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グレイゾーン1  作者: サヤカ
Act1 クローズド・ソサエティ
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 レイバ・グリーニッシュとは、叔父の名前だった。リリィにとって現在、唯一の同居人でもある。

 一言で言えば、変わり者だ。リリィの父親の弟にあたるので、本来の名字はブルーノ姓であるはずなのだが、彼はわざわざ複雑な手続きを通してまで、グリーニッシュという独自の家名に改名した。理由を聞いたらなんのことはない。「ブルーより、グリーンの方がやわらかい感じで俺っぽいじゃん」と言ってのけた。もちろん、ブルーノ姓の由来は色のブルーではないと言った所で、たいして気にするような男でもない。

 正確な年齢は、教えてくれないので分からない。だが、幼い頃に父に聞いた断片的な記憶や、会話の内容から判断をすると、三十を少しすぎた所、という推測ができる。

 父とはかなり歳が離れていたらしく、リリィは実際に会ってみても、彼が自分の叔父だという実感が沸かなかった。その違和感は、向こうにとっても同じらしい。

「おじさん、て呼ばれるのも複雑だから、呼び捨てでいいよ。レイバって呼んでね」

 リリィがこの街にやってきた日の、歓迎の挨拶がそれだった。

 敬称をつけて呼ばれることも、敬語を使われる事も嫌う人間だった。始めは戸惑ったが、同居を始めてから二年を過ぎた今となっては、すっかり友人のような関係が定着してしまっていた。


 行きつけの食料店に、まともなものが残っていた事に安堵しながら、リリィは買ったばかりの食材を布袋につめていた。とは言え、叔父の客人が若い男だと考えると、中途半端な奮発だ。今日の財布に入っていた持ち合わせは、決して多くはなかった。

(同世代の男どもって、信じられないくらい食べるのになぁ)

 学校の食堂で顔を合わせた時のクラスメイトの顔を思い浮かべつつ、溜息をつく。

 荷物を抱え込んで店を出ると、夕焼けの日差しがまぶしかった。店を出てからは、意識的に足早になった。少し横道にそれると、治安の悪い裏道に繋がっている。さっさとポリスの目が光っている大通りに出ることが習慣になっていた。

 ここデカルト・シティは、ビーストによる被害がかなり少ない都市で、天災の影響もほとんど受けていない。

 直接の影響といえば、まずは難民の増加と、その人権に関する問題だった。人口は増えても、技術革新の関係上、労働者は足りていない。工場で馬車馬のように働かされて、満足な賃金を得られないまま、過労や貧困に倒れる人間が増えた。生産形態の変化も手伝って、食料の配給も上手く運んでいない。

 改善の兆しが見られるどころか、年々暗いニュースばかり増えている気がしてならなかった。八年も経つのに、だ。

 将来のことを考えると不安になる。不安になるからこそ、リリィは実際的な技術を求めて進路を選んだ。

(外、すごかったな)

 試験の様子を思い出して、リリィは感傷的な気分で視線を上げた。シェルターは上空には伸びていない。空だけは、大地のどこからでも望むことが出来る。

 リリィは十七歳。グランドクロスが起きた八年前には九歳だった。

 シェルターに守られて育ってきた。街の中で生きてきた。その平穏を幸福に思うが、押しつぶされそうな閉塞感もまた、彼女にとっては現実だ。

 ボランティアには何度か足を運んだので、難民の姿は見たことがある。未知の襲来に傷つき、先行きのない不安に怯える人々を知っている。

 ガードになりたいと人に言えば、そのたびに全力で止められた。お前は恵まれているのに何故と、多くの人間がそう言った。

 反射的な反発が沸くのも事実だが、そう言われる理由も分かる気がした。金を稼ぐ方法なら他にいくらでもある。安全な壁の中で、両親が残した家に住んで、就職して、静かに暮らせばいい。

