併話3
歴史の授業の内容を反芻していた筈が、度々『盲』の生態の話に逸れてしまう。
仕方が無いことではあるのだが、その生態、特徴を踏まえての彼ら『盲』の行動を見ない事にはそれを語れないのであるからして。
『盲』が『魔力資質の欠落』によって資質を欠落した属性の魔力・魔素を体内に蓄積し続ける体質であること。
それによって異常な存在感を放ち人々の目を、特にその資質の欠落した属性を持つ者のそれを引きつける。
いや、訂正しよう、存在感を『放つ』のではなく『持つ』と言い換えよう。
大した違いには見えないかもしれないが、この違いこそが『盲』の持つ存在感の影響力の『歪さ』を物語るからだ。
突然だが、『言の葉には力が宿る』という言葉がある。
この言葉も『盲』の一人が語ったとされる言葉であるが、これは別に至言というわけでもない。
この魔力と魔素が溢れる世界において、全ての行為にはそれらが絡み、当然のように言の葉にもそれが宿る。
魔法の行使に発声や詠唱を用いる技法が多々ある事からもそれは確かな事実であり、発声や発語どころか呼吸法による行使、視線や感情の発露によるそれすらあるほどなのだから。
そう言う意味で言うならば、我々は人と視線や言葉を交わし感情を動かすだけで、もっと言うならば動くだけで、生きているだけで魔法を行使していると言えるだろう。
ならば何故その言葉が『盲』の発言として他の格言めいた言葉のように我々に伝わっているのか。
それは偏に発言したのが『盲』であったから、その一言に尽きる。
痛烈な皮肉、強烈な自嘲の言葉だったからだ。
何故ならば、その彼の言の葉には我々がそう認識している『力』が、魔力がとても歪にしか宿っていなかったのだから。
当然であるともいえる、『盲』とは『魔力資質の欠落』とは、『その欠落した資質の魔力を放出できない』ということであるのだから。
そう、持つことはあっても放つことは無い、目で見て取れる色であるのにどんなに眩かろうとも目を焼かない光、それを持つのが『盲』という存在なのだ。
目を引き、存在感は『在る』がそれを『放たず』、そして発する言葉には『力』が欠ける。
いや、欠けるのではなく『偏る』と言うべだろうか。
ついつい他の異常性に目が言って忘れがちではあるが、『盲』の特徴は代表的に述べた物以外にも、まあそれらによって副次的に発生する特徴であるが、幾つか存在する。
その一つに資質が欠落した以外の属性への適性が一部極端に高くなることが多い、と言うものがある。
足の不自由な者が生きていく上で腕の力を増すかのように、五感の内の何かを失ったものがそれ以外の感覚が鋭くなるかのように。
偏る、そう全てに偏るのだ彼ら、彼女らは。
目を引くのも一部の属性の人間に特に強く作用し、言葉に篭る力も強弱はあれど資質の欠落した属性以外のものとなる。
我々人間は、いや生物は須らく魔法の属性、その資質に個人差があるがそれは生来の気質によるものが大きいとされる。
必ずしもそうなるわけではないが、血の気の多い人間に『火』属性の適性が高い、頑固だったり冷静な人間に『金』や『水』属性が、穏やかな人間に『木』や『土』属性が、と言った具合になる事が多いとされる。
尤も、『火』以外には色々と諸説あるようだが、血の気が多いことを『火の気が多い』などと揶揄する程には気性の激しい者に『火』属性の適性が高いことは事実である。
『盲』であってもそれに対しては例外がないようで、気性の激しいものが『火』属性の資質を欠落していたという記録は存在せず、他の属性についても残された記述を見るに恐らくはその気性で最たる物は欠落していなかったという考察がなされている。
それを踏まえて考えるとこの『偏り』は恐ろしい事になる。
『火』の属性資質を欠落した『火盲』の例を上げるとする。
『火』属性の欠落があるという事は即ち当人は決して激しい気性の人間ではないと言う事だ。
しかし、その特性によって基本的に気性が激しい者が多い『火』属性の気質を多く持つ人間の好意的な視線を集めやすくなる。
逆に『火』と相克関係にある『金』属性の気質を多く持つ者にからは非好意的、端的に言えば悪目立ちをしやすくなる。
自身の気質と最も離れた人間に好意的な印象を持たれ、近しい者は寄ってこないという奇妙な状況が発生するが、これが口を開くと違ってくる。
欠落が無い他の属性の力が多分に含まれた言葉は『火』属性の気質を強く持つ者にはあまり響かず、しかし他の属性気質の者に強く、耳障り良く響く。
これによってその『火盲』の人物の周りは『火』属性の者が近きに寄りて見、他の属性の者が遠きに聞く、という状況が出来やすくなる。
