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3/3

3ヶ月目 理解

 「……食べる?」

陽翔が、小さく言う。

手に持った団子を、少しだけ持ち上げる。


「……」

視線が、勝手にそこにいく。

つやのある団子。

昨日テレビで見たやつ。

何も言わない。

言いたくない。



「……食べないなら」

少しだけ間。

「……全部食べるけど」

そのまま、続ける。


「……」

(……は?)

思わず、眉が寄る。

「……なにそれ」

少しだけ、苛立ちが混ざる。


「……別に」

陽翔は、特に気にした様子もなく言う。

「……いらないなら」


その言い方。

ちょっとだけ、引っかかる。

(……いらないわけじゃないし)


でも。

素直に言うのも、なんか嫌だ。


「……」

少しだけ、沈黙。

陽翔は、それ以上押してこない。

ただ、団子を持ったまま。

(……ほんとに食べる気?)


一瞬、焦る。


(いや、別にいいけど)

(でも——)

気づいたら、手が伸びていた。

「……一個だけ」

小さく言う。


陽翔は、少しだけ頷く。

何も言わずに、皿を寄せる。


団子を一つ取る。

少しだけ、緊張する。

(……なんでこんな)

口に入れる。


甘さが、広がる。

昨日想像してた味より、

少しだけやさしい。


言葉が出ない。

(……普通に美味しい)

でも、それをそのまま言うのは悔しい。



陽翔は、何も言わない。

ただ、こっちを見ないまま。

自分の団子を食べている。


静かな時間。

さっきまでの空気とは違う。

(……なんなの)


同じものを食べてる。

それだけなのに。

少しだけ、

距離が近い気がした。


もう一つ、手が伸びる。

今度は、何も言わなかった。




 四月。

少しだけ暖かくなった空気。

窓を開けると、風がやわらかい。

外からは、どこか浮ついた声が聞こえる。


笑い声。

話し声。

新しい季節の音。


「……」

制服を着た人たちが歩いている。

花びらが、ゆっくり落ちる。


(……春か)

ぼんやりと思う。

卒業とか、入学とか。

区切りの季節。

終わるものと、始まるもの。



「……」

ふと、頭に浮かぶ。

(……あいつ)

陽翔。

同い年くらい。


本来なら、何かが終わって、

何かが始まってるはずの時期。


でも——

「……関係ないのか」

小さく呟く。

あいつは、変わらない。

部屋にいて、

あまり出てこなくて、

相変わらず、不器用で。


「……」

少しだけ、考える。

(……本当に?)


最近のことが、浮かぶ。

団子。

アクスタ。

配信。

少しずつ、関わるようになった時間。


「……」

完全に変わってないわけじゃない。

でも。

外から見れば、何も変わってないように見える。


「……」

視線を落とす。

自分の手。

(……私もか)


特に大きく変わったわけじゃない。

相変わらず、人は信用できないし、

距離も取ってる。


ただ。

前より、少しだけ。


言葉にならない。

でも、確かに。

何かが、変わり始めている。


窓の外。

風が、また吹く。

「……春、か」

もう一度、同じ言葉を呟いた。




 キッチンで、母が洗い物をしている。

水の音が、静かに響く。

「……ねえ」

少しだけ迷ってから、声をかける。


母が振り向く。

「どうしたの?」


「……あいつ」

言い方は、まだ変わらない。

でも。

前ほど強くはない。

「働かないの?」


母は、一瞬だけきょとんとした。

「……え?」


「いや、そのままだけど」

少しだけ視線を逸らす。

「ずっと家にいるし」


「……」


母は、少しだけ瞬きをしてから、

「ああ」

思い出したみたいに言う。

「陽翔くんなら、働いてるよ?」


「……は?」

思わず、顔を上げる。

「……どこで」


「在宅だけどね」

さらっと言う。

「ちゃんと仕事してるし、家にもお金入れてくれてるよ」



一瞬、音が消えた気がした。

(……は?)

