下見
「おーい、透」
支部長室をあとにして、自室へと向かう道すがら。
背後より、そう声を掛けられる。
俺を透と呼ぶ人物は、この魔術組合の中では二人だけ。
すぐに見当がついた。
「よう。空」
振り返ると、やはりそこには空がいた。
大人しめな色合いの、動きやすそうな衣服を纏っている。
「仕事の件、支部長から聞いてるか?」
「あぁ、明日の午後六時だろ?」
「その通り。だから、今日中に下見に行っておきたいんだ。時間、あるか?」
下見か。
現場は行ったことのない場所だし、そういうことも必要か。
幸い、予定はない。
強いて言うなら、この支部を見て回って土地勘を得たかったけれど。
それはまた今度にすればいい。
優先すべきは、下見のほうだ。
「あぁ、大丈夫だ。今から行くのか?」
「都合がいいなら、そのつもり」
「じゃあ、行こう。案内は任せたぜ」
「おうよ、任せときな」
そう言って、空はにっと笑う。
その笑顔がよく似合うと、そう思った。
「じゃあ、このままロビーに行って――」
そうして歩き始めた矢先のこと。
俺の胃袋に住む腹の虫がうなりを上げた。
そう言えば、早朝からなにも食べていなかったっけ。
時刻も昼下がりだしな。
「あっはっは。折角だし、近くのうまい定食屋も紹介するよ」
「助かる。是非、そうしてくれ」
空に案内を任せ、俺たちは支部の外へと向かう。
あの古めかしい書店から出て、俺たちは腹ごしらえのために定食屋へと爪先を向けた。
「――はいよ、とんかつ定食二人前、おまち」
カウンターに置かれた、とんかつ定食。
ほのかに湯気のたつ、美味しそうな食べ物。
それは今まで食べたことのない、料理だった。
「いただきます」
箸で一切れ持ち上げ、口へと運ぶ。
舌に乗り、歯で噛み砕いた瞬間、体験したことのない未知が広がった。
「うまいな、これ」
「あったりめぇよ。この俺が造ったんだからな」
俺の感想に、このとんかつ定食を造った店主が豪快に笑う。
見た目はすでに還暦を迎えていそうなのに、随分と若々しい人だ。
身体もかなり鍛えられている。
「にしても、嬢ちゃんが男を連れてくる日がくるなんてな」
「ぶふっ!? ――げほっ、げほっ」
店主の一言で、空はなぜか吹き出しそうになり、むせた。
「じいさん……冗談はよしてほしいな。私とこいつはそんなんじゃない。ただの同僚だよ」
「なんだ、つまらんのう。お前もいい歳なのに、惚れた腫れたの一つもないのか」
「余計なお世話だ。それに私はまだ十八で、いい歳なんかじゃない」
「そうか? お前くらいの歳の子ならもうあんなことやこんなこと、普通にヤっとるじゃろうに」
「セクハラだぞ! くそじじい!」
空は今日も絶好調な様子だった。
相変わらず元気そうでなにより。
「まったく。飯が冷めちまう」
一通り言い合いも終わったようで、空は再び食事を再開した。
「透もちゃんと食っておくんだぞ。明日には妖怪と一戦交えるんだからな」
「あ、あぁ」
「うん? どうかしたのか?」
「いや、そんな大きい声で言っていいのか? それ」
妖怪や魔術師のことは、公にされていないはず。
近くに店主もいることだし、迂闊に話題にしてはいけないのでは。
「あぁ、そのことか。ここはいいんだ。あのじいさんは元魔術師だから」
「そうなのか? 言われてみれば」
もともと若々しい人だとは思っていた。
年の割には鍛えられているし、雰囲気にも貫禄がある。
それが昔取った杵柄だったとは、ちっとも思わなかった。
けれど、そう考えてみると納得がいく部分がある。
「俺も現役時代はぶいぶい言わせてたもんよ。そりゃあもう妖怪どもを千切っては投げ、千切っては投げ……」
「あーはいはい。武勇伝は聞き飽きたから」
「なんじゃ、つまらんのう」
そんな楽しい会話を交えつつ、俺たちはとんかつ定食を平らげた。
非常に美味しく、支部の食堂ではなく、こちらに寄った甲斐があったと言うもの。
次ぎから暇があれば、この定食屋の世話になることにしよう。
「それじゃ、仕事がんばってな」
「はい。ごちそうさまでした」
店主に見送られて、定食屋をあとにする。
腹が満たされて、気力も回復した。
次ぎは件の現場へと向かうとしよう。
「――この辺りだな」
空に案内されて街中をあるき、現場へと到着する。
そこは長い川に沿うようにして造られた道路。
片側には転落防止の鉄柵が連なり、もう片側には背の高い塀がそびえていた。
歩道から道路にかけてには、木々の落ち葉がいたるところに散乱している。
端に寄せられた様子も、通行人や自動車によって吹き飛んだ様子もない。
それはここの人通りが少ないということ示していた。
「まだ四時手前か。幽世の気配は感じないな」
「私も感じない。まぁ、基本的に逢魔時にならないと、現世と幽世は繋がらないし」
「午後五時から七時のあたりか」
そう話をしながら、ゆっくりと道路を歩いて行く。
すると、後ろから軽快な足音が聞こえてきた。
風のように走り、俺たちを追い抜いたのは、小さな子供である。
「子供……七歳くらいか?」
「いや、たぶん八歳だ。神性を感じない」
「そっか。なら、注意しておかないと」
「あぁ、戦闘中にあの子が紛れ込んだら一大事だ」
彼が七歳だったなら、まだ天神の加護があった。
誤って幽世に入り込んでしまっても、妖怪に出逢うことなく抜けられただろう。
しかし、彼はすでに人間だ。神性を失っている。
通常、幽世に人間が迷い込むことなど稀だけれど、万が一ということもある。
ただのか弱い一般人が幽世で妖怪と出逢ったら、命の保証はない。
「にしても、なにしてるんだろ。あの子」
空は疑問に思いながら視線を向けている。
「拝んでる、のか?」
少年はある地点で立ち止まり、両手を合わせて念じるように瞼を閉じている。
その様子を不思議に思いながら、それとなく少年の後ろを通り過ぎていく。
ちらりと目を向けた先、少年が拝んでいた先は、小さな祠だった。
少年は、祠を拝んでいたのだ。
「あんなところに祠があったのか」
「空も知らなかったのか?」
「あぁ。一応、そういう類いの位置情報は頭に入っているんだけど。あれは支部の資料庫にも、記載されていなかった気がする。つまり……」
「あれはもう祠として機能していないってことか」
神様とて人から造られた者。
人が存在を忘れてしまえば、神も掻き消えてしまう。
奉るための祠も、そうなってしまえばただの箱だ。
あの少年は、そんな空っぽの祠になにを熱心に頼み込んでいたのだろう?
そう疑問に思いはしたけれど、それ以上は深く考えなかった。
それからもうしばらく下見を続け、俺たちは支部へと帰還した。
そして、一夜が明けて俺の初仕事が幕を開ける。