第一話 好きなもの
『本日は、雨宮水族館にお越しいただきありがとうございます。』
スピーカーから、数時間おきに流れるアナウンスが聞こえる。子供連れや顔を赤らめ手をつなぐカップル。老若男女問わず雨宮水族館は賑わいを見せていた。
そこに、ひたすらモップを動かす青年が一人。雨宮優里。無口な青年である。彼は基本お客さんに対してもただ「いらっしゃいませ」としか言わない。同じ従業員にも挨拶しかしない。それでも、ここで働くのは好きなのか、ただただ真面目に手を動かしていた。
そんな優里だが、二つほどひそかに秘めている能力がある。
丁度、優里が水槽の前を通りかかった。その瞬間。魚が彼を追うようにぷかぷかと泳いでいるではないか。きのせいだったかもしれない。優里が通る時だけ水の流れがそっちに向いただけなのかもしれない、と誰かは思うだろう。
しかし、それは気のせいではない。別の水槽を通りかかっても、亀までもが優里を目で、体で追うようについてくる。ガラスという壁に憚れながらもじっと優里の背中を見守っていた。優里もちらりとそちらをみて、小さく笑みを浮かべる。
近くにいる子供が言う。
「みて!あのおにーさんの後ろに魚さんついていってるよ!」
実際その通りなので、本人はまんざらでもなさそうだった。
優里が水槽の前を通るときだけ、水の流れがふっと変わる。それに魚たちが吸い寄せられるように彼の後を追う。その繰り返し。ひかれあっているというより、互いに信頼しているような距離感だった。
そうこれこそ一つ目の能力。水にまつわる生き物に好かれる体質であるということだ。ほかの人にはない唯一無二の力である。さらに言えば、水族館が好きな優里にはうってつけの能力である。なんせ、大好きな魚たちがそばに来るのだから。
秘める能力を自慢するわけでもなく、優里はただただ館内をくまなく清掃した。時々立ち止まっては、水槽に向けて微笑みかけて時々声をかけている。
「……夜、また会おう。」
その会話は普通の魚に言うようなセリフではなかった。
それをひそかに見つめている人がいた。同じ従業員の海良という女性だ。茶髪を結う、先輩の従業員。無口で真面目な優里を気にかけていた。
「あの子、水槽の前でしか笑わないんだよな。」
顎に手を当ててそうつぶやく海良。彼女は優里の一日の行動を振り返る。
開店前、軽いミーティングを終えてトイレ掃除に。次に、館内をぐるぐるとツアーでも歩いているかのように掃除をしている。そして今も掃除をしている。
全然休んでいないじゃないかと。
「まあ、あと数十分もすれば強制休憩時間と……そもそもシフトがそこまでだし気にしなくていいのかな?」
だけど、あの子はずっと歩き回っている気もする。水族館が好き、魚が好き、クラゲが好きだということは従業員の間でも噂になっている。
もちろん、魚たちが彼の後をついていくことも。
そんなことを海良は考えながらも、やっぱり見えない壁に憚れて声をかけることはできない。
「もう少し、心開いてもらえないのかな。」
海良はそうつぶやくと、自分も仕事に戻る。まだ二人は互いを知らない。ただの従業員で、ただの人間同士の付き合いというもの。
これから起こる、優里の二つ目の能力によって仲が深まるとは知らずに。
その日の営業は何のトラブルなく、終わることができた。休日ということもあって、学校もないそんな帰路を優里はトボトボと帰っていた。手には、適当に買ったコンビニ弁当の入った袋が握られている。カシャカシャと乾いたプラスチックの音が聞こえるだろう。
「今日は会えるのかな。」
優里は周囲に誰もいないことを確認して、そっとつぶやいた。会えるというのは、野良猫でも飼っている亀でもない。これこそ、もう一つの能力である。だが、彼は自覚しておらずなんだかそういう現象に巻き込まれるんだなと思っているだけだった。
だから対して責任感もなく、ただの娯楽として受け入れているが実際には違う。
彼は相とは知らずに、自宅に戻るなりコンビニの弁当を食べ始めた。まだ、温かくいい匂いが漂っていた。
安定のから揚げ弁当。漬物も備え付けられていて、栄養バランスも考えられている。それをもそもそと食べながら、亀に話しかけていた。
「今日はいくつ見れるかな。昨日は二つだったよね。」
飼っている亀からの返事はない。あたりまえだ。だが、バイト中の彼とは比べほどにならないほど、柔らかな声で話しかけている。コテンと首をかしげてじっと見つめていた。
そしてまるで何かを聞いたようにクスっと微笑む。
「ええ、三つも?すごいね。当たったらご褒美あげないとだ。」
つんつんと指先で水槽をつつきながら、ぼんやりと時計を見る。針はいつの間にか午後十時を指していた。そろそろ寝ないと明日は学校。そうおもい優里は立ち上がる。
「おやすみ。また会おうね。」
意味深なあいさつを再びすると、布団に沈むように眠りについた。二つ目の能力は眠ってから訪れる。魚たちにまた会えるといったこと。それから三つも見れるといったこと。これらが関係している。
そう。二つ目の能力というのは、人が寝るときにみる夢の中でのみ発動するものだ。これを能力というのか、体質というのか。はたまた才能というのかは本人は理解していない。だが、ひそかにこの世の中ではその能力は広まっていた。
他人の悪夢を掃除できる力を持つらしいと。




