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A/Rights 変質した世界で  作者: 千果空北
第二章:茨の道と血濡れの足跡
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Ⅴ-10


「……あっ!」


 衣服を整え、増血剤を水で流し込み、いざ出発しようと歪んだ鉄の扉に手を掛けたクロを、紅緒が止める。クロは扉に込めた力を抜いて後ろを見ると、バツの悪い表情を浮かべた紅緒が慌ててクロから目を逸らした。


「どうした、紅緒」

「……首輪を忘れてたの、ご主人様」

「ご主人様はやめろ。妙な誤解を生む。で、首輪が何だ?」

「これ、高性能爆弾なの」


 紅緒は首飾り(チョーカー)のような首輪をコツコツと指先で突く。装飾品としてはあまりに無骨であるそれをクロは今まで紅緒の趣味か何かだと考えていた。だからこそ特に指摘はしなかった。けれど一般的な常識に当て嵌めるなら、虜囚の首に嵌められた首輪は行動を制限する為の枷に決まっている。


「ちょっとこっちに来い」

「はい、ご主人」

「ごしゅ……、いや、もういい」


 クロは紅緒の首に嵌められた首輪を執拗に観察する。首輪には解除キーを入力する為の装置や鍵穴はなく、素人のクロにはただの金属の塊にしか見えなかった。クロの指が首筋に触れ、紅緒はむず痒そうにする。


 その姿を見たクロは途端に顔を曇らせた。


「…………本当に爆弾なのか?」

「爆弾なの」


 からかわれているのではないか? と頭上に疑問符を浮かべたクロに対し、紅緒は畳みかけるように言葉を続ける。


「爆弾に必要なのは炸薬の量じゃないの。炸薬も必要ではあるけど、大事なのは火薬の圧縮と爆発の向きなの。五十年前なら兎も角、今の技術なら人間の首を吹き飛ばすくらい爪先程度有れば事足りるの。私も首は甲殻化出来ないの。爆発したら、まず間違いなく首が飛ぶの」


 つらつらと詳細を喋り始めた紅緒にクロは目を丸くする。


「詳しいな」

「これを装着する時、仕様書を読まされて同意させられたの。法律や倫理が云々言ってたけど、アレは自分が作った首輪を誰かに自慢したいだけだったの。……マッドサイエンティスト?」

「強引に外せばどうなる?」

「爆発するの、多分」


 クロは首輪から首へ頬へと手を這わせる。以前の骨と皮のような少女は快適な牢獄生活で活気と肉付きを取り戻していた。肌は若い女性の例に漏れずにきめ細かく滑らかで、身長も幾分か伸びていた。この白い毛先がなくなれば、女王の面影も感じなくなるかもしれない。


「成長期か……」


 クロはそのまま紅緒の髪に手を移し、白が残る毛先を弄ぶ。


「妙な感じなの。むずむずするから止めて欲しいの」


 今まで黙って受け入れていた紅緒は、我を失っていた頃の自分に触れられているような感覚に襲われてクロの手を振り解く。けれどクロは懲りずに手を伸ばして紅緒の白い部分に触れる。


 そして何の脈絡もない問い掛けを、紅緒に投げる。


「耐用年数はどのくらいだ?」

「耐用年数? 髪の?」

「お前の髪のことじゃない。首輪の方だ」


 紅緒は慌てて自身の髪の毛から手を離す。からかわれたのだと紅緒は反射的に考えたが、クロの瞳にそんな意図はまるでない。首輪に手を掛け、自分を全く見つめない瞳に紅緒はドキリとする。


「分からないなら、それでいい」

「待つの。次の交換は……、確か五年後って言ってたの」

「五年か。分かった」


 クロは目を閉じ、意識を指先――首輪へと集中させる。


 右目の下に、一本の印が現れる。『加速』――しかし『加速』させているのは自身の身体ではなく、指先で触れている首輪だ。クロは付与と呼ばれる技術を修めている。付与とは自身の持つ『魔法権利』と同様の効果を一時的に他者や物に植え付ける技能だ。之江の『点火』やヨーゼフの『延長』のように付与し易い『魔法権利』もあれば、紅緒の『羽化』のように他人には絶対に付与出来ない『魔法権利』も存在する。


