第三十四話 真相
2016年、8月27日。
午後1時。
警視庁本庁舎、捜査一課フロア。
「……だから、間違いないと言っているんです! あの資材置き場に潜伏していたのは、葛城湊と、死んだはずの一ノ瀬玲奈でした!」
警視庁捜査一課管理官、西園寺鏡介の怒声が、静まり返ったフロアに響き渡った。
常に冷徹で「歩く検知器」と呼ばれる彼が、泥と土埃に塗れたスーツ姿のまま、デスクに両手を叩きつけて上司である捜査一課長に詰め寄っている。その異様な光景に、周囲の捜査員たちは息を呑んだ。
「ゴーストの正体は葛城湊です。すぐに二人を全国指名手配し、あの廃倉庫に徹底的なガサ入れ(家宅捜索)を……!」
「落ち着きたまえ、西園寺管理官」
一課長が口を開くより早く、背後から穏やかな、そして場違いなほどによく通る声が掛けられた。
西園寺が振り返る。
そこに立っていたのは、仕立ての良いスリーピーススーツに身を包んだ、初老の男だった。
白髪交じりの整った髪。温和で、慈愛に満ちた笑みを浮かべるその顔を、警察関係者で知らない者はいない。
「……倉木長官官房審議官」
西園寺は奥歯を噛み締め、姿勢を正した。
警視庁(都の警察)の捜査一課管理官である西園寺に対し、目の前の男は警察庁(国の警察機関)の中枢を担うトップキャリアだ。階級も権力も、圧倒的な雲の上の存在。
メディアに頻繁に露出し、犯罪被害者支援を声高に訴える『警察の良心』。
「君の執念には敬意を表するよ。だが、指名手配の件は却下だ」
倉木はゆっくりと歩み寄り、西園寺の肩をポンと叩いた。
「な……なぜですか! 俺はこの目で、確実にホシを」
「今の世論を見たまえ。ゴーストを支持する肯定派と、殺人鬼だと糾弾する否定派で国中がパニックだ。そんな中、確たる物的証拠もないまま『殉職したはずの女刑事がゴーストの共犯者として生きていました』などと発表してみろ。警察の威信は地に墜ちる」
倉木の言葉は、どこまでも理路整然としていた。
「では、せめてあの資材置き場の徹底捜索を! あそこには奴らの痕跡が……」
「それなら心配いらない。すでに私の方から、特命の鑑識チームを向かわせたよ」
西園寺は息を呑んだ。
「特命の……チーム? 所轄や捜査一課を差し置いて、なぜ警察庁の上層部が直接現場の証拠保全を……」
「すべては、警察の正義を揺るがさないためだよ、西園寺くん」
倉木は目を細め、底知れぬほど穏やかな笑みを深めた。
「君は少し、熱くなりすぎている。数日は自宅で頭を冷やしたまえ。……これは、命令だ」
その温和な声の裏に、絶対的な階級の圧があった。逆らえば、即座にクビが飛ぶ。
西園寺は拳から血が滲むほど強く握りしめ、深く頭を下げた。
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午後2時30分。
市内から離れた木造アパート『コーポ・サツキ』。
シャッターを下ろし、薄暗いリビングのソファに、俺と一ノ瀬さん、そして彼女の三人が重い沈黙の中で座っていた。
廃工場からずっと被っていた黒いキャップを、彼女が静かに外す。
ファサリと軽く頭を振ると、キャップの中に隠されていた長い黒髪が、高い位置で結ばれたポニーテールとなって背中で揺れた。
一ノ瀬さんの淡いホワイトブロンドのボブヘアとは対照的な、艶やかな漆黒。その勝気な瞳と凛とした佇まいは、確かにあの阿久津誠二の面影を強く残していた。
「改めて自己紹介するわ。私は阿久津彩花。NPO法人の狐塚さんに以前から警察資料を提供している内部告発者『A』であり――現職の警察官よ」
彩花の口から出たその言葉に、俺と一ノ瀬さんは息を呑んだ。
警察の暗部にハッキングを仕掛け、一ノ瀬さんの殉職の真実をリークし、常に俺たちを影から誘導していた謎の内部告発者。
「お前が……? 警察官だと?」
「ええ。父さんの死の真相を突き止めるために、警察に入ったの」
彩花は俺の視線を真っ直ぐに受け止めた。
廃工場で俺の奇襲を捌き切った、あのCQC……そういうことか。
「父さんが遺した手帳と、警察のデータベース。その二つを照らし合わせて、私は『ゴースト』の正体があなたたちだと確信した。だから接触したの」
彩花はリュックから、一冊の古びた革の手帳を取り出し、テーブルに置いた。
「ここに、Kたちが12年間血眼になって探し続けている『ある物』の正体が記されているわ。二年前、父さんが死ぬ寸前……10年間の極秘捜査の果てに辿り着いた真実が、このページに書かれている」
