甘々 リオルside
僕の兄様はある日突然、姉様になった。
兄様は紳士でカッコ良くて憧れだったけど、僕は姉様になって良かったと思ってる――というのも、僕の姉様のお胸が大きくてフワフワだったからだ。
僕を可愛がってくれる兄様は、大抵のお願いは叶えてくれる。
だから、兄様にお胸を触らせて欲しいとお願いした。
そうしたら兄様は自分の事を「姉様」と呼んでくれたら触ってもいいと言ってくれたから、僕は喜んで兄様から姉様呼びに変えた。
「姉様」と呼ぶと、兄様――じゃなくて、姉様は僕に胸を思う存分触らせてくれた。
至福だった。姉様のお胸は大きくて柔らかくて綿菓子みたいにフワフワしていた。
母様のお胸も大きいけど、フワフワというよりはモチモチという感じ。触り心地は良いんだけど、僕の小さな手にはモチモチよりもフワフワな感じが手に馴染んだ。
でも、姉様のお胸に思う存分に触れられたのは、最初の一度きり。
「姉様のお胸にもう一回触ってもいい?」
「姉様の胸に2回以上触れていいのは、姉様のお婿さんだけなんだ」
そう言って、姉様は僕を優しく抱きしめてくれた。
手で触れることはできなくなったけど、姉様が僕を抱きしめてくれる度に姉様のお胸が僕のおでこに丁度当たることが分かったから、姉様に抱きつくことにした。だって、触るわけじゃなくて、偶然当たるだけだから。
姉様も嫌がらなかったし抱きしめ返してくれたから、偶然なら大丈夫なんだと思ったんだ。
最近は背も伸びたから、姉様に抱きつくと顔全体が姉様のお胸に偶然当たって心地好かったんだけど……。
「ニーナとシュリアに抱きつくのを禁じる」
母様に抱きつこうとしたら父様に邪魔された。格闘の末、僕は父様に負け、『抱きつき禁止令』を言い渡されてしまった。
「カイルとの勝負に勝ったら、シュリアになら抱きついてもいいぞ!」
父様はそう約束してくれたけど、絶対に無理だ。敵が父様のその言葉を聞いて、僕に物凄い殺気を放ってきている。子供相手に向ける殺気ではないと思う。なんて大人げないんだ、敵は。
父様もわざわざ敵に聞こえるように言わなくてもいいのに。ただでさえ勝ち目のない勝負だというのに、あの様子だと手加減してもらえそうもない。それどころか、命が危ういかもしれない。
勝負なんかしないで、さっさと姉様の結婚を認めてしまえば良かったかもしれない。
今更、認めますとも言えないし……どうしよう!?
◇◇◇
敵との勝負開始から1週間が経った。
剣技の勝負のはずなのに、一日に一度、最初の一回しか剣を交えていない。
その後は一方的に僕が敵に向かって剣を振るうけど、敵は僕の剣を難なくかわす。
「僕をバカにしてるのか!?」
しかも敵は最初に一度剣を交え僕の剣を弾き飛ばした後は、持っていた剣を鞘に納める。
「――シュリア」
僕が弾き飛ばされた剣を拾いに行く間に敵は見学者の姉様に向かって、剣を放り投げて渡す。そして、素手で僕と応戦する。
「相手の動きを見て、剣を振るえ!」
「これならどうだ!」
「脇を締めて真っ直ぐに突き出せ!」
「剣を持って僕と勝負しろ!」
「最初の一撃で剣を手放さずに耐え凌げるようになったら、剣で打ち合ってやる!」
「このや――ぐぅ!?」
敵の拳が僕の鳩尾に入った。振動が身体中に伝わり、頭の中も揺れていく。
剣が手から離れていった。カランと小さな音を立てて、地面に転がった。
――今日も一撃も入れられなかった……。
無念を抱いたまま、僕の意識は遠のいて行った。
バランスを失った僕の身体は前方へと倒れていく。敵の逞しい腕に受け止められ、僕は安心して意識を手放した。
この1週間、いつも最後は意識を失って、勝負は敵の圧勝で幕を閉じている。
そう簡単に勝てる相手ではないとは分かっていても、無手の相手に成す術もなく負けるのは悔しい。負けるのなら、最後は剣の勝負で挑みたい。
敵は僕と長さも重さも同じ剣を使い、条件も同じだというのに、一度剣を交わすだけで僕の剣はあっという間に弾き飛ばされてしまう。