 『加速』は、どちらかと言えば後者――付与に向かない『魔法権利』だ。


 但し『加速』は付与出来ない、付与し辛い『魔法権利』ではなく、飽く迄付与に向かない『魔法権利』――付与したところで『加速』はすぐに途切れて持続しないのだ。


 当然例外はある。之江に託した黒白の二丁拳銃には確かに『加速』は付与されているが、その付与を定着させる為の『魔法権利』が付与されている。


 つまり持続時間の問題さえ突破したら、持続時間が必要ない状態なら、『加速』の付与は実用可能な水準を満たすのだ。


 まさに今、クロが触れ続けているように。


「何を……しているの……?」


 紅緒はクロをまじまじと見つめる。自分と顔の高さを合わせ、首輪に手を添えたまま微動だにしないクロは、話し掛けるなと無言の圧力を放ち、自分では絶対に見ることが適わない首元に手を当てていた。既に十分近く経過している。目的を告げずに始めたその行動に、紅緒は言葉に出来ない不安を感じ始める。


 そして答えは、首元から聞こえた。


 ガチャリと何かが外れる音がして、紅緒の首に嵌められていた首輪が幾つもの部品に分解されて床に転がる。クロは額に薄らと浮かんだ汗を拭い、短く答える。


「首輪の劣化を『加速』させた。恐らく、百五十年ほど」


 見ると床に転がる部品は所々錆が浮かび、塗装が剥げ、自然に折れ曲がっていた。内蔵された電子機器に至ってはその寿命を無理矢理迎えさせられて見る影もない。


 クロは呆然とする紅緒に手を差し伸べる。


「ほら、急ぐぞ」


 だが紅緒はクロの手がとても恐ろしいモノに思えて仕方なかった。


 クロの手は頑強な造りをした首輪を紙細工のように解体してみせた。時間を早める『加速』という『魔法権利』は、その気になれば触れただけで老化を進め、至って自然に殺すことが出来るのではないか、と。


「シロの命に係わる。早くしろ。来ないなら置いていく」


 たったの一言で、クロに他意などないのだと紅緒は気付いた。


 この男にとっての自分とは、再び出会うまで存在も約束も忘れ、命を助けた程度で恩を感じて国一つを敵に回す危険を負う、そんなちぐはぐな存在だ。扱い方を定める必要すら感じない、路傍の石ころと同じなのだ。


「出口まで、私が案内するの」


 紅緒はぞくりと身震いする。零れそうな笑みを手で覆い隠す。


 自分の直感を信じて正解だった。この男――クロならば、きっと自分をぞんざいで大切に扱ってくれる。あの少年(ニキ)の言った通り、刺激に溢れた日々と退屈しない何かと相対することが出来るのだ!


 紅緒はクロの背に抱き着き、扉に向かって押していく。そして目をパチクリさせるクロを置き去りに、大声で叫んだ。


「もう、こんな所には居られないの!」


 その声は広く深い地下階層に響くが、誰も何も返すことはなかった。





「ああっ、くそっ! くそっ!」


 ぜぇぜぇと息を切らせながら、クロは一筋の光すら差し込まない漆黒の階段を駆け上がる。滴り落ちる汗が階段に水玉模様を描き、その汗だくな背中を涼しい顔をした紅緒が翅を震わせながら追う。


