34.謀
カミラがアーネスト様に刃を向けた。それは紛れもない事実だ。
けれど、彼女がどうしてそんなことをしたのか、わたしには理解ができない。
これまでカミラは、献身的にわたしへ仕えてくれたし、カミラの姉は妃であるベラ様だ。
ご実家はさして裕福ではない男爵家だというし、政治的な理由も見当たらなければ、個人的な恨みも抱きようがない。姉だけが妃になったことを恨むなら、その矛先はアーネスト様ではなくベラ様へと向かうはずだもの。
第一、皇帝に手を出したらどうなるか――頭のいいカミラが知らないはずがない。カミラだけでなく姉であるベラ様も、ご両親だって無事では済まないっていうのに――。
「どうして?」
気付いたら、カミラに向かってそう問い掛けていた。ロキが襲われたことに対する不安や混乱を凌駕するほど、ショックが大きい。先程までの狼狽っぷりが嘘のように、今はさめざめとした気分だった。
しばらくの間、カミラはなにも言わなかった。
だけど、現行犯で捕まっているし、言い逃れのできない状況だもの。理由を話そうが話すまいが極刑は免れない。
それでも、わたしはカミラの口から直接理由が聞きたいと思っていた。
「カミラ、ギデオンは既に牢屋の中だよ」
そのとき、アーネスト様が長い沈黙を破った。その瞬間、カミラは小さく目を見開き、ほんの微かに眉根を寄せる。けれど、それっきりカミラは目を瞑って、無表情を貫いた。
「アーネスト様、ギデオン様が牢屋の中、って……」
正直、わたしはまだまだ混乱している。色んな情報がこんがらがっていて、聞いたところでまともに理解できるかはわからない。
それでも、今を逃せば、カミラ本人から話を聞くことは永久にできなくなってしまう。
「――かつてセザーリン地方の辺りは小さな王国だった。それが200年前、海外からの侵略を逃れるために帝国に救済を求め、統合された――これがミーナの学んだ歴史だね」
アーネスト様が静かに言う。わたしはコクリと頷いた。
「はい。カミラからそう習った記憶があります」
あれは確か、アーネスト様と手紙のやり取りをはじめた日のこと。何故統合という形を取ったのか、カミラに尋ねたことを覚えている。
「あのとき、カミラは『歴史は見るものの立場や価値観によって形を変える』って言っていたけど」
どうにも理解ができないまま、わたしはここまで来てしまった。
アーネスト様は軽く目を伏せると、カミラの側に歩み寄る。けれど、カミラは視線を上げぬまま、静かに深呼吸を繰り返していた。
「ギデオンはセザーリンの――滅ぼされた王族の末裔なんだ」
アーネスト様の言葉に、わたしは思わず目を見張った。
「弱小国が大国に救済を求める――それは歴史において、よく行われる表現だ。
けれどその実態は大国による侵略であることが多い。攻め入る側は『救ってやった』と己を正当化し、攻め入られた方は『侵略をされた』と相手への恨みを募らせるんだ。
しかし、長い年月をかけて大国に吸収されていく間に、人々の記憶は薄れていく。実際に侵略をされたときに生きていた者だけが、強い憎しみに駆られ続け、新たに生を授かった者、余所から移って来た者たちは、それらを他人事として捉える。そうして、大抵の場合、その土地が元々別の国であったことは忘れ去られて、一体化していくものなんだ。
けれど、セザーリン地方は――ギデオンの先祖は違っていた」
神妙な面持ちで、アーネスト様が口にする。これまで無表情だったカミラが、度々表情を強張らせる様子を、わたしは黙って見つめていた。
「セザーリンの王族は全員、俺の先祖に殺された。将来の反乱因子とならないように、徹底的に。
けれど、当時、正式に妃として認められていなかった宮女の子どもが一人だけ、難を逃れた。それがギデオンの先祖だ。
滅ぼされたセザーロンの王族の子どもは、亡国の民たちに秘匿され、子孫を増やしながら少しずつ力を付けていった。その内、正体を隠したまま貴族に取り入り、爵位を得る者も現れた。そうしてずっと、帝国への復讐の機会を窺がっていたんだ」
アーネスト様は話しながら、縋る様にわたしの手を握る。
アーネスト様はきっと、帝国が――自分の先祖が『正しいことだけ』をしてきたとは思っていない。
併合のおかげで、生活が豊かになった人、助かった人はいただろう。第一、『今』があるのは、それに繋がる『過去』があるからだ。完全に否定することはできない。
だけど、その分だけ苦しんだ人がいることもまた、一つの事実だ。アーネスト様はその苦しみに一人で寄り添おうとしているのだと思う。
(わたしがいます)
アーネスト様の心の拠り所になりたい。そんな風に願いながら、わたしはアーネスト様の手を握り返す。
