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リリィは完全に意識を失っているらしいスティアの身体を、なんとか支えた。受けとめながらも、右手に握った警棒は離せなかったが、この状態で振り回すことはできない。ホルスターに納めた銃を取り出すことは、さらに絶望的だ。スティアを床に寝かせようにも、砕けたガラスの破片が床一面に散らばっている。
エルクが、無造作に警棒を回転させながら、軽く口を開いた。
「怖がらせてしまったことは謝るよ。だけど、それは君たちが暴れ回るから仕方なかった。武器を捨ててついてきてくれないかな。連れの人にも、これ以上の危害は加えないことを約束するから」
たった今、スティアを気絶させた手並みを見れば、白々しいほど優しい提案だった。だがそれは、臆病者の譲歩や、平和主義者の偽善とは種類が違う気がした。
リリィはこれまでのエルクの行動から直感した。彼だけは、常駐の警備員とはまた種類の異なる、有能な戦闘員だ。有り体にいえば荒事に慣れている。多少の予想外にはたいして動揺もせず、その場の判断で次の行動に移れる。行動の一つ一つから、経験に基づく自信を感じる。相手を傷つける必要がなければ傷つけないし、逆に必要とあらば躊躇わない。その切り替えを一瞬で行える。
だが、また別次元に、女性を傷つけることにはぎりぎりまで抵抗する性格なのだろう。口ぶりからして隠すつもりもない。だからリリィはずっと彼の攻撃対象外でいる。
付け入るチャンスがあるとすれば、その一点か。――そう考えようとするが、状況は絶望的だ。
銃と警棒だけで、警備員の包囲を突破し、気絶したスティアを守りつつ脱出をする。なにをどう考えても不可能だ。
だが。
「……承伏させたいなら」
リリィは答えながら、スティアを引きずるようにして後退した。
さきほど立っていた窓辺。ここならガラスが割れていないし、壁が死角を補ってくれる。
鋭利なガラスが散りばめられた足場の悪さは、敵側にも影響を与えているようだった。セイ・ホワイトにいたっては戦闘には明らかに不向きな革靴を履いている。突撃の足は鈍るだろう。
「もっと具体的な話をして。危害を加えずに私たちを捕らえて、どうするつもりなの? 〈イエロー〉って、なんなの」
「我々は〈カラーストーン〉と呼んでいます」
セイが答える。怜悧そうな碧眼の対で、まったく感情を映さない純白の瞳がリリィをを見ていた。
「アニマの結晶宝石のひとつ、六属性のイエローが凝縮された石です」
「アニマ……」
さきほど、スティアもそのようなことを言っていた。
それより以前に、常識として知っていた言葉でもある。魔法。機械。リリィにとっては仕組みなど何も分からない不思議なものたち。その原動力。分子レベルの極小単位で、世界のあらゆる物質に漂っている霊的粒子だと、昨日のレイバは語っていた。
「人類の浅知恵で作り出した〈ストーン〉なんかとはエネルギー質量のレベルが違う。〈カラーストーン〉は、森人が残した強力な古代文明遺産のひとつです。上手く使えば、急速に弱体化しているこの大陸を、根本から正すだけの鍵になる。我々レアリス・カンパニーは、これを必要とする開発を急いでいます」
「……それが全部本当なら、言ってくれれば渡した」
リリィは、スティアの体を支えながら、うめいた。
「あなた達は、ビーストや森を隠れ蓑にして、悪事を隠蔽しているって、彼は言っていた」
「言いがかりです」
セイは冷静に否定した。
「今のあなたは頭に血が昇っているだけです。スティア・アリビートの言うことには、何も証拠がない」
「テッドは否定をしなかった」
「…………」
「私は、テッドの味方であるあなた達を、信用することなんてできない」
ぐっと、スティアの体を支える手の力を強めながら、リリィは片手に握った警棒を、牽制の姿勢で構えた。おとぎ話のナイトのような格好だと、頭の冷静な部分が他人事のようにそう思っていた。
