第22話 荒野の月の約束
星霊暦五〇四年一月三十一日、木曜日。夕刻。
「お前らさ……本当に、体力馬鹿なん? 朝からさ……ほぼ一日中小走りじゃん……」
フィンネルの背中におぶわれたファラが、げっそりとした声で呻いた。
「いや、昨日から考えたら……二日も走りっぱなしとか……もう魔物なんじゃね?」
「まもの? ……まものって、何かよ? 褒めてると?」
並走していたエフェスが、きょとんとして聞き返した。
「褒めてねーよ……」
ファラはがっくりと項垂れた。
「もう聞き飽きたけど、本当にエフェスは何も知らないんだな。魔物って、魔物じゃん」
「ファラ。エフェスの住んでいたところは、おそらく我々の聖域と同じような場所にあったんじゃないか? 神聖な場所では魔物は出ないし、出なければ知るきっかけもないだろう」
フィンネルは息一つ切らさずに走りながら、背中の荷物に苦言を呈した。
「それよりファラ、いい加減降りて走ってくれないか?」
「う……うるせー。こんなに走ると思ってなかったんだよ……。いや、普通の人間なら、こんなに走れるわけがない……」
「文句が出るなら、まだまだ元気ってことだな」
エフェスは、そんな二人のやり取りを聞き流し、気になった言葉を拾った。
「そいよかファラ、さっきの【まもの】ってなんか?」
「ん? あぁ、魔物ね。ざっくり言えば、狂暴化した生物だな。動物や植物に限らず、変な狂暴なものって覚えとけ」
「変な狂暴なもの……?」
エフェスは首を傾げた。ファラの答えがあまりにもフワフワとしていて、イメージが湧かない。
「じゃあ、森の主の鎧猪も、【まもの】ってこと?」
「うーん。そう言われると難しいな……。フィンネル、よろしく」
「面倒になってから俺に押し付けるな」
フィンネルは呆れたようにため息をつきながら、走りながら講義を始めた。
「あの森の主は、魔物以上に狂暴だが、あれは魔物ではなく『巨大な動物』だ。正確な定義は難しいが……動物と魔物の違いは、【瘴気】と呼ばれる毒素みたいなものに、やられているか、いないかだな」
「しょうき?」
「……」
ファラは「また知らないのか」とツッコミたかったが、自分自身もうまく説明できないため、フィンネルの背中で狸寝入りを決め込んだ。
「俺も、長老たちからの受け売りでしかないが……【瘴気】とは、いわゆる正常な【生の理】に反する力や、澱みのことだそうだ」
「……うん。さっぱり分からんね」
エフェスの国語力では、まだその概念を理解できなかった。
フィンネルは苦笑し、噛み砕いて説明した。
「まぁ、見た目で分かるのが殆どだ。目の色が異常だったり、動きが不自然だったり、いきなり生き物を襲いだしたり……」
「魔物のことを知らんでも、見れば何となく分かるってことね」
「そーいうこと!」
寝たふりをしていたファラが、ここぞとばかりに調子よく答えた。
フィンネルがさらに補足する。
「普通の動物も毒を持っている奴はいるが、魔物は特殊な『瘴気の毒』を持つことが多い。攻撃は食らわないことだ。それから……実体を持たない魔物もいる」
「え? 実体を持たないって、体が無いってことやろ? そんな時はどうすればよかとか?」
「【聖霊の力】を持ったものでの攻撃が一番だな。いわゆる、魔法だ」
魔法。エフェスが最も苦手とする分野だ。
こんなところでも必要になるのかと、少し焦りを覚える。
「いや、おいはまだ、うまく魔法が使えんとやけど……」
「お前、爺ちゃん家で『魔法を使える』って言ってた威勢はどこへ行った?」
ファラに茶化され、エフェスは口を尖らせた。
フィンネルが助け舟を出す。
「……その【霊樹の剣】があれば、それなりに攻撃できるから心配するな。それに、実体を持たない魔物は特に【火】に弱い。松明でも何でも使えばいい」
「そうか、そいなら大丈夫かも!」
エフェスは、魔物とまだ出会ったことはなかったが、これから先、戦うことになるかもしれない予感を覚え、気を引き締めた。
◇
「おいファラ、そろそろ俺の背から降りろ」
「えー、やだよ。もう歩くの疲れたよ」
「……どうやら、ウィグル鉱山が見えてきたぞ」
「え? まじで?」
ファラは、やっと着いたと喜び、すぐさまフィンネルの背中から飛び降りた。
エフェスが前方を見ると、そこには今までとは全く異なる風景が広がっていた。
「……これが、ウィグル鉱山……」
今まで彼らを包み込んでいた鬱蒼とした緑の森が途切れ、その先には、乾いた赤茶色の土と岩がむき出しになった、荒涼とした大地が広がっていた。いわゆる、砂漠と森の境界にある「荒野」だ。
そして、その荒野の彼方に、一つの山が見えた。
自然の山ではない。山肌の半分が人為的に削り取られ、赤黒い地肌を晒している、痛々しい姿の山。その麓には、米粒のような小ささだが、いくつかの小屋や櫓らしき人工物も見て取れる。
