第十四章 まさか 女難 7
場内放送があり、劇場で上演が始まった様子。それぞれのフロアには、飲み物を提供する場があった。レインとコーネリアスはフレッシュジュースを手に取り、ソファに座った。
腰を落ち着けた二人は、不愉快な出来事を思い出さないように、別の話をした。
コーネリアスがロブの事を聞きたがるので、ロブに興味があるのだろうと思っていた。
レインはジリアンやSAFの話はしても、レテシアやエミリアの話はしなかった。
そして、お互い打ち解けたところで、友達になろうという話しになり、手紙のやりとりの約束をした。
劇場にカスターが到着した。レインと同じく、おのぼりさんのようにあたりを見回して立ち止まった。
係りのものに促されて、受付を済ませた。第六秘書のセリーヌに言われたとおり。
念のため、受付で、レインの連れが来ているかどうか確かめた。席が3階だと聞いて、3階のフロアに行こうとした。
すると、レストランで見かけた白髪の女性がいて、カスターに歩み寄ると、話しかけた。
「グリーンオイル財団の方ですか。このような観劇に出向かれるなんて、珍しいですこと。」
「あ、いえ、僕は代理できた者なのです。知人とここで落ち合う予定でして。」
「そうですの。知人はお見えになっていないのかしら。」
「あ、いや、もう受付を済ませて、客席にいてると思います。フロアで待たせてもらおうかと。」
「でしたら、それまでの間、わたくしとおしゃべりにお付き合いくださいませんか。」
レストランで妄想した内容に偶然にもはまっていきそうな展開を感じ、カスターの鼻の下は長く伸びた。
「いやぁ、願っても無いことです。あなたのようなお美しい婦人とご一緒できるなんて。喜んでお付き合いしますよ。」
話がうまくはずまず素性がばれて、嫌われるようなことになりませんようにと願った。
二人は一階の軽食コーナーで、お茶をすることにした。
白髪の女性は、宝石商の夫を持つ身で名をカオル=ロックフォードと言った。カスターは正直に本名を名乗った。
上演が始まって時間が経って受付に犬を連れた婦人がやってきて、観劇させるよう係りのものに食い下がっていた。
「嫌ですわ。あのような小動物を劇場に連れ込むなんて非常識な人がいるのね。」
カスターはミセス・ロックフォードの言葉に受付のほうへと振り向いた。
カスターが振り向いている隙に、ミセス・ロックフォードは羽付きの扇子で口を隠た。ジュースをすすったストローの先を扇子の羽にまぎれこませて、息を吹き込んだ。
ストローの中から何か飛び出して、受け付けで揉めている婦人が抱いた犬に突き刺さった。
犬はキャンと鳴きさけぶと、飼い主の首筋をひっかき、その場から飛び跳ねた。
「ぎゃぁ~~っ。」
犬は痛みを感じて狂ったように走りまわり、階段を上っていった。
劇場のロビーやフロアに残った客が少なからずいて、叫び声のするほうへ、寄っていった。
レインとコーネリアスも、驚いて、ソファを立ち、吹き抜けの方へ駆け寄り、3階の手すりから下を覗きこんだ。
犬は1階から2階へ、さらに3階に上がってきた。4階へいたる階段は別の場所にあるため、犬は3階のフロアを走り回った。
振り返ったレインめがけて、犬が突進してきた。身構えたレインに飛び乗ったかと思うと、レインを踏み台にして、犬はジャンプした。
レインは咄嗟に身を乗り出して、犬の尻尾を掴んだために、手すりから落ちていった。
「キャーッ。」
コーネリアスは叫んで、目を閉じた。
レインは3階から落ちたが、右手で犬の尻尾をつかんでいて、左手でシャンデリアの吊ったワイヤーを掴んだ。
レインが掴んだシャンデリアは大きく揺れて、チャリンチャリンとガラスが擦れる音をたてた。
犬は尻尾をつかまれたので、余計に興奮しレインの手を噛んだが、痛みをこらえてレインは犬を引き寄せて抱きかかえた。
シャンデリアの照明部分まで降り、体重でバランスを崩さないように足をのせた。
コーネリアスは、大きな物音がしないので、目を開けて、手すりに身を乗り出し、下を覗いた。
レインが上を見上げると、コーネリアスが驚いた顔を覗かせていたのが見えた。
レインは下への距離、周囲の間合いを目で測った。犬を両手で抱きかかえると、ジャンプして、宙を舞うように前転をして、一階のロビーに着地した。
犬は相変わらず、吠え続けていたが、レインは犬を放すと走り回ると思って、きつく抱いていた。
コーネリアスは、レインの所業に驚いて腰を抜かし、手すりを両手で握り締めて、その場でしゃがみ込んだ。
