更和平を持ちかけるというような選択肢はない。
やはり魔王は倒されねばならないのだ。
トルテは俺を死なせたくないようだが、彼の望み通りにはできない。
それにしても。
頬杖を解き、俺は半眼で尋ねる。
「──それで、何故お前はそこまで俺の死を止めたがるんだよ。俺のことは放って、勇者の務めを果たせばそれで全て丸く収まるというのに」
「だって、貴方は悪い人じゃないんだ。死ななきゃいけないなんて間違ってる」
悪い人じゃない、ね。
俺は罪のない人々も虐殺したけどな。そうつっこむのは野暮だろうか。
というかつい先程も俺が自ら悪だと言ったはずなのだが。やはり素直に受け取ってはくれなかったか。
まあ、まさに勇者といったセリフだなと俺は思った。
俯いていたトルテは、ゆっくりとこちらを見た。
「──それに、貴方はまだこの世界のこと、何も知らないんだろう?」
「……?」
俺は瞬きをする。
彼が何を言いたいのかわからない。
「……大体は把握しているつもりだが」
世界情勢とか、地理とか、生態系とか。
魔王として活動する際には必要な情報だった。
しかしトルテに首を振られた。
「貴方はまだ数年しかこの世界で生きていないんだろう? しかもずっとこの魔王城にいたじゃないか。この世界にはもっと色々な、楽しいことや面白いことや綺麗なものだってたくさんあるのに」
トルテは訝しむ俺に目線を合わせ、しっかりとした口調で続けた。
「これは兄上の受け売りだけど、人っていうのは死ぬために生まれるんじゃない。生きる喜びを知るために生まれるんだ。このまま何も知らずに死ぬなんて、そんなのもったいなさすぎるよ。そうだろ?」
そこまで一気に言い切って、ふと彼は笑みを見せた。
迷い人を導く光のように、柔らかな微笑。
その笑みを携えて、彼は俺に手を差し出した。
「──なあ、僕達と一緒に来なよ。この世界を、案内してあげる」
俺は、彼の言葉をただ目を丸くして聞いていた。
少し経って、ようやく言葉の趣旨を理解する。
これは説教だ。
世界が違うとはいえ、人生経験が明らかに俺より短い勇者に説教されたのだ。
それも、もっと人生を楽しめと。世界を知れと。
ここで死ぬのはもったいないと。
一緒に来いと。
そうと理解して、こみ上げてきたのは笑いだ。
嘲笑ではない。呆れ、可笑しさ、その他諸々の複雑な感情を孕んだものだ。
まさかこう来るとは。完全に予想外だ。
だが、決して悪い気分ではなかった。
「──ふ、はははっ。何だ、それこそ正気かよ。てか、この俺が説教受けるとか、本当何年ぶりだって……!」
「わ、笑うなよ……! 僕は正気だし本気なのに!」
冗談に捉えられたと思ったのか、トルテは顔を少し赤くして口を尖らせる。
その姿は勇者というより、寧ろ年相応の普通の少年のようだった。
俺は腹を抱えていた右手で、目じりに浮かんだ涙を拭う。こういう時に片手しかないのは不便だ。
俺はくすくすと笑いながら、続きを促す。
「なるほど、それで? 魔王を殺さずスカウトして、肝心の問題はどうやって解決する気だ?」
「う、それは……えっと」
トルテは困り顔で口ごもった。
こいつ何も考えてなかったのかよ。
その彼を見て、何かを思いついたらしいシルフィが口を開いた。
「貴方が死ななければならないというのは、人間に対する体裁のため……ということですよね?」
「まあ、そういうことだな」
シルフィは頷き、微笑んで言葉を続けた。
「なら、私達は魔王を討伐しましょう。魔王はもういなくなったと人類に告げ、平和になった世界で、私達は世界を巡る旅に出ます。その時に、私達の仲間が新たに一人増えている……。これで、どうでしょうか?」
「!」
彼女の意図を察し、俺は目を丸くした。
盲点だった。彼らの協力があれば、そういう抜け道があったのだ。
なんだ。簡単なことじゃないか。
俺は楽しげにニヤリと笑う。
「──へえ、なるほど? 今度はお前達も俺と共に演技をすると」
「──! そっか、それだ! それだよ!」
はっと気がついたように目を輝かせるトルテ。
一方ファルスは戸惑ったままだ。
「な、なんだよ、どういう意味だよ。結局こいつを倒すんじゃ意味ないだろ」
「倒すふりでいいんだ! 僕達は魔王を倒したことにして、兄上達に報告するんだ。そしたら、誰も魔王が生きてるなんて思わない! 死ななくていいんだよ!」
「あー……、ん? あ、そうか。こいつは魔王であることを隠して旅をすると。なるほどな。いいんじゃねえの」
「だよな!」
