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鬼子とはじめての友達・後


「やあやあ俺が来たよー」

「……」

「わ、またやられたの? ちょっと待って今布出すから。血拭いたげる」

「いい」

「お前こういう時はすぐ喋るよな! なんでだよ! 普段から返事しろよ寂しいだろ!」

「……」


 雅楽は毎日やってくる。

 美しい着物が汚れるのも厭わず、どこかに隠しているらしいあの板を引きずって、今日も飽きずに遊びに来る。雨も遮れるし日陰も作れるんだと誇らしげな雅楽に晴蓮は一度、そんなに暇なのかと尋ねた。雅楽は笑ってそうでもないんだぞと答えた。


「でも最近はここに来るのが最優先だからね」


 光栄に思えーとのたまう雅楽に、最近の晴蓮は溜め息すらつかなくなった。面倒になっただけで決して気を許した訳ではない。……と、彼は思い込んでいる。

 血液を拭い傷口に裂いた布を巻き、一通り「治療」を施したのち雅楽はふうっと息をついた。ふてくされたように晴蓮は言う。


「そんなことしなくても暫く放っとけば治る」

「でも痛いんだろ?」

「関係ないだろ」


 ジトッと雅楽を睨むと、雅楽は手を伸ばし白い指先で晴蓮の額を軽くつついた。びくりと震える晴蓮を見、雅楽は「痛いんじゃーん」とへらへら笑う。


「雅楽お前、本当に……いやもういい。何でもない」


 全身の力を抜きうなだれて手首に体重をかける。結局はその体制が一番楽だった。お互いの顔が見えなくなる。

 静寂が二人に降りかかるとき、先に口を開くのはいつだって雅楽だった。


「あのさ。お前俺のこと嫌い?」

「は? なんだ突然気持ち悪い」

「俺はお前のことわりと好きなんだけど」

「気持ち悪い!」


 顔を上げ、頭上で縛り吊るされた腕を動かしざっと身を引く晴蓮。対して雅楽はその美しい顔にいつになく真摯さを宿し、静かに言った。


「お前はさ、俺なんかよりずっと一緒に暮らしてきた村人たちが好きだから、だからここから離れたくないの?」

「っ……?」

「そうなの?」

「ち、違う。そんな訳ないだろ」

「そう。なら大好きだった友達に痛めつけられるのが楽しいの?」

「違う。急に何を――」

「じゃあ」


 ふわ、と口元が緩む。晴蓮とは違う真っ黒な瞳を優しく細め、雅楽は微笑んだ。


「やっぱり俺が嫌いなんだ」


 晴蓮は目を見開いた。紅い血の色をした瞳が丸くなり、やがて苦しそうに歪められる。ぎこちなく目を伏せる。

 ほんの少し意識が逸れていれば聞こえないくらいの小さな声で、晴蓮は、弱々しく「違う」と呟いた。

 雅楽はいつかのように膝立ちになって格子を掴む。


「……俺は、俺には、なんでお前がここから離れたくないのか分かんないよ。でも、俺はお前の味方だからな。なんでもするから」


 何も言わない晴蓮に雅楽は笑いかけ、ほっとしたような声で言った。嬉しそうに、優しく、柔らかい声で。


「明日も助けに来るね」



  ◆


 そんな話をした数日後のこと。


「あのさー、俺さー。今度夜来てみようかなー」

「……暗くて危ないんじゃねぇの」

「でも星とか見たら楽しそうじゃん?」


 膝を抱えた雅楽と心なしか以前より返事をするようになった晴蓮は、いつも通り他愛もない話を繰り広げていた。


 ――月が出てたら明るいかもな、バカお前月が出てたら星見えねーじゃん、月も星も変わんねえだろ、そんなことないから……


 そんな調子で和やかに言い合っていると、不意に「ちょっと良いかしら?」という女の声が二人の会話を遮った。雅楽が振り向く、晴蓮がはっと息を呑む、それらがほぼ同時。