セイの言う通りだ。カンパニーを信用することができないように、スティアを信じる理由だって何もない。だけど。
それでも、守るという約束は、果たしたかった。彼は甘言を弄さない。誘惑をぶら下げない。
そして偽物の父親に向けて怒りを見せた。今はそれだけで、十分だった。
脱力していたスティアの身体が、不意に動いた。
首を動かした後に、状況が読みとれないのか、困惑するようにもぞりと動く。立ち上がろうとするその身体を、リリィは慌てて支えた。
至近距離で目が合った。寝起きの時と同じ、ぼんやりとした瞳。
「……痛って」
その目がすぐに眇められる。リリィの肩に手を置いて、彼はふらつきながらも自立した。
「……気絶してた?」
簡潔な確認の声。リリィが頷くより早く、スティアはこちらの表情を見て、勝手に納得したらしい。
ふらりと身体を離すと、首筋を押さえたままで壁際に寄った。リリィを通り過ぎる形で、後ろに。
「ごめん、時間稼いで……」
彼はふらりと壁に背を向けて、もたれ掛かった。立っているのが辛いらしい。
「加減をしすぎたなぁ」
正面のエルクが、気楽に言い放つ。リリィが向き直ると、彼は警棒の先端でポンポンと掌を叩いていた。
「全力で殴ると、本気で首の骨が砕けそうな相手だったし、あんまり思い切れなかったわ」
「エルク」
セイがたしなめるような視線を送ると、エルクは肩をすくめた。「はい、すみません」
両手が空いたリリィは、警棒を持ちなおした。少しでも長く持っていられるように、ぶら下げるような体勢で、柄を握る力だけを強める。
スティアをかばうように前に立ちながら、ざっと敵を観察した。状況は何も変わっていないが、今はその気になればすぐに銃が構えられる。それを含めるように腿のホルスターを整えると、敵の警戒も強くなる。――そんな風に思考をしていると。
まったく唐突に、後ろから、腰のあたりに手が触れた。
「……っ⁉︎」
予想外の方向から、予想外の箇所に延びた触感に、リリィは思わず身体をくねらせた。細い指が触れたのは尻の上。探り当てたのは、腰の後ろに携えていた、二丁目の拳銃を収めたホルスターだった。そして。
――カチャ。
後頭部に固く細い何かが当たる。とてもよく知っている、冷たい感触。
「動くなよ」
後ろから投げられた声は、リリィに向けられたものではなかった。
事態を理解できずに愕然とするが、動けなかった。振り返ることすらも、指先を動かすことすらも、なにも。
目の前に並ぶエルクやセイ、警備員たちの、度肝を抜かれたとでもいうような、間の抜けた表情を、さらに間が抜けているであろう顔で眺めるのが、精一杯だった。セイらが見ているのは、リリィのすぐ後ろ。そしてリリィのすぐ後ろで、スティアが見ているのも自分ではなく、彼らだった。
「……〈イエロー〉が欲しいっつっても、彼女を助けたいっつっても、命をかけてまでそうしてやる義理は、俺にはないんだってことを忘れないでよ」
警告を投げた声の抑揚に併せて、後頭部に添えられた鉄がかすかに揺れる。
リリィは、己の装備が外されていたことを、重さの感触で理解した。無防備な背後をとられれば、奪われる可能性もゼロではない箇所ではあったが。
でも、まさか、そんな。
「派手にガラスが割れたり、小火が起きかけたり、警備員が集ったり。いくらあんたらが隠そうとした所で、今この場所で騒ぎが起きてるのは、近隣にはバレてるよ。そんな中で、召集されたリリィ・ブルーノが死体で発見されたら、イメージダウンってレベルの話じゃないだろうね」
リリィの腰から奪った銃を、リリィの後頭部に突きつけて、スティアは確かに、そう言った。
「忘れるなよ……俺ひとりなら、この窓から飛び降りて、いつでも逃げられるんだ。そして、リリィの保護者であるレイバもこの事件を知っていて、現在進行形で暴こうとしている。隠蔽工作を敷くだけの時間は与えてやらないよ」