1年の間に僕は敵と剣で打ち合えるようになるんだろうか……。
目を開けると、芝生の上で寝転がっていた。
お腹にはバスタオルが掛けられていた。
「起きたようだな」
「……父様?」
木陰だからか、はっきりと姿は見えなかったけど、声で父様だと分かった。
「どのくらい寝てたの?」
「1時間程だ」
「随分寝てたんだね」
いつもは遅くても30分くらいで目が覚めていたのに。
「そう恥ずかしがることもない。今日はいつもの倍以上、鍛練していたからな。あれだけ動いたら、身体が休息を欲しがるのも当たり前だろう」
情けなさにシュンとなっている僕を父様が労ってくれた。
「ねぇ、父様……僕は強くなってるのかな?」
「1週間前よりは強くなってるさ。明日、父様と打ち合ってみたら分かるから、安心しろ」
父様が断言するということは、僕は強くなっているのだろう。明日が楽しみだ。でも、寂しくもなる。
明日から父様が相手になるということは――敵が騎士として完全復帰するということだから。
敵の傷は思ったよりも早く癒えた。さっさと出ていけとは思っていたけど、予定よりも早く居なくなるのはつまらない。
実の所、父様よりも敵と鍛練する方が楽しかった。
容赦なく投げ飛ばされるし、足技を掛けられて転ばされて身体はあちこち傷だらけになるけど、上手に受け身を取れるから大怪我もしない。でも、僕が大怪我しないように敵が上手く転ばせていただけだ。何度も転がされているうちに気づいた。身体で受け身の取り方を覚えさせられていたのだということに。
1ヶ月前、父様との鍛練中に僕は重度の怪我を負った。僕が上手く受け身を取れなかったのが原因だけど、その後から父様は積極的に攻撃しなくなった。どちらかというと、防御に廻る方が多くなった。だから、父様との鍛練に少し飽きていたところだった。
敵は鍛練中、あまり多くは語らない。時々、アドバイスをするくらい。それが的確だから、何も言い返せないのが腹立つ。
「僕……受け身の取り方、上手になったよ」
「ああ、上手くなった。これで父様もリオルとの鍛練が楽しくなるな」
父様は嬉しそうに笑った。躊躇いがちだった表情も消え、久しぶりに見た晴れやかな笑顔だった。
きっと明日からは、父様との鍛練も厳しくなっていく。そんな気がした。
「ところで、姉様達――?」
ゆっくりと起き上がりながら父様に訊ねていると、誰かが近づいてくる気配を感じた。
◇◇◇
僕は護衛騎士2名を連れて、父様の代理として領地の街へと視察に向かった。
程なくして、目的の人物達を発見する。
「カイル、あ〜ん」
僕の目の前で姉様が婚約者に餌付けしていた。
姉様の手元には、ブラウ領地名物の巨大パフェが鎮座している。
頼んだばかりなのだろう。巨大パフェの上部しか減っていない。
僕の頭くらいの大きさのパフェだけど、あれを二人で食べきるのだろうか……。
「はい、カイル」
巨大パフェは着々と減っている。
姉様も食べているが、その殆どはカイルの腹に入っている。
『一度でいいから、食べてみたい……』
姉様はいつもこの店の前を通るたびに言っていたのを思い出した。
でも、食べきれる量ではないから、姉様は泣く泣く諦めていた。
姉様は甘いものは食べるけど人並み程度で満足するタイプだし、僕も甘いものは好きだけど姉様と同じで一人前で充分だから、10人前もありそうな巨大パフェに挑戦できるはずもなかった。
あの巨大パフェは恋人同士二人で食べきると無料になるという、店の催しだったはず。
「カイル、はいどうぞ」
「……」
姉様はカイルが飲み込むと直ぐにスプーンで掬ったパフェをカイルの口にせっせと運んでいく。
カイルは無言で次から次へと巨大パフェを消化していく。その顔は真っ赤だ。その姿からは威厳はまったく感じられない。
姉様もカイルもただのバカップルに成り下がっている。
周りからこんなにも注目されているというのに、姉様は気にすることなく、婚約者だけを見つめている。その瞳で『全部、食べるよね?』と脅しているとしても。