彩花が指差したページには、血の滲んだ阿久津の走り書きが残されていた。
『10年前の吸血鬼の足取りが判明。『K』が血眼になって吸血鬼に探させたのは、音声データが入った一枚のMD。空き巣の直後、MDを拾ったと思われる対象(北条美咲)を拉致し尋問した模様。対象は【MDは夏祭りの夜、神社の裏に落とした】と吐いたため、祭りの夜に一人で探させる条件で解放した。しかし当日、神社にMDは無かったため殺害した、とのこと』
「……なんだと?」
俺は眉をひそめた。
「12年前の夏……そんな物、美咲ちゃんが持っていたかしら。それに、神社で落としたって……」
一ノ瀬さんが首を傾げる。
脳の奥底。
12年間、分厚い蓋をして閉じ込めていた『あの夏』の、どうでもいい日常の記憶の欠片が、閃光のようにフラッシュバックしたのだ。
――12年前。2004年8月8日。
葛城工務店の資材置き場は、茹だるような熱気が淀んでいた。
首を振る古ぼけた扇風機の「アー」というモーター音だけが響いている。一ノ瀬さんは夏期講習で遅れており、秘密基地には俺と美咲の二人だけだった。
「ひーまーだー! 先輩おっそーい!」
作業台でハンダゴテを握る俺の背後で、美咲が豪快にあくびをした。
彼女は叫ぶと同時に、自分の通学カバンを逆さにして廃材テーブルの上にぶちまけた。
ドガラガッシャーン!!
教科書、お菓子、ルーズリーフ、謎のキーホルダー……まるでゴミ溜めだ。
「汚ねえな! お前のカバンは四次元ポケットか!」
「うるさいなぁ、暇だから今から整理するの! 断捨離!断捨離!」
美咲は鼻歌交じりに、テーブルの上の惨状を選別し始めた。
「これ、賞味期限切れのグミ!」
ポイッ。
美咲が背後のソファへ投げたゴミは、肘掛けと座面の隙間に音もなく吸い込まれていく。
「おい、そこはゴミ箱じゃねえぞ」
「大丈夫、ブラックホールだから! はい次、インク出ないペン!」
「誰が掃除すると思ってんだよ……っておい」
ポイッ。
「これ、駅で拾ったMD! 直してもらったプレーヤーで聴いたらノイズとオッサンの声しか入ってなかったからイラネ!」
ポイッ。
「これ、数学の小テスト! 12点!」
ポイッ。
「おい待てコラ! 最後のは捨てちゃダメなやつだろ! あと12点ってなんだ!」
「あーあー聞こえなーい! ソファの神様が全てを無に帰してくれるのー!」
カラン、カラン。
乾いた音を立てて、ゴミたちが次々と隙間の闇へ消えていく。
俺はハンダゴテを置き、テーブル越しに美咲の頬を両手で引っ張った。
「ふぎゃっ! みなと、いたい、いたい!」
「お前は本当に反省って言葉を知らねえゴリラだな!」
――ハッ!?
俺の全身から、一気に血の気が引いた。
「……あいつは、神社になんか落としてない」
俺の声は、自分でも驚くほど掠れていた。
「あの日、あいつが拾った謎のMDは……秘密基地のロフトにあった『革ソファの隙間』に捨てたんだ。12年間、ずっとあそこに......!」
「え……?」
一ノ瀬さんが、目を見開いた。
「待って……じゃあ、なんで美咲ちゃんは、吸血鬼に『神社で落とした』なんて嘘をついたの?」
沈黙。
一ノ瀬さんの言葉が、重く、冷たく、リビングの空気を凍らせる。
「……あの日の空き巣だ」
俺は虚空を見つめたまま、パズルのピースを繋ぎ合わせた。
「12年前の8月8日。美咲の部屋が滅茶苦茶に荒らされたのに、現金も貴金属も、何も盗まれていなかった」
「あ……」
一ノ瀬さんが息を呑む。
「あれはストーカーの嫌がらせなんかじゃなかった。美咲ちゃんが感じた付き纏われる感覚も、ストーカーみたいな手紙も全部ブラフ......?犯人は、美咲ちゃんが持ち帰った『MD』を探していたんだわ。でも、部屋には無かったから……」
「だから空き巣の直後、あいつを拉致して尋問したんだ。MDはどこだと」
俺の指先が、小刻みに震え始めた。
「美咲は思い出したはずだ。MDが『秘密基地のソファ』にあるってことを。……でも、言えなかった」
「……あそこに、私たちがいたから」
一ノ瀬さんの声が震えた。
「もし本当のことを言えば……犯人は確実に秘密基地へ向かい、一緒にいた私たちまで巻き添えにして殺す」
「だからあいつは、俺たちを巻き込まないために『神社に落とした』と嘘をついたんだ。……思い出した。あの日、夜遅くに俺の家の玄関に立ってたあいつの様子は、異常だった」
俺は両手で顔を覆い、絞り出すように言った。
