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グレイゾーン1  作者: サヤカ
Act4 ブラック・プリンセス
20/36

「思ったより、怖がらないね」

 スティアがそう言ったのは、階段の角を曲がって、セイらの死角を確保した後だった。

 後頭部からこめかみに移動した銃口と、肩を支える骨ばった手。背筋が凍りそうになるのをぐっとこらえて、それを正してみるが、息が震えるのは隠せなかった。

 後ろから捕らえられたリリィには、彼の表情は見えない。だから、誰もいない正面にむけて、ぽつりと返答をする。

「……怖いよ」

「まあ、そりゃそうか。でも」

 背後をとったままでリリィを誘導しながら、彼はゆっくりと階段を昇る。来た道と行く道を、どちらも警戒しながら。移動するたびに、銃口を突きつける角度を変えていた。

 リリィの肩を押さえる手には、たいした力もこもっていない。拘束の意味などなしておらず、どちらかといえば自分がふらついてるから、足がかりにしているとでもいった方が近いほどだ。隙をついて暴れれば、逃げ出すことは可能だろう。それと同時に銃弾がリリィの体を貫く可能性は、まったく低くないが。

 だが、リリィが暴れ出さないのは、もっと違った理由だった。

「俺にまで裏切られて、怒り狂うかと思ってた」

 スティアの声に、先ほどのような凄みはない。むしろ疲れているのか、気が抜けてぞんざいなほどだった。

「……私も、考えたから」

 リリィは、小声を出した。

「あなたはきっと、私を撃てないでしょう」

 スティアの足取りが止まった。当然、誘導される形で歩いていた、リリィの足も止まる。

 彼の反応に、ほんの少しだけ満足したが、急速に不安にもなった。すなわち、予想がまったくはずれていて、逆ギレでもされやしないか。

「どうして、そう思ったの?」

「テッドを蹴飛ばしたから。あと、私にライセンスを渡したから」

 リリィはなるたけ、はっきりとそう答えた。

「あなたは父さんの事を知っていて、本当に怒っていたから……父さんの娘である私を、撃ち殺すことはできないって、思った」

「指でも滑れば、どうなるか分からないのに?」

「あなたが指を滑らせたくらいで引けるほど、トリガーは軽くない。物理的な意味でだよ。決意と覚悟がなくちゃ、撃てないように設計されている」

 告げると、スティアは吐息を漏らした。笑ったようだ。耳の後ろから、そっと小声がした。

「天井に監視カメラが付いてるから、演技は続けて欲しい。……おおまかに正解」

 会話が漏れることを防ぐための接近なのだろうが、声の隙間から息を感じてくすぐったい。

「でも、そういう推理の仕方はおすすめしないかな。俺の性格次第では、論理の根本が破綻するから」

 正解した所で、安心できるわけではなかった。一撃で自分を殺せる武器を突きつけられた状態で、平然としていれるほどには図太くない。

 その恐怖はプラスに働いたようで、演技ができない自分の仕草を自然に見せることには貢献した。非常階段を抜けてから、スティアは苦笑した。

「嘘をつくのは苦手でしょ。君が本当に怖がってくれなきゃ、あいつらは騙せそうになかったからね。敵を騙すにはまず、味方からって言うし」

 すっかり脅しが抜け落ちた、いつも通りの調子だった。

「まあ、理由がなんであろうと俺の勝手だったことには変わらないけどね。でも、謝れない」

「え?」

「これが最善だっていう独断で、分かった上で選んだ作戦だから。俺が君に謝る資格はない」

 妙な筋を通しながら。

 足元にフロアマットの感触が生まれた地点で、スティアは立ち止まった。

 リリィは視線だけを動かす。普段使っている階段から登れるフロアとしては、最上階にあたる七階の入口だった。教員用フロアの上層である。

 ロビーはなく、壁に張りついたロの字型の通路の他には、それを横切るようにした細い渡り廊下が伸びているだけだ。

