35.苦悩
「ごめんね、ミーナ。色々と……驚かせた」
カミラが連行され、部屋には今、アーネスト様とわたし、それからロキの三人しかいない。
まだ、混乱で頭がクラクラしていた。侍女たちにお茶を淹れてもらって、ゆっくりと喉を潤すようにして飲む。そうすると、空っぽになった体の中が少しだけ満たされる心地がした。
「先にお話してくれてたらよかったのにって何度も思いました。だけど……顔に出ますもんね、わたし」
アーネスト様の説明の後に、自分の行動パターンを振り返ってみたんだけど、カミラを相手に知らない振りを――演技ができる気はしなかった。
もしもわたしが今回のことを予め知らされていたら、アーネスト様の計画を台無しにしてしまったに違いない。おそらくは証拠を掴むことも、犯人を捕まえることも、何一つ成し遂げられなかった思う。
「そのとおりだよ。本当は言って安心させてあげたかったけど、ミーナのあの反応も計画の一つだったからね」
アーネスト様は困ったように笑いながら、ロキのことをチラリと見る。
ロキはいつのまにか、いつもの髪と瞳の色に戻っていた。髪の長さだけは元に戻らないらしく、短髪のままだ。元々の長髪がロキによく似合っていたので、わたし的には複雑な気持ちである。
「ミーナ様ならきっと、俺のために取り乱してくれると信じていました」
そう言ってロキは悪戯っぽく笑う。
(なんか……褒められているんだか貶されているんだかよくわからないなぁ)
すると、アーネスト様は唇を尖らせながら、わたしをぐいっと抱き寄せた。さり気なくアーネスト様を煽っているあたりがロキらしいというか――つくづくよく似た主従だなぁなんて思う。
「筋書きを用意してあげる必要があったからね。ミーナが俺を殺す――そんな筋書きを」
「筋書き、ですか?」
尋ねたら、アーネスト様は静かに頷いた。
「カミラは俺を殺した後、ミーナのことも殺す気だった。死人に口なし――幾らでも事実を捻じ曲げられるからね。
とはいえ、仲睦まじいと評判の俺たちが、いきなり刃傷沙汰になるなんて普通は考えられない。だからロキを行方不明にすることで、ミーナには一度冷静さを失ってもらう必要があった。侍女や騎士たちをあの場に同席させたのも、計算の内だよ。
カミラたちの中では『ミーナとロキは恋仲だった。それがバレて俺が激高し、揉み合いになった末に、ミーナが俺を殺した』みたいな筋書きが作られていたのだと思う。カミラは先程、他の侍女たちに、そんな疑念を抱かせるような一言を呟いていたしね」
「え? あ……、そういえば」
『ミーナ様はそれ程までに、ロキ様のことを思っていたのですね』
そっか。カミラのあの発言には、そういう意図が込められていたんだ。ビックリしていると、アーネスト様は小さくため息をつく。
「俺としては、ミーナとロキが恋仲だって筋書きを用意されるのは、仮初とはいえ、すごく――ものすごく嫌だったけどね」
アーネスト様は大層不服そうに、最後の一言を付け加えた。ピッタリと隙間なく密着された上、甘えるように頬擦りをされて、こんなときだっていうのに思わず頬が染まってしまう。
(ここにいるのはロキだけだけど! ううん、ロキだからこそ!)
