100.才能の壁
リリア視点です
ドラゴン。それはこの世界の生態系の頂点に位置する魔物の一体。純血種たるエルダードラゴンはもちろん、その亜種であるレッサードラゴンですら現れれば国中がざわめくほどの魔物……父も一度だけ交戦したことがあるらしいがその時も数百人の死者を出して何とか討伐したらしい。間違えても1人や二人で挑むようなものじゃない。
「それなのに何で……」
目の前の少年は、ドラゴンに向かってほとんどダメージの通らない剣を振るい続ける。自分より二つ程度しか歳の変わらないというのに、その目には恐怖も絶望もなかった。
「おらぁぁぁっ!」
少年がドラゴンの爪撃を剣でいなす。なんとか防御はできていても攻撃の手が足りない。あれほどの位階の魔物に攻撃を届かせるには、魔法でなければならない。
「私がやらなきゃ……」
そう思って魔法を撃とうとする。何度も唱えてきた魔法だ。魔王を倒すために鋭く研ぎ澄ましてきた魔法。これを唱えれば間違いなくダメージは通るだろう。でも……
「体が……」
動かない。その圧倒的な存在感と、暴力の嵐を目にしたわたしの体は、まるで金縛りにでもあったかのように硬直する。こんな化け物を相手になぜ彼は戦えるのか。なぜ彼の心は折れないのか。……そんなことを考えるも答えはすぐに出た。願いの差だ。私も彼も魔王を倒すという目的の為に戦い続けている。それでも……その強さは同じじゃない。彼にとってその『願い』は命を捨ててでも叶えたい『願い』なんだ。
気づいていた。気づかないふりをしていた。彼の話を聞いた時から、彼が全てを犠牲にして戦っていることに気がついていた。私だったらサリアちゃん達を放置して先に進めなかった。私だったら仲間の死に触れて先に進めなかった。所詮、私の『願い』はその程度だったんだ。
「リリアッ!」
ショウタさんが動かない私に向かって叫ぶ。目線も向けず、ドラゴンの攻撃を食らってもなお立ち上がり、声を上げる。
「戦えないなら無理しなくていい! 逃げろ!」
そのショウタさんの叫び声で、恐怖に縛られた体が動き出す。全力でこの場から逃げ去ろうと手に持っていた松明をも投げ捨てがむしゃらにその場から走って逃げる。
逃げる。逃げる。逃げる。
戦うなんて、ありえない。そうだ、あれはショウタさんの都合だ。別にあのドラゴンと戦わなくても魔王に挑むことはできる。いや、魔王だってもうどうでもいい。魔王を倒すなんてどだい無理な話だったんだ。子供が勇者になりたいとかいう……それと同列の絵空事だ。そうだ、私が倒さなくたってガイラスさんがいる。ベルナールさんだって、ライアットさんだって、それどころか多分ショウタさんも。あの人たちは本物の英雄で、天才だ。あの人たちならきっと魔王だって……
「きゃっ!」
暗闇の中で何かにぶつかり、地面に倒れる。壁じゃない。まさか……魔物!? 嫌だ! もう嫌だ! 何で私ばっかりこんな目に……
「グァァァ!」
ぶつかった魔物は地面に転がっている私をギロリと睨みつける。本来なら戦えたような魔物でも今はもう戦えない。
「に……逃げなきゃ……って痛っ……」
逃げようと必死に足を動かすと、足首に鈍い痛みが響く。どうやら挫いたみたいだ。
「ははっ……これは……ショウタさんを見捨てた罰かなぁ……」
あの人の優しさに甘えて、戦うことを放棄した。でもそんなのしょうがないじゃないか。私はあの人みたいに戦闘の才能があるわけじゃない。魔法だって、そこまで凄いことはできない。ただの凡人なんだから。そんな役立たずだから、ショウタさんだって私を逃したんだ。
……なら、もういいじゃないか。父だってきっと復讐なんて望んでいない。もうこれ以上……戦えない。もう十分戦った。凡人の私にしては頑張った方だろう。
「……いや、違う。」
魔物の爪が迫るのをどこか人ごとのように見ていた私は、あることを思い出した。あれはまだサリアさんと出会う前、フォウルさんと出会ったばかりの頃だ。あの人は夜中見張りをしながら剣を振っていた。お世辞にも上手とはいえないような剣筋で、かつて見たガイラスさんのものとは比べるのもおこがましいような稚拙な素振りを。
あの時のままのショウタさんだったら、ドラゴンと戦うなんてできなかったはずだ。受け流すこともできず殺されていた。なのに今戦っている。あの時よりも芯のある剣で、この短期間であの人はまるで別人のように成長していた。
それに比べて私はどうだ。あの人と比べて、本当に十分戦ったと、『頑張った』と。そう言えるだろうか。
「言えるわけ……ないっ!」
諦めきっていた体に力が満ちる。迫り来る爪を、すんでのところで回避する。対象を捉え損なった爪は、私のもたれかかっていた岩を切り裂いた。
「私はまだ……戦えるっ! こんなところで諦めていいわけがないっ!」
魔物から距離を取る。向こうはまだ爪が岩から抜けていないようで、その一瞬に真空時間が生じる。その隙に、私の持ちうる最大の魔法を唱える。
「『死を司る冥界の王よ、彼の者の命の音を刈り取り、リリア・エルサ・グリモリアへと献上せよ! 《死音》』」
爪を岩から引き抜いたあと、圧倒的な殺意を振りまいて私の元へと駆けてきていた魔物は、途端に糸が切れたかのようにパタリと倒れてしまう。殺意どころかもはや命すらないだろう。これはそういう魔法だ。
「ふぅ……急がないと……」
もう逃げない。少なくとも私と同じ非才が頑張ってるうちは、絶対に。
私は最後に残った魔力ポーションを飲み、きた道を引き返していった。