「……どうして七階なの?」

「本当は八階の方がいいんだけど、たしかあっちはスタッフエリアでしょ。さすがに敵の本拠地に行くのも、ぞっとしないし」

 スティアはそう言ってから、確認するようにもう一度訊いてきた。

「医務室は、一階で間違いないよね」

「え? うん」

「だったらなるべく上に、敵を集めたいから」

 それで話は終わりだとでも言うように、会話を打ち切った。詳しい説明を省く癖があるのは、彼自身の頭の回転が早いからだろうか。

 リリィは問いただそうと口を開きかけたが、それより一瞬だけ早く、スティアが背中を押してきた。歩き出そうと、オリーブ色のフロアマットから足を離そうした瞬間に、靴底にはまっていたガラスの破片が引っかかった。

 階段から離れて、渡り廊下の方に進む。 曇りガラスでつくられた半透明の壁が、リリィの胸くらいの高さで、道の両脇にそびえている。それを越えた先に見えるのは、ひどく小さく見える、一階の受付だった。先ほどまでいた、五階から二階までにスライドするロビーは、もう少し奥まっている。

 橋みたいだ。

「これから、ちょっと頑張ってね」

「え……?」

「俺はまだ〈イエロー〉を諦めちゃいない」

 渡り廊下の真ん中のあたりで、スティアは足を止めた。

 そのまま、すんなりと銃口を外して、リリィを解放する。

 ゆっくりとした大仰な仕草で、右手に持っていた銃をリリィに渡そうと、手を伸ばした。そして。

 ――バン!

 強烈な破裂音が響くと同時に、スティアの右手が跳ねた。拳銃が近くの床に勢いよく落ちる。

 リリィは周囲を見渡した。ほとんど第六感でとらえた先に人影を見る。拳銃を構えたエルクが、八階の壁際から渡り廊下に銃口を向けていた。連射すればあっけなく殺せるような位置で、武器だけを狙い撃ちにしたようだ。

 スティアの様子を確認した。彼が銃を持っていた手は義肢だったため、怪我はないようだった。そして、損傷もない。

(え?)

 信じられず、もう一度目をこらす。

 銃撃を食らった義肢の隙間に、ひしゃげた銃弾がはまっていた。貫通していない。それどころか、傷一つつかないまま、まともに銃弾をくい止めていた。

 こちらが驚いている間に、スティアは腕ではなく、肩口を押さえていた。軽々しいうめきが耳に届く。

「いってぇ……」

 顔を上げると、少しだけ涙目になっているのが見えた。

「アニマは砕けないつっても、運動エネルギーが消えるわけじゃないか……」

 その言葉の意味を問うより早く。

 目の前に立つスティアの後ろ、すなわち、来た道である非常階段の方向から、複数の人影が迫っていた。

「スティ――」

「あんたの後ろもね!」

 警告が交錯した。背を向けたスティアの様子を目で追う暇もない。リリィは気配を肌で感じて振り返る。渡り廊下の反対側に回り込んでいた警備員がひとり、迫っていた。

 リリィが警棒を構えると、相手の表情に驚愕の色が覗く。彼は人質として捕らわれたリリィを、救助する役だったのだろう。チャンス。

 リリィは歯を食いしばりながら、警棒をまっすぐに突き出し迫りくる男の体に突っ込んだ。がらあきだった腹に先端が激突して、筋肉に食い込む手応え。後退したその身体を追撃で押し出すと、靴底についていたガラスの破片が耳障りな音を立てた。

 廊下の狭さが幸いして、敵に背中をとられることはない。その代わりに、逃げる道はどこにもなかった。背中合わせに、スティアが別の敵と応戦している。どちらかが崩れたら、その瞬間に終わる。

 囲まれることは避けられるかもしれないが、逃げ場も見出せない不利な陣形だ。スティアがなぜこの場所を選んだのかを考える余裕はなく、それどころか目の前にいる以外の敵の位置すら把握できない。これだけ混戦になればエルクの銃に狙い撃ちにされることもないだろうが。――いや、逆に警戒するべきか。エルクも今ごろ階段を駆けて、直接の応援に向かっているかもしれない。