足が、震えた。
「その場合、殺人者として指名手配されるのは俺になるけどね。けど、捕まるようなことはない。理由は説明しなくても分かるだろ」
振り返ることはできなかったが、スティアがすべての言葉を、セイ・ホワイトに向けて放っていることは理解できた。
「俺が起こしたひとつの殺人事件をきっかけに、ポリスはこの建物や、あんたらのことを調べ始める。リリィが召集された理由や、その時の様子、彼女と親しいクラスメイトの個人情報。調査されてなお、誘拐その他のボロが出ないと思えるほど、楽観的でもないだろ。少なくともジャンとかリックなら、俺でも怪しめた程度には大根だった」
唾棄するように、続ける。
「調べられる口実さえ与えられれば、ポリスは喜び勇んでやってくる。市警とカンパニーが冷戦状態にあるのは、秘密でもなんでもない。大義名分ができれば、あの手この手を尽くすだろう。今までのように、権力を盾にして言い逃れしようったって、そうはいかないぜ。レイバはカンパニーには帰属しないけど、カンパニーに対して、対等に発言する手段は心得てるよ」
「……君は」
「その場合、こっちにも〈イエロー〉は手に入らないし、俺もその後の人生が変わるけど、ストレート負けするくらいなら、痛み分けで妥協するさ」
「君がその手で、彼女を殺すと言っているのか。我々の手から逃れるそのためだけに」
セイが慎重に告げると、スティアは黙った。
そうしている間にも、頭に突きつけられた銃口は離れない。
どうしようもなく息が震えているのを自覚して、リリィにはもう、何が何だか分からなかった。スティアが気まぐれで引き金を引けば、その瞬間にすべてが終わる。
「……テッドが宣言してたよ。リリィに、人を撃つことなんかできないって。あんたらも気づいてただろ」
セイが押し黙る。スティアは続けた。
「俺を同じ尺度ではかるのは、リリィに失礼だとは思わない? 知ってんだろ……自分の身を守るためなら、俺はなんでもやってやるよ」
――自分を守りたい。
時間が止まった気がした。それは、リリィが先日、スティアに告げた決意と同じ言葉だった。
頭の芯に、冷水の滴でも垂らされたような心地がした。
目が冴える。
――自分を守るってのは、たぶんそういうことなんだよ。
――嘆くなら、考えなきゃ。
――俺が、ガイル・ブルーノだからさ。
「道を開けて」
スティアは空いた片手で、押し出すようにリリィの肩に触れた。その感触と、かかる体重の動きで理解する。彼は、まだふらついている。首に受けた打撃の衝撃は、軽くないらしい。頭も強烈に揺れただろう。
そんなか弱い人間でも、引き金を引くだけで人を殺せるのだ。それが自明だからこそ、スティア・アリビートは強がりをやめない。
強がり。そうだ。こんなものはただの強がりだ。彼自身も言っていた。喧嘩ができない。だけど、敵をビックリさせるだけの機能は搭載している。
だから。
正面に立つエルクは、ちらりとセイの方が見た。セイは神妙な表情で頷く。エルクが退くと、ロビーや昇降機の方に続く道が開いた。
「そのまま彼女を人質にとって外に出たら、それこそ本当に警察沙汰になるだろう」
セイが静かに言った。
「ここで我々が道を開けたところで、君は逃げることは出来ない。どうするつもりだ」
スティアは、鼻で笑う。
「ご親切にどうも。心配されなくても、それくらいは分かってるよ」
彼はそのまま、リリィの肩を押して、銃を構えたまま誘導する。
「……追ってくるなよ」
そのまま、人質のリリィと突きつけた銃口を盾にして、スティアはゆっくりと移動を開始した。ガラスの床を抜けて、包囲を抜けて、セイたちの方を見据えたまま、通路を油断なく進んでいった。
銃口の感触を意識しながら、リリィは、スティアが呼吸を必死に押し殺して、平常に見せようとしている演技の音に、耳をすませていた。




