3.ほぼ無理ゲーで草
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いやあ全くいい日だ。おそらく晴れ渡る空、多分向こうにある雲。絶好のピクニック日和に違いない。
ここが森の外ならな。
場所は相変わらず鬱蒼とした森の中。木漏れ日の加減から恐らく良い天気であることは分かるのだが、それも見えなくては仕方がない。あの女の子が去ってから既に小一時間は経っていようか、石碑、もといユウと一緒にいるのも慣れてしまった。
……さっきの口論?......負けたよ。なんなら俺の境遇だけ洗いざらい喋らされた。交換条件だったのに、不公平だろ。許せん、本当に、不甲斐ねぇや。
ともかく、さっきまでの話で俺が草に憑依してしまったことまでは無理やり納得した。正直に言えば、これ以上考えるのが面倒臭いだけ。
「よし、そしたら次はこの世界について教えてくれよ。ここまで来たら全部受け入れるわ。それならいいだろ?ここがどう異世界なのかとか、いろいろ知りたいことが、……っ!」
そこで突如、眩暈が襲ってきた。これ、俺が人間だったなら確実にコケてたな。まあ、あたりは草だらけで危なくはなさそうだが。
そんな俺を見て、先ほどの口喧嘩での様子はどこへやら神妙な面持ちでユウが口を開いた。
「教えるのは全然問題ないよ......。ただ、自覚ないかもしれないけど、君は今とんでもなく消耗してるんだよ?休んだ方がいい。それに本体も相当弱ってるはず、ケアしてあげなくちゃ。一応言っとくけど、本体ってのはその小さいやつだよ」
そう言って、ユウは石碑の頂点からレーザーのような黄色い光線を出して俺の足元を指した。……もうつっこむ気も起きん。
それはさておき、本体と指し示されたものは発芽して1週間程度の小さな双葉だった。小学校の朝顔を思い出す弱々しい見た目。納得することにしたからもう構わないけど、あらためて自覚すると変な感じだな、っと。
......また眩暈だ。
ユウが淡々と口を開く。
「あんまり急かしたくはないんだけど、今本当に限界だからね君。君には無理するきらいがあるようだ。ほら僕の言うことを聞いて、植物に意識を沈めるんだ」
「んなこと言ったって、どうやんだよ」
「簡単だよ。どっちつかずの状態から振り切っちゃえばいい、植物と同化する方にね」
「いやでも、さっきお前言ってたじゃん。もしそれが本当でなら、……俺はマジでどうかしてしまう」
「冗談はいいから。それに心配はいらない。僕がついていってサポートしてあげるからね。ほら一旦寝て?」
ユウがそう言った瞬間、温かい感覚に包まれた。ぬるま湯につかっているようだと言ってもいい。ほんのり優しい、手を繋いでいるような感覚だ。
「ほら、怖くない。意識を手放すんだ」
ユウがそう言うと、もともとおぼろげだった視界がさらに霞み、次第に色すら失われ始める。
「背骨はまっすぐ、深呼吸して心を落ち着けて」
あの時と違う。
モノクロとなった世界がだんだんと暗くなっていく中でも、まだ温かい感覚が残っている。
あぁ。
「それじゃあ、おやすみ」
そうして視界が暗転すると同時に、俺は意識を手放した。
目の前を1匹の蝶が飛んでいく。
とてもまぶしくて、美しい蝶。
気がつけば手を伸ばし、追いかけていた。
けれど、差は縮まるどころか広がるばかり。
いつしか、歩くのをやめてしまった。
立ち止まって、他人事のように見つめているだけでも俺には十分だったのだ。
でも、あるとき、そのまぶしさが煩わしくなって。
目を細めると、既にそれは消えていた。
「......て」
暗闇。
「......き、よ」
目の前を、閃光がちらつく。
「おき、よ」
ちらりちらりと、黄色の閃き。
「いい加減、起きろぉぉ!」
ようやく目が覚める。
目を開けてなおまわりには暗闇が広がっていたが、唯一見えるものがあった。
「やっと起きた。休んでとは言ったけど、こんなに寝るなんて。相当疲れてたんだね」
すぐそこで、一匹の黄色い蝶が飛んでいる。
「ちょっと、聞いてる?」
蝶は俺の目の前まで迫った後、周囲を飛び回り始めた。本来なら視野の外であろう場所を飛んでいるのも見える。
