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星輪のギメルス エフェス編  作者: アドム・ザナヴ


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第4話 学び舎とからっぽの席

エフェス編 第二章【星なき夜の火種(ほだね)】


そして混沌は自らを知り、その満ち足りた孤独の中で、静かに歌った。「我こそは全て。我が全ては我であり、我ならざるものなど存在しない」と。

──アヴェストルグ:創世の書 第一章二節


星霊暦五〇四年一月九日、水曜日。


 ハールコテルゲドラー山脈の稜線(りょうせん)がようやく白み始めた頃。ガラーシャ村はまだ静かな朝の空気の中にあった。

 昨夜の祝宴の賑わいが燃え尽きた焚き火の匂いとなって、村全体にうっすらと漂っている。しかしそんな余韻に浸る間もなく、村のあちこちではすでに新しい一日が始まっていた。働き者の農夫が魔法の光を帯びた鍬で、夜明け前の畑を「サクッ……ヴァヴンッ……サクッ……ヴァヴンッ……」と土の魔法で耕すリズミカルな音だけが静寂に響いていた。


 村の集会所を兼ねた学び舎では、エフェスたち新成人が少しばかりの眠気をこらえながら机に向かっていた。


(……また、会いに来てね)


 不意に脳裏に声が響く。

 昨夜、エロスの湖畔で交わしたエセルとの最後の会話。彼女の笑顔、唇の感触、そして夜の闇へと消えていく小さな後ろ姿。その光景が何度も、何度も勝手に頭の中で再生される。エフェスはボーっとしたまま、窓の外を流れる雲に彼女の横顔を重ねていた。


「──という訳だ。エフェス! 聞いているのか!」


 レラメッドの鋭い声に、エフェスははっと我に返った。


「は、はい!」

「ほう。聞いているというなら、今俺が何を説明していたか言ってみろ」

「え、えーっと……」


 エフェスが口ごもると、隣に座っていたマシューが呆れたように小さな声で囁(ささや)いた。


「お前、ものすごい間抜けな顔でニヤついとったぞ」

「う……うるせー! 適当なこと言うな!」

「本当のことだ。なあ、モー?」


 話を振られたモーはこくりと正直に頷く。


「エフェス。昨日の夜、エセルと何かあったと?」


 マキリの好奇心に満ちた瞳がエフェスを突き刺す。


「な、なんもなか!」


 エフェスの真っ赤になった顔を見て、周りの子供たちがやいのやいのと囃(はや)し立てる。久しぶりに見るエフェスとマシューの喧嘩。その微笑ましい光景に教室の空気がふわりと和んだ、その時だった。


ゴツンッ! ゴツンッ!


 心地よい音が二つ、連続で響いた。


「いってえ!」

「ぐっ……!」


 エフェスとマシューが全く同じポーズで頭を押さえてうずくまる。教壇にはいつの間にかレラメッドが仁王立ちになっていた。その手には出席板がまるで武器のように握られている。


「私語はそこまでだ。授業に戻るぞ」


 レラメッド。彼はエフェスの父ミシュマエルの最も信頼する部下の一人である。

 狼の亜人種の血を引く彼は精悍な顔立ちをしているが、その頬や腕には民族的な特徴である硬質な体毛がうっすらと生えており、その野性的な外見と冷静沈着な軍人としての気風が不思議な同居を果たしていた。大戦中はその卓越した戦術眼で何度も部隊の窮地を救ったという。

 しかし、この平和なガラーシャ村では彼は厳しくも優しい子供たちの「先生」だった。普段はヤコブ司祭が聖典【クトベム】を通じて読み書きや世界の成り立ちを教えているが、レラメッドが村に滞在している間は彼がより実践的な学問を教えるのが慣わしとなっていた。


「いいか。君たちも狩りの時などで、すでに使っているようにこの世界には『魔法』という力が存在するよな。今日はその力の根源である『聖霊』と、それを操るための最も基本的な理論『相対魔法四大元素論』について改めて学んでいこう」


 レラメッドはそう言うと一枚の羊皮紙を広げた。そこには火、水、土、風、四つの紋章が描かれている。


「魔法とは、万物に宿る聖霊の力を借り受け、自らが望む現象を起こす技術だ。そしてその力を効率よく引き出すための触媒となるのが、みんなも使っているこの『魔法石』だ」


 彼はポケットから小さな赤い石──火属性の魔石であるカーネリアンを取り出して見せた。


「この石に、聖典に記された祈りの言葉『トーダー』を詠唱することで、我々は聖霊と契約しその力の一部を行使することができる。いいか、魔法とはただ念じるだけでは発動しない。聖霊への『感謝』と正しい『手順』があって初めて成り立つ、極めて科学的な現象なのだ」


