ハッピーバースデー
1999年、有馬記念でグラスワンダーがスペシャルウィークを倒し、住友銀行とさくら銀行の合併といった金融が再編されていった時代。
「ハッピーバースデー! 岩田さーん」
ホール大のケーキの上でロウソクの炎がゆらゆら揺れる。
「ハッピーバースデー! 岩田しゃちょー!」
秘書をはじめ社員たちが「ハッピーバースデー」を歌う。
そのサプライズの誕生日会の主役、岩田はてへへと頭をかいている。
「これはこれは、なんというか」
秘書は言う。
「おめでとうございます! 岩田社長!」
HAL研究所の負債15億円は予定通り6年で完済された。社員の給料を払いつつそれを成し遂げたのは誰から見ても大偉業だった。それは任天堂社長山内にとっても。
様々なバースデーカードの中、その山内の「おめでとう、岩田クン」というものを読み上げる秘書の目に、岩田との別れは漠然と滲んでいたのだった。
妻が家で手作りケーキを用意しているから、食べるのほどほどにしないとなと思いつつ。
岩田は静かにバースデーケーキの炎を吹き消した。
HAL研創業者のあんちゃんの作ろうとした世界、そして岩田の守ろうとした笑顔、まだその先はわからないけど、今はこの温かさが正解だと思いながら。
*
東京は新宿の思い出横丁。その酒場と飲食店が乱立する通りの一軒の焼き鳥屋。
そこに岩田と由良はいた。
「久し振りだね、由良君」
「岩田ぁ、良いよ、敬語なんて。そんな柄じゃないじゃないか。由良でな」
「うん、わかった由良」
由良はビールをぐいぐいして
「それにしても懐かしいな、岩田」
「ああ」
「高校時代な、一緒に電卓で遊んでゲーム作ってた岩田が、まさか任天堂になんてな」
「俺もまさか、そんな展開、想像しなかったよ」
岩田はバイトが焼き鳥を焼いているのをまたりと見ている。
「由良。お前も東京でサラリーマン一筋でがんばってるな」
由良は笑う。
「あの時みたいにゲーム作りと関わっていたら……俺の人生も違ったものになったかな、って漠然と思うこともある。だけど、俺は俺で幸せだよ。かわいい嫁さんに娘二人もいるしな」
そのまま続けて
「岩田、お前はな、山梨まで行って、最近なんだ週一でアメリカ行って、今度は京都の任天堂か、今は東京にいるし。流転するのがお前の生き方かもな」
岩田もまた笑う。
「月日は百代の過客にして、って芭蕉じゃないけど。任天堂には御恩がある。恩返ししないと」
由良はおどけて
「そんなこと言って。ほんとは可愛い女の子目当てなんじゃないの」
岩田にある人物が浮かんだ。
「そうかもしれないな」
由良は手を振って
「おいおい、ほんとかよ」
岩田の脳裏にひょうきんに笑う宮本の姿が映っていた。
*
東京は冬の冷めた空。ビルの陰に隠れる月。通りを行く人の群れ。新宿駅へと向かう岩田と由良。由良にはどうしても確認したいことがあった。
「岩田ぁ、任天堂って言っても任天堂は落ち目だってみんな言ってるぞ。勝算はあるのか」
岩田はただにこやかに
「確かにニンテンドー64で任天堂は、苦戦しちゃったか」
由良は言う。
「そうそう、プレステ! プレイステーション! ソニーとのバトルだな」
岩田はただ前を見て
「いや、敵はソニーじゃない。なんというか、ゲームそのものが変わろうとしている。なんか、ゲームってこってりとした油っこいものになってる。最新のCGやムービーをふんだんに使って、大ボリュームにして。作る方も手間がかかるし、遊ぶ方もどこかしんどくなってしまうような」
由良は笑う。
「そうかー?」
岩田は思わず言う。
「由良? 由良はそう思わないのか?」
由良は屈託なく言う。
「というか最近ゲームやってなくて。もう卒業しちゃったんだろうな。岩田はよく頑張ってるよ」
本当の敵は……
岩田は思う。
ユーザーが以前のようにゲームを遊ばなくなっている。
〈ゲーム離れ〉
*
岩田はお馴染みとなっていたパソコンの電源を切り、窓から見える富士山を見つめた。
途中の自販機で缶コーヒーを買い、プログラム中の仲間たちに声をかける。
それから社員に見守られながら、スポーツカーに乗り込む。
岩田はHAL研究所を去り、新天地へと向かう。
巨大企業、任天堂での岩田の挑戦が始まろうとしていた。




