第65話.暗闇の道
「止まって!」
鋭く叫ぶと同時、後ろのティオたちが息を呑んで立ち止まる。
ナナオの抜刀した剣は、その溢れ出る魔力と反応して瞬時に実体化した炎を纏う。
視界を焼き尽くさんばかりの輝きが周囲一帯を照らしたかと思えば――ちょうどナナオの目の前の空間に、灰色の煤けたコートを纏ったような何者かの姿が、浮かび上がっていた。
「っ!?」
ひっ、と息を呑むティオたち。
その恐れごと断ち切るように振りかざされた炎熱の剣は、大の大人ほどある影の、フードを被った頭からを一直線に切り裂いてみせた。
『――ッッ!』
声にならない叫び声のようなものを上げる相手。
だが……感触がない。ナナオが訝しげに目を細めると同時、その眼球の前にぬっと顔を突き出すようにして、落ち窪んだ死者の眼窩が覗き込んでいた。
「っ!?」
弾かれたように足は後ろに下がりつつも、ナナオは持ち前の運動神経を活かし、ほぼ反射的に剣を下から天井へ、突き上げるようにして持ち上げた。
すると今度は命中の感触。古ぼけたコートごと一刀両断にすると、呆気なく亡者は空気に溶けるように消滅していった。
「ふぅ……」
火の粉をまとう炎熱の剣を軽く横に払い、鞘へと仕舞うナナオ。
【索敵】を使って、すぐ目の前に反応があったときは心底驚いたが、どうにかなった。
だが、今の敵はいったい……。
「い、今の。悪霊……?」
不審に思っていると、同じく動揺した様子のティオが呟いていた。
それに答えるのはリルである。ちなみに直前までナナオの肩に乗っていたはずのリルだが、危機が迫ったと見るなり即座にティオの頭の上まで退避していたりする。危機回避能力が高すぎる。
『ゴーストね、闇属性の魔物よ。ジメジメした怨念渦巻く場所が大好きっていうから、この王都地下はカッコウの住み処なのかも。
大して戦闘力は無い魔物――なんだけど、純粋な物理攻撃は一切効かないし、攻撃なんかのために実体化してるときじゃないと、属性攻撃も通らない面倒な相手よ』
「物理攻撃が効かない、って……つまりボク、戦力外では……!?」
その通りよ、とあっさり頷くリル。かわいい弟子が相手でも容赦なしのリル師匠である。
しかし、リルの解説で分かった。今のゴースト、初撃の際は幽体化してナナオの攻撃を逃れたということなんだろう。確かにそれは面倒くさい。
『闇属性とお互い唯一、有効属性なのは光属性だけど――』
そこでリルが押し黙る。無論、この中に光魔法の使い手がいないのはリルも分かっているのだ。
ナナオは改めてレティシアのツンと澄ました顔を頭の中に思い浮かべる。
ああ、ニャンニャン。今頃は、ハノンノと一緒に王城に辿り着いた頃だろうか……。
なんて呑気に思いを馳せている場合でもない。
今の一戦だけで、ナナオの胸中には不安が芽生え始めていた。
――分かってたけどこの剣、隠密行動には不向きだな!
スキル【索敵】で確認した限り、周囲に人間らしい動きをしている反応は無いのだが……もしキュキュを攫った連中がこのあたりに偵察でも出していたなら、遠目からでもすぐバレそうだ。炎熱の剣、モーションが何から何までド派手極まりないのである。
だが、最近のナナオお得意の徒手空拳は、王都地下に棲み着いているというゴーストには有効でない。となるとそのほかにナナオに残された選択肢は、最強魔法【超爆発】で全てを無に帰すことくらいである。わりとどうしようもない。
「……私か、リュリュが中心に、魔法攻撃で対処した方がいいかも」
困っていると、ひたすら無口だったフミカがそんな申し出をしてくれた。
リュリュも同じ考えだったらしく、ナナオを指差してきつい口調で言う。
「ナナオ。悪目立ち。無駄だらけ。水魔法の方が。ゼッタイに良い」
「……じゃあお願いしようかな」
ほとんど悪口だったが、事実なので素直に頭を下げるナナオであった。
+ + + + +
魔物との戦闘を何度か繰り返しながら、ナナオたちは暗い地下を突き進んでいた。
その間に陣形はまた切り替わり、リュリュを先頭にナナオ、ティオが横並び、フミカが最後尾という配置になった。リュリュかフミカに危機が迫った場合は、有効な攻撃にはならずともナナオかティオが敵を牽制する動きを取る作戦だ。今のところは特に危なげなく、順調である。
「この地下道、道自体は曲がりくねってはいるけどほぼ一本道が続いてるみたいだ。シアによると王城の倉庫まで続いてるっていうから、かなり長い道になってる。まだ、八分の一くらいしか進んできてない感じだ」
【索敵】で地下全体の構造を読み取ったナナオは、足を休まず動かしながら他の三人に地下の具合を伝えた。
たまに行き止まりの道もあるのだが、そこは先回りして確認できているので、最短ルートで奥へと進んでいく。しかし三人の女子は、そんなナナオの言葉に首を傾げていた。
「ナナくん、何でそんなことが分かるの?」
「不思議。でもさっきから。言った通りの場所に魔物が出てくる」
実際、リルにスキルを使用してもらえれば問題なかったのだが、いざという場面で判断が遅れるのを避けたいがため、こうしてスキルを一時的に貸してもらったナナオである。
しかしそんな込み入った事情を話したら、リルがただの使い魔でないこともバレてしまうだろう。主にスキルを貸し与える使い魔なんて、ナナオの知る限り他に存在しないのだ。
……いや、もう既にバレてるかもだけど。
というわけでナナオは、冷や汗を垂らしながらこう言い放った。
「――――――勘かな」
もちろん、嘘である。そんなもんで地下の構造など分かるはずもない。
そして素直なだけが取り柄の少年であるナナオは、嘘を吐く罪悪感にほとほと参っていた。
そんなナナオの心情を察したのかは定かではないが、女の子たちはそれ以降はあまり突っ込んだ質問をしてこなくなった。大人な気遣いである。
「そ、それにしても……本当にキュキュさん、こんなところに居るのかな?」
上擦った声でティオが言うと、リュリュが目つきを険しくする。
「無駄。って言いたいの?」
少しは落ち着いてきたかと思いきや、まだだいぶ気が立っている様子のリュリュだ。本人もきっと、ティオに噛みついても仕方が無いと分かってはいるはずだが。
「そうじゃないよ。だって今のところ、何も起こってないからさ……」
ティオの案じる通りだった。
ゴースト、それに全身がキノコの形をした胞子を飛ばしてくる魔物などには何度か遭遇していたが、キュキュを攫った一味らしき人間は姿を見せていない。
だが、当然のことながらナナオは気がついていた。リュリュを不用意に刺激したくなくて口にしていなかったが、そろそろ伝えておくべきだろう。
「ここからさらに奥――あと一キロくらいかな。それくらい進んだところに、二十人くらいの反応……じゃない、気配を感じるよ」
「気配?」
ナナオの頭の中に浮かび上がった座標地図によれば、光点が折り重っているように見えてしまい、正確な人数はいまいち把握できないのだが……おそらくは、二十人近い人間が、一箇所の開けた空間に集まっているようだった。
撃破してきた魔物は、多くてもせいぜい三体が共に行動していただけなので、この光点の正体はおそらく魔物ではない。
きっとキュキュを連れ去った連中――それにキュキュが、そこに居る。