頭が、追いつかない。


「……いや」

小さく声が出る。

「だって、ほとんど部屋に……」


「うん」

母は普通に頷く。

「でも、パソコンで仕事してるから」


「……」

言葉が、出ない。

(……なにそれ)

今までの認識が、少しずつ崩れる。


引きこもり。

何もしてない。

部屋にこもってるだけの人。


全部、違う?


思い出す。

夜中の物音。

パソコンの光。

部屋から出てこない時間。


全部、繋がる。

(……仕事してた?)


「すごいよね」

母が、少しだけ笑う。

「ちゃんと自分で稼いでるし」


「……」

何も言えなかった。


「唯菜?」


「……別に」

反射的に返す。

でも、声は少しだけ弱い。

「知らなかっただけ」

それだけ言って、視線を逸らす。


「……」

水の音が、また戻る。


その場を離れる。

廊下に出る。

あのドアが、目に入る。


「……」

今までと、同じはずなのに。

見え方が、少し違う。


(……なにそれ)

また、その言葉。


でも、今度は——

少しだけ、

驚きが混ざっていた。




 廊下に出る。

ちょうどその時。

ドアが開く音。


「……」

陽翔が、部屋から出てきた。

一瞬だけ、目が合う。

すぐに逸らされる。

——いつも通り。


でも。

「……」

足が、止まる。

(……今なら)

そんな考えが、浮かぶ。



「……ねえ」

気づいたら、声が出ていた。 


陽翔が、少しだけ驚いたようにこっちを見る。

「……何」

小さな声。


「……あんた」

言い方は、まだ変わらない。


でも。

前より少しだけ、トーンが違う。

「どんな仕事してんの」


「……」

陽翔は、すぐには答えなかった。

少しだけ視線を落とす。


「……その」

言葉を選んでる感じ。

「……動画系?」

少しだけ疑問形。

はっきり言わない。


「……は?」

思わず、眉が寄る。

「なにそれ」

曖昧すぎる。

「動画って、何」


「……」

また、少しだけ沈黙。

「……編集とか」

ぼかしたまま。

具体的には言わない。


「……」

(……怪しい)

正直に思う。


でも。

嘘をついてる感じでもない。

「……それで金もらってんの」

少しだけ、踏み込む。


「……うん」

短い返事。

それだけ。


それ以上は、言わない。

言う気もなさそう。


「……ふーん」

小さく呟く。

納得はしてない。

でも、無理に聞き出す感じでもない。


「……」

少しだけ、間。

さっきまでなら、ここで終わってた。


でも——

「……大変じゃないの」

気づいたら、そう言っていた。

自分でも少し驚く。 

(……なんで)


陽翔が、少しだけ顔を上げる。

「……まあ」

短い返事。

でも、少しだけ柔らかい。




「……それだけ?」

思わず、言葉が出る。

「動画系って何」

さっきより、一歩踏み込む。


「具体的に」

逃がさないように。


「……」

陽翔は、少しだけ視線を落とす。

言うかどうか、迷ってる。


「……教えてよ」

少しだけ、声が強くなる。

「別に変なことしてるわけじゃないんでしょ」


「……」



沈黙。

でも、完全に拒絶してる感じじゃない。

ただ——言いづらいだけ。


少しだけ、間があって。


「……その」

陽翔が、ゆっくり口を開く。

「……ちゃんと話すなら」

一瞬、言葉を選ぶ。

「……呼び方、変えてもいい?」


「……は?」

眉が寄る。

「……何それ」

さっきより自然な流れで、でも意味はわからない。



陽翔は、少しだけ視線を逸らす。

「……姉さんじゃなくて」

一瞬、止まる。

「……お姉ちゃんって」

小さく続ける。

「……呼んでもいい?」


「……」

一瞬、言葉が詰まる。

(……なんで今それ)

