質問係女子と解説係男子
遠足と並行して行なわれる舞台のメンバー発表が行なわれてから一週間が過ぎた。火曜日の放課後、稽古場が閉まっているため自主練習も出来ない曜日であり、俺が図書委員として図書室の司書をしなければならない日。俺はカウンター奥の椅子に腰掛けて、ただ呆然としていた。
「どうしたのよ、心ここに非ず、みたいな顔して」
そう言ってきたのは、何故か今日も図書室に居る峰岸だ。遠足の下調べは終わったのか終わっていないのか解らないが、少なくとも今日の彼女の手元には、なんの資料も置かれていない。そもそも、たかだか遠足の下調べなのだから、そんなに何日もかけて行なうものでは無かったのかもしれない。
「…………」
俺は何も答えなかった。というより、答えられなかった。なにせ、心ここに非ず、と言われても、その自覚が無かったのだから、答えようがない。
「あんたってほんと不思議ちゃんよね」
そんな俺を見て、カウンターから一番近くのテーブルで頬杖を着いている峰岸が眉を潜めた。おい、不思議ちゃんってなんだ。ちゃんを着けるなよ。舞台の上では『恵ちゃん』って呼ばれる事が多々ある俺に対して、しかしそれでも男らしくありたいと日々願っている俺に対してその呼び方は虐めだ。
「演技の時とか、私に謝ってきたあの時とかはすごく感情的だったのに、普段はほんとに無口。何考えてるのか全然解んない」
その言葉に、少しだけムッとした。
言葉にしなければ感情は伝わらない。だから、基本的に無口である俺の感情が読み取りにくいのは当然の事だ。
先日改めて峰岸と友達になったとはいえ、言ってしまえば初めての友達に対してさっそく気兼ねなく感情を吐露出来るほど、俺は適応性に優れていない。
「喋るのがめんどくさいの?」
そう聞かれ、ムッと結んでいた口元を解く。
そういえばそうだ。喋るのがめんどくさいなんて事は決して無い。決して無いのだが、俺は今までずっと、他人との間に壁を作っていた。その壁のひとつが無口である事だった。ならば、もう壁が必要ではなくなった峰岸に対しては、むしろ喋らなければならないような気がしてきた。
「……癖になってるのかも」
そう答えた。
「癖? 黙ってるのが?」
頬杖から身を起こし、少しだけ乗り出してくる峰岸。それでもテーブルとカウンターの間にある距離のおかげで、俺が安心できるだけの間隔は保たれていた。
俺は頷く。
「でもそうよね、今まで学校ではずっと黙ってたんだもの。喋らないのが癖になるっていうのは、当たり前なのかも」
勝手に解釈してくれた。といっても、その解釈は俺の考えとは異なっていた。
喋らないのが癖になっているのではなく、感情を隠すのが癖になっているのだと俺は思ったのだ。
演技し続け、演技だけを繰り返して来た俺は、一之瀬恵吾という人間の感情を恵というキャラクターに託してきた。それ故に恵である時は上手く感情をコントロール出来るが、そうでない時、つまり一之瀬恵吾の時は気が緩んでしまうのかもしれない。
気が緩んで感情のコントロールが出来なくなっているから、感情表現が出来ない。それが一之瀬恵吾という人間なのかもしれない。
そこまで考えても、峰岸には言わなかった。
感情は言葉にしなければ伝わらない。そしてこれは伝わる必要の無い事だ。だから俺は黙った。
こういうのもまた、峰岸が言う不思議ちゃん要素のひとつなのかもしれない。
「でも、それとこれとは話が別。あんたが感情を隠してるにせよ表に出せないにせよ、恵吾が心ここに非ずだったのは確かよ。何か悩んでるんじゃない?」
成る程、と思った。見透かされて驚いたのもあるが、それよりも、峰岸はこうやって相手の事を思いやれるから友達が多いのか、と、そんなどうでもいい事に納得した。思い返せば峰岸は、出会った初日、というか初めて会話をしたあの日、俺とぶつかった後、バスの中で俺の心配をしてきた。そういうのも含めて、やっぱり峰岸は優しいやつなのかもしれない。
「ちょっとショックな事があったんだ」
言うと、峰岸は首を傾げる。
「遠足のせいで舞台に出られなくなったって話し?」
正解のようでそうでないようで、根本では正解の回答だった。
「その延長、かな。俺の役を沢野さんが代わりにする事になって」
「なって?」
「……なんか、自信失くした……」