 そこには美しい巫女が立っていた。長い黒髪を背に流し、慈愛に満ちた微笑をたたえるうら若い女。

 雅楽は立ち上がり檻を背に女に向かい合う。晴蓮の家が神社だということを雅楽は覚えていた。忘れる筈が無かった。


「晴蓮に用があるの。退いてくださらない?」

「断る。俺が先に話してたんだ後にしろ」


 女を睨み低く唸る。

 しかし女は怯む訳もなく、口元に手をあて「まあ」と呟いた。


「晴蓮のもとに毎日来ている貴族様って、貴方のことね。お名前はなんと仰るのですか?」

「悪いけどお前に名乗る必要なんかねえよ」

「あらあら、そうなの」


 女は笑い、視線を雅楽から少し奥にずらした。


「晴蓮。その方のお名前は?」

「っ……」

「母さんに教えて頂戴」


 晴蓮の首筋を冷たい汗が流れる。視線を泳がせた後に奥歯を噛んで俯き、微笑み続ける女も檻を庇うように立つ雅楽も視界に入れず、かすれた、小さな声で呟いた。


「う……た」

「まあ素敵! 良い名前ですわね。どういう字を書くのかしら、晴蓮」

「……み、みやびに、らく」

「雅に楽でうた、ね。素敵ね、貴方にぴったりだわ」


 どこかで聞いたような会話を耳にしながら雅楽は振り返り晴蓮を見る。唇を噛み俯いたままカタカタと震える彼は、かつて無いくらいに弱く小さく感じた。


「お前、まさか」


 親しくもないそうなりたくもない女に勝手に名前を呼ばれ誉められた不快感も忘れ、雅楽は振り返り膝をついた。

 声が震える。格子を掴む白い指に力が入る。


「まさか、あの女に逆らえないからここにいるのか?」


 晴蓮は雅楽を見ない。長い前髪が紅い眼を隠し表情を隠す。

 気持ちが悪かった。

 神聖な祭司の座に胡座をかいて、咎める者があれば神に仇なすのだと罵り罰し、その美貌で人を惑わし虜にしては捨てる母。自分の子供すらも弄ぶ『母』。顔を見る度に思い出したくもない記憶が否応無しに掘り起こされ、幼少から植え付けられた恐怖や嫌悪の感触が身体を震わせる。全身が凍てついて逆らえなくなる。喉の奥が乾き掠れて何も言えなくなる。

 怖い。

 情けない。

 怖い。

 気持ち悪い。

 怖い。

 怖い。

 怖い……

 今も昔も人でも鬼でも、晴蓮は彼女にとって楽しい玩具でしかない。そんなこと、晴蓮は息が出来なくなるくらい知っていた。

 それでも。


「……笑えよ」


 晴蓮はやっとの思いでそれだけ吐き捨てる。

 なんて、なんて陳腐でつまらない話だろう。そんなくだらない愚話に縛られ怯える自分も自分だ。そう解っていても晴蓮は何も出来なかった。手首がキリキリと痛む。


「……」


 雅楽は青ざめたまま絶句していた。まさか、まさかそんな理由で彼が此処に留まっていただなんて思いもしなかった。自分が思っていたよりも遥かに根の深い、嫌な理由で。その事に雅楽は、毎日会いに来て顔を合わせ言葉を交わしていたのに、今の今まで気付けなかったのだ。

 痛いくらいに格子を握り締め震える唇を開く。


「なんでっ……? 俺、ずっと晴蓮をここから出したくて、なんでもするって……なぁなんでっ、なんで言ってくれなかったんだよッ!! 俺は、俺は晴蓮がここにいたいんだと思って、離れたくないんだとおも、っ、が、あ、ッ……」

「……雅楽?」


 不自然に詰まり途切れた言葉に嫌な予感を感じる暇もなく顔を上げる。張り付くように広がった視界の中で、雅楽は無表情の女に髪を掴まれ何度も格子に頭を打ちつけられていた。その度に漏れる喉の奥が潰れるような悲鳴と、黒い髪の隙間にちらつく赤い雫。

