第十四章 まさか 女難 3
ホテルのロビーは、今の緊急事態で起きたことで、けが人が増え、人がごった返していた。
車椅子の老婦人が開いていた目をゆっくり閉じていた。
老婦人の首筋に右手をやる白髪のオンナがいて、つばの広い帽子を左手に持ち、ロングドレスを身にまとっていた。
老婦人の目が閉じたのを確認すると、耳元でなにかを囁いた。
そして、オンナは何事もなかったように、その場から立ち去った。
テオ少佐はアルバートを担いで、ロビーの空いた長いすを見つけて、そこにアルバートをうつぶせに寝かせた。
看護士を捕まえて、手当てを頼んだ。
レインは周りの様子を見回し、キョロキョロしていた。
ジリアンはアルバートの耳元に近づいて、「もうすぐ診て貰えるからね」と囁いていた。
アルバートはジリアンの手を掴んだ。
「そばにいて。」
「わかったよ。」
ジリアンは本当のアルバートの姿を知って、彼を嫌がらなくなった。
もう、怖がらなくていいんだと自分に言い聞かせていた。
キョロキョロしていたレインを先ほどの老婦人がすこし離れていたところからじっとみつめていた。
レインは、もしかしたら、エミリア上等兵がいるのではないかと思って探していた。
訓練生だからもちろんいるはずもない。
アルバートのところへ看護士がつれてきた医者がやってきた。
アルバートの着ていた服をはさみで切り、患部をあらわにさせた。
青いあざがところどころにあり、切り傷自体はたいしたことが無いと医者は言った。
看護士に手当てを言いつけると、医者はまたどこかへ行ってしまった。
看護士が消毒液を綿棒にひたすと、傷口に塗り始めた。
「ウウッ」
アルバートは痛みに耐えて、ジリアンの手を強く握り締めた。
レインがアルバートの様子に振り返ると、レインをじっと見ていた老婦人と目が合った。
「坊や!」
老婦人は大きな声で叫んだので、レインは後ろを振り返って、誰かいないか確認した。
叫んだ相手が自分じゃないかと前を向きなおすと、また、老婦人は叫んだ。
「坊や!危ないからこっちに来なさい。」
老婦人はレインの目をみて、右手で手招きをした。
レインは見知らぬ老婦人が誰かと勘違いしていると思って、首を振った。
「お義母さん、どうかなさったの。」
車椅子の老婦人に中年の女性が声を掛けた。
「誰が、あなたのおかあさんなの?私には息子しかいないのよ。娘はいないのだから。」
「また、始まったのね。なにもこんな時に。」
「何を言ってるの、あそこに、一人息子のルチアーノがいるわ。呼んできて頂戴。」
「あなたの息子のルチアーノは・・・・。」
最後まで言葉を口にできないままに、その女性は老婦人の指差す方向を見た。
そこには、栗色の巻き毛の色白の少年が立っていた。
その女性が知っているルチアーノには似ても似つかなかった。
「あの少年はルチアーノではありませんよ。ルチアーノはあのような汚い作業着なんて着てませんもの。」
「そうかもしれないけど、あの子はルチアーノよ。友達に騙されてあのような格好をしているのよ。早く呼んできて頂戴。」
女性は仕方なく、老婦人から離れて、少年の所へ向かった。
栗色の巻き毛の色白の少年レインは、車椅子の老婦人のそばにいた女性がこっちに向かってくるのがわかった。
なにがどうなっているのかわからないながら、人違いだからって言おうとレインは考えていた。
「ごめんなさい。見ず知らずの人から、お願い事を頼まれたら、聞いてもらえるかしら。御礼ならいくらでもするわ。」
女性にそういわれて、何を言おうとしているのかレインには理解できなかった。
「あのぉ、僕、人違いされていると思うのですが。」
「そうなの、人違いもなにも、思いこんでいるの。」
車椅子の老婦人を振り返り、女性は言った。
「あの車椅子の女性は、5年ほど前に一人息子を事故で亡くして以来、痴呆症がひどく進行してしまったの。
今、あなたのことを一人息子のルチアーノだと思っているのよ。わたしはそのルチアーノの妻なの。」
レインはわかるようでわからないながら、状況が飲み込めた。
「お願い事って何でしょうか。」
「聞いてくださるかしら。」
「出来ることでしたら。」
「私たち、これから、実家があるコロンバ自治区に向かうの。一緒に来てもらえないかしら。」
「ええ!!」
大きな声が出たので、ジリアンがアルバートの手を離して、立ち上がった。
「どうしたの?レイニー。」
女性はジリアンの方をみやると、また、レインの方へ向き直った。
「あなた、レイニーって言うのね。申しおくれていたわ。わたしはエレーナ=ヴェネクト。あちらの車椅子の女性がわたしの義母でカミラ=ヴェネクト。」
「あ、あの。一緒には行けません。ここには着たばかりで、これから災害救助に協力しないといけないんです。」
「あなたのような少年が協力するの?邪魔になるだけじゃないのかしら。」
レインはむっとした。そんなあからさまに言うことないのにと思った。その様子にエレーナは、すこし言い過ぎたと気づいた。
「僕にだって、役立つことはできます。スタンドフィールドドックでグリーンオイル生産に携わっていたのですから。」
「失礼なことを口にしてしまったみたいね、謝るわ。ごめんなさい。でも、どうしても、一緒に来てほしいの。
これでもう、5度目なのよ。違う人を捕まえては、息子のルチアーノだと言って聞かないの。
