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∞ヶ月目

 あの日から、時間は止まらなかった。

七月が終わり、八月に入る。

変わらない朝。

変わらない空。


「……」

でも。

一つだけ、確実に変わったものがある。


「……」

唯菜のチャンネル。

動画は増え続けていた。


新しい曲。

ソロの歌。

コラボも続いている。


「……」

再生数は伸びる。

コメントも増える。

名前も、少しずつ広まっていく。


スタジオに座る。

マイクの前。

一人。


前とは違う。

隣に、陽翔はいない。



でも。

画面にはいる。

「陽翔」

その名前が、そこにある。


指を動かす。

言葉を打つ。

再生する。


流れてくる声。

聞き慣れた声。

変わらない声。



目を閉じる。

ほんの一瞬だけ。

それから、開く。


録音ボタンを押す。

自分の声で歌う。

今度は、一人で。




 あれから、何ヶ月経っただろう。

季節は変わっていた。


気づけば、

私はニーホンでも有数の歌手になっていた。


大きなステージ。

照明。

歓声。

名前を呼ぶ声。

全部が現実になっている。



曲は、どれも評価されていた。

ランキングにも入る。

話題にもなる。


そのほとんどに。

陽翔の声があった。


そして、

私の声。

二つの声が重なって、

一つの形になる。



画面の中でも。

ステージの上でも。

隣にいる。


でも。

本当の意味では、

もういない。


それでも、

私は歌う。


この声で。

この形で。

前に進むために。




 世間は、ざわついていた。

曲が広がるほどに。


「この男性の声、誰?」

「なんで名前出さないの?」

「もしかして、唯菜の彼氏?」

コメントは増え続ける。


考察。

噂。

好き勝手な言葉。 

画面をスクロールする。

止まらない。


「すごいデュオ」

「この組み合わせ最強」

「男の人の声も好き」 


評価は高い。

間違いなく、受け入れられている。



でも。

名前は、どこにもない。

“陽翔”

その名前は、

どこにも表示されていない。



唯菜は、画面を閉じる。

静かに。

誰も知らない。

この声が、誰なのか。


知らなくていい。

そう思う。


でも。

本当は。

少しだけ。

悔しかった。

 

 


 地元の歌番組。

久世庵とも関わりのある企画で、

「地元を盛り上げよう」というコーナーだった。


スタジオは明るい。

照明も、カメラも、全部が軽やかで。


「唯菜さん、最近すごいですよね」

司会者が笑顔で話しかける。


「ありがとうございます」

自然に返す。

もう慣れている。


「隣にはネメシスさんも来てくれてます」


「どうもー」

ネメシスが軽く手を振る。

いつも通りの空気。


「今日はですね」

司会者が続ける。

「地元の歌手について、いろいろ聞いていきたいと思います」



質問が始まる。

好きな場所。

影響を受けたもの。

活動のきっかけ。

どれも、問題ない。


そして。

「ちなみに」

司会者が、少しだけ声を弾ませる。

「最近話題になってる、あの男性ボーカルの方」


「……」

空気が、少し変わる。


「お名前、まだ公開されてないですよね?」

笑顔のまま。

でも、逃げ場はない。

「どんな方なんですか?」



言葉が止まる。

カメラが向く。

ライトが当たる。


隣を見る。

ネメシス。

いつも通りの顔。

でも。

何も言わない。

任せている。


答えないといけない。

でも。

言えない。

喉が、少しだけ詰まる。




 スタジオの空気が、少しだけ重くなる。

「……」

唯菜は言葉を探す。


でも。

うまく出てこない。


カメラが向く。

ライトが当たる。

逃げ場はない。



小さく息を吸う。

それから。


「私に」

ゆっくりと口を開く。

「生きる意味をくれた人です」

はっきりと言い切る。


「……」

一瞬、静まる。

スタジオの空気が止まる。


誰も、すぐには言葉を出せない。

軽い返しができる雰囲気じゃない。


司会者も、一瞬だけ言葉に詰まる。

それでも、なんとか笑顔を作る。

「……そうなんですね」

少しだけトーンを落とす。

「すごく大切な方なんですね」


「……はい」

短く答える。


それ以上は、聞かれない。

聞けない。

そんな空気だった。


隣を見る。

ネメシスが、少しだけ頷く。

何も言わない。


でも。

それで十分だった。




 「今日は、その方は来ていないんですね」

司会者が、少しだけ遠慮がちに言う。


「……」

空気が、また揺れる。

言葉を選んだつもりの一言。

でも。

踏み込んでいる。


「それ以上は」

ネメシスが口を開く。


声は穏やか。

でも、はっきりしている。

「やめて下さい」


スタジオが静まる。


ネメシスは続ける。

視線を司会者に向けたまま。


「唯菜さんが、どんな気持ちで」

一つずつ言葉を置く。

「今の質問に答えたか」


少しだけ間を置く。

「貴方達には分からないでしょう」



誰も、何も言えない。

空気が止まる。


司会者が、小さく頭を下げる。

「……申し訳ありません」

それ以上は続けない。


カメラの向こう側も、

きっと静まっている。

唯菜は、何も言わない。

ただ、前を見ている。


その横で。

ネメシスが、静かに立っていた。


 


 放送が終わった直後。

ネットは、すぐに動いた。


「誰なんだ?」

「亡くなってる人?」

「重すぎる」

憶測が、次々と広がる。

止まらない。


画面を閉じる。

深く息を吸う。


逃げることもできた。

何も言わないまま、

時間に任せることも。


でも。

それは違うと思った。



スタジオに座る。

いつもの場所。

カメラの前。

一人。


録画ボタンを押す。

赤いランプが点く。


少しだけ間を置く。

それから、まっすぐ見る。


「こんばんは」

いつもの声。

でも、少しだけ違う。


「今日は」

言葉を選ぶ。

「話したいことがあります」


一度、息を整える。

「私の曲で、一緒に歌っている声についてです」

はっきり言う。

逃げない。 


少しだけ視線が揺れる。

それでも。

続ける。



「彼は」

短く区切る。

「もう、この世界にはいません」


静かな言葉。

でも、重く落ちる。


「それでも」

唯菜は続ける。

「私は、この声と一緒に歌います」


言葉を選ぶ。

最後に。

「私に、生きる意味をくれた人だから」




 彼女は、やがて。

ネメシスに続く歌姫へと、

登り詰めていく。

それが、何年後のことになるのかは分からない。


でも。

今は、まだその途中だ。



スタジオに座る。

一人。

画面の前。


「……」

名前を打つ。


“陽翔”


そこにある声。

変わらない声。


信じている。

隣にいると。

形が変わっただけで、

消えたわけじゃないと。

 

指を動かす。

言葉を紡ぐ。

音を重ねる。



今日も、曲を作る。

前を向いて。

進み続けるために。




 ここまで読んでくれて、ありがとう。

私の話は、これで終わりです。


きっと、思った人もいると思う。

どうして、あの時止めなかったのか。

どうして、気づいていたのに。


「……」


正直に言うと、

私にも分からない。


ただ。

あの時の私は、

あの選択しかできなかった。



後悔がないと言えば、嘘になる。

もっと、違う未来があったかもしれない。


それでも。

私は、あの日々を否定したくない。


陽翔がくれたものは、

今もちゃんと残っている。


声も。

時間も。

全部。



だから、私は歌う。

これからも。

ずっと。



もし、この物語を読んで、

誰かを大切にしたいと思えたなら。


少しだけ、

私と陽翔の時間は意味があったのかもしれない。


最後まで読んでくれて、本当にありがとう。


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