 胸の奥の内臓を素手で掻き毟られるようなに感情に蹂躙され、晴蓮は咄嗟に声を出すことが出来なかった。


「……うた……雅楽、雅楽ッ!? おいお前雅楽になにしっ」

「お前? 何それまさか私に言っているのかしら?」

「っ……!」


 晴蓮は怯んで言葉に詰まる。それを見た女は満足げに笑うと雅楽の頭から一瞬手を離し、倒れかけた彼の前髪を掴み直し顔を上げさせた。

 白い額の数カ所から血を流し顔中を赤く染め、苦痛に歪んだ瞳で晴蓮を見る。黒曜の眼が見開かれた紅い瞳と認める。されるがまま晴蓮と向き合った状態で、息を荒げ肩を上下させ、雅楽は何も言わなかった。


「晴蓮、雅楽様に言いなさい。迷惑だからもう二度と会いに来るなって。顔も見たくないって」


 掴んだ髪を引き、くっと雅楽の顔を上げさせる。喉奥から小さな苦悶の声が漏れ、それは確かに晴蓮の鼓膜を震わせた。

 迷惑。来るな。

 今まで晴蓮が雅楽に散々吐き捨ててきた言葉。それでも、何度そう言っても雅楽は「また来る」と笑った。楽しい話を携えて、明るい笑顔を携えて。


(――嫌だ……)


 いつの間にか下を向いていた顔が上げられない。呼吸がおかしい。苦しい。

 言いたくなかった。こんな状態でもう来るななどと言ったら、きっと彼には二度と会えない。そんなのは嫌だ。だけど、じゃあどうする? 嫌だと言える? 晴蓮にとって雅楽の背後の女は鬼よりも恐ろしい化物だ。幼い頃から植え付けられた感情は拭っても拭っても消えない。

 逆らえば、きっと、また。でも言うことを聞いてしまったら、彼は。

 どちらが怖い? どちらが嫌? 身体が震える。息が苦しい。ああでもこうしている間に雅楽は、あの女の手の内にある雅楽は。


 不意に、掠れ濁った声が空気を揺らした。


「あ……の、さあ……」


 晴蓮ははっと息を呑み顔を上げた。雅楽は黒い瞳に確かに晴蓮を、不安げな張り裂けそうな顔で此方を見た鬼の子を映し、苦しげに微笑んだ。


「俺を……だ、誰だと、思ってん、の……? まさか、ただですむ、と、でも、思っ――」


 絞り出すような声は頭蓋と格子がたてた鈍い音に掻き消された。女は雅楽を地に叩きつけるように倒し、鳩尾に強く踵を落とした。仰向けに倒れた雅楽の腹を喉を踏みつけながら女は高く笑う。


「あのねえ貴族様、貴族と神どちらが偉いか御存知ないのかしら? 神職に口答えするなんてあなたのしていることは冒涜だわ、ああそうね鬼の邪気にあたって(けが)れてしまったんだわこのままじゃ(わざわい)を喚ぶわね駄目よそんな姿で都に帰るなど赦されない大罪だわ!」


 雅楽は鳩尾や喉に衝撃を与えられる度に喘ぎ、女はよく解らない説経を愉しげに叫び続ける。


「……う、た。うた……」


 やがて指先や表情から力が抜けていき、苦痛に歪んでいた黒い瞳は虚ろになる。喘ぎはただ微かに息が漏れるだけになる。


「……やめてくれ」


 何を言っている? 何を言おうとしている? 自分は、彼は、彼女は。



 ――俺は。



「――ッ、やめろ!!」


 しん、と全てが息を呑む。

 土が、森が、空気が――あの女が。


「や、め、ろ?」


 錆びたような動きで女が晴蓮を見る。そして『愛しい我が息子』を認めると、僅かな間ののちに真っ赤な唇を裂けそうな程に吊り上げた。


「嫌だわ晴蓮。あなた泣いてるじゃない」


 晴蓮は肩を上下させながら女を睨む。

 気分が悪い。

 この感情が恐怖であることは、経験が間違いないと示している。それでも許せなかった。


「雅楽を離せ……」


 紅い瞳から頬へ伝う雫がなんなのかなど晴蓮は知らない。

 ただ、胸を灼くこれはきっと――


「晴蓮はそんなにこの子が好きなのね。いいわ、やめましょう」

「っ?」

「驚かなくて良いのよ。私の大切な息子の為だもの」


 あの狂笑など無かったかのように穏やかな微笑を浮かべ、女は人形のようにぐったりとした雅楽の半身を起こした。微かな吐息が彼の生を保証し、晴蓮は無意識に安堵の息を漏らす。

