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新しい生活

 実は王宮での拉致未遂事件の後、エミリアがバージェフ家に戻るのはこれが初めてだった。

 玄関で出迎えてくれた人も、途中すれ違った人達も、エミリアの無事な姿を見て喜んでくれて、この後すぐに実家に戻るとは言いにくい雰囲気だ。


「うちに寄らずに研究所に籠ったからだ」

「うう……ごめんなさい」


 王宮で攫われそうになった日は、父や弟を安心させたくて実家に泊まり、次の日からは状況説明をしなくてはならなくて二日ほど王宮で過ごし、そのまま研究所に籠ることになってしまったので、バージェフ家に顔を出すのはあの事件以来初めてなのだ。


「本当に何もないのね」


 エミリアが戻ったことを聞いて、部屋まですぐに来てくれたジーナやフローラも、マットレスがむき出しのベッドと大きな家具が何点かしか残っていない部屋を見て驚いたようだ。

 クッションも天蓋のカーテンも、愛用していた小物も何もない。ソファーもテーブルもなかった。


「伯爵家に戻るから、もう私の部屋じゃないものね」

「でも、この屋敷に来なくなるわけじゃないんでしょう」

「もちろんよ」


 椅子がないので女性三人は立ったままだ。

 セストは窓枠に寄りかかり三人から少し離れているが、話は聞いているようだ。


「よかった。一年間も会えなくなっちゃうかもしれないのかと思ったわ」


 フローラはほっと息を吐き出した。


「もうすぐ卒業パーティーだし、学園でも会えるでしょう?」

「学園はやめることにしたの。卒業パーティーに出席するのもやめておくわ。無理して学園に通っても平民の私には不釣り合いな世界でしょ? たいして強くないのに護衛をするのもやめるわ。刃物を向けられるのはもうごめんよ」

「フローラ」

「誤解しないでね。後悔はしていないの。むしろ、あの藪医者をやっつけられてすっきりして、これで新しい生活を始められる。エミリアには感謝しているわ」


 バージェフ家の侍女の制服を着て微笑むフローラの顔は、言葉通り明るい。

 先日の襲撃の際、アルベルタとエミリアを守ったということで、宮廷から多額の謝礼金を受け取ったのに、フローラはそのままバージェフ家で働くことに決めた。騎士団に怪我人の回復に行く仕事は以前のまま続け、空いている時間で侍女の仕事を学び、結婚してエミリアが屋敷に引っ越してきた時には、エミリアの侍女になるのが目標なのだそうだ。

 母親もバージェフ家で働いているため、屋敷の敷地内の従業員用の建物に、ふたりの部屋を用意してもらった。

 彼女が欲しいのは贅沢な暮らしよりも、自分達親子を受け入れてくれる人々と、強力な庇護だ。母に危険な目にあってほしくないフローラにとっては、安全の確保されたバージェフ家の敷地内で生活出来ることほどありがたいことはない。