カイルは結構甘いもの好きだとはいえ、あれだけの量を食べきれるのだろうか。姉様は1人前しか食べていない。カイルのノルマ、9人前……。
僕に勝利したカイルへの本日のご褒美の口付けは、間接キスのようだ。
残り、半分。がんばれ、カイル。将来の義兄があまりにも可哀想すぎて、応援してしまった。
「ぷっ……くくくっ……」
「……くっ、うっ……」
僕の本日限りの護衛騎士――リューグさんとイアンさんが笑いを必死に堪えている。
イアンさんは甘ったるい匂いに吐き気も堪えているようだけど……でもその気持ちは分かるような気がする。
折角だから、もう一つの名物のプリンを味わおうと思っていたけど、そんな気は失せた。暫く、甘いものは食べたくないかもしれない。食べてもいないのに、胸やけしている気がする。
「イアンさん、良かったらどうぞ」
「ありがと……うっ……」
少しでも胸がスカッとすればと思い、頼んでいたレモンスカッシュをイアンさんに差し出すと、イアンさんは受け取ってすぐさま一気飲みしていた。
「カイル、すげーな。全部、食べきったぞ!」
リューグさんの呟きに、周囲の人たちがカイルに向けて大きな拍手で栄誉を称えていた。
「シュリアがカイルを選んだ理由が理解できた。ルイスは甘いものは駄目だからな……」
イアンさんは死んだ魚のような目をしていた。大丈夫だろうか。
甘いもの好きなカイルも巨大パフェは堪えたのか、完食するや否や、テーブルの上に突っ伏していた。
姉様がカイルの背中を優しく摩っている。とても清々しい笑顔だ。
「カイル、ありがとう。大好き!」
カイルの健闘に巨大パフェ感触のご褒美が貰えたようだ。姉様がカイルの蟀谷に口付けていた。
良かったな、カイル。これで少しは報われただろう。
僕には、あんな巨大パフェの完食は無理だ。
姉様の無茶苦茶なお願いを叶えられるカイルは凄い。きっと、誰もが姉様の婚約者だと認めただろう。
僕も仕方ないから、認めてやる――といっても、結婚は1年後までは認めてやらないけどね。勝負の約束は守らないといけないし。
でも、万が一にでも僕が勝ったら、姉様に報復されそうな気がする。あの巨大パフェに挑戦させられそうで怖い。
わざと負けるつもりはないし、勿論全力で立ち向かうけど、カイルは姉様の為にも是非とも勝ち続けてよね。そうでないと僕が困る。僕には姉様のお供は無理だと分かったから。
「用事を済ませて帰りましょうか」
レモンスカッシュを飲み終えた僕は立ち上がると、カイルの元へと向かった。
後ろから、イアンさんとリューグさんが付いてきた。
「義兄さん、騎士団長からの手紙です」
僕は父様から預かった手紙をカイルに差し出した。
この手紙は騎士団長からの辞令書だと父様が言っていた。
それを、イアンさんとリューグさんがブラウ伯爵家に届けにきた。
カイルは姉様とデート(事件前に約束していた)に行ってしまったから、父様に手紙を届けるように依頼されてイアンさんとリューグさん、二人と一緒にカイルを探しに来ていた。
「ありが、とう」
カイルは口元を手で押さえながらも、嬉しそうに手紙を受け取った。僕がカイルを「義兄さん」と呼んだとき、とても嬉しそうだった。姉様も嬉しそうに笑っていた。
二人で見つめ合いながら笑顔を交わしている。幸せそうだ。多分、僕の存在は忘れていると思う。
「じゃ、夕食前には帰ってきてね」
最初は二人のデートを邪魔する気満々だったけど、大人しく帰ることにした。
甘ったるい匂いが充満している場所にはもういたくない。
さっさと屋敷に戻って、汗を流したい。
きっと二人の護衛騎士も同じ気持ちだろう。
◇◇◇
――3か月後。
「姉様、何処かに行くの?」
姉様は大きなバスケットを抱えていた。甘い匂いが漂ってくるから、中身はお菓子なのだろう。
最近、姉様はお菓子作りに嵌っていた。
「騎士団に顔を出しにね」
騎士団では良質な筋肉を作るために蛋白質の多い食事がメインだから、基本的に甘いものは少ない。