 そんな晴蓮から目を離さずに、女は優しく雅楽を抱き寄せた。血で紅く染まった雅楽の顔を手のひらで拭い、幼子を宥めるような口調で、優しく優しく晴蓮に告げる。


「雅楽様をあなたの新しい父上にしましょう」


 晴蓮の息が止まる。相変わらず虚ろな表情の雅楽の輪郭を愛でるようになぞりながら、女は妖しく微笑む。

 その目は太った小動物を見つめ舌なめずりをする獣のような、美しい娘を見つけた異形の化物のような、獰猛で欲望に満ち満ちた不快なものだった。


「……は……え、え? な、なに、を」

「あらいいじゃない。大好きな雅楽様と家族になれるのよ。こんなに美しい、雅楽様と」


 く、と顎を持ち上げる。意識があるのかすら定かでない雅楽は、されるがままに焦点の合わない瞳で女を見た。


「……や、やめろよ」


 ざあっと全身に嫌な感触が蘇る。

 鮮明に。

 吐き気や寒気や悪寒やありとあらゆる不快感が晴蓮を覆い包み、そして、抗うことなど出来る訳もなく、女と雅楽の唇は合わせられた。


 小さく響く水音。それは幾度となく続き、その度に晴蓮は内臓が一つずつ握りつぶされていく気がした。


 そして壊れた。


 彼を縛り繋いでいた筈の呪符の縄を糸屑のように千切り、彼を全てから隔てていた格子を土塊(つちくれ)のように崩し。

 一瞬。

 指は肥大し爪は伸び完全に異形と化した彼の手が、女の首を引き千切ろうとしたその一瞬、女は俯うつぶせに倒れた。

 目標を失った異形の腕が宙を掻く。女の身体は雅楽に覆い被さる。その様を見、少年はゆらりと直立し再びその手を振り上げた。紅い血色の瞳が女を見る。


 ――死ね。


 そう小さく呟いた時だった。


「……さいあく。気持ち悪い」


 ブッ、と何かを吐き出すような音の後、呟かれた不機嫌な声。どさりと女の身体が横にずれる。一生懸命に着物の袖で口元や舌を拭っては「気持ち悪い」と繰り返す少年を見、紅目の鬼は、晴蓮は、はっと我に返った。


「……雅楽?」


 呟く。俯いている少年の表情が見えず、晴蓮は咄嗟に膝をついた。幾度も彼がそうしてくれたように。人間と何も変わらないような手に戻った晴蓮は、まだ顔を上げない少年の肩を掴みがくがくと揺さぶる。