「はぁ?」
口をあんぐりと開けて呆れる峰岸。そこまで露骨に小ばかにしなくても良くないか? なにせ準主役の俺が、主役級の人間に役を持っていかれたんだぞ。
「教えた事も殆ど無くて、どんどんすごい演技するようになって……。俺がやる少女よりも、沢野さんの少女のほうが、少女らしいというか……」
先週一週間で痛感したことだ。やはりいつもヒロインを任されているだけあって演技力は劇団トップクラスだ。少女役一辺倒でやってきた俺と違って色々なヒロインを演じてきたという経験も重なり、沢野さんは容易く少女役をものにしてみせたのである。
「沢野さんって、夢ちゃん? 夢ちゃんが恵の代わりなの? ……あー、それは確かに……いやでも夢ちゃんってスタイル良いじゃない。恵級のロリっ子感は出せないはずよ」
「体系はさらしで誤魔化して、身長は、他のメインキャラを高身長の人で固めて、父親役には劇団で一番背の高い伊藤さんに任せる事で身長を誤魔化すって」
それもまた、役者大幅変更の理由のひとつだ。
「そんなにメンバー変えるの? 恵吾が抜けるだけで?」
その言葉に、俺は首を横に振る。
「俺だけじゃなくて、梶山さんも出られないんだ」
「梶山さん……カジさん!? 恵吾が居なくてカジさんも出られないなんて……パンダとキリンとツキノワグマが売りの動物園でパンダとキリンが居なくなったみたいなもんじゃない」
「それは事情が事情だから仕方ないだろ」
で、その例えでいくと沢野さんはツキノワグマなんですかね……。
「なんの演目をやるの?」
「約束」
答えると、峰岸は少しだけ考えた。
「ということは、少女役を夢ちゃんさんがやるのよね。お父さんだったカジさんの代わりは誰がやるの?」
なんで演目言っただけで役割分担まで思い出せるんですかね、この人……。
「伊藤さんだよ」
「伊藤さん……ん? なんだっけ、伊藤園さん?」
「そう」
伊藤園というのは伊藤さんの役者名だ。完全にネタに走っているように思えるが、実の所そうではない。伊藤楽園という変わった名前だが、その本名から楽を抜いただけである。
「パンフでインパクトのある名前だったから覚えたんだけど……普段はどんな役やってる人?」
聞かれ、少し困った。演目約束では、伊藤さんは村人だったのだ。村人の中でも富豪父に買収されている場面を演じたり、逃げる少女と主役父を追いかけ回す際にメインとなっていたため端役とは呼べないが、例えに出すには少々心もとないだろう。
しかし、峰岸には調度良い例えが見つかった。
「『馬のたずな』の馬」
「え!? すごいじゃない!」
峰岸は目を輝かせて立ち上がる。峰岸は馬のたずなという演目に思い入れを抱いてくれているため、これが一番解り易いと思ったのだが、その読みは正しかったようだ。
それに、馬のたずなは俺が一番最初にメインをやっただけあって、俺にも思い入れがある。
「馬のたずなの馬って確か幼馬から老馬になるまで、ずっと同じ人がやってたわよね。着ぐるみだったとはいえ、あの動き方とか、すごい鮮明でよく覚えてるわ」
それはすごい記憶力だ。素直に驚いてしまった。
「伊藤園さんがカジさんの代わりで、夢ちゃんが恵吾の代わり……うーん、それはちょっと、いや、結構かなり、見てみたいかも……」
キラキラと目を輝かせているところ申し訳ないが、それは叶わぬ夢だ。なにせその大幅な配役変更は、俺達が遠足へ行かなければならないが故に起きたことなのだから。
「あれ、でも……」ふと、峰岸は唇に人差指を当て、上目遣いで天井を見ながら呟く。「だとしたら夢ちゃんがやってた悪女さん役は誰がやるの?」
その疑問は最もだ。
「安達先輩だよ」
そう答えると、しかし峰岸は首を傾げる。
「安達……役者名は?」
「ない」
「は?」
呆然とされてしまった。
俺は続ける。
「今までメインをやった事が無くて、脇役しかやってなかったから、これといった役者名が無いんだ。今考えてるところだから次のパンフには乗るかもしれないけど」
「それで大丈夫なの? 夢ちゃんの代わり」
その心配もまた最もだ。きっと、劇団の誰もが思っている事だし、なによりも安達先輩自信が不安に思っている事だろう。
「さぁ」
だから俺はそう答えた。
「今の時点では、どうにも」
そう答えるしか無かった。