 姿を確認することはできないが、セイ・ホワイトの動向も気になる。スティアが言っていたような危惧はピンとこないが、彼は拳銃を持っているはずだ。

 陣形を崩すには、リリィを敵だと想定せずに油断していた、こちらの側から突破しなければ。――はっきり言ってスティアでは、背中を預けるにはあまりにも頼りない。

 救助しようとした相手に攻撃されたせいだろう、相対する警備員の顔には自尊心を傷つけられたような生理的な怒気が浮かんでいた。今度は間違いなく、リリィを攻撃する意志で警棒が迫る。肩口から振り下ろされた一撃を、己の警棒と左肘を重ねて受けて、急所がねらわれるのを庇う。獲物ごしに伝わる重さに体が痺れる。防具がないため想定以上にダメージがあった。だが、やせ我慢ができない範囲ではない。

 軽く麻痺した左腕から一時的に気を逸らすべく、リリィは視線をちらりと上にあげた。フェイントが生んだ一瞬の隙で、右足で敵の足の甲を踏みつけて後退する。

 呼吸を整えると、なんとか左手を動かして、両手に握った警棒を振るう。持ち直したが危機的状況は変わらない。持久戦になれば人数が少ないこちらが潰れる。距離を確保して銃で脅す方が現実的かもしれない。

「撃つな!」

 弾んだ息の隙間で投げられた、思考を読んだようなスティアの警告にぎくりとした。

 リリィは一瞬だけ視線を後ろに向けた。スティアの方は戦闘で手いっぱいで、振り返る余裕がないらしい。警備員のひとりと対峙しながら、声だけを届かせてくる。

「ここで踏みとどまって。しばらく耐えて!」

 言いながら彼は、目の前の敵が振るった棒の一撃をなんとかよけて、隙が生じたその体に向けて右手をかざした。その瞬間に、警備員の制服の肩口がボッと音を立てて焼け爆ぜた。布と皮膚が焼ける臭いが漂い、握力が緩んだ手から警棒が落ちる。

 どれほどの熱さがあるかは見ているだけでは分からないが、一瞬で謎の熱戦を発せられるのならばそこまで不利でもないだろうか。ならば、心配せずに、自分は自分の敵を相手にしていれば……

 上手くいくはずもなかった。

 ここにきて遠慮をなくした警備員たちの連携が生きた。傷ついた味方の後ろから、躊躇いのない力強い歩幅でもう一人の警備員がすり抜ける。スティアは右手をあげようとするが、体力がついていかなかったのか、反射神経が足りなかったのか、まったく間に合わなかった。

 助走に乗った拳が、武器を構える時間も惜しんでスティアの顔を殴り飛ばした。背中を預けていたリリィの背に、骨のような身体が激突した。

 ぎりぎりで半身をひねり、目の前の敵に向けては構えを崩さなかった。避けたその分、スティアはきれいにすっ転んだ。半身を起こした彼は、顔を左手でおさえていた。鼻血が出ている。

 絶望する暇をなんとか使ってリリィは体を動かした。上体をねじり、左右の壁で死角を殺しながら、棒の間合いギリギリで反対側に移動をする。

 スティアに追撃をかけようとした警備員の一撃を棒で受ける。はさみ打ちに成功した状況下で、敵は確かに、一瞬だけ戸惑った。そしてその一瞬で、スティアがしゃんだまま、右手を額に当てた。

 翳した手を前方に突き出す。警備員たちを越えたさらに向こう側でも、指し示すように。

 そして。

「うわあああああ⁉︎」

 スティアの側にいた警備員たちの列の、後ろの方から悲鳴があがり、やがて唱和した。

 リリィは度肝を抜かれて呆然とした。どのフロアの床にも置いてあった、オリーブ色のルームマットが宙を舞って、そのまま警備員をなぎ倒してスティアの方にまっすぐ飛んできていた。無論、普通ならそこまでの強度があるはずもない。さきほどガラスを粉砕した緑の葉のように、何か強力な補正がかかっているのだろう。

