12 街を歩けばゲイリーにあたる
勇者ゲイリーの気分はどん底だった。夕刻、ペーパの街なかで魔銀騎士ディーネ・オーズマリーが美形の男と談笑していたのを目撃したからだ。それが目に映った瞬間、ゲイリーは今までの戦いすべてで負ったダメージより深刻な衝撃を受けた。
彼とディーネは戦友であったが、親友ではない。もちろん男女の仲などでは毛頭ない。が、彼は一般男性として正常で、それなりの欲求もある。となれば、美しく聡明なディーネに好意を抱きもする。だがお互いの『勇者』という称号の重さが彼の感情を押しつぶすのには充分であり、彼女に対する尊敬の念も合わさって、彼は平然を装い続けてきた。
それが、見知らぬ美男子と二人でいる姿を見た瞬間、彼は愕然とした。理解しているつもりであったが、彼は彼女にとってのただの戦友でしかないと認めざるを得なかった。
その夜、彼は感情の行き場を失くしてベッドでもんどりうった。
明けた翌日、気分転換に街へ散歩に出た。そして偶然にもディーネの後ろ姿を発見することとなる。
ディーネの気分は最悪だった。昨日、とんでもない人違いをして恥ずかしい目に合ったからだ。芸術家ゲイリーを勇者ゲイリーの中身と思い込み、勝手に嫉妬したり感心したりと勇者とは思えない醜態を晒していたのだから。
「それもこれもナンシーの似顔絵のせいだ。まったく、酷いイタズラだ……!」
などと他人に責任を擦りつける始末である。
そうは言っても外に出た以上、彼女は勇者の役目を忘れてはいない。羨望の目を向けてくる市民に笑みを返し、好意で差し出してくる野菜や果物を礼を述べて受けとる。
「おっと」
次々と渡される贈り物を持つには彼女一人では無理があった。袋に詰められた山のような果実がこぼれ落ち、いくつか地面に転がった。拾いたいが、その他の荷物のバランスを考えると難易度が高かった。
偶然にもそれはゲイリーの足元で止まった。彼は一瞬迷いはしたが、拾わないという選択はなかった。
「どうぞ」
ゲイリーは果実を拾い集め、彼女の持つ袋にのせた。どう置いてもバランスが悪いので、一歩歩けばまた転げそうであった。
「ああ、ありがとう」
と、ディーネは勇者の笑みでゲイリーに礼を言った。それを見てゲイリーは自分も街ではこんな表情なのだろうなと思った。
ディーネは歩き出そうとして、戸惑った。崩れるのが目に見えている。
同じ状況を味わっているゲイリーはすぐに察した。
「あの、お一人では大変でしょう。よろしければいくつかお持ちします」
「え? ……ん~、そうだな。たしかに少々難しい。頼んでもよいだろうか?」
ディーネの困惑は長くなかった。考えるまでもなく、ありがたい申し出だったからだ。
「はい、喜んでお手伝いさせていただきます」
ゲイリーは相手に気遣わせないためにも大きくはっきりと応えた。手を伸ばし、袋を二つ抱えた。
「助かる。落としてしまっては申し訳ないからな」
「そう言って大事にしていただければ、皆、差し上げた甲斐があると思います」
「そうか。それならわたしも嬉しい。では、ついて来てもらえるか?」
ディーネは先ほどよりも柔らかい笑みを浮かべ、歩きはじめた。
目的地までは10分とかからなかった。平民層が暮らす一角だ。教会に隣接している大きな平屋だった。
「地神教会……。たしかここは……」
「ああ、そうだ。ここは――」
ディーネが答える前に、平屋の前で遊んでいた子供が声を上げた。
「ディーネ様だ! 今日もディーネ様が来てくれたよー!」
その子供の声を聞きつけ、家からは次々と子供があふれ出てきた。
「知っているだろうが孤児院だ。ペーパは最前線だからな。兵士の遺児が多くいる。それに、様々な理由で行き場を失くした者もな」
集まって来る子供たちに、ディーネは腕一杯の食べ物を持たせる。ゲイリーの袋も、子供は喜んで受け取っていた。