1,2周したかと思えば、そいつは元の場所に戻っていった。
「ねぇ、聞いてる?」
応えなければ。
けれど、何と答えればいい。
そもそもコイツは誰だ。
俺は今どうなってる。
とりとめのない疑問が数えきれないほど溢れてくるが、どれも答えることはできない。
思考がまとまらない。
「ああ、そうか」
何かに気が付いたような声を出した瞬間、そいつは俺の視界から消えた。
上でも下でも、ましては後ろでもなく、ちょうど俺の頭と重なる位置まで来ると、そいつは一切見えなくなった。
「これでどうかな」
今度は頭の中から声が響く。
それは先ほどよりも柔らかな響きをもっていて、じわりじわりと頭の中にしみわたっていく。
たった7音を噛みしめるように頭の中で反芻していくうちに、気が付けば思考がまとまるようになっていた。
それと同時に色々なことを思い出した。
「ようやくだね。君絶対朝弱い方でしょ」
「まあ、否定はしない」
さっきまでの俺は明らかに変だった。まともに思考できなかったうえ、記憶もぼろぼろといった始末。あれが寝起きと言われれば、そうかもしれない。
そして、消えていった蝶がなにか特別なことをしてくれたから、俺は戻ってこれたようだ。感謝しかない。
真剣に考えていると、頭の中のそいつは微笑んで言う。
「冗談だよ。それで、さっき言ったとおり、本来植物には魂の器なんてものはない。脳みそすらないんだから、思考を支えられるはずがないんだ。だから君はあんなざまだったわけ。スパコンにでも憑依したほうがまだマシだっただろうね」
「やっぱりか。それで?お前は何をしたんだ」
「なに、そんなに難しいことじゃないよ。サポートするって言っただろ?この空間にあらかじめ投げ込んでおいた僕の分身、さっきの蝶ね、を疑似的な器にすることで君を支えてるんだ」
蝶、……もといユウは事もなげに説明した。マジでどういう理屈だか分からんが、どうせ説明されても分かるまい。とりあえず感謝すればいいことだけは分かった。
「何はともあれ、ありがとさん。それで、これから何をすればいい?俺の消耗は、まあだいぶマシになったとは思うぞ」
「そうだね、君自身はもう大丈夫そうだ。それで、次はここをどうにかしなくちゃいけない。何度も言うけど本体が弱っているからね」
やはり俺は件の若芽の中にいるのか。それ以外ないけども。あらためて見まわしてみても、そこには暗くて何もない空間が広がるだけだ。
俺はこの空間を端的に暗闇と表現した。しかし、冷静に観察できるようになった今、具合が少々異なるようだということが分かってきた。
「夜闇というよりは、明かりの前で目を閉じたときの感覚に似ている。それに全体がそうなわけじゃない。足元の方にはどろどろとしたものが満ちている。なんとなくだけど、今が良くない状況ということだけ分かった」
「オーケー、そこまで分かってるなら手早く説明しよう。問題は大きく分けて2つあるんだ。1つ目は日照不足。さっき言ってくれたように空があんな感じなのは、藪が作り出した影のせいだね。2つ目は、正直こっちのほうが深刻なんだけど、魔力が淀んでいることだ」
魔力とは、これまたファンタジーな。というか日照不足の方が相当やばそうだけど、あんまり大したことないのかね。ああ、そこは後で説明してくれるのね。
「ところで植物の役割は知ってるよね?光合成とか窒素固定とか、そういうはたらきって物質やエネルギーの循環においてきわめて重要なんだよね」
今日日そういうことを全く知らない人の方が珍しいだろう。簡単に言えば、植物が行っているのはごみの再資源化。使い道がない物質を生物が再び利用できるように作り変えているのだ。
「少し話はそれるんだけど、この世界は君が元居た世界と違って魔力と言う不思議な力で全てが回っているんだ。いわゆる魔法だけじゃなくて、生命活動にさえ魔力が必要なんだ」
おお、魔法。ファンタジーな響きだ。
今まで意味の分からないことが起きすぎて忘れかけていたが、これは異世界転生していたのだ。魔法はその醍醐味と言うほかあるまい。1ミリもワクワクしないけども。
それで一体、植物と魔力とやらに何の関係性が合うのか。インビンシブルパワーみたいな?
