第十六章 赤い山脈 7
夕食後、トレーニングルームで、クレアとアップルメイト大尉が対人格闘をしていた。
二人とも手にはミットをはめていて、保護しているようだった。
主に足技を使うクレアに対して、大尉が素手で防御すると手を痛めてしまうからだった。
大尉自身、クレアの足技で足で受けて、骨に痛みを感じるので、交すように努力していたが、攻撃がおろそかになってくるのを自覚していた。
二人とも、同じ位の身長だが、クレアの方が痩身、大尉は体格がコーディよりは劣るものの、筋肉が引き締まっていて女性には見えないような体つきだった。
大尉は、攻撃を仕掛けられて交しながら、クレアの隙を狙って攻撃するのが精一杯だった。
汗が飛び散りマットを濡らし滑りやすくなったのを感じたクレアは、休憩を申し出た。
大尉も自分の汗が目に入り、痛みを感じていた。
二人が休憩を取っている間に、エミリアがトレーニングルームに入ってきた。
「スカイロード2回生のエミリア・サンジョベーゼです。
クレア先生がこちらにいらっしゃると聞いて来たのです。
今、お時間いただけますでしょうか。」
大尉はエミリアの言葉に首を振った。
クレアは、タオルで顔を拭いたあと、めがねを取って掛けて言った。
「あんた、いま、あたしのことを何て言ったかなぁ。」
悪態をついたクレアの態度に、引いたエミリアは、自分が口にした言葉に失礼なことがあったのだろうかと思い返して、すぐには返答できなかった。
「出直してきな。あたしがここにいるって、聞いて、注意されたことはなかったか。」
エミリアは、クレアを探して医療部に行って、コーディに言われたことがあった。
先生ではなく、さん付けで声をかけること。
エミリアは深く頭を下げた。
「申し訳ございません。わたしは・・・。」
「人の話がきちんと理解できない奴と、話しはしたくないんだよ。帰りなさい。」
クレアが、エミリアの言い訳も聞きたくないとばかりに言葉が出ないうちから、妨げた。
大尉は大人気ないと思ってエミリアを擁護した。
「クレアさん、ここは私に免じて、サンジョベーゼ上等兵の話を聞いてあげてはもらえませんかね。
お父上のサンジョベーゼ将軍には、大変お世話になりましたので。」
クレアは内心、エミリアと話がしたかったのだ。大尉の助け舟に乗ることにした。
エミリアの方は、父親の名前が出されて、良い気持ちはしなかった。
「いいでしょう、大尉に免じて。あたしに会いにとはどういうことかしら。」
「ありがとうございます。」
しばらく、間があって、呼吸を整えていたエミリアだった。
「質問したいことがあります。失礼なことでしたら、お許しください。」
「いいでしょう。質問を受けましょう。」
「クレアさんは、どうして医者になろうと思ったのですか。」
ありきたりな質問に、クレアは少しがっかりしたが、質問されて始めて、人に話せるようなものではないことに気が付いた。
天井を仰いで、考えあぐねた。
「養い親が医者だったじゃ、だめかな。あたしは孤児で、養子にしてくれた親に恩返しというか役に立つのならと医者を目指したよ。」
「ではなぜ、スカイエンジェルフィッシュ号で医療活動しているのですか。」
大尉は、タオルで汗をぬぐい、座椅子に腰掛けて、二人の会話を聞いていた。
クレアは、エミリアの質問の真意を測っていた。
「医療学生の時に山岳警備隊の研修を選択したことがあってね。養い親が診療所を開いていたのだが、あたしは同じところに留まっていられない性格だと悟ったんだよ。
医療にもいろいろあるからね。」
「医療に従事してから、方向性を見つけたということでよろしいでしょうか。」
含み笑いをしながら、クレアは「そうだね。」と返事をした。
「生意気なことを言ってしまい、失礼しました。」
クレアは汗をぬぐったタオルを座椅子に投げた。
エミリアの服装がスウェットであることを口にしてから、対人格闘をしないかと言った。
エミリアは即答でハイと返事をし、軽い準備運動をした。
大尉に促されて、手と足首を包帯で保護し、ミットをつけた。
構えて向き合うと、大尉が合図を出した。
「はじめ!」
クレアがすばやく足蹴りをしてきた。エミリアは交したものの、蹴り込んだ利き足が床に着いたと同時に、利き足じゃない方で蹴りがはいる。
