06.そして、←今ココ
そんなこんなで、忙しいなりに平和な日々を過ごしていたところ、世話をしていた漆黒の卵に異変が起きた。突然ガタゴトと動き出し、やがてあちこちにヒビが入る。
シェリルとネイトは、穏やかな昼下がり、散歩をしていたところだった。
「え? 生まれる!?」
「みたいだな」
こんなところで急に。
シェリルは慌てるが、ネイトは落ち着いたものだ。
慌てても仕方がない。手助けするのも良くないだろうということで、二人は卵が完全に割れるのを見守っていた。すると──
「きゅい!」
というわけで、←今ココである。
「でん……じゃない、ネイト様、この子はドラゴン……よね?」
我を忘れるほどパニックになると、どうしても「殿下」と言ってしまう。しかし、罰を与えると言われたことを思い出し、大慌てで言い直す。妙に色っぽい表情で髪に口づけられるなど、どんな罰だ。
ネイトは苦笑しながら、シェリルの腕の中の生き物を指でつついた。
「ぎゅいっ!」
抗議の声をあげるその生き物は、姿かたちからすると、ドラゴンに相違ない。
「ドラゴンだな。真っ白なドラゴンなんて、初めて見た」
「私はドラゴン自体、初めて……」
魔物としてドラゴンは存在する。どす黒い血の色をしており、とんでもなく強いと言われている。倒すには、帝国レベルの大規模な軍隊が必要であり、もしクラーク王国にそれが現れたとしたら、いくら魔物討伐に秀でているターナー領の魔獣騎士団でさえ歯が立たないだろう。
シェリルの腕の中にいるのは、そんなドラゴン。
「この仔……魔獣……じゃないよね?」
「シェリルはどう思う?」
聞き返され、シェリルは戸惑う。
卵を初めて見た瞬間から、これは悪いものではないと思った。色は黒いが、そこに禍々しさなどなく、むしろ美しいとさえ思った。
そんな卵から産まれたのは、雪のように白い仔ドラゴン。……とても魔獣とは思えない。
「魔獣じゃないと思う」
「俺もそう思う」
「じゃあ……」
シェリルは、仔ドラゴンをまじまじと見つめる。仔ドラゴンはそれが嬉しいのか、シェリルの胸にすり寄ってくる。可愛い。
「ドラゴンは、悪しきものか聖なるものかのどちらかだ。悪しきものじゃないとすれば、一択。こいつは聖獣だな」
「聖獣……」
まさか、聖獣をこの目で見るとは思わなかった。
聖獣は、ゴード神の使いと言われている。この世に聖獣が存在していたこともあるが、直近でも数百年前まで遡る。こうなると、もはや幻、おとぎ話のようなものだ。それなのに。
「嘘でしょ……」
「きゅい、きゅううううう~」
嘘じゃないよ、ほんとだよ、とでも言いたげな顔。生まれたばかりだというのに、人の言葉を解するのだろうか。
「お前、きゅいしか言えないのか?」
「ぎゅううううっ!」
「それじゃ、お前は「きゅい」だな」
「ぎゅっ! ぎゅぎゅぎゅっ!」
めちゃくちゃ反論している。もっとかっこいい名前にしろ、とでも言っているのだろうか。しかし──
「きゅいって、可愛いと思うんだけどな……。まさか、ネイト様がこんな名前をつけるとは思わなかった」
シェリルが何気なくそう呟くと、なにっ!? というように、仔ドラゴンがシェリルを見上げた。そして、甘えるような声を出す。
「きゅう~、きゅうううう~」
シェリルは思わず笑顔になり、仔ドラゴンに頬を寄せる。すると、仔ドラゴンはますます喜んで声をあげた。
「はい、そこまで」
「ぎゅっ!」
「ネイト様っ!」
ネイトは猫にするように、仔ドラゴンをつまみ上げる。仔ドラゴンはじたばたと暴れるが、ネイトはものともしない。
「お前、シェリルにくっつきすぎ」
「ぎゅいっ!」
「ぎゅいぎゅい言うな。ぎゅいって呼ぶぞ?」
「ぎゅぎゅぎゅぎゅ~~~っ!」
「嫌だって言ってるし、ぎゅいよりきゅいの方が可愛い……」
再び呟くシェリルに、仔ドラゴンがぐりんと彼女の方を向く。
「きゅいっ! きゅいぃ~っ!」
シェリルには、「その名前がいい!」と言っているように聞こえた。なので、ネイトの手から仔ドラゴンを取り戻すと、その大きな目を見つめ、言い含める。
「よし! 今日からあなたは「きゅい」よ。よろしくね、きゅい!」
「きゅうううう!」
ターナー領に、新しい住人(獣?)が加わった瞬間だった。