タイミングがおかしい。


でも——

「……」

陽翔は、無理に押してこない。

ただ、少しだけ待ってる。

断られたら引く感じ。


「……」

少し考える。

呼び方なんて、どうでもいい。

そう思う。


でも。

「……」

“お姉ちゃん”って言葉が、

妙に引っかかる。


「……別に」

やっと口を開く。

「呼びたきゃ呼べば」

ぶっきらぼうに言う。

視線は逸らしたまま。 



一瞬、間。

それから——

「……ありがと」

少しだけ、さっきよりはっきりした声。


「……」

何も返さない。

でも。

さっきより、少しだけ空気が柔らかい。


「……で?」

すぐに話を戻す。

「仕事の話」


陽翔は、小さく頷く。

「……動画の」

今度は、少しだけはっきり。

「……編集と」

少し間を置いて、

「……配信の手伝い」



その言葉が、静かに落ちる。

「……配信?」


思わず、聞き返す。

「……うん」

短い返事。

それだけ。


でも。

——何かが、繋がりそうな気がした。




動画。

配信。

編集。

さっきまでの会話。


昨日のこと。

久世庵。

ネメシス。


「……」

(……まさか)

小さく息を吸う。



「……ねえ」

少しだけ、声を落とす。

「それって」

一歩、踏み込む。

「……久世庵なの?」


一瞬。

空気が止まる。


陽翔の動きが、ほんの少しだけ止まる。

視線が、ゆっくりこっちに向く。

何も言わない。


でも——

否定もしない。

鼓動が、少しだけ速くなる。


「……図星?」

少しだけ、詰める。


「……」

陽翔は、周りを少しだけ確認するみたいに視線を動かす。

それから——

ほんの少しだけ、顔を近づける。


声を落とす。

誰にも聞こえないくらいの、小さな声で。

「……そうだよ」



その一言。

静かに、でも確かに落ちる。

「……は?」

思わず、小さく声が漏れる。

頭が、追いつかない。

(……は?)


久世庵。

あの旅館。

予約も取れない。

団子も並ばないと食べられない。

あの場所。


「……」

その“中”に、

こいつが関わってる?



言葉が、出ない。

さっきまでの陽翔と、

今の陽翔が、

うまく繋がらない。


「……」

陽翔は、それ以上何も言わない。

ただ、少しだけ視線を逸らす。

「……誰にも言わないで」

小さく、付け足す。 


「……」

その言葉で、やっと現実に戻る。

何も返せなかった。


ただ——

目の前の相手の見え方が、

完全に変わっていた。




 「……じゃあ」

自然と、言葉が出る。

「どんなことしてるの」


少しだけ、前に出る。

「具体的に」

さっきより、声は落ち着いてる。


でも。

確実に、踏み込んでる。



陽翔は、少しだけ視線を落とす。

「……それは」

一瞬、間。

「……言えない」


「……は?」

思わず、眉が寄る。

「なんで」



少しだけ、間があって。

「……プライベートだから」

小さく言う。


それから、

ほんの少しだけ迷って。

「……お姉ちゃんでも」

一瞬、言葉が揺れる。

それでも続ける。

「……言えない」


「……」

その一言。

静かに、でもはっきりと。

線が引かれる。


さっきまで、少しだけ近づいたはずの距離。

その間に、見えない壁ができる。

(……なにそれ) 

胸の奥が、少しだけざわつく。


「……別に」

反射的に、口が動く。

「そこまで聞いてないし」

明らかに、強がり。


「……」

陽翔は、何も言わない。

否定もしない。

ただ、そこにいる。


「……」

一瞬だけ、視線が合う。

でも、すぐに逸らす。


「……」

(……なんで)

さっきまで、

少しだけ近づけた気がしたのに。


今はまた、

少しだけ遠い。


言葉が、出ない。

聞きたいのに。

踏み込みたいのに。

踏み込めない。


「……」

陽翔は、静かに息を吐く。

「……ごめん」

小さく言う。 

それ以上は、何も言わない。


「……」

謝られても、

納得はできなかった。


でも。

それ以上、責めることもできなかった。




 「……ごめん」

小さな謝罪。

それ以上、踏み込ませないための線。


「……」

空気が、少しだけ重くなる。

「……じゃあ」

言いかける。

でも、その先が出てこない。



その時。

陽翔が、ぽつりと続ける。

「……とにかく」

少しだけ、視線を逸らしたまま。

「……俺は」

言葉を選ぶみたいに、ゆっくり。


「ネメシスさんとか」

一瞬、呼吸が止まる。

「……森野ひなたさんの」

続く名前。


(……は?)