レインに劇場の係り者が近づいた。
「大丈夫ですか。」
「ええ、大丈夫です。」
「犬はこちらで預かります。あなたにお怪我が無ければ良いのですが。」
犬を手渡した。
「たぶん、大丈夫だと思います。」
シャンデリアは大きく揺れていて、ガラスが擦れ合うチャリンチャリンと、ワイヤーのギギーッという音を立てていた。
カスターは1階のフロアーでその様子を見ていたので、若い紳士が上からジャンプしてきたようにしか見えなかった。
その場で立ち上がって、若い紳士を凝視すると、レインだと気づいた。
カスターはミセス・ロックフォードを振り返ることなく、レインのほうへ駆けつけた。
「レイン、いったい何があったんだ。」
レインは黒いスーツ姿の男性に話しかけられて、見覚えが無いのに自分の名前を言ったのを変に思った。訝しげな顔をした。
レインが自分のことを誰かわからないのかと思って、カスターだよと言った。
「ああ、キャス。見違えたよ。スーツを着こなすと、そんな風になっちゃうんだ。」
「それで、お連れのお嬢さんは?」
「あ!」
レインはまた、上をみて、手すりを握り締めて、座り込んでいるコーネリアスを見た。
「キャス、ここで、待ってて。」
レインは階段に向かい、3階へあがっていった。
カスターがミセス・ロックフォードを置き去りにしたことを思い出し、振り返ると、彼女は少しはなれたところで、つばの広い帽子をかぶってたっていた。
カスターが近づくと、彼女は、カスターの右手を手に取り、紙を手渡した。
「今の若い紳士はあなたのお連れさんかしら。曲芸師かと思ってしまいましたわ。
今晩、よろしかったら、わたしの部屋にいらっしゃらないかしら。一人だと寂しくて眠れないの。」
「はぁ!」
カスターは渡された紙をあわてて、スーツのポケットに仕舞い込んだ。
ミセス・ロックフォードは、カスターの横を通り、そのまま、玄関へ向かって、劇場を後にした。
小さな手がジリアンの服を掴んだまま、放さなかった。
セイラは掴んでいないほうの手で目をこすった。
「お嬢様、そのようなことをされては、ジリアンさんがお困りになりますよ。」
メイドのカミーユはセイラを諭した。
「嫌よ。お兄ちゃんと一緒に眠るの。明日にはお別れしなくちゃいけないのでしょう。」
「また、会えるよ。明日の朝、会おう。セイラ。」
セイラの目の高さにしゃがみこんで、優しく言った。
「ぜったいだよぉ。ぜったい、明日の朝ね。」
ようやく、掴んでいたジリアンの服を手放した。
カミーユに促されて、セイラはダイニングルームを出た。
食事を済ませて、理事長と話をしなければならなかった。
席に着いて、食後の飲み物が出された。ボーイが部屋を出てドアが閉まったのを確認して、理事長は話を始めた。
「ジリアン君。セイラのことをどう思っているのか聞きたい。」
「え、かわいいと思いますけど、なぜですか。」
「妹として大事にしてくれるかい。」
「ええ、もちろんです。」
「では、話をしよう。大事なことなんだ。」
ジリアンはつばを飲み込んだ。
「セシリアとわたしの間にセイラという娘しかいない。グリーンオイル財団の理事長として、後継者がいない場合、排除されるんだ。
皇族と違っていてね、我々の場合、男子しか後継者として認められないのだよ。」
理事長は、セシリアとの間に男子が生まれるようにと努力したのだという。
しかし、麻薬に犯されてしまったセシリアはもう子供を生むことができないでいる。
跡継ぎがいない場合、排除されるというのは、殺される事を意味すると言った。
「ま、まさか。」
ジリアンはその話を信じようとしなかった。しかし、現に、前理事長が跡継ぎがいなくて、殺されてしまったのだと。
「ジリアン君は、君にお兄さんかお姉さんがいた話を聞かなかったかな。」
「はい、でも、亡くなったと聞いてます。」
「しかし、亡くなっていないのだよ。クレア先生の養父ダン先生が亡くなられた時、そういう情報があるのを知ったのだよ。」
ジリアンは理事長をにらみつけた。話がダンの死に絡んでいるというのが受け入れられなかったからだ。
「誤解されては困るが、我々がダン先生の死を導いたわけではないのだよ。
君にとって、お兄さんかお姉さんになるその人物がいれば、わたしの養子にするのだが、生きているとわかっていてもどこにいてるのか。」
理事長の言わないとしている事を理解したジリアンは、椅子から立ち上がって、言った。
「僕にあなたの養子になれというのですか!」