「フローラがそう決めたのなら、私は応援するわ」

「ありがとう。エミリアが結婚するまでに、立派な侍女になってみせるわよ」

「騎士団の仕事を優先した方が給料がいいし、モテるんじゃないの?」

「戦う職業の人は嫌なの。刃物を持つ人とは付き合いたくないの!」


 全員の視線がセストに向き、注目されたセストが片目を細めたので、三人とも無言のまま視線を逸らした。


「セストはあなたの婚約者でしょうが」

「あ、恋愛対象だけ刃物を持たない職業ならいいのね」

「そうじゃなかったらバージェフ家で生活出来ないでしょ」

「私も刃物を持つしね」


 ジーナとフローラはエミリアにとって、護衛というより気を使わないで過ごせる友人だ。彼女達のおかげで、学園生活が賑やかで楽しい日々に変わった。

 でも、もうアルベルタとビアンカ、ランドルフ、セストは学園を卒業し、そしてフローラがいなくなってしまう。


「ジーナは今まで通り?」

「当然よ。エラルドは卒業だから、ジャンが正式にエミリアの護衛につくそうよ」

「え? 彼もバージェフに雇われるの?」

「違うわよ。王国騎士団よ。王太子様に雇われて、あなたの警護につくの」

「襲撃者は捕まったのに?!」


 エミリアの驚いた様子にフローラとジーナの方がもっと驚いた。


「何を言っているの? あなた、自分がどれだけのことをしたかわかってないの?」

「セストを転移させて、アルベルタを妙なキューブで守ったのよ。今、貴族社会はあなたの噂でもちきりよ!」


 ジーナとフローラに詰め寄られ、じりじりと後ろに下がっていたらセストにぶつかってしまった。


「そういじめるな。ずっと研究所に籠っていて、情報を得ていないんだ」

「はーん。ずいぶんと急に研究所に籠ったと思ったら、エミリアとお近づきになろうとする貴族共から守る意味もあったのね」


 口端をあげてにやっと笑うフローラに、セストは無言で肩をすくめてみせた。


「否定しないのね」

「近隣諸国からも天才錬金術師に会ってみたいという話は来ているみたいだから。バージェフ家としても、しばらく宮廷には行かせたくなかったんでしょ」


 ジーナとフローラの話によると、ただポーションが必要だったわけではないようだ。

 エミリアがついこの間まで無名だったのは、今回と同じように多くの人達が守ってくれていたからだ。

 そうでなければ、エミリアもフローラのように利用されていたのかもしれない。


「だったら、私は王宮にいったら駄目だったんじゃない」

「たまに顔を出すくらいは平気だろう」

「ひとりでふらふら歩いていても?」

「ふらふら歩くな。俺かジーナに連絡すれば済む話だろう」

「ああ、この女、音信不通だったんですってね」


 フローラに呆れた顔を向けられて、エミリアは味方を探してジーナを見たが、もっと呆れた顔をしていた。


「私としては、次期当主をあまり心配させないでほしいんだけど」

「うう……反省しています」

「あら、楽しそうね」


 エミリアが体の前で手を組んで申し訳なさそうに俯いていると、部屋の入り口から明るい声がした。


「奥様」

「シェリル様」


 皆がいっせいに背筋を伸ばし、スカートを摘まんで挨拶する中、セストだけはのっそりと身を起こし、母親に近付いた。


「どういうことですか、母上。エミリアの荷物を俺に黙って運び出すなんて」

「運び出す? どこに?」

「……え?」

「帰ってきて、この部屋を見た途端に、私に確認もせずに飛び出していったのは誰よ」

「うっ」

「エミリアちゃんの荷物は違う部屋に移動しただけよ。ついて来なさい」