「……動画編集、手伝ってるだけだから」


「……」

時間が、止まる。


ネメシス。

森野ひなた。

——久世庵。

全部、繋がる。


「……は?」

やっと出た声は、小さかった。

「……ちょっと待って」

追いかけるように言う。


「それって——」

でも。

その前に。


「……」

陽翔は、ドアの方に向かっていた。

「……それだけ」

振り返らないまま。



「……だから」

それ以上は、何も言わない。

ドアが開く。


一瞬、止まる。

でも、振り返らない。


そして、そのまま。

ドアが閉まる。

静かな音。


廊下に、残される。

頭の中で、言葉が回る。


ネメシス。

森野ひなた。

動画編集。 


さっきまで、画面の中の存在だったものが。

急に、現実に引きずり出される。


「……」

あいつが。

あの配信の裏側にいる?


理解が、追いつかない。

一つだけ、確かなこと。


あいつは、

自分が思ってたより、

ずっと——

遠いところにいた。




 パートの帰り道。

足が重い。

身体も、頭も、全部だるい。


「……はぁ」

小さく息を吐く。

別に、特別なことがあったわけじゃない。


いつも通り。

忙しくて、人と話して、気を使って。

それだけ。

——それだけなのに。

やけに疲れる。


「……」

家に着く。

ドアを開ける。

「……ただいま」


返事はない。

それも、いつも通り。

靴を脱いで、リビングに入る。



少しだけ、空気が重く感じる。

自分のせいだってわかってる。

余裕がないだけ。


「……」

ソファに座る。

背中を預ける。

目を閉じる。


頭の中、ぐちゃぐちゃ。

人の顔とか、

会話とか、

全部残ってる。


軽く舌打ちが出る。

(……めんどくさ)

家くらい、何も考えたくないのに。



ふと。

思い出す。

——陽翔。

部屋にこもる姿。


小さい声。

ぬいぐるみ。

団子。

アクスタ。 


「……」

(……なんで)

自然と、浮かんでくる。

(なんで今)


疲れてるのに。

余裕なんてないのに。



目を開ける。

天井が、ぼんやり見える。


あいつのことなんて、

考える必要ない。

そう思うのに。


頭のどこかに、残る。

消えない。


「……なんでだろ」

小さく呟く。

答えは、出ない。


ただ。

前みたいに、

完全に“どうでもいい存在”じゃなくなってる。


それだけは、

なんとなく、わかっていた。




 ソファに体を預ける。

だらっと力を抜く。


「……はぁ」

何もしたくない。

そのまま、目を閉じる。


静か。

家の音だけが、少しだけ聞こえる。



——その時。

「……っ」

肩に、触れられる感覚。

思わず、目を開ける。


「……なに」

少しだけ、声が鋭くなる。

振り返ると、

陽翔が立っていた。


「……」

何も言わない。

ただ、そのまま。

指が、肩を押す。


「……は?」

意味がわからない。

「ちょっと、何してんの」

反射的に言う。 


でも——

手は止まらない。


力は、強すぎない。

でも、ちゃんと効く。

じわっと、重さが抜ける感じ。


「……」

言葉が、続かない。

(……なにこれ)

意味がわからない。

なんでこんなことしてくるのか。



少しだけ、肩の力が抜ける。

さっきまでのだるさが、

ほんの少しだけ軽くなる。


文句を言うタイミング、逃す。

陽翔は、何も言わない。

ただ、静かに続けてる。


「……」

ソファに体を預けたまま、

少しだけ目を閉じる。

(……まあ)