 そうは分かっていても、リリィは外に出たかった。

 森に飲まれた不自由な世界だが、それでも、街と街の交流を完全に絶つことはできない。物資も人も移動手段を絶対に必要とする。だからスペシャリストが求められる。

 依頼主を導き、ビーストの徘徊する森を確実に抜け、目的地まで送り届けるサポーター。――レアリス・カンパニーが提唱したガードのシステムとは、大まかに言えばそのようなものだ。それはリリィの求める強さの形と一致した。

 街の外に出られる知識を得て、どこにいても自分の面倒を見られる人間になって、世界を自由に渡り歩きたい。

 そうしたら、会える人がいる。

(まあ、変わってるか)

 苦笑した。肩にかかえた荷物をぎゅっと握りなおして、歩調を速める。

(でも一番変わってるのは、姪がガードになるって言い出したのを、ひとつの反対もせずに、むしろ援助してくれた……レイバなんじゃないかな)

 周囲に反対されてばかりだった進路の希望を、身寄りである彼に相談したら、あっさり納得してくれた。それどころか、自分の家の近くにカンパニー直轄の専門学校があるから、と、入学を勧めてさえくれた。

 好意に甘えて、こうして学生生活を送っているのだから、感謝すべきなのだろうし、実際にしている。だが当時は拍子抜けした。叔父の考え方は昔から、周囲の常識とずれていることが多かった……

 循環バスが目の前を過ぎた。一番大きな通りに出て視界が開ける。人で賑わう街の音と排気ガスの臭いが広がる。

 車道の向こうには遺跡が広がっていた。柵で囲われた広大な遺跡街と、その入り口に寄り添うように存在する巨大な寺院だ。通りを挟んでそこだけ別世界のようだった。

 デカルト・シティは技術者の街でありながら、遺跡の街でもあった。街の面積の三分の一を〈教区〉と呼ばれる遺跡が占めている。そもそもこの街は、遺跡に寄り添って営まれた考古学者たちのキャンプが起源なのだと、レイバは言う。

 寺院は、森人信仰を掲げるこの大陸でもっともポピュラーな宗教団体〈テンプル〉の有するものだ。リリィはとくに信仰を持たないが、意匠をこらした荘厳な建物は、美しくて好きだった。夕焼けに照らされた今の時間は、特に。

 寺院の側にある〈教区〉への門も、古典的な細工が残って美しい。だが、この門が開かれている所をリリィは一度も見たことがなかった。特別な職業の人間しか入れない、立ち入り禁止区域となっているのだ。

 リリィはそっと遺跡から目をそらし、大通りに沿った歩道を歩く。

 寺院があるということは、家の近くまで来たということだ。なんとなく気が急いて、早足で進んだ。


 レイバの家は、小さな二階建ての一軒家だ。つい二年前まで一人暮らしだった独身男には贅沢なようだが、商売道具を積み上げるためのスペースがいくらあっても足りないと本人は言う。

 もっとも、外観を目の当たりにすれば、贅沢なんて言葉は消し飛んでしまう。――要するに、古くて、汚い。元の家主の仕業かレイバ自身の所業かは知らないが、機械油のようなもので汚れたグロテスクな外観は、隣に建っている安アパートの清潔感を引き立てる貢献をしている以外に褒めるところがない。破格の値段で売りに出されていた中古の家を買ったと本人は言っているが、それが無償の譲渡だとしても、リリィは驚けなかったかもしれない。

 車もないのに設えられたガレージに、ガラクタとしか見えない謎のパーツがごろごろ転がっている。叔父が言うところの商売道具だ。山盛りのそれが壁の役割を果たし、初めて来る人間の目には、おそらく人家に見えないはずだ。

 リリィはガラクタに埋もれて外からは見えない、入口のドアにたどり着いた。残念ながらここに帰宅することにもすっかり慣れた。見た目はひどいが、散らかっているだけで不潔というわけではないのだ。もちろん、リリィが来てからは、だが。

