Phase4.美少女もメイドさんも俺の嫁っ!
後ろ手に縛りあげられ、薄暗い倉庫の床に転がったまま、俺はなるべく落ち着いた口調で伝えた。
「人質には俺がなる。だから彼女を解放してやってくれないか」
背後にいるであろう囚われの少女。微かな息遣いを感じるものの、それ以上のことは分からない。人目につかないこの場所で暴行を受けた可能性もある。
少しでも盾になってやれたら……と思ったものの。
「やっぱお前バカだろ? お前ら二人だけじゃなく、この建物に居る全員が人質なんだよ!」
テロリストのリーダーがふざけた口調で一蹴。それに合わせて取り巻きの数名がゲラゲラと笑い出す。中には怒りだす奴もいる。
「女の前だからってカッコつけやがって!」
「リア充爆発しろ!」
そう言って、倉庫に積まれていた段ボールをガシガシ蹴りつける。衆人環視がなくとも危害を加える気はなさそうだと分かり、内心ホッとする。
そして、交渉継続。
「格好つけてるつもりなんてない。ただ可哀想だと思っただけだ。いくらなんでも小学生の女の子を縛りあげるなんて」
彼らの挑発に乗らず、あくまで冷静に説得を……と思ったはずが。
攻撃は意外なところから飛んできた。背後の暗がりから。
「――はぁッ? あたしのどこが小学生よ! 目ん玉腐ってんじゃないの? そういうデリカシーないこと言うから、アンタは女子にモテないんだわ!」
グサグサッ。
少女の攻撃が容赦なく突き刺さる。俺を見下ろすテロリストたちの視線は、一気に生温い感じになる。
「お、お前に俺の何が分かるッ。俺だってチョコレートの一つや二つ貰ったことが……」
……ない。
いや、それにはちゃんと理由がある。学校の皆は俺のチョコ嫌いを知ってるから。
でも俺と同じく辛党のイケメン同級生は「気持ちの問題だから」とチョコを貰いまくっていたけれど……。
「ないんでしょ、やっぱりね」
「そ、そんなことない! そういえば貰ったことあるぞ、しかもついさっきだ!」
「誰によッ」
「超美人のメイドさんに貰ったんだよ! いや、貰ったんじゃなくて勝手に開けたんだけど……でもちゃんと箱に『新之助へ』って書いてあったし!」
売り言葉に買い言葉で叫びつつも、俺は違和感に気づいた。
メイさんは俺のことを呼び捨てにするだろうか?
というより、この声は……。
「……あああアンタ、アレ食べたのッ?」
その時、ようやく俺は理解した。俺を容赦なく罵倒する少女の正体を。
「お前、ガスマスクかッ?」
「ガスマスク言うな! 今はつけてないもん! あたしの名前は『ちよこ』よ!」
「そっか……なるほど」
考えてみれば納得がいく。皆が怯える中で一人立ち上がった無謀とも言えるあの行動、いたいけな乙女にはとうていできないだろう。
うんうんと頷くのは俺一人だけで、テロリストたちはぽかーん状態だ。「なんだガスマスクって」「分からん」「変な奴ら」……といった感じでヒソヒソ囁き合う。
「もうほっとけ、行くぞ」
リーダーの号令により、奴らはぞろぞろと倉庫を出て行った。電気を消し、きっちり鍵をかけて。
足音が完全に消えるのを待ってから、俺は勢いをつけて身体を起こした。両手両足は縛られているものの、飛び跳ねれば動けないこともない。
頑張ってぴょんぴょんしながらドア前まで移動し、頭突きで電気のスイッチを入れたとき。
パチン。
横から伸びたちんまい指先が、俺が必死で点けた電気をあっさり消してしまった。再び訪れた凍てつく闇。
「……何で消すんだよ。ていうかお前、縛られてたんじゃ」
「このあたしに“縄抜け”ごときができないと思う?」
「なるほど」
「それじゃ、あたしは脱出するから、アンタはこのまま捕まってなさい」
トンッ、と軽く肩を押され、俺はまたもや床に尻もちをついてしまう。隅から隅まで意味が分からない。