一瞬、迷う。


「……別に」

小さく呟く。

「やめろとは言ってないし」

ほとんど、言い訳。



「……」

陽翔は、何も返さない。

でも、手の動きは少しだけ柔らかくなる。


さっきまでのイライラが、

少しだけ遠くなる。

なんでかは、わからない。

今だけは、

少しだけ楽だった。




 肩に触れる手は、変わらず静かに動いている。

力も、ちょうどいい。

「……」

さっきまでの重さが、少しだけ抜けていく。


その時。

「……俺は」

背後から、小さな声。


「……」

手が、少しだけ止まる。

「……お姉ちゃんが」


その呼び方。

まだ少しだけ、違和感がある。

でも——

前ほど嫌じゃない。


「……疲れてるの見ると」

少しだけ、間。

「……悲しい」


「……」

一瞬、思考が止まる。

(……は?)

予想してなかった言葉。


振り返らない。

振り返れない。

そのまま、聞くしかない。



陽翔の声は、小さいまま。

でも、ちゃんと続く。

「……いつもみたいな」

少しだけ、迷って。


「……ハリがある」

言葉を選ぶみたいに。

「……我儘なお姉ちゃんの方が」

ほんの少しだけ、柔らかくなる。

「……好き」


「……」

完全に、言葉が出なくなる。

(……なにそれ)

意味がわからない。


我儘。

普通なら、悪口。

でも。

今の言い方は、違う。



胸の奥が、少しだけざわつく。

さっきまでの疲れとは違う。


なんか、言わないと。

そう思うのに。

言葉が出てこない。


少しだけ、肩に力が入る。

「……別に」

やっと出た言葉。

少しだけ掠れてる。

「我儘とか……」

言いかけて、止まる。


(……違う)

否定したいのに、

うまくできない。



沈黙。

でも、さっきまでの気まずさじゃない。

陽翔は、それ以上何も言わない。

ただ、また静かに肩に触れる。


さっきより、少しだけ。

その手を、拒まなかった。




 肩に触れる手が、ゆっくり止まる。

さっきの言葉が、まだ残ってる。


うまく整理できないまま。

「……お姉ちゃんさ」

背後から、また声。


「……」

少しだけ、視線が動く。


「……息抜き、したくない?」


「……は?」

思わず、眉が寄る。

タイミングが、よくわからない。

「……何それ」

少しだけ警戒が戻る。



陽翔は、すぐには続けない。

少しだけ間を置いてから、

「……ちょっとだけ」

小さく言う。

「……外、出るとか」


外。

その言葉に、少しだけ引っかかる。


「……別に」

反射的に返す。

「そんな暇ないし」

嘘じゃない。

でも、本当でもない。


「……」

陽翔は、否定しない。

ただ、続ける。

「……そんなに長くじゃないから」


押しすぎない。

でも、引きもしない。

その距離。


「……どこ行くの」

少しだけ、トーンを落として聞く。


「……それは」

一瞬、止まる。

「……まだ言えない」


「……は?」

即座に返す。

「なんで」


「……」

陽翔は、少しだけ言いづらそうにしてから、

「……サプライズ、みたいな」

ぼかす。


「……」

(……怪しい)

完全に、怪しい。



普通なら、断る。

知らない場所。

内容も言わない。

意味がわからない。


でも。

さっきの言葉が、頭に残る。

『悲しい』

『好き』


「……」

少しだけ、迷う。

(……なんで) 


視線を逸らす。

「……変なとこ連れてくとかじゃないよね」

疑うように言う。


「……」

陽翔は、少しだけ考えてから、

「……たぶん、大丈夫」


「……たぶん?」

思わず、突っ込む。

でも、それ以上は何も言わない。


沈黙。

(……どうするの)