「ちゃんと司祭様に渡してくれよ。おまえたちの大事な仕事だぞ」
「はーい」
子供たちがはしゃぎながら教会へと走っていくのを、ディーネは目を細めて観ていた。
「いつもこうしているのですか?」
「皆の感謝の気持ちは嬉しいが、一人では食べきれないからな。ここで子供たちといっしょに食べることが多い」
「さすが勇者様ですね。感動しました」
「そうか」
ディーネの答えは短かった。一般市民のゲイリーに、余計な感想を漏らすことはない。
「ディーネ・オーズマリー! 今日こそ倒してやる!」
木刀を持った少年が叫びながら走りこんでくる。
ゲイリーは驚いたが、ディーネは慣れているのか「さがっていろ」と彼を軽く押しのけた。
「だから脇が甘いと――!」
迫って来る少年の一撃を1ステップで避け、右手の甲で彼の左わき腹を叩いて悶絶させた。
「何度言えばわかる。強くなりたいなら学べ。宿題はやったか?」
「ぐぅぅ……っ。や、やった……」
「よし、後で見てやる」
地面を転げる少年を放置して、ディーネはゲイリーに向き直った。
「驚かせてすまんな。これも教育だ」
「……激しい教育ですね」
「衣食住が揃っていれば体は満たされる。だが、心は別だ。人間の貪欲さ、あるいは向上心というのは実に果てがない。それをぶつける相手、もしくは目標が必要だ。だからわたしが指標なり壁になるのだ。勇者なのだから」
「ご立派です!」
ゲイリーは思わず手を叩いていた。まさに勇者の鑑だった。自分とは器が違う。
「いや、すまん。こんなことを言うつもりはなかったのだが、つい口にしてしまった。気が緩んでいたようだ。忘れてくれ」
ディーネは頭を押さえて後悔していた。
「とてもよいお話でしたが……」
「勇者は語ってはならんのだ。体現するのみ。公言などもっての外だ」
「はぁ、大変ですね」
「理解してくれると助かる。それしても、なぜこうも気が緩んだのか。あなたの空気のせいか。……そういえば、名を聞いていなかったな」
ディーネがふと思い出したようにゲイリーを見た。
「これは申し遅れました。ゲイリーと申します」
「この街には何人のゲイリーがいるんだっ」
昨日の醜態と今の後悔に、ディーネはつい毒づいていた。
「ハハハッ。勇者と同じ名前であることで、よくからかわれます」
「だろうな。心労を察する。……ともかく助かった。ありがとう」
「こちらこそ、お役に立てて光栄でした。では、失礼いたします」
ゲイリーは足早に去った。引き留められるのを少しだけ期待したが、そうはならなかった。彼女にとって今のゲイリーは、一般市民でしかないのだから。
「たまにはいいものね。市民と交流を持つのも」
ディーネは勇者の顔をやめ、大きく息を吐いた。それに流されたのか、昨日から続く重い気持ちは消え失せていた。それどころか弾むような気分である。短時間ではあるが、話し相手がいたのはよい気分転換だった。
ゲイリーもまた同じ気分に浸っていた。勇者ディーネ・オーズマリーの素顔をまた一つ見られたのが嬉しかった。同時に昨日の男の影もよぎったが、考えてみれば似合いではないだろうかとすら思えていた。少なくとも、自分のようなエセ勇者の凡人よりは相手としては相応しいというものだ。
「それよりも彼女と並べるくらいの勇者にならないとな。エセだとしてもオレは選ばれたんだから。その努力はすべきなんだ」
ゲイリーが本当の意味で勇者を意識しだしたのは、この日からである。
今回のウンチく
地神……地神は創造神が最初に生み出した『六精』神の一つ。万物の根源であり、すべての物質・現象はこの六精によって成り立つ。この六精の下により具体的な精神的・物質的神が生まれ、さらに八百万の神が続いていく。例えばトイレの女神イレットは地神→豊穣神→畑神→トイレ神という序列になる。便は肥料という考えらしい。