「泥だらけで現れて、『神社の茂みに隠れてた』なんて言ってた。俺が今すぐ警察に行こうって言ったら、あいつは狂ったように耳を塞いで『嫌だ!』って拒絶したんだ」
あの時、俺はただのショックと恐怖だと思っていた。
違った。そうじゃなかったんだ。
「……きっと、犯人に脅されたのね」
一ノ瀬さんが、真っ青な顔でポツリとこぼした。
「『祭りの夜、一人でMDを探して持ってこい。もし警察や友人に話せば、全員殺す』って……。だからあの子、警察に行けば私たちが殺されると思って……」
「それでも次の日、被害届を出したのは、警察を信じていたから。法を信じていたから……」
俺の視界がぐらりと歪んだ。
「あいつは……数日後に自分が殺されることを薄々感じていたんだろう。だけど俺たちを巻き込みたくないって、警察ならきっと助けてくれるって……あいつなりの精一杯のSOSだった」
あの夏祭りの夜。
『先に行ってて!』という、あいつからの短いメール。
あれは、ただの遅刻の連絡じゃなかった。俺たちを安全な場所へ遠ざけ、一人孤独に死地(殺害現場)に残るための、残酷な嘘と足止めだったのだ。
「吸血鬼による被害者のうち美咲さんだけが刺殺されたのも、『狂った殺人鬼による無差別的な犯行』に見せかけることで、捜査の目を『犯人の異常性』に向け『被害者の所持品』からは外すことができる。だからでしょうね」
彩花の言葉はどこか、詫びるような響きがあった。
「……美咲、ちゃん……あの子、自分の命と引き換えに、私たちを……ッ」
一ノ瀬さんの目から、大粒の涙がボロボロと溢れ落ちる。
「……葛城さん、一ノ瀬さん」
彩花が、泣き崩れる一ノ瀬さんを見つめながら、静かに口を開いた。
「手帳のこのページ……裏にも、まだ続きがあるの」
彩花は震える指で、最後のページをゆっくりと裏返した。
そこには、表の捜査記録とは全く違う、万年筆のインクが滲み、ひどく乱れた筆跡で、こう綴られていた。
『――葛城、一ノ瀬。あの夏、俺が突然護衛を降りた本当の理由を、ここに遺す。
俺は、刑事としての誇りも、大人としての責任も、すべてを投げ捨てた。
Kに彩花を攫われ……美咲ちゃんの命と、自分の娘の命を天秤にかけられた時、俺は迷うことなく自分の娘を選んだ。怯える美咲ちゃんから目を背け、あの子を見殺しにした、最低のクズだ。
どれだけ悔やんでも、俺の犯した罪は消えない。
美咲ちゃんを救えなくて、本当に……本当にすまなかった。
こんな裏切り者が、お前たちに何かを頼む資格なんてないことは分かっている。
だが、頼む。俺が10年泥水を啜っても引きずり出せなかった『K』の正体を……あの怪物を、お前たちなら必ず暴き出せるはずだ。
美咲ちゃんの無念を、俺の代わりに……この腐りきった警察組織ごと、どうか、潰してくれ』
それは、捜査記録ではない。
10年間、一人の刑事が背負い続けた血を吐くような懺悔であり、俺たちへ向けた最期の『遺言』だった。
彩花の目から、手帳へと涙がこぼれ落ちた。
自分のせいで、父は刑事を辞め、罪悪感に苛まれながら死んでいった。そして、自分と引き換えに見殺しにされた少女がいた。その残酷な事実を、彼女はずっと一人で受け止めていたのだ。
俺は、強く、奥歯を噛み締めた。
美咲の命懸けの嘘。阿久津誠二の悲痛な懺悔。
ふたつの重さが、俺の両肩にのしかかる。
「……泣いている暇はない」
俺は無理やり感情を奥底に叩き込み、立ち上がって車のキーを鷲掴みにした。
阿久津さんの想いも、美咲の覚悟も、ここで終わらせるわけにはいかない。
あの廃倉庫は、西園寺が踏み込んでいる。西園寺だけじゃない。警察組織……そして、Kが直接あの工場を調べようとしているなら。
――ロフトのソファごと解体され、『証拠』はKの手に渡る。
「彩花、一ノ瀬さん……。すぐにあの廃工場へ引き返すぞ」
俺たちは、再び“あの場所”へ行く。
犠牲になった人たちの無念を晴らすため。
この地獄を、終わらせるため。
(第三章 了)
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ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます!
第四章からは物語が加速します。
警察組織潜入、模倣犯との接触、西園寺の疑念。
そして――ついに明かされる『K』の正体。
これからもゴースト・ライセンスをよろしくお願いしますm(_ _)m




