第1話 ひきこもりの朝
真っ黒な空間に、淡い色の布がたくさん垂れ下がっている。
「目立ちたいのなら濃い色のドレスにしたらどうですか、皆で淡い色を揃えて着るから埋没するんでしょう。それに、男性を惹きつけたいなら露出を増やせば良いのでは?」
エレノアはそう声を発した。悩んでいるなら力になりたい。
一瞬、音が消えて、まずいことを言ったのだと気づく。
だが、もう遅い。
ひそひそと囁くような音がすぐ近くから聞こえ、振り向いてみても似たような布に囲まれているばかりだった。
***
朝からよく晴れていた。
「おはようごさいます。お父様、お兄様」
整えられたテーブルの一番奥に白が混じり始めた亜麻色の髪の男が、右側の長辺には同じく亜麻色の髪をした青年が座っている。二人は声に手を止めて挨拶を返した。
青年の向かい、父である伯爵の左側の椅子が侍女によって引かれ、この家の娘が腰をおろした。琥珀の瞳は焦点がまだぼやけていて、文字通り夢見がちだ。
「ノラ、隈ができている。きちんと寝たのか?」
「夢見が悪くて。見積りの金額をずっと見ていたからだとおもいます。今日は書庫を片付けるつもりだったので――」
「まさか再計算を終わらせたのか?」
「あれだけあったのに?」
父と兄がほぼ同時に尋ねてきたのでノラ、ことエレノアは言葉を止めぼんやりした顔のままで頷いた。
エレノアの後ろから侍女が静かに近づいて、緩やかに波打つ淡い金茶色を手慣れた様子でゆるく束ねていく。本来なら自室を出る前にやるべきことではあるが、慣れている家族は気にも留めない。
「呆れたな、急ぎじゃないとあれほど念押ししたのに」
「いついつ自分でやると言っておかないからですよ。あればあるだけ自分のものにする仕事中毒なんだから」
息子に咎められて伯爵は咳払いをする。
「ノラも。書庫の整理、未読の本を探そうとしているだけだろう?」
妹は聞いていないふりでスープを口に運んだ。
ところで、と父が言葉を区切ると、エレノアはスプーンを置いて手を止める。
「午後、ダウズウェル辺境伯がお見えになる。ノラ、お前は病弱ということになっているのを覚えているな?」
フリンツフッド伯爵の令嬢エレノアは病気がちで社交の場には出られない、という言い訳で所領にこもって三年になる。誰かが尋ねてきても基本的には挨拶すらせず隠れているという徹底ぶりだ。
はい、とエレノアは答えてから、でも、と言い足す。
「何しにいらっしゃるんでしょう、これまで関わりがなかったのに。もしかしてうちにもとうとう派閥からお声が? ダウズウェル卿の派閥は聞いた覚えがありません。……あぁでも、どちらかについていたら派閥なんてなくなっているかもしれないんでしたか」
よさないか、と兄が小さく咎める。
エレノアの体はどこも悪くない。強いて言えば、口が悪い。
早くに亡くなった母は極めて柔和でか弱い容姿通りの性格だったが、母によく似たエレノアの口からは妙な理屈や正論が発射されてしまう。縁談を纏める以前の、諍いをなくすための病弱設定である。
「災害の多い所領を持つ者として見舞いを、とのことだが」
父が渋い顔をして息を吐いた。
フリンツフッド領であるこの土地は、国土の中央に近い、南西側にある。先月大雨に見舞われ、山肌の崩落が四箇所、川の氾濫は二箇所に及んだ。過去にない規模の災害に領内は混乱しており、皆対応に追われている。
「ダウズウェル辺境伯は、徒党を組む必要のない方だ。どこかに与するくらいなら自分だけ利益を掠め取る……ですよね」
よせ、と今度は父が息子を窘めた。
ダウズウェル辺境伯の所領は国の北東端に位置する。社交界に現れること自体が少なく、当然ながらこれまでこの家とは交流も少ない。
父の考え込むときのくせで、指先がテーブルを叩く。
「そもそも格が違う。我が家に恩を売ってもたかが知れている……人探しだな、宰相どのからも内々に確認があった」
「人探しを、内々に?」
不思議そうに考え込む娘をよそに、父と息子が視線を交わす。
「とにかくお前は大人しくしていろ。姿を見られぬように」
「余計なことはするな」
2人から念を押されて、娘は微かに口を尖らせた。
「私は、やるべきことをしています」
「わかっている、わかっているとも。咎めているのではない」
「辺境伯は悪ら……いやうん、辣腕だそうだ。隠していた情報を握られたらどうなるかわからない。いつも以上に気をつけろ、ということだよ」
エレノアの指先が答えるかわりにパンを千切った。
「ノラは19だ、私としてはもう少し歳の近い――」
父の呟きは考え事に没頭してしまった娘の耳には入らなかった。