キラキラとした目でまくし立てるトルテに、ようやく理解してニカッと笑うファルス。シルフィも嬉しそうに微笑んでいる。
わいわいと騒ぐ少年少女達。
俺の返答も聞かぬまま、一気に和やかな雰囲気になってしまった。
つい先ほどまで俺達は死闘を繰り広げて、その後も俺は彼らを殺そうとしたというのに、まったく。
そういう俺も口元は緩んでしまっているのだが。
気付けば、もう相打ちの工作のために彼らを殺そうという気も起こらなくなっていた。
さあ、俺はどうするべきか。彼らの提案に乗ってもいいものか。
暫し目を閉じて黙考する。
俺が死なねばならない理由は、他には特にないはずだ。
遼也が帰ってきた後のことは、その時にまた相談すればいいだろう。
魔物達への命令は既に全て解いてある。
問題はどうやって俺が魔王であることを隠すかだが、それは何故かどうにでもなる気がした。対処の仕方はなんとなく頭に浮かぶ。
他に考えるべき障害は、見当たらないか。
「なあ、貴方もそれでいいだろ? せめて神様が帰ってくるまででもいいからさ」
目を開けると輝く瞳が俺に向けられていて、俺は苦笑を返した。
彼らは純粋に俺のために提案してくれているのだ。嬉しくない筈もない。
完全に予定外の状況だが、今更断ろうとは思わない。
まったく、完全に彼らに絆されてしまったようだ。
「……そうだな、俺の負けだ。死ぬことは諦めるさ」
「それって……!」
彼らは目を輝かせて立ち上がる。
俺はニヤリと笑って答えた。
「ああ、仕方ないからお前達についていってやるよ」
「! やったあ────!!」
その言葉を聞いて飛び跳ねるように喜ぶ彼らを見ながら、俺はまた笑った。
負けどころか、もう完全敗北だ。
これで彼らは名実共に魔王を打ち倒した真の勇者である。
存分に誇ってもらいたい。
しかしこうしてみると、彼らも本当にただの子供のようだ。
改めて確認すると、年齢は精々十代前半といったところだろう。
魔王としての俺と対峙していた時はもっと大人びたような雰囲気だと思ったのだが、まあ早くも彼らに平和がやってきたと考えればいいか。
子供達を微笑ましく見守りつつ俺も立ち上がり、椅子やテーブルなどを消す。
他にすべきことがないか確認していると、三人が俺の周りに集まってきた。
そしてトルテが笑顔で俺に手を差し伸べた。
「じゃあ、これからよろしく! ゴルゴンゾーラ!」
「──ぶはっ」
忘れていた。不意打ちだった。
緊張が緩んでいたせいで、つい吹き出してしまった。
肩を震わす俺に、彼らは不思議そうな顔をする。
「ゴルゴンゾーラ?」
「……すまん、その名で呼ぶのはやめてくれないか。偽名なんだよ。別の世界の食べ物の名だ」
「え、食べ物? えっ!?」
予想だにしなかったであろう一言に彼らは驚く。
魔王の体を使う際に急遽つけた名であり、俺の真名ではない。
俺は魔王をやめるのだ。もうこの名前の呪縛には囚われたくない。
「えっと、じゃあ何とお呼びすれば……?」
「そうだな──」
この先は、今は口に出せなかった。
魔王の体である限り真名を使うことはできない。
だが、俺はもう魔王である必要はないのだ。
俺は目を閉じ、集中する。
何故か、なんとなく何をすればいいかはわかる。
魂の内側にある力を感じ、引き出し、身を任せる。
不思議な力の奔流が起こり、ふわりと髪が持ち上がった。
「──!?」
目を開けると、黒い髪が視界に映った。
少し乱れた髪を、左手で整える。
鏡はないが、瞳は黒く、瞳孔や耳の形も戻っているだろう。
かつての俺の姿だ。
「──俺の名は、蓮斗だ」
突然人間そのものの容姿になった俺に呆然とする彼らに、俺は目を細めて手を差し出した。
「よろしくな。案内は頼むぞ?」
その言葉で我に返ったトルテは、笑顔で頷き、俺の右手を握った。
するとシルフィとファルスもその上から俺の手を握り、全員での握手となった。
こうして、魔王は役目を終えた。
これでこの世界の人間達にも平穏が戻ってくるだろう。
俺はこれからどこに行くことになるのかはわからない。
だが、遼也の創った平和な世界を見て回るのにはとてもいい機会だ。
遼也が戻ってくるまで、彼らと共に存分に楽しもう。そう思えた。
お読みくださりありがとうございます。
これで二章が終了し、第一部 魔王ゴルゴンゾーラ編が完結しました。
ここまでで全体の三分の一です。物語はまだまだ続きます。
*更新停止のお知らせ
ストックが切れたため更新を停止します。
再開時期は未定ですが、準備が整い次第、活動報告にてお知らせします。