白衣ではなくワンピースに包まれた、小柄なシルエットを呆然と見上げていると。
「だって新之助、あのチョコ食べたんでしょ……?」
驚きを隠せないまま、俺は頷いていた。表情なんてちっとも見えないのに、目の前の生意気な少女――ちよこが、なぜか泣きそうな顔をしているように思えた。
「だったらアンタはもう役立たずだわ。事件の解決は、あたしとメイに任せといて」
「何だよ、役立たずって」
「アンタはもう“ヒーロー”にはなれない。あのチョコは特別なものだったの。十年がかりで開発した……アンタの病気を治す、特効薬だったのよ」
突然の告白に、頭がついていかなかった。
座り込んだまま呆然とする俺の唇に、ちよこの指先が触れる。そして甘い粒が押し込まれる。
舌に触れた瞬間、それが俺の好きなチョコ菓子だと分かった。昨日実験で食べたあの味だ。
それをしっかり飲み込んだというのに……俺の左腕も、右目も、何も変わらなかった。
「ほらね、治ってるでしょ。良かったね」
「良かったねって……いや良かったけど、どうしてお前がそんなものを」
「だってあたしのせいだから。新之助があの病気になったのも、記憶を失ったのも、全部あたしのせいだから」
神様に懺悔する罪人のような、苦しげな声だった。そしてポタリと落ちてきた一粒の雫。
瞠目する俺の頭の中で、抜けていたパズルのピースがパチンと嵌った。
そうだ、あの日俺は確かにこの涙を視た……頭に包帯を巻いた痛々しい姿で、「あたしのせいでごめんなさい」と泣き叫ぶあの子の姿を。
「もしかして、お前あのときの……?」
「あたしの名前は千代之藤ちよこ。お姫様なんかじゃない、普通の女の子だよ」
涙混じりの告白に、俺は言葉を失った。
聞きたいことは山ほどあった。あの日俺は何をしてしまったのか、あの後どうなったのか。
以心伝心。何も言わずとも、ちよこは語り出した。十年前の真相を。
「あの日……新之助があたしの食べかけチョコを食べて『変身』した時、あたしは止めようとした。追いかけてきた人たち――パパたちとぶつかったら大変なことになると思ったから。でも手遅れだった。ヒーローになった新之助は、その左腕であたしを振り払った。吹き飛ばされたあたしは頭を打って……」
じわじわと、閉ざされた記憶の扉が開いていく。
そう、あの時ちよこは頭から血を流して、ぐったりして……。
死んだと思った。俺が殺したんだと。
「ほんと痛かったよ。四針も縫ったんだもん」
暗がりのなか、ちよこがクスッと笑った。まるで俺のトラウマを蹴飛ばすみたいに明るい声で。
「パパにもすごく怒られちゃった。あたしを家に閉じ込めてたのは、こうなることが分かっていたからだって……だからもう『普通の男の子』と遊んだらダメって。それからパパは新之助を研究所に連れて行って、あたしに関する記憶を消したの」
「……ちょっと待て、話がこんがらがってきた。俺はお前に怪我させたトラウマで、記憶を無くしたんだとばかり」
「ううん、そうじゃないよ。新之助は何も悪くない。全部あたしと関わったせい……とにかく新之助の身体は元通りになったから。これであたしの使命はおしまい。長い間迷惑かけてごめんね」
ようやく肩の荷が降りたとでもいうようにほうっとため息をついて、ちよこは踵を返した。そしてドアノブをガチャガチャと弄り、ものの十秒ほどで鍵を開けてしまった。
薄く開いたドアの隙間から、明るい光が差し込んでくる。
その光の中、可憐な少女が振り返った。瞳にいっぱいの涙を湛えたまま。俺は眩しさに目を細める。
「最後に一つだけ教えて。あたしの作ったチョコ、美味しかった……?」
今にも消え入りそうな、微かな囁き声。なのにその声は、俺の胸の奥深くまですうっと染み込んだ。
ようやく俺は、ちよこの本心を掴めた気がした。