何故そうなるのかと言えば、『盲』の存在感は在るものであって放つ物ではないが故に『視界にさえいれなければ影響がない』からだ。
『火』の気質の者であれば視界に入れば良い意味で目を引き、他の者であれば逆に変に目を引き不快であったり、恐ろしく見えがちだ。
逆に発する言葉は『火』にとっては何か熱が篭っていないように聞えて感ずるものが少なく、気質的にも相容れるとは言い難いが、逆に他の属性の者の多くには良く耳に響き気質的にも相容れる物が多い。
こうして近くにおいて目で見る『火』の気質が強い者と、遠巻きに音に聞く他の属性の者に大きく二分される。
そして、近くにいる『火』属性の者はその言葉が心に響かぬし気質とも相容れぬが故に、自身にとって都合の良い言葉以外を聞き流しがちに、心に留め置かなくなる。
他の属性の者はそれぞれにその言葉を受け取り解釈するが『火』属性の抜け落ちた言葉を何処か取り違えて受け取ってしまいがちになる。
そして言葉を発した『火盲』たる当人は、『火』の感情の発露が五感で感じ取れぬが故に周りの『熱』が、場の空気が一部読み切れていない。
これが小さな輪の中の出来事であればまだいいのだが、基本的に『盲』がいる場と言うのは存在感が在る故に輪が大きくなりやすい。
その上に、その存在感ゆえに引き寄せる人間も資質が高いものを強く寄せやすく、そう言った者は得てして周りへの影響力も強い。
この時点で既にかなり歪な状態であり、この後に全うな結末を予測する者はいないだろう。
簡単に言ってしまえば周りから一部都合よく、そして大きく勘違いされ、当人もその状況を正しく理解し切れていないのだから。
そしてこれに『盲』達が持つ『思考、発想の極端な発達、飛躍』が絡むとどうなるか。
文献はほぼ残っていないが『燎原の火』が最も古く最もわかり易い一例であろう。
当時、その王朝は大陸全土を支配域に納め、支配階級の王侯貴族以外はほぼ下層階級、いわば奴隷のような人々で構成されていたとされる。
下層階級はまともな教育を受けず、魔法行使の方法すらもその例外ではなかったとされる。
力も思考も制限されたまるで家畜の如きそれを、力も思考も高度に研ぎ澄ませた選民によって統べる完璧な統治。
だがそれは突然起こった反乱によって驚くほどの速さで崩壊した。
何処で始まったかすら正確には定かではないが、大陸北東にあった鍛冶の町だったと言われている。
『火』と『金』属性の資質を持つ者が集中して集められ、農耕などに使用する道具を製造していたと思われるその町で突如としてそれは起こった。
口々に『自由』と『平等』という言葉を叫んだそれらは今まで言われるがままに造っていた道具を手に取り、圧倒的多数でもって町を治める者達を圧殺し、その後全土に無秩序に散らばっていった。
その後は枯野に火を放つか如き勢いで全土が文字通り燃え上がり、一年と建たずに王朝は倒れたとされる。
王朝を打ち倒し支配階級を勢いのままに殺しつくし、その財を全て奪いつくし、破壊しつくしたそれらは、その後も止まることなく大陸全土を焼き尽くした。
詳細な記録など殆ど残っていない、記録を残すことの出来る者が、文字を読み書き出来る者が殆どいなかったからだ。
ただ、最初の反乱を起こしたと思しき者達の残した記録が僅かに残るだけである。
それすらも打ち倒した王朝の支配階級が記したと思しき物と比べると、様々な意味でまるで大人と子供、いやそれ以上の開きがあると言っていい物だった。
当然と言えば当然ではある、元々が被支配階級である彼らは碌な教育を受けていない所の話ではないのだから。
読み書き計算は教えられず、魔法の行使も必要とされる物だけを伝え、そして割り振られる役割に応じて地域毎に完全に分断しそれのみしか行えないように管理されていたのだ。
食料を生産する者はそれに必要な物だけを、道具を作る者もそれに必要なものだけを。
段階毎に行程毎に地域毎に、そしてそれに適した属性毎に分断し、全体を把握しているのは支配する者達のみ。
僅かに残った文献から伺えるそれらを見るに、そう言った点で王朝の支配者達の統治は完璧に近い物だったのかもしれない。
尤も、それでも必ず何処かに綻びは出るし、そこからともすればあっさりと崩れてしまうのも必然と言えば必然だったのかもしれない。
ただ、それは余りにも唐突過ぎた。
突如として全く物を知らない家畜だった筈の民がいきなり、殆ど前触れも感じさせぬままにいきなり権利を叫んで蜂起したのだ。
支配者達は驚愕し、そしてその蜂起した民達とのやりとりで更にそれは深まる事となる。