最近は甘いもの好きな男子が増えているみたいで、騎士達に憧れるご令嬢達が手作りのお菓子を差し入れするのが流行っている。その発端は姉様だ。
甘いものが好きなカイルのために、時々手作りのお菓子を差し入れている。
「一緒に行く? 運が良ければ、カイルと試合ができるかもしれないよ」
「行く!」
即答した。やっと最初の一撃でも剣を手放すことがなくなってきたから、カイルとの勝負が楽しくなってきたところだった。
カイルが非番(大体1週間に一度)の時に姉様に逢いに来るついでに勝負しているけど、ここ1ヶ月、忙しいのか会いに来ていなかった。姉様も寂しくなったから、カイルに逢いにいくことにしたのだろう。
父様や当家の護衛騎士と鍛練しているけど、正直物足りない。だから、カイルと久しぶりに勝負できるかもしれないと言われたら、行くに決まってる。
「リオルはバスケットをしっかり持っててね」
「ちょ、姉様ーー!?」
姉様はバスケットごと僕を聖獣に括り付けて、ブラウ家を飛び立った。
2時間ほどで無事に王都に到着した。そして運よく、カイルとの勝負にも挑めた。結果は惨敗だったけど……最後には意識を失った。カイルとの勝負が楽しくて限界超えても挑み続けるから、適度なところでカイルは僕を気絶させている。
「カイル、あ〜ん」
目を開けると、いつかと同じように姉様がカイルに餌付けしていた。
カイルは顔を真っ赤にしながら、姉様の声に合わせて条件反射のように口を開けている。
「美味しい?」
カイルの口の中は姉様の手作りお菓子で一杯になっているから、カイルは何度も首を縦に振って肯いている。その顔は綻んでいる。
本日のお菓子はガトーショコラだ。ワンホールあるけど、甘さ控えめで低カロリーだから、カイルも無事に完食できるだろう。
甘いものが少し苦手になった僕でも食べられる、お墨付きのお菓子のひとつだから、きっと大丈夫だ。
遠く離れたところにルイスさんの姿を見かけた。ワンホールケーキを完食するカイルを見ながら、顔を引き攣らせてビーフジャーキーをかじっていた。
あのビーフジャーキーは甘いものが苦手なルイスさんのために差し入れた、どこだかの勇敢な侍女さんの手作りらしい。姉様の差し入れのクッキーを頬張っているリューグさんが教えてくれた。
リューグさんの隣ではキリアさんも負けじとクッキーを口の中に放り込んでいる。
イアンさんは……ルイスさんの隣に居た。壁に寄りかかりながら、レモンスカッシュを飲んでいる。多分、あの瞳は虚ろだ。
姉様に餌付けされているカイルの威厳は成りを潜めているけど、同僚達の信望は厚いままだ。一部には批判されているみたいだけど、親しみやすくなったと評判は上々になっていた。嫁に尻を敷かれている上司からは特に可愛がられているらしい。
「ねぇ、ちょっとオレのは? もうないの?」
僕より前にカイルに沈められたリックさんがようやく目を覚ましたようだ。涙声になっている。泣き真似だろうけど。
リックさんはカイル以上に甘いものが大好きな男子だから、カイルへの差し入れのお菓子を横取りしようとした。それでカイルに徹底的に意識を刈り取られた。それを見て、僕はまだまだ手加減されているのだと分かった。
――いつの日か、本気のカイルと勝負したいな。
「気を付けて帰れよ」
「分かってる……ん? どうかした?」
「あ、いや……その……ご褒美……」
カイルもご褒美の口付けが欲しいとはっきり言えばいいのに。そんな小声だと、姉様には届かないよ。
姉様も本当は気づいているくせに、しらばっくれているから性質が悪い。
「無事に帰れるようにカイルがお呪いをかけてくれ」
「……分かった」
僕は行きと同じようにバスケットと一緒にうつ伏せで聖獣に括り付けられているから見えないと思っているだろうけど、丁度良い場所に水溜りが出来ていたから、ばっちり見えていた。
――カイルが姉様の唇に口付けているのが、水鏡に映し出されていた。
この事は、僕と聖獣の秘密だ。