 ポルターガイストと言うには、あまりにはっきりとした意志を感じさせて、どこか間が抜けていた。警備員を打ち倒して、その上空を突破したルームマットは、スティアの前でバッと身体(?)を広げ、彼を守る盾とだとでも言わないばかりに、その場に制止する。通路が狭いのもあって、それは文字通りの壁になって、警備員とスティアの距離を遮断した。

 リリィはちらりとスティアの手の甲を見た。先ほどの、はっきりと鮮やかなグリーンとは違う。ひどく鈍い緑のような、赤みがかっているような色の光が、ぼんやりと点っていた。

「混色だよ」

 ぼそり、と彼が呟いた言葉は、よく聞き取れなかった。左手が鼻血を押さえているためか、くぐもってしまっている。

「疲れるから、あんまり使いたくないんだけどね」

 こちら側の警備員は唖然としていたようだが、リリィが振り返ってようやく我に返った。

 その隙を生かして、リリィは鉄棒を敵のすねに投げつけた。硬い音が響いて敵の体が折れると同時、跳躍して懐に入り込んでいた。手加減なしの肘打ちが、顔面に直撃する。

 苦痛に顔をゆがめて警備員がたたらを踏む。次の瞬間にはリリィは体重を乗せ直した。頸動脈に手刀を連打する。数回目で手ごたえが変わった。警備員が、倒れる。

 重い音を立てて、背中を打ちつけたその姿を油断なく見つめながら、汗ばみ、乱れた髪を指でピンと背中に流す。後ろのスティアが、小さく口笛を吹くのが聞こえた。

「すっげぇ。ガードって、格闘技もやるの?」

 鼻血を押さえたままだったので、とても聞き取りづらかったが、態度は平然としている。この人は、ときどきすごく格好悪いなと、膨大な疲労感と共に、そう思った。何をしでかしても、悪びれないからだろうか。

「身体を動かすことの基礎だから、しなくはないけど。専門ではないよ。学ぶのは森の外での動き方だから」

「そのわりには強いんだね」

「不意を突けたからだよ。それに私は、故郷で習ってたの」

 薦めたのは父親だった。その事は口にせずに、飲み込んだ。

 不意に、ぼとっと重い音がした。スティアが作っていたルームマットの壁が、いきなり床に滑り落ちたのだ。

 リリィが瞬く横で、スティアの首がかすかに動いた。彼が見つめる渡り廊下の先に、セイ・ホワイトが立っていた。火傷を負った警備員をはじめ、まだ無事でいる数名も、彼の後ろに控えている。

 白い瞳が、スティアの方をじっと見ていた。彼と、彼のすぐそばで崩れ落ちたルームマットとを。

「……最初から、あんたが来れば良かったんじゃない?」

「格闘戦は苦手でね。君と彼女を引き離したかったんだが、それなら私よりも他の人間の方が上手くできる」

 セイの返答を聞き流しながら、スティアは手の甲を額に当てる。オリーブ色から赤へ変わった右手を、そっと鼻にかざした。次の瞬間には、鼻血が止まっていた。口元に残っていた血液を、左手の甲で乱雑にこする。

 リリィはその一連の動きを見て、ようやく確信を得た。グリーンが操った木の葉、オリーブ色のルームマット、レッドが止めた鮮血、風のイメージと、熱のイメージ。

 スティアが言う所の魔法は、原理などはまったく分からないが、『色』が起点になっている。

「なら失敗したね。いいかげん見逃せよ」

「そういうわけにもいかない。それに……」

 セイ・ホワイトは後ろに向けて手を振った。下がれというジェスチャーだろう。

「君たちが一枚岩だと分かれば、こちらも取る手を変えざるをえない」

 セイは笑わなかった。あくまで、哀れみに似た静かな表情で、スティアを見ている。

 リリィの位置から、スティアの表情は見えなかった。

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