エミリアは防げずに、上腕をけりこまれて、倒れた。
すぐに立ち上がったが、クレアに蹴られた上腕の骨が痛いと感じていた。
エミリアはクレアがまた、利き足で蹴りを入れてくるのを交して、上体を低くしたと同時に利き足を軸に利き足じゃないほうをクレアの足首めがけて引っ掛けた。
クレアは足を取られて倒れるものの、片手で床に着き、エミリアが反撃してくるのを予測してもう片手で受身をとった。
エミリアは肘をクレアめがけて突こうとしていた。
柔軟な足の運びに、エミリアがクレアより身長が低いのを利用して攻撃を交す、相手の体制を崩してその隙を突くことを繰り返していた。
大尉は、その様子をみて、エミリアは着眼点が違うと判断した。
エミリアはクレアの足捌きに合わせて、防御し攻撃していた。
クレアは勝負に出た。パンチをエミリアのわき腹を当てようとし、エミリアはクレアが手で攻撃するとは予測してなかったが、脇と腕でクレアの腕を押さえ込んだ。
しかし、クレアは押さえ込まれて腕を引っ張られるのを予測していたかのように、エミリアに背を向け、しゃがみこみ押さえ込まれていない腕で、エミリアの後頭部を押さえた。
エミリアの上半身を自分の背中に押し当てると、背負い投げをした。
エミリアは床に倒れこんだ。自分に何が起きたのか、最初理解できなかった。
「経験が少ないから、やられたんだと思うけど。スカイロードじゃ、対人格闘は皇女殿下とかしかやらないのかしら。」
エミリアは仰向けになった状態から、ゆっくりと立ち上がった。
「いいえ、違います。他の男子学生とも訓練します。」
「では、相手もあなたに遠慮して、きちんと攻撃できないのかしら。」
「そんなことはありません。わたしはやられてばかりいてます。経験不足より、練習不足より、才能がないのだと思います。」
「着眼点は悪くないわ。きちんと判断できている。強いて言うなら、優等生すぎて柔軟性がないのかもしれないわね。
実践はマニュアル道理には行かないわ。」
大尉が口を挟んだ。
エミリアは二人に背を向けていった。
「わたしは、皇女殿下と同じく、父親に言われて、スカイロードに入隊しました。」
クレアはエミリアの質問の真意はこれかと思った。
「卒業しましたら、将来有望な男性と結婚しか待っていないお嬢様の学校に初等科から入っていました。
スカイロードの入隊は願ってもないことでした。」
間があって、エミリアは声を震わせて言った。
「兄が亡くなったことで、自分には会わないところへいくのだと気が付きました。
そのときにはもう、後戻りができない状態でした。」
エミリアはそのとき、背中を向けていたのを振り返った。
「皇女殿下にお会いし、ルームメイトとなって、同じ境遇であることを知り、気持ちを切り替えました。
自分で将来を決められない以上、せめて自分自身がなにかを成し遂げた誇りを持ちたいと思いました。」
大尉は、エミリアが父親を恨んでいることを察し、なにか言葉をかけてあげられないかと考えていた。
クレアがその思いを打ち消した。
「レールを敷かれた人生なんて面白くないかもしれないが、反発したところで辛い思いをするだけ。
エミリア上等兵がしたいようにすればいい。それがレールにしかれた上でのことでもだ。
君は意思が強い女性だと思うよ。貫いたらいい。後悔のないように生きていれば、自然と結果として答えが出てくる。
自分自身の存在価値をね。」
クレアがそういうと、エミリアはお辞儀をして、礼を言った。
「礼には及ばない。こちらこそ、君のような熱い思いをもった女性と対人格闘できて嬉しかったよ。」
クレアは大尉にトレーニングは終わりにしようといい、その場から立ち去ろうとした。
「父に。」
エミリアの言葉にクレアは立ち止まった。
「父に、『意思が強くて歯に衣を着せぬものを言いする女医がいた。』という話を聞かされました。クレアさんのことではないでしょうか。」
忌憚の無い行動的な女性という言葉を脳にめぐらせて、クレアはしばらく考え込んでいった。
「そのような女医にはこころあたりがあるよ。わたしに山岳警備隊の研修を薦めてくれた人でね、自身も山岳警備隊で研修を受けたのだと言っていたよ。
そうだな、将軍と変わらない年齢じゃないかな。」
クレアは笑みを浮かべて、エミリアに背を向け、手を振って去った。