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第8話 正体






 異変を感じたのは、いつごろからだっただろうか。





 小屋で目覚めて二日目。食料がないことに初めは戸惑ったが、不思議と空腹を感じることがなかった。体調は優れず、身体がだるくて重い。きっと怪我の影響だろうと思っていた。塞がっている傷口付近に少しかゆみを感じ始めたのもこの頃で、右目は既に変色していた。





 一週間目。かゆみのあった皮膚のただれが悪化した。全身に広がる赤黒い斑点は日に日に増えていく。呼吸が苦しい。


 飲まず食わずでいられることに焦りを感じた。しかし、私はこの小屋を出るという選択肢を選ぶことが出来なかった。私の私物は一切ここにはない。もちろんお金だって持っていない。家には帰りたくなかった。外を歩く体力も残っていなかったし、そもそも街まで行く道を私は知らない。


 気休め程度に、救命箱の中のもので傷の手当てをする。それしかできることはなかった。


 もしかすると誰かがここへ訪れるかもしれないとも思っていた。私を連れてきた人物が、再び現れる可能性だってあるはずだと。


 しかし、いつまで経っても誰も来ることはなかった。




 人ひとり、いなくなったところで。世の中は、何ら変わりなく動いていく。

 特に私のような人間が突然姿を消しても、心配するようなものはいない。どこにも。





 三週間も経てば、私の身体はガラクタになっていた。徐々に下がっていった右目の視力はこの頃に完全に失った。ただれは更に悪化して、そこに蛆が湧いている。身体から漂う饐えたにおいは、部屋中に充満していた。


 きっと、これは何かの病なのだ。そうに違いない。死に損なった私の身体も、今度こそおしまいだろう。

 血で汚れたベッドに虫の息で横たわり、ただ死を待つ。ほとんど身動きは取れない。指先だけが、傷口を力なく掻き毟る。そうだった。私は、死ぬことを望んでいたんだった。だから、これでいい。ここで朽ちてしまえばいい。



 身体だけが、ゆっくりと死んでいく。








 一か月後のあの日は、雨が降っていた。

 眠っているのか、気を失っているのかわからないような状態から目を覚ましたのは、全身を襲った耐え難いかゆみのせいだった。今までになく強いそれに、私は激しくもがき、ベッドから転がり落ちる。



 呼吸が上手くできない。苦しい。

 痛みにも近いかゆみは、絶え間無く押し寄せ勢いを増す。削る身から流れ出る血液があたりを汚していった。



 どうにかしたい。どうにかしたい。

 いますぐ、このかゆみから抜け出したい。








 次に我に返った時には、ずぶ濡れの雨合羽を着た私が小屋の中に立ち尽くしていた。





 その右手に握られていたのは、人の腕。






 戦慄した私は、咄嗟にそれを手放した。放り投げられごとりと落ちる、白く細い肉塊。切断部からは鮮やかな赤色がこちらを覗いている。


 腰を抜かし、その場に崩れる。血塗られた自身の震える両手を視界にうつしながら、必死に状況を理解しようとした。




 この雨合羽は、たしかこの小屋の玄関の傍にかけてあったものだ。どうして私はこれを着ている?どうして私は雨に濡れている?

足元に横たわっているこの斧も、小屋の中にあった。どうして、こんなに血で濡れている?この斧も、私の両手も。




 再び視線が落ちた腕へと吸い寄せられる。



 あの腕は……「何」……?





 湧き上がるそれに、溺れていく。侵蝕され失ったものは、私の元へ二度と戻らない。


 そうだ。私は、私を支配したこの欲求に、従ってしまったのだ。













 見慣れた街。知っている風景。




 目の前に横たわっている、若い女性。彼女から流れ出る命が、雨水へと溶け私の足元へじわじわと襲いかかる。


 自身の腕に握られた赤い斧。動かぬ亡骸。それを見つめる私は、「何」を望んでいる?


 飢えを満たすことができるものを、この時私は初めて知った。いや、本当はずっと知っていたのかもしれない。



 だって私は、「それ」を喰らう為にこの斧を振り上げたのだから。









 えずきながらも、私は貪ることをやめることができなかった。拒絶しているのに、求めてしまう。三分の一ほどの肉を食したあたりから、自分の身体の変化に気が付いた。



 治っていくのだ。ゆっくりと、かゆみは引き、傷が癒える。自分の目を疑った。しかしこれが全ての理由なのだろう。

 人の道を踏み外してしまったのは、人ではなくなってしまったから。そう信じないと、どうにかなってしまいそうだった。



 あの夜に生み出された、この私の屍を纏った化け物を、私でないと証明してくれるものはどこにもない。




 延々と溢れる涙は、握りしめているあの女性の腕だったものから滴る赤い雫と混ざり合い、床を染め広がっていった。





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