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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第二章:茨の道と血濡れの足跡
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Ⅵ-9



 投げられはしたが、追撃の気配もなければ実害もない。


 何事もなく着地したクロは、右手の投げナイフを収める。刃物を持つのは確かに大きなアドバンテージになる。素手とは違い、相手に掠るだけでも出血を伴った傷を与えることが出来るからだ。


 だが裏を返せば、刃物を使った攻撃は刃に触れなければ致命傷にならない。


 クロはまさに、そこに付け込まれたのだ。


「…………」


 故にクロは、素手で戦う。優れた反応速度と武術に通じる相手に無謀とも思える敢行ではあったが、足捌きを制限されるナイフ格闘術と比べれば、まだ有利に立ち回れる。


 柔術、若しくはそれに類する武道をクロは本と映画の中でしか知らない。


 ナイフ格闘術にしてもそうだ。誰かに師事した経験はない。基本は本や映画から得た知識を使い、それっぽい動作で戦うだけだ。だがそれで通じるのは素人だけで、クロの速さに対応出来る相手や訓練を積んだ専門家には必ずボロが出ると、今まさに思い知らされている。


 ただ、クロは知っていた。


 技能不足は、基礎スペックで簡単に覆せるのだ。


 クロの対処は単純明快、ただ距離を詰めて防御に徹するだけでいい。


 クロは右京に向け、最初の一歩を踏み出す。


「行くぞ」


 クロは相手が伸ばす手を叩きながら、殴るも蹴るも出来ない距離まで近づいた。とても素早く、流れるように緩慢な動きは『加速』を以てして初めて可能になる例外だ。


 その動きの根底にあるのは速さで、勢いまでは添えてはいない。


 先程のように相手の力を利用しての対処は通じないのだ。


 利用出来ない類の力で距離を詰められ、右京は慌てて距離を取ろうとする。強化型の『魔法権利』を持つ相手に接近される恐ろしさを右京は知っていた。それが成人男性なら尚更だ。腕力も何もかも常識からかけ離れている奴らに捕まると、それだけで死に繋がりかねない。


 だが強化型の『魔法権利』の中でも、『加速』は更に頭一つ抜けていた。


 牽制を全て叩き落としたクロは、右京の両肩を掴むと引き寄せる。


「――――ッ、カハッ!」


 そして引き寄せた右京の体に、クロの膝が突き刺さる。攻城槌のような一撃に細身の右京は耐えられない。倒れることも許さない。クロの両腕は、まだ右京を掴んでいる。


「情報部の強化人間もこの程度か?」


 両肩を押さえられたこの姿勢は、上半身そのものを封じられているとも言える。圧倒的不利な状況を打開しようと右京は足掻くも、クロに文字通りに握り潰される。


「痛っ――、肩が――!」


 クロの握力は左右平均して百五十キロを越えている。連戦に連戦を重ねた今、その万力のような怪力は衰えてはいるが、それでも人体に苦痛を与えるには十分の強さであった。


「右肩がやけに硬いな。……これは、義手か?」


 機械と生身の接合部分は、義手を連動させる為に特別過敏になっている。民間に普及する前の最先端の科学技術の多くは軍で試され、実用化出来るレベルまで高められている。この義手もその一つだ。現在の科学水準では到達出来ない生体電子信号の解析と変換、そして義手と誤差なく連動させる技術を基に作られエチル。そしてその基礎研究は、未来視系の『魔法権利』を使って未来から引っ張ってきた技術である。


 頭一つ抜けた技術を使うには、相応のデメリットも存在する。


 それは進んだ技術が与える影響を、良し悪し区別なく手探りで見つけ出すしか方法がないという、運用するにあたって致命的なデメリットだ。


 現に接合部分を絞め付けられた右京は、激痛に顔を歪め、クロの拘束を振り切らんばかりにその身を捩っている。


 義手義足――そういった義体の類は、良く鍛えた成人男性以上の怪力を扱うことが可能である。けれど義体がそのままのスペックで運用されることはなく、必然的に制限が掛けられる。強化兵装(パワードスーツ)や強化型の権利者と違い、四肢の欠損により強化兵士に落ちた右京は義体の箇所以外が生身なのだ。制限のない義体を使えば、身体のバランスを崩して戦う以前に動くことすら難しい。


 だが、その制限の枠は激痛に歪められる。


「――――ッ、離すのです!」


 強化タングステンの拳が、クロの脇腹に突き刺さる。溜めも踏み込みもない、短い間隔で繰り出された拳に、クロの肋骨は悲鳴を上げる。緩んだ左手を振り払い、右京は続けざまに顎を殴りつける。