十年間、ちよこはずっと俺のことを考えてくれていた。俺にあの一粒を届けるためだけに、いろんな知恵を絞って、時には空回りもして。
……本当に、バカな奴。
「ああ、今までで最高に美味かった」
自然と零れた、嘘偽りの無い言葉。それを耳にしたちよこは一瞬息を詰めて。
「そっか、良かった……」
ふわり、と花開くように微笑んだ。
色鮮やかに蘇る、懐かしい記憶。二人で逃げ込んだ秘密基地の中、俺のあげたチョコを食べたときの彼女の笑顔が目の前のちよこと重なった。
ぐらぐらと血が湧き立つ。俺の心が『変身せよ』と叫ぶ。目の前の女の子を助けたい一心で、大人に立ち向かったあの日のように……。
「じゃあね、新之助」
「――ふざけんな!」
「えッ」
「一方的に話終わらせんなよ。俺はまだ一パーセントも納得してない。とにかくこの件は後回しだ、俺も一緒に行く」
「でも、あんたにはもう力が……」
「力を失くしたからって、ここで大人しくなんかしてられるかよ。十年前のあの日だって、俺はただの非力なガキだった。今の俺はあの時と同じだ。そうだろ――『お姫様』」
精一杯のハッタリで己を鼓舞し、俺は勢いをつけてジャンプ。しっかりと両足で立ち上がった。
まるで小学生みたいにちんまい彼女が、唖然として俺を見上げる。そして……。
フン、と鼻を鳴らした。小さな胸をグッと張り、誰も逆らうことを許さない高貴な姫君の声で。
「分かったわ。今からアンタはあたしの下僕よ! あたしのために命をかけて戦いなさい!」
……いや、そこまでするとは言ってない。
そうツッコミたかったけれど、そんなことを言ったら縄を解いて貰えない気がしたので、俺はひとまず頷いておいた。
◆
俺たちが倉庫にいたのは約十分ほど。
たったそれだけの時間で、戦況はガラリと変わっていた。
「――もうこんなの嫌だ! オレはただ女にモテたいだけなんだ!」
「今さら何を言ってる! あの血判状を忘れたのかッ?」
「確かにあの時は、一生チョコなんて貰えないと思ってた! だけどオレにも女神が現れたんだ! あんな美人のメイドさんがオレにチョコくれるって……うおおおおおおお!!」
「馬鹿野郎、お前は騙されてんだよ! 思い出せ、それで高い絵を何枚買わされたことかッ」
「いいじゃないか、夢くらい見たっていいじゃないかああああああ!!」
局地的に激しくぶつかり合う、暑苦しい男たち。特に大暴れしているのは巨漢の戦闘員だ。
女子たちは落ちついた様子でフロアの隅へ避難していく。108の店員がリーダーシップを取り、乱闘に巻き込まれないように気を配りながら。
避難を終えた女子たちは、寝返ってくれた男に対し「がんばってー!」と黄色い声援を送る。
そう、この『クーデター』を実行したのは……。
「さすがメイ。作戦は成功のようね」
明るい照明の下、にんまりと笑うちよこ。俺はその横顔をまじまじと見つめた。
十年もの時を経たというのに、あの頃と何も変わらない。今のちよこは、小さくも凛々しいお姫様だ。
そして綺羅星のごとき輝きを放つ、俺の特別な女の子……。
「こっちに寝返ったのは約半数、まだ予断を許さないわ。混乱してる今のうちにあのリーダーを潰す!」
「おう!」
チョコレートのパワーが無い俺は、全力で走り出したちよこに付いていくのがやっとだ。それでもこうして傍にいられることが、嬉しくてたまらない。
やっぱり俺は、ちよこが好きなんだ。
この騒動が終わったら俺はちよこに言おう。
まずは十年前のことをしっかり謝って、そして俺の気持ちを……。
……。
そういや、既に昨日そんなことを話したような気がする。
そしたらちよこが椅子から転げ落ちて……。
「うわあああああああ!」
「どうしたの、新之助ッ」
「ななななんでもないでござる!」
あれこそ記憶デリート!
ていうか、今はそんなこと考えてる場合じゃない!