「違うから、いったん聞いてて」
ユウはそう否定した後、手短に話すと前置きをしてから話し始めた。
「実は、魔力というものは単体で存在するエネルギーではなく、電池にエネルギーが収まっていると解釈したほうが正しいんだ。正しくはそのキャリアを魔力子と言うんだけど、覚えなくてもいいよ」
なんか授業みたいだな。
「てことで、魔力を消費するときは電池から絞り出す感じで使うことになるんだけど、このときにどうしても余りが出てしまうんだ。控えめに言って、まあゴミだね」
字面だけ見たら酷いセリフだが、ユウは涼しい顔で続ける。
「疲弊した、つまり魔力をほとんど抱えていない魔力子は消費されにくくて環境に残存しやすい。魔力はそれだけで反応性が高いから、疲弊した魔力子が集積すると周囲の魔力を吸収するなどして悪影響を及ぼすようになってしまうんだ。これを魔力の淀みと言う。難しく思うかもだけど、要は使い切った後でも電池は危ないって感じの話ね」
なーんか、理科の授業みたいになってきた。耳タコ。というか、口調がいよいよ授業って感じになってきてて笑う。
「もし仮に魔力が消費される一方だったら、この世界は魔力の淀みに覆いつぶされるに違いないだろうね」
「でも、現実はそうじゃないようだが」
「そう。つまり魔力子を回復させる役割がいるということなんだけど、それこそが植物の仕事なんだ。炭素、窒素固定みたいなもんだね」
なんとなく理解できたわ。地球では植物が物質の固定や同化を担っていたが、この世界だとその中に魔力に関する役割も追加されているらしい。植物のはたらきが非常に大きいものだということは知っていたが、この世界の植物の方が重要度が大きいようだ。
待てよ、その魔力子とやらの回復が植物の炭素固定みたいなものだというのなら……
「ちょっといいか。植物はどうやって魔力子を回復させてるんだ。多分中身を補充するんだろうけど、元手がなくちゃ無理だろ」
「なんとなく分かってると思うけど、ぶっちゃけてしまえば、このはたらきは光合成みたいなものなんだ。つまり、本来なら太陽光エネルギーを利用することになるね」
「だよな。だったら今日当たりが悪いのまずいんじゃない?できないじゃん、回復」
「そんなに深刻じゃないってさっき言ったでしょ。そもそも太陽光は自分で動けない植物が最も簡単に入手できるエネルギーってだけで、他で代替しちゃいけないってわけじゃない」
あ、そうなのね。
「それで本体の話に戻るんだけど、足元のでろでろ見える?」
「足元のやつか。さっきから気になってたんだよな」
「率直に言ってしまえば、これが魔力の淀みってやつ。……あらためて見るとすごいな、こんなに集まってるのは初めて見た。まあいいや」
一人の世界に入りかけていたユウは、その思考を振り切った。
「これを、僕たちが、どうにかしなきゃいけない。パパっとやっちゃおう」
「まだ終わりじゃないとは思ってたわ。それで?俺は何をすればいいんだ」
「簡単だよ。魔力子の回復は植物細胞が勝手にやってくれるから、全身に疲弊した魔力子を適切に循環させることが僕たちの仕事。この体の主導権を持ってるのは君だから、あくまで君自身にこの全部をやってほしいんだよね。サポートはするからさ」
……全部?
「魔力を循環させるノウハウは僕が教えてあげるから大丈夫。植物の体ってなると相当難しそうだけど、不可能って程じゃ……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。全部って、このでろでろ全部?マジ?」
「そうだけど。分かってる?あれだけ小さな植物にこれほどの魔力だまり、今もってるのが不思議なぐらい。さっさと取り除かなきゃいけない。それに、サポートするって言ったじゃん。心配しすぎ」
全部。全部か。
今、ユウのやつはこの空間に存在する黒いでろでろ、魔力だまりをすべてどうにかするって言って見せた。本当になんともない顔で。
頭が痛くなるから現実を見ないようにしていたのだが、このでろでろはどこまでも続いているようで、よく見ればはるかかなたに水平線ができている。でろでろ平線。
暗くてよくわからないが、この魔力だまりは底が見えない。仮にそれほど深くなかったとしても、例えば浴槽ぐらいの水嵩だったとしても、どこまでも続いていくのならでろでろの総量もとんでもないことになる。
「なあ、本当に全部か。全部やるのか?」
「しつこいなぁ。確かにこの量じゃいつまでかかるかわからないけど、やらなきゃ死ぬんだから腹くくってよね」
いや絶対苦行で草。