 クロの奥歯が頬の内側を切り、血が飛び出す。けれどクロは右京を逃さず、右京の左肩を強引に引き寄せる。


「このっ!」


 そして、再び右膝を叩き込む。ただの膝ではない。引き寄せる勢いも『加速』させ、殺意を籠めて放った渾身の一撃だ。


「――――ぐぁっ!」

「っっ!!」


 だが右京は左腕を捨てて衝撃を殺す。クロの狙いに気付き間一髪で用意した防護策であったが、それでも右京の体は軽々と蹴飛ばされ、手術台のようなテーブルに当たって動かなくなる。防御に使った生身の左腕はおかしな方向に曲り、全身を糸の切れた操り人形のように脱力させていた。


 右京を倒す為にクロが負った傷は、左側の肋骨数本と右膝――肋骨は間違いなく罅より酷い状態で、右膝は骨に異常はなさそうだが痺れて真面に歩けない。


「俺は馬鹿だ」


 クロは額の汗を拭い、足を引き摺りながら先に進む。


 今し方戦い叩きのめした右京は、海軍情報部の人間だ。本来なら診療所を襲った奴らに協力するどころか、奴らに攫われた診療所に配置されていた人員だ。常識的に考えるなら、クロと敵対する理由はない。


 なら何故、その常識が覆ったのか――『魔法権利』だ。


 博士が何らかの『魔法権利』を使って他人を操るという情報を、クロは事前に知っていた。知っていたにも拘わらず、立ち塞がる右京を打倒するのに必死になり、その結果負傷した。冷静さを欠き、敵が宛がった相手を素直に受け入れたからだ。


 もっと簡単な、試す価値のある方法は存在した。


 ただ、その時は思い付かなかっただけで。


「次の相手は、お前で良いのか?」


 クロは奥――博士が進んだ先から現れた男に視線を合わせる。


 左門だ。右京の双子の片割れで、拉致された情報部のもう一人。背丈は右京と同程度、黒髪黒目の典型的な日本人だ。ただ双子で顔が似ている所為か顔の造りは女性的で、男の軍人にしては身体つきは華奢過ぎる。更には短く切り揃えた、俗に言うボブカットの右京と違い、左門の方が髪が長い。そういった要素を含めて、左門は女にしか見えなかった。


「奈須左門、この国を守る為にキミを消します」


 だが声は確かに男のモノだ。いや、それよりも妙な内容を口走った左門にクロは眉根を寄せる。


「……守る? どの国を?」

「問答無用です! 覚悟っ!!」


 受け身の右京と違い、左門は一足飛びに距離を詰める。右京と同じく、言葉は通じるが会話は出来ない相手なのだろう。最低限の治癒――せめて肋骨付近を動いても痛まない状態にしたかったのだが、それに必要な時間稼ぎは出来そうにない。


 それどころか、この相手の対処は負傷が無くても辛いと早々に察する。


 数メートルの距離は瞬時に埋まり、クロは身を屈めて初撃を躱す。逃げ遅れたクロの後ろ髪が斬り飛ばされ宙を舞う。サバイバルナイフを抜いてはいたが、鋭く重い斬撃相手に役に立つかは怪しい。


 左門は、日本刀を持っていた。


 速さはクロの方が上ではあるが、ナイフと刀では間合いが違う。回避は出来ても、次が続かない。更に左門の持っている日本刀は一本ではない。左手に持つ抜身の刀と、右手に持つ鞘に納めた刀――左の一撃を躱して懐に潜り込んだとしても、刀を握ったままの右腕を突き出されるだけで間合いを作られてしまう。


 左門は刀を両手で持っていない。両手持ちに比べて片手持ちは、取り回しも斬撃の威力も安定しない。剣速も当然落ちる。振れば振るだけ握力も低下する。


 但しそれは、生身の場合に限る。


「お前も義手か」


 クロは舌打ちして左門の左腕を睨む。


 それでも無茶な攻めを可能にしているのは、疲れを知らない義手の腕を持っているからだ。握力の低下もなければ十分な筋力も維持出来る義手と近接戦闘では十分に広い間合いの日本刀――その二つを両立した強化人間は、今のクロには天敵であった。


 クロは僅かな隙を縫って最後の投げナイフを投擲する。


 予備動作を消し、『加速』で足りない速さを補った投擲も剣先であっさりと逸らされる。


 右京にも防がれていたのだ。左門が同様のスペックを持っていても不思議ではない。過度な期待はしていない。貴重な武器を一つ捨てただけの成果は、既に得ていた。


 クロは左門の攻撃が緩んだ一瞬で、剣戟の間合いから逃れることに成功した。


 そして集中出来るだけの間があれば、この状況を覆せる切札(カード)も切れる。


 十分な距離を確保したクロは、手始めに左門に声を掛ける。


「奈須左門、お前の守りたい国は……日本で間違いないか?」


 だが、左門の返答は剣先であった。先程同様距離を詰め、問答無用の宣言に違わず容赦なく斬り付けてくる。再び剣戟と回避の応酬が始まる。


 投げナイフ一本で稼げた時間は僅か数秒――これでは、あまりに割に合わない。


 クロの用意した打開策は、博士の『魔法権利』を『挑発』で上書きしてやろうと言うものだった。博士の『魔法権利』がどのような権利であるかは分からないが、直接精神に割り込める『挑発』ならば有用だとクロは踏んでいた。