 鍵は開いていた。

 呼び鈴を押そうか迷ったが、結局いつものようにドアノブを捻った。そして。

「え?」

 思わず、声が出た。その場に停止してしまう。

「あ……」

 この声は、自分のものではない。

 玄関に立っていた人影が、振り返る。

 長い、とても長い銀色の髪が、サラリと揺れた。

 お人形さん。最初に思いついた単語は、そのようなものだった。

 乳白色の腕が、振り向く動きに合わせて、身体の側に畳まれる。華奢な腕だ。腕だけじゃない。身体全体がほっそりとして小さかった。

 びっくりするくらいきれいな顔だ。鼻も唇も小作りだが、幼さを色濃く残した青い瞳はぱっちりと大きい。――だがそれは、顔の半分に限ってのことだった。左目には眼帯をつけており、多くの面積を隠してしまっていた。

 成人には程遠く、リリィ自身よりずっと年下に見える。淡いパステルのワンピースをまとった平たい身体は、色気なんかを語るには早いだろう。だがそれでも、少女は美しかった。若さがもたらす瑞々しさはもちろんのこと、また別次元に、妖精とか天使とか、そういう種類の完璧さがあった。

 とてもきれいな女の子が、我が家に立っている。

「…………」

 事態を理解できずにリリィが呆然としていると、家の奥から騒がしい声がした。

「あ、リリィおかえりー! 俺の方が早く着くの珍しいから変な感じー」

 ペタペタと、特徴的な足音を響かせて、見慣れた人物が、家の奥から顔を出す。

 金に近い明るい茶髪は、本人のお気に入りであるらしいが、あいにく根元の部分が地毛の栗色に侵食されている。だらしなく伸びっぱなしのその髪を、以前リリィが貸したヘアピンやらヘアゴムやらで適当にまとめていた。そのくせ髭の手入れは怠らないようだから、毎日見ていても、本当にわけがわからない男だと思う。

 レイバは帰宅したリリィを気楽に見ていた。両耳の耳たぶから軟骨までを、多数のシルバーピアスが浸食している。そのくせ服装は作業用のツナギで、足元は手製の健康サンダルなのが、彼らしいとでも言えばいいのか。

「レイバ、この子……」

 とっさのことに上手く声が出せず、少女に挨拶をすることも忘れてリリィは言った。叔父は特に驚かず、ああ、と納得した。

「そうそう。メールで言ったじゃん。お客さんだよ」

「『お前と同い年の男』とか書いてあったけど⁉︎」

 買い込んで来た食材の重みを気にしながら叫ぶと、レイバは特に動じないまま続けた。

「言わなかったっけ。ふたりいて、そのうちの一人が、お前と同い年の男。こっちの子はそいつの妹だよ」

「妹?」

「そうそう。よろしくね、ロール。この子がリリィだから」

 レイバはいつも通りの軽い口調で、例の美少女にこちらを紹介した。ロールと呼ばれた彼女が、慌てて頭を下げて、よろしくお願いしますとでも言おうとしたであろうその声が、発されるか発されないかのうちに。

「おーい、スティアー!」

 家の奥に向けて、レイバが叫んだ。

「うちの姪っ子紹介するから、こっち来てー!」

 声が響いて。

 玄関から伸びる廊下の奥、レイバの物置部屋から、一人の少年が姿を見せる。

 少年。

 リリィは反射的にそんな印象を抱いた。メールに書かれていた言葉から、教室で毎日顔を合わせているクラスメイトのような青年を想像していたのだが、それとはあまりにも、形が違った。