ビックリするぐらい恥ずかしい。まるでアーネスト様から『ミーナは俺のもの』だと言われているみたいで、心臓がバクバクと鳴り響いた。
ロキの方をチラリと見ると、ロキはこちらをガン見しながら、なにやら嬉しそうに微笑んでいる。なんだか余計に居た堪れない気分になった。
「そっ……それであの時、アーネスト様はカミラにお茶を頼んだんですか?」
なんとか気を紛らせたくて、わたしはアーネスト様にそう尋ねる。
「そうだよ。だけど、相手は思ったよりもずっと警戒心が強かった。俺たち二人の他にカミラしかいない上、俺が反撃の出来ない状況を提供して、襲ってこないわけがないとは思っていたんだけど」
なるほど、あのなんとも言えない膠着状態にはそういう意味があったらしい。
(おかしいと思った)
人払いもしない上に、アーネスト様が何の提案も説明もしてくれないなんて、らしくないもの。
「そうだったんですね」
ようやく殆どの疑問が解消されて、頭の中も整理できてきた。
だけどわたしにはもう一つ、なによりも大きな疑問が残っていた。
「アーネスト様……カミラははじめからアーネスト様の命を狙っていたのでしょうか?」
一緒に過ごしてきた一年近くもの日々を思い返しながら、わたしはそう尋ねる。
カミラはずっと、優しかった。自分よりも身分の低いわたしに仕えることは、本当はカミラにとって屈辱だったかもしれない。
だけど、そんな様子はおくびにも出さずに献身的に支えてくれた。わたしに読み書きを教えてくれたのも、歴史や他の教養を仕込んでくれたのも、全部カミラだ。
(最初からそうだったなんて、思いたくない)
まるで、わたしの気持ちを読み取ったかのように、アーネスト様は穏やかに微笑む。それからそっと、わたしの頭を撫でた。
「恐らくだけど……カミラは最初、何も知らなかったんだと思う。彼女に命じられていたのは『ミーナの妊娠の兆候を探ること』だけだった。それが一族の陰謀とどう関わるかも知らぬまま、カミラは与えられた任務を遂行していたにすぎない」
アーネスト様はそこまで説明すると、静かに目を伏せた。
「変わったのは恐らく、あの夜会の夜だ。あの日、ギデオンはカミラと接触して、計画の全貌を打ち明けた。姉へのコンプレックスが強いカミラが、『帝国を乗っ取った後に妃の座を約束する』と言われたら、心が動かない筈がない。実際問題、あの日を境に、俺はしきりに殺意を感じるようになったからね」
「そうですか……」
アーネスト様の予想がどこまで正しいかはわからない。けれど、『最初から裏切られていた』と思うより、アーネスト様の言葉を信じる方がずっとずっと幸せだとわたしは思った。
(それにしても)
わたしはアーネスト様に向かって、そっと唇を尖らせる。するとアーネスト様は「ん?」と口にし、ほのかに首を傾げた。
「さっきも思いましたけど……そんなに前からご自分が狙われているってわかっていたのに、どうしてわたしには教えてくれなかったんですか?」
「――言っただろう? ミーナは俺を守るために死に戻ったわけじゃない。俺と一緒に幸せになるために戻って来たんだって」
「そう言っていただけたことはちゃんと覚えてます! 覚えてますけど……」
それでも、わたしはアーネスト様を守りたいって強く思っていたんだもの。何だか除け者にされた気分で、ちょっと――ううん、すごく寂しい。
「許して、ミーナ。この埋め合わせは、必ずするから」
そう言ってアーネスト様は、わたしの手の甲にそっと口づける。声にならない叫びを上げて、わたしは思わず顔を背けた。ロキがクスクスと声を上げて笑っている。恥ずかしさが一気に加速した。
「とはいえ、しばらくはまた、忙しくなると思う」
アーネスト様はそう言って、深々とため息を吐く。
「事が事だし、関係者があまりにも多すぎるからね。彼等をどう裁くのか――それを考えると頭が痛い。元々は俺の先祖が蒔いた種だ。こちらに非がないわけではないし、かといってギデオン達に情状酌量の余地はない。けれど、これ以上悲しみや憎しみの連鎖を作りたくはないから」
アーネスト様が表情を曇らせる。それは皇帝としてのアーネスト様の迷い――苦悩だった。
アーネスト様はきっと、重臣たちにも、こういった心の内を見せはしない。皆の前では迷いも憂いも一切見せずに、淡々と裁可を下すのだろう。彼が本音を打ち明けられるのはきっと、わたしとロキだけだ。
「わたしが付いています」
アーネスト様の手を握りながら、わたしはそう口にする。
アーネスト様の苦しみや悲しみに少しでも寄り添いたい。アーネスト様が自分らしく――安らげる場所を提供することが、わたしの役目なんだと思う。
「うん」
アーネスト様がわたしに体を預けてくる。本当はずっと、無理をしていたのだろう。体が小刻みに震えている。
わたしを安心させるため、臣下たちの手前、ずっと気丈に振る舞っていらっしゃったのだと思い知った。
「ミーナ……俺の側にいて」
縋る様なアーネスト様の声音。わたしはアーネスト様を抱き締め返しながら、そっと目を瞑るのだった。