 その見込みが甘かった。


 『挑発』は、相手を乗せなければ効果を発揮しない。少しでも興味を抱かせれば強引に引き込むことの出来る『挑発』も、問答無用で斬りかかる相手には小鳥の囀りでしかない。


 逃げと避けに徹したクロは、左門と対峙してから掠り傷一つ負っていない。右京との戦闘で折れた肋骨から痛みは既に引き、膝の痺れは完全に消えていた。


 体調は万全とはいえないが、問題なく戦える水準に戻っている。


 けれど、左門に立ち向かおうとする勇気は湧いてこない。


「――――ッ!」


 何時の間にか壁際に追い込まれていたクロに、渾身の袈裟切りが襲い掛かる。横に跳び、間一髪でその斬撃を躱したクロは、壁に付けられた傷跡を見てゾッとする。


 銃弾やナイフとは別種の恐怖だ。


 コンクリートの壁の表面を易々と抉った刀は、刃こぼれ一つせず左門の手で妖しく輝いている。あの鉄の塊を前にしたら、肉厚のサバイバルナイフも木の枝のように折られてしまうのは明白だった。巨大なAFを相手にしている時と似て、左門は圧倒的な威力で押し潰そうとして来る相手だ。違いがあるとするなら左門は速さと反応速度を兼ね揃え、尚且つクロの頑丈さも意味を成さない点だ。


「くそっ!」


 一か八かで突っ込む――それしか左門を倒す方法は残っていない。斬撃を躱した直後に刀を持った左手を掴み、捻り上げて組み伏せる。最低でも片方の刀を叩き落とせば勝機は生まれる。


 だが、もし失敗したら?


 左門の刀は容赦なく自分を切り伏せる。手が飛び、足が飛び、首が飛ぶ。


 四肢の欠損は権利者にとっての死活問題だ。シロが『拡散』で腕を飛ばされて意識を失ったように、多くの権利者が四肢を失い昏睡に陥っていたとジャック医師は言っていた。欠損が昏睡に必ずしも繋がる訳ではないが、そもそも孤独な地下での大量出血は昏睡云々ではなく直接の死に繋がる。


 仮に腕一本切り落とされ、それで左門を倒してシロを取り戻したとしても、シロを無事に連れて帰る余力はきっと残っていない。自分が命を燃やし尽くしてシロを助けたとしても、それはシロの望んだ結末ではなく、当然自分も望んでいない。


 クロと左門の追走劇は、徐々に形を変え始める。


 左門は唐突に右手の日本刀を投げ捨て、刀を両手に持ち替えた。


「右京の為に持って来た刀ですが、もう不要。キミを仕留めます」


 クロに拾われる危険と秤に掛けて、左門は確実にクロを仕留める方を取ったのだ。


 一本に絞ってからの左門の斬撃は、少しずつクロの動きを捉え始めた。クロの回避が的確と見るや、刺突から入り躱した身の流れに切先を合わせてくる。


「不要なら俺にくれ!」

「笑止!!」


 冗談で平静を保とうとするクロの鼻先を、鉄の塊が通り過ぎる。薄皮程度なら切れてしまいそうな風の斬撃がクロの顔に叩き付けられ、浮かんだ汗の粒を薙ぎ払う。


 洒落にならない!


 その一言こそ、相対したクロが感じた率直な気持であった。


 左門の動きは、右京の為の刀を抱えてクロを追っていた時とは明らかに違う。余計な荷物が消え、身軽になっただけが要因ではない。今までぎこちなかった左門の足捌きが、制約を取っ払い滑らかな剣術を修めた者のそれに変わったのだ。


 繰り出される剣戟に流れるような足捌きも加われば、回避はより一層難しくなる。どれだけ距離を取っても磁石に吸い寄せられる蹉跌のように追って来るのだ。


 剣先が右肩に引っ掛かり、コートごと中の肉を切り裂く。


 痛みを感じる暇はない。少しでも痛みに意識を裂いたなら、次の剣戟でざっくりと裂かれてしまう。ならば痛みなど一瞬で忘れ去って、目の前の脅威に集中するしかない。


 今は躱し続けるしかない。勝ち筋は、まだ残っているのだ。


 武器の有無も筋力も何もかも、突き詰めれば関係ない。


 左門は強化兵士でクロは権利者――その差こそ、決定的なのだ。






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