 セストとエミリアは顔を見合わせ、おとなしくシェリルの後ろを歩き出した。好奇心旺盛なフローラとジーナも、わくわくした顔でついて行く。

 さほど歩くことなく、シェリルは大きな扉の前で足を止めた。以前の部屋より屋敷の中心に近い場所で、扉と扉の間隔を見ただけでもひとつひとつの部屋が広いことがわかる。


「まあ、素敵」


 今までの部屋の倍はありそうな居間は、明るい色合いではあるが落ち着いた雰囲気でまとめられていた。エミリアの好みをシェリルはしっかりと把握しているようだ。

 前の部屋にあったお気に入りのソファーとテーブルも、この部屋に運び込まれている。


「ここが今日からエミリアちゃんの部屋よ。こっちが寝室ね」


 部屋の左手にある扉は、隣の寝室に繋がっていた。

 寝室も充分に広いのだが、中央に置かれている天蓋付きのベッドがあまりに大きくて、それほど広く感じられない。


「あの……これは……」


 いくら何でもこのベッドはひとりで寝るには広すぎる。

 長さより横幅の方が広いベッドだ。


「結婚したら住む部屋よ。慣れた方がいいでしょうし、今日からエミリアちゃんはここで暮らせばいいわ」

「え? ええええ?!」


 両手で頬を押さえて叫ぶエミリアを、シェリルは微笑ましそうに見ている。セストは他人事のような顔をして、寝室を覗き込んでいた。


「なんなら、あなたもここに越したらどう? バージェフ家は別に、婚姻前に子供が出来ても気にしないわよ」

「母上、はっきりと言いすぎです」

「ひぇえええ」


 天蓋付きの巨大ベッドだけでも衝撃が大きいのに、シェリルにセストと過ごす夜を想像してしまうようなことを言われ、エミリアは真っ赤になった顔を隠して俯くしかない。


「……バージェフ家はエミリアを手放す気はないってことね」


 そんな彼女の耳に、フローラの呟きが聞こえてきた。


「そりゃそうよ。今更、横槍を入れてくるやつらに渡すわけにはいかないわよ」

 

 ジーナも小声で答えたが、エミリアに聞こえているということはシェリルにも聞こえているということだ。


「あなた達、よくわかっているようだけど、口に出すのはもう少し考えてからにしなさいな」

「は、はい!」

「すみません!!」

「でも頭のいい子は好きよ。あなた達にはエミリアちゃんの相談役にもなってもらいたいし、学んでもらうことは多いのよ」


 にっこりと微笑む姿は、さすが侯爵家の女主人だ。

 ジーナもフローラも余計なことは言わずに頭を下げた。


「そんなに私は注目されているんですか?」

「まあ……そうね」

「あの、エレナは大丈夫なんでしょうか。彼女も注目される立場だと思うんです」


 エレナは、いまだに卒業パーティーのパートナーが決まっていなかった。あの場にいた令嬢は、アルベルタともエミリアとも親しいのだから、結婚相手として大人気になっているはずだ。


「大丈夫よ。彼女のパートナーはリベリオになったわ。彼もまだ相手を決めていなかったから、エレナを守るために相手役をするように王妃様に命じられたの」

「そう……なんですか」


 驚いてフローラとジーナに目を向けると、にこにこと楽しそうに笑っている。

 命じられたというのが気になるところだが、ふたりの反応を見る限りだと、リベリオとエレナは仲良くやっているのかもしれない。

 リベリオにとってもエレナはかなりいい条件の相手のはずだ。これがきっかけでエレナの片思いが実ってくれればいいのに。さっそく実家に帰ったら連絡を取ってみようとエミリアは心に決めた。