目指すはバレンタインフラワー展示用の雛壇。そこが敵の本丸だ。
ちよこと二人、広大なフロアを韋駄天のごとく駆け抜け、ようやく辿り着いたとき。
そこには奇妙な人垣が出来ていた。迷彩服の男たちによる円形の壁が。
人垣の中心にいたのは一組の男女だ。ぴったりと寄り添っているものの、仲むつまじいカップルとは正反対の殺伐とした空気を醸し出している。
男の方は、テロリストのリーダー。威嚇用のモデルガンは放り出し、代わりに鋭いアーミーナイフを握り締めている。
その腕の中にいるのは、可憐な蝶を思わせる美しい女性だ。長い黒髪にフレンチスタイルのメイド服。ひらひらしたスカートの裾は大きく破れてしまっている。
彼女の華奢な首筋に、男はナイフを突きつけていた。
「お前ら全員、ここから離れろ!」
クーデターによって追い詰められた男は、仲間の制止を振り切って、いたいけな女子を本物の人質にしたのだろう。従ってきた取り巻きたちも、困惑しきった顔で一歩二歩と後ずさりするばかり。
当然俺たちも、動けなかった。
「どうしよう、メイ、メイ……ッ!」
「ちよこ、落ち着け」
「だってメイがッ」
「良く見ろ、メイさんは冷静だ」
雑踏の中、耳を澄ませば微かに聴こえるしっとりしたアルトの声。メイさんはいつも通りの微笑を湛えて、背後の男に声をかけ続けている。少しずつ、男の興奮が収まっていくように。
……もしやこれは、メイさんの策なんじゃないだろうか。リーダーの懐にあえて飛び込み、あの甘い声で内側から懐柔してしまうという捨て身の作戦。
ちよこも同じことを考えたのだろう。俺たちはアイコンタクトで意志疎通した。
もう少しだけこのまま様子を見よう。きっとメイさんは大丈夫……そう思ったのに。
運命の神様は、とんでもなく意地悪だった。
メイさんの説得に応じ、リーダーが右手のナイフをゆっくりと下ろしかけた刹那。
「うぐおおおおおおおッ!!」
突然背後から轟いた、魔物のごときうなり声。その場にいた全員が弾かれたように振り向き、声の主を凝視する。
「オレのおおおお女神にいいいいいッ!!」
ついさっきまで頼もしい味方だったはずの巨漢の戦闘員が、恐ろしい敵へと変わっていた。全てをぶち壊しかねない狂戦士に。
「――止めろ、こっちに来るな!」
「女神に触るなあああああああッ!!」
暴れ狂う戦車のごとき男を、誰一人止められない。迷彩服の男が数人束になってタックルするも振り切られる。
右目の力に頼らなくても、十秒先の未来が読めた。
俺が飛び込んだところで、とうてい間に合わない。
あのリーダーと戦闘員は激しくぶつかり合うだろう。そして囚われたままのメイさんは……。
「クソッ! どうして俺には力がないんだ!」
大口叩いてここまで来て、結局何もできないなんて……!
悔しさに唇を強く噛み締めたとき。
「新之助、お願い」
左斜め下から、俺を見上げるつぶらな瞳があった。涙を湛えてキラキラと輝く、宝石のような瞳が。
「あたしが一生責任とるから――メイを助けて!」
そう叫んで、ちよこは小さなチョコレートを取り出した。
今の俺はそれを食べても変身しないと分かっているはずなのに、何故……。
零れかけた疑問の言葉は、一瞬で霧散した。
胸ぐらを掴んで引き寄せられ、強引に押し付けられた柔らかく温かな――ちよこの唇。
噛みつくようなキスが俺の呼吸を止め、鼓動さえも止める。そして唇の隙間から入り込んでくる小さな舌と、甘い媚薬。
俺の身体も心も、全てを変えてしまう悪魔の薬。
それをこくんと飲み込んだとき……右目に映る世界が、色を変えた。
全身をチョコレートが駆け巡り、眠りについていた俺の中のヒーローがゆっくりと目を覚ます。
「新之助……ッ」
「ここで待ってろ、ちよこ。お前の大事なものは俺が守る」
頬を伝う透明な涙を、黄金色に輝く指先でそっと拭い、俺は愛しい人の耳元に囁きかけた。
――こんな茶番、一秒で終わらせてやる。
予期した通りの未来が、目の前に迫っていた。
周囲に群がる木偶の坊なギャラリーたちも、気丈な美女でさえも、訪れる悲劇を覚悟して強く目を瞑る。
「女神いいいいいいいい――ッ!!」
「来るなあああああああ――ッ!!」
固く握りしめられた拳と、鋭いナイフ。
二つの相容れない凶器がクロスする瞬間。
「お前ら、うっせぇ」
放たれた呟きは、はたして二人の男の耳に届いたのだろうか?