断るのが普通。

でも。

完全に拒否する気にもならない。


小さく息を吐く。

「……短時間なら」

ぼそっと言う。

視線は逸らしたまま。 



一瞬、間。

それから、

「……うん」

少しだけ、嬉しそうな声。

ほんの少しだけ。


「……」

それに、何も返さない。


さっきより、少しだけ。

気持ちが軽くなっていた。



 

 数日後。

ポストに、手紙が届いていた。


「……何これ」

母が、珍しく声を上げる。

キッチンから顔を出して、

封筒を見つめている。


「どうした」

父も、少しだけ慌てた様子で近づく。


「これ……」

母の声が、少しだけ震えていた。

「久世庵から……」


「……は?」

思わず、顔を上げる。


「……何それ」

足が、自然と動く。

リビングに出る。


母の手にある封筒を見る。

落ち着いたデザイン。

でも、見覚えのある名前。



心臓が、少しだけ速くなる。

「……見ていい?」

返事を待たずに、手に取る。

封を開ける。

中の紙を引き出す。


「……」

視線が、文字を追う。

 


——特別招待。

久世庵。

日付。

内容。

「……」


一瞬、理解が止まる。

(……は?)

頭が追いつかない。


「……なにこれ」

小さく呟く。

「こんなの、来る?」


普通じゃない。

予約も取れない場所。


それが——

「……招待?」


父も、信じられないように言う。

「どういうことだ……」

母も、戸惑っている。

「……」

視線が、紙から離れない。


(……なんで)

思い当たることが、

一つだけある。



あいつ。

配信。

編集。

久世庵。


ゆっくり、顔を上げる。

廊下の奥。

あのドア。

閉じたまま。



胸の奥が、少しだけ強くなる。

(……まさか)


「……」

もう一度、手紙を見る。


現実。

間違いない。


さっきまで、

“届かない場所”だったものが。

今、

手の中にある。




 ドアの前に立つ。

手には、あの招待状。


一瞬、迷う。


でも。

コンコン。

軽く、ノックする。


「……何」

中から、いつもの声。


「……ねえ」

少しだけ、間を置く。

「なんでこんなことするの」


ドア越し。

顔は見えない。

でも、それで十分だった。



少しの沈黙。

それから、

「……」

足音が近づく。

ドアが、少しだけ開く。


「……」

陽翔が、立っていた。

目は、少しだけ逸れている。

「……嫌だった?」

小さく聞かれる。


「……違う」

すぐに返す。

でも、うまく続かない。



陽翔は、少しだけ考える。

それから——

「……嫌だったら」

静かに言う。

「……お姉ちゃんだけ置いていくけど」


「……」

言葉が、止まる。

(……は?)

意味がわからない。


でも。

「……」

続けて言えない。

否定も、できない。


“行きたい”

その気持ちが、先に出る。


「……」

さっきまでなら、

「行かない」って言えてた。

でも、今は——

何も言えない。



陽翔は、それ以上何も言わない。

ただ、静かに待っている。


視線を落とす。

手に持った招待状。

久世庵。

ずっと、届かなかった場所。


「……」

胸の奥が、少しだけ痛い。

(……なんなの)

なんで、こんな気持ちになるのか。


「……」

やっと、小さく口を開く。

「……行く」

ほとんど聞こえないくらいの声。


でも。

ちゃんと、言った。


一瞬、間。

それから——

「……うん」

陽翔が、小さく頷く。

それだけ。

それ以上は、何も言わない。



 

「……行く」

小さく、そう言ったあと。

少しだけ、沈黙が続く。


ドアの前。

空気が、静かに止まっている。

「……お姉ちゃん」

陽翔の声。

さっきより、少しだけ迷いがある。


「……」

振り返らないまま、待つ。

「……お願いがある」


「……何」

短く返す。

でも、さっきより少しだけ柔らかい。



陽翔は、一瞬だけ言葉を止める。

それから——

「……俺のこと」

少しだけ、息を吸って。

「ちゃんと」

言葉を選ぶみたいに。

「……陽翔って呼んでほしい」



その一言。

静かに、でも重く落ちる。

「……」

すぐには、何も言えなかった。

(……なんで今)