「さて、私達は行きましょうか。あとはふたりでゆっくりしてちょうだい。あなた達も行くわよ」


 シェリルに連れられてフローラとジーナが出て行き、バタンと扉が閉じられると、広い居間にふたりきりだ。

 寝室への扉のすぐ近くにいたエミリアは、すぐにその場を離れて速足で居間の中央に向かった。


「待て。逃げられると追いたくなるだろう」


 足の長さが違うのがこういう時は不利だ。セストはすぐに追いつき、背後からエミリアを抱きしめた。


「その態度はさすがに傷つくぞ。こんな昼間から襲ったりしないから大丈夫だ」

「夜でも襲っちゃ駄目でしょう」

「嫌がっているのに無理強いする気はない」

「……そうよね。セストはそんなことしないわよね」


 しっかりとエミリアを抱きしめるセストの腕に触れながら首を捻って見上げたセストは、言葉とは裏腹に熱の籠った眼差しでエミリアを見つめていた。


「そ、そういうのは結婚してからするべきだと思うの」

「一年我慢する自信はない」

「別の寝室を使えばいいでしょう? セストは向こうの……」

「いや、こっちに移る。言っただろう? 無理強いする気はない。きみがしっかりしていれば大丈夫だ」


 全然大丈夫ではない。先程口づけられただけで、なすがままになってしまったエミリアだ。流される未来がはっきりと見えている。


「まずは少しずつ慣れてもらわないとな」

「きゃあ」


 首筋に口付けられ、慌てて離れようとして、セストの額にエミリアの頭がぶつかり、ゴンという音が響いた。


「うっ……まさか、物理攻撃されるとは……」

「いった。違うから……攻撃してないから」


 せっかくの甘い雰囲気は消え去り、ふたりともしばらくぶつかった場所をさすりながら呻いていた。







 結果としてドンギアとの戦争は行われなかった。

 一部の貴族がクーデターを起こし、自分達ではもう貧しいこの国を立て直せないと、周辺諸国を招き入れ分割統治に応じたのだ。

 まだ分割の仕方で話し合いは続いてはいるが、ランドルフやセストが戦場に向かわなくてはいけない危険はなくなり、予定通りに卒業パーティーが開催されることになった。


 パーティー当日、エミリアは家まで迎えに来てくれたセストとふたりで会場に向かった。

 夜会用の胸元の大きく開いたドレスは光沢のあるラベンダーグレイで、ウエストと袖が白いレースになっていて、刺繍に銀糸と金糸を使っている。金色はセストの瞳であり、エミリアの髪の色だ。セストは、黒地に金と緑の飾りのついた夜会服姿で、襟元の刺繍とエミリアの袖の刺繍が同じ柄になっていた。


 セストは普段から目立つ。先日の一件で更に有名になったエミリアも注目の的だ。

 バージェフ家の馬車を降りると、いっせいに周囲の視線がふたりに注がれた。

 憧れや親しみの籠った視線もあるが、嫉妬や憎しみの視線もエミリアは感じた。

 セストと結婚したい令嬢は多かったはずだ。本当なら今夜、自分が彼の隣にいられたかもしれないのにと思う女性もいるのだろう。


 そして自分に向けられるのと同じくらい、セストにも嫉妬や憎しみの視線は向けられているようだった。

 特級ポーションを作り、新しく強力な魔道具を作って王太子婚約者を守ったエミリアは、王族の信頼も厚く、しかも資産家だ。欲しがる家は多い。

 

 しかし、誰に声をかけられようとエミリアの心は決まっている。

 隣を歩くセストに寄り添い、笑顔で彼を見上げた。


「セスト、私ね、アダルジーザのノートを元に、呪いを解くポーションを作ろうと思うの。きっと何年もかかるだろうけど、私の手で完成させたいわ」

「なんで、こんな時にその話をするんだ?」

「怒らないで。あなたの呪いを解くためじゃないの」


 注目を浴びているというのに、足を止めてセストが見つめてきたので、エミリアも足を止めてセストの正面に立った。


「いずれ子供が生まれて、その子が悲しい恋をしてしまった時に、呪いのために苦しまなくて済むようにしたいのよ」

「……それは……たしかに」

「女の子で、愛した人とは結ばれなかった場合、瞳の金色の娘と結婚してくれる人はいないんじゃない?」

「そうだな」

「だから、私がポーションを完成させるの」


 強張っていた表情を緩め、セストはエミリアの腰に手を添えて再び歩き出した。


「俺は……きみが他の誰かを好きになって、別れたいと言われた時に呪いを解こう。それ以外では解く気はない」

「まあ」


 前を向くセストの顔を見上げて、エミリアは微笑んだ。


「じゃあ、あなたの分のポーションはいらないわね」

「そうなのか?」

「そうよ」


 いつもまっすぐな眼差しと言葉でセストは自分を安心させてくれるのだから、エミリアも彼を安心させたくて、彼の腕を引いた。


「ん?」


 話があると思って身を屈めたセストの耳元に、爪先立って顔を寄せる。


「呪いなんてなくても、きっと私はもう、あなたしか愛せないわ」


 言ってから恥ずかしくなって、赤らんだ顔を扇で隠し歩き出そうとしたが、セストは身を屈めた体勢のまま固まってしまっていた。


「セスト、もう入場しないと……」

「帰ろう」

「ええ?!」

「もうパーティーなんて行かなくていいと思うんだ」

「いいわけないでしょ! やめて! 駄目よ!」


 セストがエミリアを抱きあげて馬車に引き返そうとして、ちょうど到着したランドルフとアルベルタに鉢合わせ、そこでひと悶着おきて更に注目の的になったのは、自分のせいではないとエミリアは思いたかった。



 その後、卒業パーティーの会場にはいる前に婚約者を抱き上げると、幸せになれるという言い伝えが出来たらしい。



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