 レラメッドの説明はヤコブの教えよりもずっと具体的で論理的だった。


「では、実際にやってみよう。マシュー、前に」

「はい」


 マシューは慣れた様子で前に出ると、自らの弓を取り出した。


「『御生命の御息吹である風の聖霊よ……』」


 彼が淀(よど)みなくトーダーを詠唱すると、矢の先端に淡い光の渦が生まれ教室の空気がわずかに揺らめいた。


「うむ。見事だ。次、モー」

「合点承知の助」


 モーが無骨な手のひらを広げ集中する。


「『御生命の御体である土の聖霊よ……』」


 詠唱と共に彼の足元の地面から小さな土塊がふわりと浮かび上がり、その手のひらの上で静止した。


「マキリもやってみろ」

「はい!」


 マキリが両手をそっと合わせると、その指の間から清らかな水が泉のように湧き出し小さな水の玉となって宙に浮かんだ。

 仲間たちの見事な魔法。エフェスは憧れと焦りの入り混じった目でそれを見つめていた。


「……よし。エフェス、お前の番だ」

「……うん」


 エフェスは深呼吸をすると、教壇の前に立った。自身の中で一番魔法を使える可能性のある水の魔法。昨夜エセルと見つめたあの美しい湖を心に思い浮かべる。


「『御生命の御血、水の聖霊よ……万物を潤し、我らに恵みを、与え給え!』」


 渾身の力を込めて詠唱する。しかし杖がまるでエフェスに反発するように制御しきれず、先端の魔法石がカタカタと悲鳴のような音を立てる。そして現れたのは、いつもと同じただの情けない水飛沫だけだった。


「……くそっ!」


 何度やってもうまくいかない。苛立ちを隠せないエフェスに、レラメッドは静かに近づいた。


「エフェス、焦るな。焦って力んでは魔法は安定しない。お前は隊長……ミシュマエルさんとマリアさんの子どもなんだから、素晴らしい才能をもっている可能性が十分にある。だが、その力をまだお前自身が御しきれていないだけだ」


 その言葉は優しかった。しかし今のエフェスには、それがただの慰めにしか聞こえなかった。


「魔法は力ではない。聖霊との『対話』なのだ。聖霊の声に耳をかたむけるように、敬意を払って初めて彼らは力をお前に貸してくれる」

「……感謝なんだろ。じいちゃんにもそう言われた」

「そうだ。その通りだ」


 エフェスは唇を噛み締めると、もう一度杖を握りしめた。だが焦れば焦るほど意識は別の場所へと飛んでしまう。


(……エセルはもう村を出たんよな。今頃どこを歩いとるっちゃろか……)


 その一瞬の気の緩みをマシューは見逃さなかった。


「おいエフェス、またエセルのことば考えとったろ。顔に全部出とるぞ」

「なっ……! そ、そんなことなか!」

「図星か。まあ無理もない。昨日の夜、あんなことがあったとはな……」

「あんなことって、どんなことだよ!」

「さあな? 俺たちが知らんところで、二人だけの秘密の約束でもしたとやろが?」


 マシューの意地の悪い笑み。それがエフェスの最後の理性の糸をぷつりと断ち切った。


「てめえ、マシュー!」

「なんだよ、やるか!」


 二人が取っ組み合いを始めようとした瞬間、再びあの心地よい音が教室に響き渡った。


ゴツンッ! ゴツンッ!


「……午前の授業はここまで。昼飯を食ったら午後は森で実践訓練を行う。それまでに二人とも頭を冷やしておけ」


 レラメッドは何事もなかったかのようにそう告げた。


◇


 昼食のために家に帰る道すがら、エフェスはふと広場の片隅に視線を向けた。そこは一昨日エセルを囲んでみんなで乾杯をした場所だった。しかし今は当たり前のように彼女の姿はない。護衛のメルもハムサもどこにもいない。

 エフェスはてっきり、今朝になれば村の皆で彼女たちを見送るものだとばかり思っていた。それなのに大人たちは誰もエセルたちのことを口にしなかった。サラおばちゃんは祝宴で使った机を鼻歌交じりに拭いている。エリヤおじさんは薬草の瓶を一つ一つ丁寧に磨いている。まるでエセルたちが最初からこの村にいなかったかのように。


 エフェスは川で洗い物をしていた母マリアの背中に思わず声をかけた。


「なあ母ちゃん。エセルたちはもう行ったとやろ? 誰も見送りに行かんで良かったと?」


 マリアの手が一瞬だけぴたりと止まる。しかし彼女は決して振り返ることなく静かな声で答えた。


「……そうさね。エセルにはエセルのやるべきことがある。急がんといかん理由があったとよ」


 その声はいつもより少しだけ硬いように聞こえた。


「それとエフェス。これだけはしっかり覚えとくんだよ」


 マリアはゆっくりとエフェスの方を振り返った。その瞳は見たこともないほど真剣だった。


「これから、もしかしたらこの村に見知らぬよそ者がやって来るかもしれん。そいつらはエセルたちの敵かもしれん。だから誰がおっても絶対にエセルたちの話ばしちゃいかん。分かったね?」


 それは有無を言わさぬ命令だった。エフェスは母の気迫に押され、ただこくりと頷くことしかできなかった。


(……なんや、それ)


 感情が追いつかない。あんなに家族同然に暮らしていたのに。何の説明もなくいなくなって、その存在さえも隠さなければならない。大人たちのその不穏な「空気」にエフェスは言いようのない不満を感じていた。それは怒りというよりも、仲間外れにされた子供が抱く拗ねたようなやり場のない気持ちだった。

 午後の実践訓練も、エフェスはどこか上の空だった。

 学び舎の、いつもエセルが座っていたからっぽの席。祝宴の広場の彼女が笑っていた場所。村の至る所で彼はエセルの幻影を探してしまっていた。

 彼の胸には魔法がうまく使えないことへの苛立ちとエセルの不在、そして大人たちの不可解な態度へのもやもやとした感情が重く渦巻いていた。


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