あなたのような少年は初めてなのだけれど。」
レインが車椅子の老婦人を見ていると、老婦人の後ろにいつの間にか、つばの広い帽子をかぶったロングドレスの女性が立っていた。
「実家にもどるまで一緒についてきてくれればいいの。実家にもどれば調子がよくなって、人間違いしたと理解できるようになると思うの。
コロンバ自治区はここからさほど遠くないし、自家用ジェットでいくから、半日で戻ってこれるわよ。どうかしら。」
「兄さんに相談しないと、ここから離れちゃいけないんですよ。」
「お兄さんはここにいらっしゃるのかしら。私のほうから説明させてもらうわ。」
「30分後には、ここに到着する予定なのです。」
「そう、とりあえず、義母に挨拶だけでもしてくれるかしら。息子のように振舞ってくれればありがたいのだけれど。」
レインは、無言で頷くと、エレーナに手を引かれて、老婦人に向かっていった。
ジリアンは心配そうにレインを見ていたが、レインは心配しないようにと言ってと手を振った。
「あら、ミセス・ロックフォード、もう御立ちになるのかしら。」
エレーナはロングドレスの中年女性に声を掛けた。
「ええ、そうなの。せっかく、お近づきになれたのに、寂しい限りだわ。
でも、離陸許可が下りないのよ。いたし方ないわね。この状況ですもの。」
レインが老婦人に近づくと、老婦人はレインの手を握った。
「まぁ、どうして、このような姿をしているの。手もこんなに汚れて。誰かにいじめられているの?」
レインが困惑している様子に、ロングドレスの女性は腕を組んでいった。
「エレーナ、また、始まってしまったのね。」
「ええ、そうなの。少年は初めてなのだけど、無理を承知でコロンバ自治区まで一緒に言ってもらえないかとお願いしてたところなの。」
「あら、ご実家はコロンバ自治区なの?近いんじゃなくて。素敵なところよね。」
「ええ、あそこには古びているけど手入れが行き届いた屋敷があるのよ。主人が幼少のころ育った場所だから、義母も落ち着くと思うの。」
「そうねぇ、その方がいいわ。少年にはいきなりな話しで迷惑でしょうけど。」
そういって、ミセス・ロックフォードはレインにウインクをした。レインはたじろいだ。
「ねぇ、ルチアーノに着替えをさせてあげて。このような格好させたままにできないわ。」
「そうですね。」
エレーナは周りをキョロキョロと見始めた。メイドがいるはずなのだが、見あたらなかった。
「エレーナ。わたし、お手伝いできると思うの。少年を預からせてもらえるかしら。」
「お願いしたいのはやまやまなのだけど、まだ、了解を得ていない話しなものだから。」
「とりあえずは、少年の格好を何とかしなければ、婦人がかわいそうだわ。」
エレーナはレインに向かって、ミセス・ロックフォードを紹介した。
「こちらは、ミセス・ロックフォードとおっしゃって、ご主人が宝石商の方で、ご自身は作家でいらっしゃる方なの。
滞在していたこのホテルで部屋がお隣同士のお近づきになって、親しくさせてもらっていたの。」
エレーナに紹介されてミセス・ロックフォードはつばの広い帽子を脱いで見せた。
セミロング白髪が帽子からこぼれるように、滑らかに揺れた。
「はじめまして、よろしく。」
手袋をしていた右手を出されて、レインはキスをすればいいのかどうか、悩んでいたが、ミセスロックフォードはレインの手をとって手を合わせた。
「あ、よろしくお願いします。」
ミセス・ロックフォードはレインの手を握った。
「着替えをしてきてもらえないかしら、ミセス・ロックフォードがお手伝いしてくださると言うから。」
エレーナがそういうと、ミセス・ロックフォードはレインの手を引いて連れ出そうとした。
「え、でも、僕、兄さんに・・・。」
「あなたに兄さんなんていないのよ。何を言っているの。ちゃんと着替えてらっしゃい。」
老婦人にそういわれて、仕方なくレインはミセス・ロックフォードについていった。
レインを連れ去っていく様をみていたジリアンは驚いて止めようとしたが、アルバートがジリアンの腕を取って放さないでいた。
そのころにヴェネクト家のメイドが現われ、エレーナはメイドに老婦人を任せて、ジリアンのところへ言って、レインを連れ去った理由を述べた。
レインは、このホテルのブティックフロアにミセス・ロックフォードに連れていかれた。
紳士服店に入ると、身長と肩幅、足のサイズなどを測られた。ミセス・ロックフォードが店員に言付けると、レインをつれて、店を出た。
「どこへ連れて行かれるのですか。」
「わたしの部屋よ。」
「え?」
「そんな汚れた体で紳士の服を着せるわけにいかないわ。シャワーを浴びてもらうわ。」
エレベーターに乗ると、最上階に行き、ペントハウスと書かれたドアをノックした。
中からボーイが出てきて、ミセスロックフォードとレインを中に通した。
ミセス・ロックフォードがボーイに言付けると、レインはそのボーイにシャワー室に連れて行かれた。
ボーイが服を脱がそうとするので、自分で出来るからとボーイをシャワー室のすりガラスの向こうへと追いやった。
(なんか、大変なことになったような気がする。兄さんに怒られるんじゃないのかな。)
老婦人に人間違いされて、何もかもが用意されたように話しが進んできた様子に、違和感を感じながらも、夢でもみているような、別世界にいきなり来た状態にレインは感じていた。