「マジだ……。普通なら休み休みで三日はかかる距離だろ。二日で到着って、お前らどんだけ走れるんだよ……」
ファラが呆然と呟いた。
「いや、ファラが足が遅くて、体力がなかだけやろ」
「絶対にそれはない」
まだまだ距離はあるが、確かに目的地は目の前だ。
「ここから先は、見通しが良すぎる。敵の見回りも来る可能性があるな」
フィンネルが表情を引き締めた。
「南の方に移動して、鉱山がよく見えそうな高台を探して野営するぞ」
「了解ー」
「フィンネル、おんぶ!」
「却下だ!」
再び、不毛な争いが始まった。
しかし、ファラが悪魔的な囁き――「リーファ姉ちゃんに拷問の件、やっぱり言っちゃおうかなぁ……」――を口にした瞬間、フィンネルの抵抗は霧散した。
「……リーファには言わないと約束できるのであれば、おんぶをしてやる」
「商談成立!」
こうして一行は、日が完全に落ちる前に、敵に見つからないような窪地を見つけ、そこを今夜の野営地と定めた。
◇
夜が訪れた。空には、十四夜の月――満月の一歩手前、「待宵」の月が昇っていた。
野営地は、光が外に漏れないよう岩と木で簡単な囲いを作り、その中で小さく焚火をしていた。
食事は、朝に採集した食料の残りに加えて、ささやかなご馳走が追加された。野営地を設営する際、エフェスが岩の隙間で【巌トカゲ(ロックスケイル)】を見つけたのだ。
「昼間の熱い時も、夜の寒い時も、ああいう奴らは岩陰に隠れているもんだ」フィンネルが言う通り、それは岩の隙間で冷たくなっており、簡単に捕獲することができた。
フィンネルの指示に従い、エフェスがその中型犬ほどの大きさのトカゲの尻尾をつかんで引っ張ると、それはスポッと音を立てることもなく、自ら尾を切り離した。そして、鱗のついた皮を剥ぎ、簡単に塩焼きにできた。
焚火で炙られた尻尾の肉は、ほどよく脂が焼け、香ばしい匂いを立てる。
塩だけで味付けされた肉を食し、一行は暖を取りながら明日に向けて身体を休めた。
フィンネルは、連日の疲労が限界に達していたのか、あるいは場所の安全性が確保できた安心感からか、早々にならず者たちから手に入れた毛布にくるまって眠ってしまっていた。
パチパチと、焚火が爆ぜる音だけが響く。
「明日は、まず長老様の五葉松の挿し木を植えることからやね」
エフェスが小声で言った。
「植えたら、どがんすっとかな?」
「まぁ、少しくらいは鉱山の様子を見るだろうな。どこにシギロア村の人たちがいるか、情報は欲しいしな。……その後は、いったんシギロア村に帰るだろ」
ファラが、炎を見つめながら答えた。
「まぁ、そうよな。おいも、早く帰ってリーファさんのご飯を食べたかー」
「う……まぁ、美味いものは美味いし、そうだな」
ファラが、珍しく素直に同意した。
「ファラ、帰ったら約束通り、狩りに行こうな」
「あぁ! お前が旅立つ前に、色々遊ぼうぜ」
エフェスとファラは、しばらく他愛のないおしゃべりを楽しみ、やがて火の始末をして、互いに眠りについた。
……いや。そういう風に、エフェスは「演技」をした。
(フィンネルもそうやったけど……自分が悪いと思う嘘は隠せん。でも、意外と「自分が相手を想う嘘」なら、つけるもんやね)
規則正しい寝息を立てながら、エフェスはほんの少しの罪悪感と、それ以上の手ごたえを感じていた。思っている以上に、演技ができている。
隣でファラの寝息が深くなったのを確認し、エフェスは音もなく身を起こした。
(ごめん、ファラ、フィンネル。……ちょっと、少しばかり鉱山の様子ば、先に見てくる)
月が、全てを青白く染め上げる中、エフェスは音もなく野営地を抜け出した。
(おいの予想じゃ、シギロア村を襲ったならず者たちがウィグル鉱山に戻ってこなかったら、多分、敵の警戒心は倍増する。捕まっている人たちを助けるのが困難になる前に、何か手を打っとかんば……)
(もし、助けるとしたら、あと二、三日が勝負かもしれん。それに……)
エフェスは、腰の革袋に入れた、一本の【五葉松の挿し木】に触れた。フィンネルが寝ている間に、一本だけ拝借してきたものだ。
(長老様の挿し木さえ、鉱山の目の前に植えれれば……どう転んでも、こっちに有利になる)
窪地を出ると、そこは別世界だった。
森の湿った空気とは違う、荒野特有の乾いた冷たい夜風が頬を叩く。
頭上には十四夜の月。その強烈な光は、荒涼とした大地を、まるで霜が降りたかのように蒼白く輝かせていた。岩の影は黒く鋭く、地面は白く浮かび上がる。
美しいけれど、どこか寂しくて、厳しい世界。
エフェスは、震えるほどの冷気を肺いっぱいに吸い込み、大地を蹴った。
誰にも見つからないように。けれど、風よりも速く。
少年は、蒼い月夜の荒野を駆け抜けていった。