話がまるで通じないのだ、『自由』『平等』なる文言を唱えて襲い来る民達は説き伏せようにもまるで現実的ではない事を述べるばかりの彼らにとって意味不明の生き物だった。
残っている文献にある都市の施政者と民のこのようなやり取りがある。
何故このような馬鹿な真似をするのかと問う施政者に、民達は我々は家畜ではない、奴隷ではない、平等に扱えと叫ぶ。
施政者は困惑する、なんだそれは、民とは民であってそれ以上でもそれ以下でもないだろう、と。
家畜ではない?奴隷?奴隷とはどういう意味の言葉だそれは、そもそも平等とはなんだ、お前たちが私達と同じとはどういうことだ?と。
そもそもが支配者達にとって民である彼らは『そういう生き物』であって、そもそもが奴隷だのの区分すらなく別の生き物という認識であったらしい。
当の彼らもそう思って生きていたはずなのに、突如として自分たちもお前たちと同じ生き物だから同じように扱え、と言い出した。
意味が分からなかった施政者は叫ぶ、そんな事が出来るとでも思っているのかと、字の読み書きも出来ず計算もかなわないお前たちが我々と同じ事を成すなど笑い話にもならん、と。
精々が我々の言葉を解する事が辛うじて適う程度の存在でありながら何故そんな大それた事を思ったのか、と。
民達は叫ぶ、我々も同じ『人間』なのだから『平等』に扱え、『自由』にしろ、と。
施政者は叫ぶ、『ニンゲン』とはなんだ?我々とお前たちが同じ生き物でそう言う名前だとでも言うのか?ニンゲンとやらだから同じだから同じようにさせろ、と。
『自由』?なんだそれは、好きに生きる事がそれだと言うのか?貴様ら本当に我々が好き勝手に欲しいままに生きているなどと思っているのか、と。
民達は叫ぶ、『自由』になれば『平等』になれば今までのように辛い事から解放されて楽になる、と。
施政者は叫ぶ、本気でそんな事が可能だと思っているのかと、今まで我々の指示する通りに道具のみ作っていたお前たちが、本気で。
食料はどうするつもりだ、他の街から運んでいたそれをお前たちはどうするつもりなのか、そして食料を作っていた者達も『自由』とやら『平等』とやらを説いて解き放つのか?その後どうするのか考えているのか、と。
少し考えれば分かることだろうが、何故それにすら思い至らないのか。
確かにそうしたのは我々だったやも知れぬが、それならば何故そんな程度の頭で『自由』などと、『平等』などと『ニンゲン』などと言い出したのだ。
そんなものを唱えていれば我々と同じようになると、楽ができるようになるなどと本気で―――。
記述はここで途切れている。
この施政者が民衆に打ち倒されて途絶えたのか、それともこれ以降が欠損なりで喪失したのかは不明だが、概ねこういった記述を最後に王朝の支配者達の記録は途絶えている。
滅ぼされた側の記述は散逸しながらもこういった物がある程度は残っているのに比して、先程述べたように滅ぼした側である反乱側の記録の少なさは異常である。
全うな物など最初期の物しか残っておらず、それも乱が始まったと思しき町を制圧して暫くして途絶えている。
恐らく『盲』であろうと思しきその人物が残したそれは、予想外の事態によって蜂起が起こってしまい町を制圧したはいいが食料自給が無いためにすぐに別の町へ討って出ねばならない、という内容だった。
教育を施そうにもその時間が無く、蜂起した人間のかなりの数が勢い任せに無秩序に他の町へと進撃して行き、既に事態は制御不能な状態になっている事が伺える。
こんなはずではなかった、と言った後悔とも八つ当たりともとれる文脈も散見されるそれは町を出る前後で途切れ、それ以降はその者の記したと思しき物は見つかっていない。
その者に近しかったと思われる何名かの記した記録が別に残っているが、その内容たるやまるで子供に遠足について作文を書かせればこうなるのではないかと揶揄されるような出来である。
その作文によれば、その『盲』と思しき人物、気が付いた時には集団の中で無視しえぬ存在感も持っていたという彼は、その存在感に周りが気が付くころには既に『自由』と『平等』という思想を周りに密かに説きながら様々な事を人々に教えていたらしい。
読み書きを、計算を教え、そして皆が知らない、考えもしなかった魔法の使い方の提案を行った。
気が付けば彼の周りに人が集い、真綿が水を吸収するかの如き勢いで人々は教えを吸収し、そして程なくして彼は捕らえられた。
当然だろう、非常に目立ち、周りに人が集まるのであれば当然それらを管理する者の目に留まるのも早い。
例え密かにそれを行っていたつもりであろうとも、急激に民達の内面の様子が変化してそれに気が付かぬほど支配者達は愚かではなかったし、それ以前に内面だけの変化に留める事が出来るほどに、教えられる民達は器用でも賢くも無かったが故に変化は劇的だったものと思われる。