 痩せていた。――顔つきだとか雰囲気だとか、それらの情報を飛び越えて、最初にそう思った。

 玄関に立っていた少女も華奢であり、レイバもどちらかと言えば痩せ型だが。彼はまた種類が違う。脆弱さを感じさせるほど、はっきりと貧相だった。

 よく見れば、身長がそこまで低いわけではなかった。せいぜい平均か、それより少し下か、といった所だろう。それでも、質量がないためか、小柄に見える。

 気温もそこそこに上がり始めた初夏であるにも関わらず、前開きのジャケットを着ていた。よく見れば、なぜか両手に薄手の手袋をつけていて、顔と首元以外の素肌は完全に隠されていた。それでも、服の上からでも気になるほどに、細い。ポケットから伸びる細いコードが、首に引っかかったイヤーフォンに繋がっていた。首筋が細いからか、そんな小さな装飾がひどく目立っていた。

 ようやく顔を見やれば、そちらも十分に目を惹いた。

 細い銀髪と白い肌。温度や生気に欠けた、セラミックのような透明感。まぎれもなく、先ほどの少女と兄妹に違いないと思った。顔かたちの全てが、妹によく似ている。――年齢や性別の壁を越え、あまりに似すぎている。

 妹の方が人形のように完成された外見だとすれば、兄の方は、あるべきものを歪めたような、奇妙なアンバランスを感じさせた。

 リリィは思わず言葉を失って、立ち尽くした。――挨拶をしなくては。心の冷静な部分がそう思っているのだが、身体が動かない。温度のない美しさは、直感的に近寄りがたい。氷のように。

 だが。

 その沈黙は一瞬で破れた。目の前の少年が笑ったのだ。

 なんということもない、普通の笑顔だった。気さくな愛想で唇を動かした、誰にでもできる日常の笑顔。

 外見から想像していたよりも、はるかに庶民的な仕草だった。

「お邪魔してます。スティア・アリビートです」

 歯切れのいい声。

「突然来ちゃって、すみません。お世話になります」

 明朗な挨拶。

 リリィは我に返って、慌てた。

「あ……いえ! たいしたお構いもできませんし……その、見ての通り、残念な家で申し訳ないです」

「残念って⁉︎」

 玄関から見える範囲の散らかりようを指しながらリリィが言うと、レイバが心外そうに叫んだ。スティアは大笑いした。

「こんなことだろうと思ってましたから、お気遣いなく」

「うわナチュラルに採用された」

「えっと……」

 いつまでも続きそうなレイバの声を遮って、リリィは背筋を伸ばした。

「私は、リリィって言います」

「よろしく。レイバから聞いてます。……ロールは、挨拶した?」

 スティアは、多少兄らしい口調で、例の美少女に言った。

 少女は少しだけ迷った後に、小さく首を振る。確か先ほどは、挨拶をしようとしていた所を、リリィの驚愕や、空気を読まないレイバの言動で遮ってしまったような気がする。やっと自覚して、リリィは少女に笑いかけた。

「いきなり騒がしくしちゃってごめんね。さっきも言ったけど、私はリリィ。よろしく」

「あ……はい」

 少女の右目が、ゆっくりと和らいだ。眼帯の下にある左目がどのような状態だかは分からないが、きっと同じ動きをしようとしているだろう。

「ロール・アリビートです。お世話になります」

 想像していたよりもしっかりした口調で、少女はそう言った。

 開けっ放しだった玄関の扉に錠を下ろしてから、リリィは自宅に入り込んだ。所在なさそうにしているロールと、彼女よりはいくらかくつろいでいる様子のスティアを先導するように、ダイニングへ向かう。

 買ってきた食材をテーブルに下ろしながら、リリィはスティアに言った。

「えっと……スティアくん。私と同じ歳なんですよね」

「え、ああ。この前十七になったばっかりだけど、それで合ってるなら」

「悪いんだけど、家の中で敬語使ってると、ちょっと落ち着かないの。この喋り方でいいかな?」

 レイバの流儀が感染ってしまったようで、気恥ずかしかったが。

 スティアはすぐに納得して、奇しくもあの時のレイバと同じ事を言った。

「ああ。なら、名前も呼び捨てで構わないですよ。……じゃないや。構わないよ」

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