俺の繰り出した足払いにより、巨漢の男がふわりと宙を舞う。男は「なぜ?」と神様に問いかけるように瞳を見開き、ズシィィィンと地響きを立てながら床へ落ちる。
そしてもう一人の男の手からは、鋭い刃物が消え失せる。と同時、脳髄をぶちまける勢いで横っ面に入った裏拳。華奢な男は人形のように軽く、三メートルほど水平に吹っ飛んだ。
これで、俺のミッションは終了。
「大丈夫か?」
ふらり、と崩れ落ちかけた捕らわれの蝶を腕の中に抱きとめる。すると、メイの瞳がぱちくりと瞬きし、ありえないものを見るように俺を見つめる。可憐な唇が開かれ「ご主人様」という涙混じりの呟きが漏れたとき。
「――メイッ!」
ボロボロと涙を零しながら、ちよこが駆け寄ってきた。そしてメイを強く抱きしめる……俺の身体もろともガシッと。
「良かった、無事で良かったよ、メイ!」
「お嬢様、ご心配おかけしました」
「なあ、喜ぶのはいいんだが……俺抜きでやってくれ。鬱陶しい」
「嫌よ!」
「嫌ですわ!」
「「ぜったい離さない!!」」
ユニゾンでそう叫ぶや、俺の肋骨をへし折らんばかりにギュッとしがみつくちよことメイ。
そんな俺たちの姿を、その場に居た全員が呆けたように見つめていた。気絶している二人の男を除いて。
Epilogue
「メイ、見て見て。テレビ始まったよ!」
「まあ……何度見ても素敵ですわ。さすがわたしのご主人様」
バレンタインの大騒動から一週間。
謎の監禁部屋ことちよこの研究室に呼びだされた俺は、一人冷めかけのコーヒーを啜っていた。
俺のヒーロー化について、今後の身の振り方を相談する……というはずだったのだが。
いつの間にか女子二人は、テレビのワイドショーに夢中になっていた。今週のニュースを総括するコーナーに。
「新之助って意外とテレビ映りいいよね。実物はちょー平凡なんだけど、目つきが違うだけでちょっと精悍に見えるっていうか」
「あのセクシーなオッドアイを見るだけで、わたしドキドキして胸がはちきれそうになりますわ」
「あたしの胸もはちきれ……うん、そのうち……」
「うふふ。お手伝いしましょうか、お嬢様?」
「い、いい、遠慮するっ……」
ちょっとえっちなガールズトークも、残念ながら全く耳に入らない。俺はテレビから目を逸らし、お茶菓子の高級クッキーをもしゃもしゃと頬張った。
この一週間、マスコミは世紀の大騒動を何度も取り上げた。特に危険なテロリストに立ち向かった勇敢な三人の若者を。
一人は、スレンダーなメイド服の美女。
彼女は囚われの身でありながら、気丈にも人質たちに声をかけ続け、バラバラだった人々を結束させた。時にはテロリストをも説得し改心させるほどの情熱を見せたという。
一人は、小柄なショートカットの美少女。
彼女の行った演説――ジャンヌダルクのごとき勇敢な姿は、複数の携帯により撮影されていた。可憐な乙女が一途な愛を訴える姿は、視聴者の涙を誘った。
そして最後の一人は、ごく平凡な男子高生。
唯一現場に残った男性であり、テロリストに一度は捉えられながらも華麗に脱出。最後は格闘ゲームの必殺技を思わせる豪快な武術で敵をノックアウト。その光景を間近で見た女性客は、興奮のあまりバタバタ倒れたとのこと。
そんな現代の勇者三人。そのうち二人はいたいけな女子であるという理由から、本人が特定できるような映像はカット。その分しつこく放送されたのが三人目の少年の姿であった……。
『――リア充爆発同盟という犯行グループのメンバーは全員未成年であり、深く反省しているということで……現在厳しい取り調べを受けているものの、バレンタインフラワー盗難事件については容疑を否認しており――』
そんな情報を流して、ようやくニュースコーナーは終わった。
テレビの前にあぐらをかいて座り込んでいた白衣姿のちよこが、猫のようにうーんと伸びをする。
「あー面白かった! やっぱり新之助と遊ぶの楽しいなッ」