そうして捕らえられた彼は見せしめに多くの者達の前で裁かれる事となった。
急に態度が悪く、言うことを素直に聞かなくなり始めた民達、その中心となっていた者を見せしめに裁く事によって引き締めを図ろうと、それは支配者側からすれば当然の話ではあった。
誤算があったとすれば、その異変を感じ始めてそう時が経っていなかったにも関わらず、異常なまでにその教えが浸透していた事だろうか。
いや、その教えとやらが正しく民達に浸透していたのであればまた結果は違ったのかもしれない。
早すぎる事の露見、未成熟という言葉すら足りず雌伏という言葉すら、その概念すら思い浮かばず、その教えの影響だけを強く受けていた民達。
裁きの日、その日裁く者と裁かれる者は呆気ないほどに簡単に反転した。
その行いは軽挙と呼ぶべきそれだっただろう。
しかし、その驚くべき考えの浅さ、行いの軽さに比して、それ以上に大多数の民達のそれは軽すぎた。
風に舞い上がる砂塵のように、舞い上がる火の粉のように、煽られ吹き上がる炎のように、その軽挙によって舞い上がり吹き上がった民達。
一部の者が全ての者へ、驚きの速さで蜂起はなされ、驚くほど簡単に町の支配者達は引き倒された。
自制などと言うものを学ぶ時間を与えられず、先の展望と言うものを考えず、ただ一時の激情によって、目先にぶら下がった『自由』と言う『平等』と言う概念の都合のいい側面だけを、それすらも漠然としか理解せずに立ち上がった民達。
彼らはその軽々しい行いに相応しい身軽さで、その勢いのままに全土へと散っていった。
未だ碌な知識も持たず、『自由』と『平等』と言う言葉を正しく理解もせず、己に都合よく解釈したままにそれを叫び広がっていった。
拙い文章から読み取れる概要としてはこんな所だろうか。
その拙い作文すらも乱の途上と思われる段階で途切れ、その後の反乱を起こした側の記述が見付かっていない点を見る限り、文字を記せる者は全てが事半ばで斃れたものと考えられている。
大元となった『盲』と思しき人物など、最初の町の蜂起のすぐ後の戦いで既に斃れているのが他の者の記述から確認されている。
なんでも、公開処刑、尤も処刑だったのかすら実のところ定かではないのだが、から助け出された彼は、その後無秩序に散っていった者達以外の民を取り纏めたものの。
彼自身の残した記述にもあるように、道具を作ることに特化し、食料の供給を外部に頼りきった構造の町であったが為、しかも蓄えられていたそれも暴徒と化し散っていった者達が食い荒らし、持ち出して行った為にほぼ残っておらず。
それによって足場を固めることも出来ず、食料を得るために町より討って出ざる負えない状況だった。
その上、何やら目立つ御輿だか旗印のようにして担ぎ上げられ、象徴としても物理的なそれとしても両方の意味で、討って出た先であっさりと敵方の集中的な攻撃により命を落としたとの事だった。
そしてそれ以降は、まともな記録が滅ぼされた側ばかりの物となり、それがなくなった後の物はただ結果より推測する他はない。
結果はこの上なく単純に、何も残らなかったというそれだけ。
その後の記録も、文明の残滓すらほぼ残ることなく、後の文明が昔を振り返るだけのそれを有した時に、嘗て狩猟採集を行っていたらしい時代の前に、それが在ったらしいという事実にようやく気が付く。
それだけの文明がありながら、何故原始へと戻ってしまったのか。
それほどまでの断絶が、文明の初期化とでも言えばいいのだろうか、それが起こった原因の究明はその理由を記した各種遺跡なりが発掘・発見され、その研究解明が進んだ近代になるまで不明のままとされた。
そしてその当時の物と思しき事柄を記した物の解読が可能になった時に殆どの者はこう思ったのだ。
ああ成程、と。
もうそれ以外に言葉が出ないほどに納得するしかなかったのだ。
そういった事柄に通ずる者でなくとも、少しでも歴史と言うものを知っている者が見ればそう言う他はないほどに。
これ単体で見れば何が起こったのか、恐らく急激な変化と崩壊に戸惑いすら起こっただろう。
しかし、わかってしまう、予想が付いてしまったのだ。
もう嫌と言うほどに知っている流れ、もう既知と言ってもいい程のそれを感じて疲れたようにそう溢す他は無い。
流石にこれほど既存の物を綺麗さっぱり押し流してしまうほどの物はなかったが、大なり小なりこの流れは知っている、と。
自分たちが知っている歴史で、それは何度と無く繰り返されてきた事象であったからだ。