「雅楽、うた! 雅楽ごめん俺、俺……うたっ……」


 檻も(まじな)いも恐るるに足らなかった。もっと早く壊していれば、こんな事にはならなかったのに。彼をこんな目に合わせなくて済んだのに。

 自責の念が引くことなく大挙して押し寄せては心臓を圧迫する。何かが折れてしまう寸前、くすりと小さく優しい笑い声が晴蓮に届いた。


「なんつー顔してんの」


 からかうような、それでも暖かい安心する声。顔を上げた雅楽は柔らかい手のひらで晴蓮の頬を拭い、晴蓮はその手に自分のそれを重ねぱちぱちと瞬きをした。

 暫くの間目の前の少年を見つめる。雅楽は、珍しく自嘲気味に笑った。


「いつか言わなきゃって思ってたんだ。でも、嫌われるのが怖くて、言えなかった」


 ――ごめんな。


 口元だけ微笑んでそう目を伏せた彼の瞳は、黒ではなくなっていた。しかし晴蓮のような紅でもない。

 それは、穏やかな中にも華やかさを秘めているような、優雅な、美しい、深い深い紫色をしていた。


 晴蓮はふと、出会い頭に「その眼黒くなんないの」と言われたことを思い出した。ああなんだ。馬鹿にしてたんじゃなくて、同じような存在として、ただ不思議に思ってたのか。


「俺……晴蓮は鬼が嫌いだと思ったから」


 そう言って、雅楽は晴蓮を抱きしめた。近づけられた顔からつんとした血の匂いが晴蓮の鼻を掠める。迷いながらおずおずと手を伸ばし、そっと雅楽の背中に手をまわした。


「晴蓮、俺のこと嫌い?」


 回された腕に力が入るのを感じながら、晴蓮は首を横に振る。髪が擦れる感覚がして、雅楽にもそれが伝わったようで、雅楽は本当に嬉しそうに笑った。



 そんな時。


「××様」


「××様が動かない」


 呆けたような声が聞こえ、晴蓮はその方を向いた。今までどこかに隠れていたのか意識が彼らを認識する余裕がなかっただけか、倒れた女の周りにはいつの間にか男が群がっていた。

 起き上がらない女の周辺を晴蓮はぼんやりと眺め、そして傍らに落ちている肉片に気づく。

 そうか。あの女が倒れる前に雅楽が吐き出したのは、噛み千切った舌だったのか。


「なあ晴蓮、前に俺が晴蓮と暮らしたいって言ったの、覚えてる?」


 雅楽は晴蓮の肩に顔をうずめて言う。くぐもってはいるものの嬉しそうなその声に「ああ」と答えながら、晴蓮はその奥から目が離せないでいた。


 女を揺さぶっていた男達がゆらりと立ち上がる。

 此方を向く。

 何か呟いている。


「覚えててくれたんだな。あの時は怒らせちゃったけど、今同じこと言っても怒らないで聞いてくれる?」

「あ、ああ、うん」

「よかったぁ……」


 雅楽はふにゃっと脱力するような声で笑い、晴蓮を抱きしめる腕に力を込めた。その背後には男が刀を大きく振りかぶりながら歩み寄ってきているというのに。

 今度こそ俺が守ろう。

 そう決心して、今まさに雅楽に振り下ろされてようとしている刀の持ち主を殺そうと腕に力を込めた――否込めようとしたその時、雅楽の手が押さえるように晴蓮の腕に触れた。と同時に、晴蓮に触れているのとは逆の手が、振り下ろされた男の刀を掴んだ。



「この俺がこんなに大事な話してんのに、なんでわかんないのかなあ……?」



 晴蓮の肩に顔をうずめたまま雅楽が囁く。

 刀身を素手で握っているのにも関わらず白い手には傷一つ付かず、それどころか、雅楽が力を入れると刀は消炭のように握り潰された。


「なっ――」


 男は驚き身を引いた。引いた頃には、男の頭は、鮮血を撒き散らしながらほいと遠くに放り投げられていた。


「お前らだね? そこの(ゴミ)の肩持つのは」


 立ち上がった雅楽は美しく微笑む。そして蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う男達の或いは頭を潰し或いは腹を裂き、雅やかな着物も髪もあっという間に血の雨に降られたように赤くなってしまった。


「う、雅楽」

「あっ晴蓮は待ってて! あと一人だから」


 雅楽は振り返りぱっといつものように笑う。

 その後ろで、両足のもげた男が泣きながら後退りをしていた。


「思うんだけどさー、封印されるべきは晴蓮じゃなくてあの女じゃないの?」


 話しかける相手は晴蓮にとも男にともとれるような口調で雅楽は言い、歩く。歩を進める度にぺちゃ、ぺちゃと響く湿った音。黒い髪から雨水のように血が滴る様は狂気を通り越して美しくすらあった。