「何だよその呑気な感想」
「だってこの事件、ちょっと規模が大きくなったヒーローごっこみたいじゃない?」
すっかり幼馴染の顔に戻ったちよこが、テレビの前から俺の隣へ戻ってくる。ソファにちょこんと腰かけ、一粒五百円のトリュフを躊躇なくパクリと。俺はチョコを我慢しているというのに。
「こんだけ世間騒がせた事件も、ちよこ博士には遊び感覚ですか、そーですか……」
「もちろんリアルタイムでは必死だったよ? なんせ十年がかりの作戦だったからね。バレンタインフラワーが盗まれたときはさすがにドキッとしたけど、まあ無事取り戻せたし結果オーライ」
「……は?」
聞き捨てならない台詞だった。
俺が怪訝な顔をするや、対面に静々と腰かけたメイさんが涼しげな笑みを浮かべて。
「新之助さまもそろそろお気づきになられた方が良いと思います。バレンタインフラワーなんて珍妙な物を開発されるのは、お嬢……博士以外にはありえませんわ」
「なるほど……じゃあバレンタインフラワーが108から盗まれたのは、ちよこが犯人ってことか?」
「違うわよ、こっちこそ被害者なんだから! バレンタインフラワーは元々この研究所から盗まれたの」
「ってことは、最初に盗んだのは108側?」
「全く、名前の通り強欲な奴らよね。まあメイがサクッと取り返してくれたからいいけど。でもちょっと腹立ったから、新之助を襲うついでに遠慮なくあそこで暴れさせてもらうことにしたの。ハカイダーで」
……ちよこの執念恐るべし。まさにストーカー気質。
そして、さりげなくお茶を淹れに立ったメイさんの姿に、俺の右目がピクンと反応する。
確かメイさんは『あの花のおかげでハカイダー一台分の臨時収入があった』とか言ってたような……ってことは、アレを盗んで売りさばいたのはメイさんで、取り返したのもメイさん……。
「新之助さま、そんなに見つめられると照れますわ。うっかり手元が狂って貴方の下半身に熱湯を零してしまいそうです」
……俺は、考えるのをやめた。
速やかに話題を別の方へ逸らす。
「えーと、じゃあバレンタインフラワーは今ここにあるんだよな。せっかくだし俺も見てみたい」
「そんなの、とっくに無くなっちゃったわ」
「枯れたのか?」
「ううん、新之助が食べちゃった」
「へッ?」
「バレンタインフラワーは、新之助の病気を治す特効薬として開発したの。次に咲くのはいつかなぁ。また種から育てなきゃいけないし、十年後か、二十年後か……そしたら次はもっと強力な惚れ薬に……」
指折り数えながらフフフと笑うマッドサイエンティスト。俺は開いた口が塞がらなかった。
世間どころか世界中を騒がせたバレンタインフラワーが、よもやそんな理由で作られたとは。しかも何か惚れ薬とか言ってるけど……。
……俺は、考えるのをやめた。
速やかに話題を別の方へ逸らす。
「そうだ、ちよこ。訊き忘れてたことがもう一個あった」
「なに?」
「あの倉庫で捕まってたとき、お前妙なコト言ってたよな。俺が病気になったのは自分のせいだとか」
「あー……うん、そうなの」
上機嫌だったちよこが、途端に渋い顔をする。あたかもカカオ濃度九十九パーセントのチョコを食べたかのように、眉根にくっきり縦ジワを寄せて。
「新之助の病気――『チョコレート・シンドローム』は、ウイルスなのよ」
「ウイルスって、インフルエンザみたいな?」
「うん。だから新之助の病気は、人に移されたってわけ。ていうか、その……」
白衣の裾をぐにぐにといじりながら、バツが悪そうに俯くちよこ。代わりに明快な解答をくれたのは。
「新之助さまは、お嬢様にウイルスを移されたのですわ」
お茶を注ぎ終えたメイさんは、壁にかかったホワイトボードにこんな文字を書いた。
c……change/変化
h……hope/願望
o……omnipotence/全能
c……chemical/化学物質
o……over/越える