アーネスト様は少しだけ微笑んでから、ゆっくりとカミラへ向き直った。
「ギデオンはセザーリン王国の復興と帝国の乗っ取りの両方を計画していた。俺の父と兄が亡くなったのも、彼の計略によるものだ。
そうして俺は、皇帝として即位することになった。
しかし、俺に子が生まれれば、皇族を根絶やしにするというギデオンの陰謀も頓挫してしまう。
そうして目を付けられたのが、ベラとカミラの姉妹だった。二人はギデオンと同じく、セザーリン王家の血を引く人間だ。ギデオンのように、先祖の怨念と復讐の使命こそ背負っていないものの、二人にも脈々と亡国から見た歴史が受け継がれている。
だからこそ、姉のベラは妃に、妹のカミラはミーナの侍女になった。ベラがなんと言われて入内したかはわからないけど――カミラはミーナの妊娠の兆候をいち早く掴むという役割を担っていた。即位の前日、急遽捩じ込んだ妃だから、ギデオンはミーナのことを一番警戒していたんだ」
次々とつまびらかにされる真実。カミラがゆっくりと顔を上げた。
「……どうして気づいたのですか?」
ようやく観念したらしい。カミラがギリリと表情を歪める。
「本来なら気づかなかっただろう――君たちは殺気を隠すのが余りにも上手いからね」
アーネスト様は自嘲するようにそう言った。
「はじめにおかしいと思ったのは、ミーナがソフィアから毒を盛られた時だ。
君ならソフィアがミーナに恨みを抱いていること、よからぬことをしでかそうとしていることを、十分に予想ができた筈だ。それなのに、ソフィアから貰ったという『詫びの品』について、君はミーナに言及しなかった。……予め、毒の混入を確認していた可能性だってある。
ミーナが身籠っていた場合、毒が胎児に影響を及ぼす可能性が高いし、強い毒なら母体ごと命を奪える。なにより、もしも俺が毒を飲んでいたら、俺もミーナも、邪魔者を一度に排除することができたかもしれない。
だから俺はカミラが怪しいと判断して、見張らせてもらうことにした。一度当たりを付けてしまえば、調べるのはずっと容易くなる」
「……だから、私とギデオン様が密会する時間を敢えてお作りになったのですか?」
カミラがキッと目を吊り上げる。アーネスト様は静かに頷いた。
「そうだよ。だけど八日前のあの時は、ロキが君たちを探っていることを匂わせて、引き返すための時間を与えたかったんだ。無意味に終わったけどね」
(ロキ……)
その途端、ショックのあまり薄れていた不安や恐怖が、一気に息を吹き返す。
けれど、わたしはふと、あることに気づいた。
「アーネスト様」
「なんだい、ミーナ」
「これだけのことを、たったの数日でお調べになったのですか?」
ロキは、このことを調べるために、セザーリン地方へ派遣されたのではなかったの? ロキの他に調査員がいたとしても、どうにも計算が合わないような気がする。
「まさか。ソフィアの件があってから、ずっと極秘裏に調べさせていたんだ」
アーネスト様のセリフに、カミラが「そんな!」と大きく目を見開く。やっぱり、と思いつつ、わたしは身を乗り出した。
「だっ……だけどアーネスト様! ロキは! ロキはこのことを調べるためにセザーリン地方へ向かったのでは? そのせいでカミラたちに襲われたんじゃ」
わたしが尋ねたら、カミラが笑った。どうやら肯定を表しているらしい。一矢報いたとでも思っているのだろうか? 悲しさや虚しさがわたしを襲う。
「俺はここにいますよ、ミーナ様」
「……え?」
キョロキョロと辺りを見回す。
声の主は、カミラを捕らえた金髪の騎士だった。空色の瞳がキラキラと輝き、穏やかな笑みがわたしを見つめている。親しみのこめられた、優しい瞳。一歩、また一歩と、わたしは騎士へ近づく。至近距離まで近づいてから、わたしはゆっくりと騎士を見上げた。
黒と銀が混ざったみたいな特徴的な髪色とは違うし、髪型だってずっとずっと短い。目の色だって全然違う。だけど――。
「ロキ!」
そこにいたのは紛れもなくロキだった。嬉しさのあまり、涙がポロポロと零れ落ちる。カミラは驚愕に目を見張っていた。当然だ。わたしだって、今の今まで気づかなかったんだから。
「そっ……そんな! それじゃあ今日の……これまでのことは全部、全部謀られて――⁉」
「言っただろう? 俺は引き返す機会を与えたんだ。すべて上手くいくよう状況を整えたうえで、ではあったけど」
アーネスト様はそう言って、大きな大きなため息をついた。
「あぁ……」
カミラが唸り声とも喘ぎ声ともつかない声を上げて涙を流す。
「うっ…………あぁ、あぁあああ!」
やがてそれは絶叫へとかわり、金剛宮へと響き渡った。胸が痞えるような心地がする。わたしはそっと顔を覆った。