そう思うのに。


“あいつ”って呼び方。

ずっと使ってきた言葉。

距離を保つための、線。


「……」

それを、変えろって言われてる。

簡単なことのはずなのに。

妙に、引っかかる。


「……」

少しだけ、視線を落とす。

(……別に)

名前で呼ぶだけ。

それだけなのに。



胸の奥が、少しだけざわつく。

陽翔は、何も言わない。

ただ、待ってる。

押さない。

でも、引かない。


少しだけ、息を吐く。

「……陽翔」

小さく、呼ぶ。

自分でも驚くくらい、自然に出た。


一瞬、空気が変わる。

「……うん」

陽翔の声が、少しだけ柔らかくなる。


それだけ。

それだけなのに。

さっきまでより、

少しだけ距離が近くなった気がした。




 「……陽翔」

名前を呼んだ、その直後。


「……っ」

目の前の空気が、一気に動く。

ドアが大きく開く音。

「……!」



次の瞬間——

「お姉ちゃん!」

ぐっと、体を引き寄せられる。


「……ちょっ」

反射的に、体が固まる。


腕。

思ってたより、しっかりしてる。

逃げようとしても、離れない。


「ちょ、離して」

思わず言う。

少しだけ、声が強くなる。


でも。

陽翔は、離れない。

抱きついたまま。

ぎゅっと、力が入る。


「……」

(……なにこれ)

意味がわからない。

急すぎる。

距離が近すぎる。


普通なら、嫌で振りほどいてる。

はずなのに。


手が、止まる。

押し返そうとしてた動きが、

少しだけ弱くなる。


「……」

心臓の音が、少しだけ大きい。

でも——

不快じゃない。


むしろ、

さっきまでの疲れが、

少しだけ軽くなる感じ。



陽翔は、何も言わない。

ただ、抱きついたまま。


小さく、息を吐く。

「……ほんと、意味わかんない」

ぼそっと呟く。


でも。

その声は、さっきより弱かった。


少しだけ、

そのままにしていた。




 翌日。

久世庵へ向かう日。

二泊三日。

パートは、ちゃんと休みをもらった。


「……」

バッグを持って、玄関に立つ。

少しだけ、現実感がない。

(……ほんとに行くんだ)


あの場所に。

画面の中じゃなくて、

実際に。


ドアを開ける。

外の空気が、少しだけ違って感じる。


「お姉ちゃん」

後ろから声。

振り返る。

陽翔が、いつもより少しだけちゃんとした格好で立っていた。

ほんの少しだけ、違和感。



でも。

「……行くよ」

それだけ言う。

自然に。


「……うん」

陽翔が頷く。

少しだけ嬉しそうに。


並んで歩き出す。

前みたいな距離じゃない。

でも、ぴったりでもない。

ちょうどいい、少しだけ近い距離。


会話は、あまりない。

でも。

気まずくはない。



ふと、横を見る。

陽翔が、こっちを見ていた。

目が合う。

すぐに逸らす。

でも——

前みたいに、完全に逃げる感じじゃない。



小さく、息を吐く。

「……ほんとに行くんだよね」

確認みたいに言う。


「……うん」

陽翔は、迷わず答える。

「……ちゃんと」

少しだけ、間を置いて。

「……楽しませるから」



その言葉。

少しだけ、引っかかる。

(……何する気)

でも。

前みたいに、強く疑う感じじゃない。


「……まあ」

小さく呟く。

「変なことしたら帰るけど」

一応、釘を刺す。


「……うん」

素直な返事。

それだけ。


「……」

駅に向かう道。

いつもと同じ景色。


でも。

少しだけ、違って見える。


「……」

(……なんか)

まだ、わからない。


でも。

少しだけ。

楽しみかもしれないと思ってる自分がいた。

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