l……limit/限界
a……amazing/驚くべき
t……transform/変形
e……erotic/エロチックな
メイさんによると、『チョコレートシンドローム』とは、千代之藤家の女児がチョコレートを食べたときに発動する――他者に感染させることが可能となる特殊な病気で、部外者には決して漏らすことのできないタブーである、とのこと。
だから幼い頃のちよこは家に軟禁されていたのだ。もう少し大人になって物の分別がつくようになるまで、一族以外の人間とは接触しないように、と。
「あの時は、あたしも知らなかったの。まさか自分にそんな力があるなんて……」
「まあ気にすんなよ。俺がウイルスを移されたのは、別にちよこのせいじゃない。ちよこは俺に食べかけのチョコをくれただけなんだから」
……とカッコ良く言い放ったものの、笑顔のメイさんが「違います」と一刀両断。
「チョコレートシンドロームにかかると、異能を一つ授かりますの。新之助さまの場合は『ヒーロー化』だったわけですが」
「めめメイッ、もういいから!」
「それを移した人物であるお嬢様の願望が、強く反映されているのです。つまり新之助さまは、お嬢様に『ヒーロー』として見染められ」
「わああああああああ! それ以上は言っちゃダメ!」
耳の先まで赤くなったちよこが、対面のメイさんに飛びつく。そんなちよこを手慣れた感じであしらうメイさん。
「わたしも最初は、この家の住み込みメイドとして普通に暮らしていました。でもチョコレートを頬張っているお嬢様があまりにも可愛らしくて、ついキスしてしまったんです。そうしたら……うふふ」
「もう、メイのバカバカバカバカ!」
メイさんのふくよかな胸に、ぽよんぽよんと猫パンチが打ち込まれる。仔猫のようなじゃれあいを生温かく見つめながら、俺は衝撃の事実を受け止めた。
千代之藤家のウイルスに感染したのは俺のせいだとしても、異能の種類を決めたのはちよこ。となると、文字通り『ちよこのせいで』やっかいな病気にさせられたってことになる。
でも裏を返せば、ちよこはそれだけ俺のことを……。
「もういいよ」
俺が吐き出したため息混じりの一言に、ちよこの猫パンチがピタリと止まった。
「新之助、やっぱり怒った?」
おずおずと向けられる、上目遣いの潤んだ瞳。俺は首を横に振った。
「確かにこの病気はめちゃめちゃ恥ずかしいけど、普段の生活ではそれほど苦労してないし、あの無効化装置を被ればチョコは食べられるしさ。それに……」
この先の台詞を告げるのは、さすがにちょっとためらった。
一旦深呼吸し、ちよこの瞳を真っ直ぐに見つめて。
「……俺はこれからもずっと、ちよこの『ヒーロー』でありたいと思」
「あッ、メイってばそれあたしが食べたかったのにー。パティスリー・アレグレスのガレットブルトンヌ」
「うふふ。早い者勝ちですわ」
「いいもん、イデミスギノのフィナンシェピスターシュ食べるもん!」
……また無視されたでござる。
しょんぼりした俺は、ため息混じりに目の前の菓子箱へ手を伸ばす。芳しい香りを放つ厚焼きクッキーをガブリ、と。
……。
……。
「あの……これ、中にチョコが」
入ってましたごめんなさい、と言い終わるまで“アイツ”は待ってくれなかった。
体内に吸収された濃厚なチョコレートのパワーで、俺はヒーローへ変化!
身体からぶわっと立ち上るチョコレートの香り。ガスマスクを被っていない今のちよこには、この香りを防ぐことはできない。当然メイさんも……。
「――新之助、大好き!」
「――わたしも愛してます、ご主人様!」
愛らしい二匹の猫が、俺に飛びついてくる。それぞれの髪を優しく撫でてやりながら、俺は思った。
暇つぶしに、『ヒーロー』やるのも悪くない、と。(了)
読んでいただいた皆さま、ありがとうございます。とりあえず笑ってもらえたら幸いですが、ヒトコト感想なども大歓迎です。(チラッ