 男の元へ辿り着くと、雅楽はその腹に爪先を叩き込んだ。肉が千切れる音がして男が血を吐く。

 ――どうして死なないんだ。

 そんな絶望的な表情を見てか、雅楽は呆れたように首を傾げた。


「案外死なないんだよね、鬼も人間も。つまり痛いのがずっと続くわけだ。我慢しろよ? 先に晴蓮を虐めたのはそっちだからね?」


 言って、話が目的を外れかけた事に気づいていけないいけないと首を振る。


「そう。晴蓮。晴蓮はね、生まれつき半分鬼の血を継いでたんだと思うよ。じゃなきゃ人も殺さない怨みも買わない善良な子供が鬼になんてなる訳ない」


 鳩尾を殴ってから、倒れた男の前髪を掴み上げ、雅楽は笑った。

 年相応の、にこっとした可愛い笑顔で。


「つまり穢れだなんだいうなら鬼と契を結んだそこの糞女が全部悪いんだよ。それを皆に伝えてくれる? 晴蓮は潔白だったって、言えるかな?」


 それはそれは美しい声を紡ぐ雅楽に、男は血や涙や唾液でぐちゃぐちゃになった顔で必死に頷いた。

 それを見た雅楽は嬉しそうにえへっと笑って、


「じゃあ死ね」


 男の頭を握りつぶした。


 白い頭蓋の欠片や神経の欠片や液体のように潰れた脳で汚れた手を袂で拭きながら、「あの世の皆に伝言よろしくねー」とにこにこする。

 そして、くるりと身を翻して晴蓮の方へと向き直った。


「終わったよ!」

「え、ああ」

「もう大丈夫だよ晴蓮! これからは自由だしあいつらはもういないしそれにそれに俺がいるしね俺が護るからね! ねっ!」


 嬉しそうにまくしたてる雅楽に晴蓮は気圧されつつ頷きながら、「ちょっと、ちょ、雅楽、雅楽聞け」と雅楽の肩を掴んだ。


「どうしたの?」

「そんなこと出来んなら、何で抵抗しなかったんだよ」


 心なしか困ったような悲しいような声で言いながら、晴蓮は雅楽の額をぐいっと手のひらで拭う。流れた血液自体は返り血と判別がつかなくなってはいたが、そこには確かに傷があった。

 雅楽はきょとんとして晴蓮の手に自分のそれを重ねる。


「鬼だってバレたくなかっただけなんだけど。別にほっとけば治るよ?」

「……それじゃ駄目だって、お前が言ったんだろ」

「そうだけど…………えっ、えっなに心配してくれるの!? 俺のこと心配してんの!?」

「……」


 晴蓮は顔を逸らして手を振りほどく。

 それを見た雅楽は、身を震わせて晴蓮に抱きついた。


「晴蓮ー!!」

「うわっ何だよ」

「晴蓮俺そんなにお前に好かれてると思わなかった! せいぜい好きか嫌いかで言えばまあどちらかというと嫌いではないみたいな感じだと思ってた! 嬉しいよー!」

「え……そうなのか? なんでだよお前常に自信満々だったじゃねえかよ」

「まあね殆どの事についてはね! けど晴蓮は別だよ。だって――」


 雅楽はそこで言葉に詰まる。

 少し間を開けてから顔色を伺うように晴蓮を見つめ、それから返される視線の無愛想な柔らかさに安堵し、ようやく続きの言葉を紡いだ。

 本当に嬉しそうな声で、優しい笑顔で。


「――だって晴蓮は、俺の、はじめての友達だから」



  ◆


 友達が欲しいという長年の夢を叶えた酒呑童子(しゅてんどうじ)と呼ばれるその鬼は、やがて日本中の鬼を束ねる鬼の棟梁となる。その右腕の鬼は茨木童子(いばらきどうじ)と呼ばれ恐れられた。


 残虐非道の限りを尽くすこともあれば弱きを助けることもあり、助けられた誰かは彼らは意味もなく人を殺めることはしないという。


 或いは陽を前に或いは月を背に、飄々とした美しい少年と寡黙で無愛想な少年は、今日も楽しく仲良く歩いていくのだろう。




よくあるはなしでした。



◆酒呑童子

12,3歳くらいのときにあまりにも美少年すぎてモテてモテてモテまくり、全員断っていたらフられた女性たちはみんな恋煩いで死んでしまい、要するにフった女からの恨みで鬼になってしまったというなんかすごい妖怪。鬼の頭領。


◆茨木童子

酒呑童子の一番の部下だと言われている妖怪。やはり美少年。ちょうど「酒呑童子」が鬼になった頃、茨木童子には血濡れの恋文が届いたりしてたらしい。その血を舐めたら鬼になったのだとか。



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