「真っ暗で何も見えないの。でも電気のスイッチは外にあるの。大変、足元が見えなくて転びそうなの」

「煩い! 夜目を! 利かせろ!!」

「そう言いつつ、ご主人は何度も躓いているの」


 けらけらと笑いながら、紅緒はクロの背中を押す。


 辛い。しかし、ここを抜けるのが一番速い。


 クロは汗を拭い、ただ地上だけを目指して、壁のような傾斜の階段を踏み越える。


「ここは! お前専用の! 抜け道かっ!」


 背中を押す無邪気な力を感じながら、クロは呪いの言葉を吐く。


「んふふ、登り始める前のご主人に教えてあげたいの」






 歪んだ扉を蹴り倒したクロは、一刻でも早く地上に出ようと足を速める。十分、二十分、それとも一時間――慎重に進んでいたにも拘らず、クロはここに辿り着くまでに掛かった時間を掴み損ねていた。


「――――うおっ!」


 同じ間隔で並ぶ通路と傾斜と曲がり角――その最中で不意に現れた小部屋の前で、クロは襟首を掴まれて無理矢理引き止められる。


 紅緒を半ば置いていくつもりで『加速』を使い走っていた。


 それでも紅緒に追いつかれ、剰え強引に引き止められた。力負けしたのだ。


 万全では負けることもない。クロは否応なしに感じさせられた疲労や負傷の蓄積に苛立ちを覚えながら、引っ張られたことで絞まった首元を擦る。


「死体には触るな」


 振り向きながらクロは紅緒に注意を投げ掛ける。


 今この近辺には合計四人分の死体が転がっている。拷問された医者と看護師、クロが刺し殺した強化兵装(パワードスーツ)の兵士と、その兵士が手にした散弾銃で下半身をズタボロにされた兵士、合計して四人分の死体が通路の脇と部屋に放置されているのだ。


「心配しなくても、死体に用は無いの」


 紅緒は血溜まりを避けて本棚の前に立つと、それを強引に動かした。


「ほら、隠し扉なの」


 空気は淀み、部屋の灯りに照らされた部分しか見えない階段――その傾斜は段差がなければ壁と言われても否定できない程に激しい。


「…………」


 これを登るのかと喉まで出掛った言葉を飲み込む。知ったからには逃げることは出来ない。それがどんなに険しい道であれ近道なのは確かなのだ。


 クロはごくりと唾を飲み、手すりすらないその階段に躊躇わずに足を踏み入れた。





 診療所の裏手の林、密集した草木の一角の地面が盛り上がり、そのまま引っ繰り返る。ボゴンと重たいマンホールのような蓋が地面を跳ね、そこから汗だくの男と涼しい顔をした少女が飛び出した。


「死ぬかと思った」

「全然平気そうに見えるの」


 地下階層への入り口が屋外――密集した木々の合間にあるなど思いつかなかったクロは、設計者の周到さと底意地の悪さに感心する。


「敵は、何処だ」


 クロは近くの木に背を預け、呼吸を整える。ひんやりとした冷たさが背中に染み渡るが、それ以上に腹部が酷い熱を帯びていた。浸透勁による直接体内に与えられた衝撃(ダメージ)と腹部で暴れ回った五発の銃弾――いくらクロの生命力が卓越したモノであろうが、回復速度を『加速』させようが、どれだけカロリーを補給したとしても、自然治癒で治せる傷には限界がある。


「…………っ!」


 激痛と疲労に紛れて襲い掛かる吐き気を、クロは無理に抗わずに受け入れる。何度も何度も喉の奥に詰まった何かを吐き出そうとするが、出てくるのは胃液と血の塊だけであった。空腹とはまた別、固形物を腹に収めたい衝動に駆られる。弾痕を塞ぐ為に使った部分を補うには、純粋なカロリーだけでは物足りないのだ。


 そんな状態であるにも拘わらず――そんな極限状態であるからこそ、クロの耳は聞き逃さなかった。


「悲鳴が聞こえた」


 診療所の方角に顔を向け、クロは呟く。そして一歩二歩と足を進め、何時しか走り出していた。クロは敵の存在に気付いた途端痛みを遮断してくれる自分の身体に感謝しつつ、今まさに飛び上がろうとしていた紅緒の手を掴む。


「飛ぶな、気付かれる」

「…………? 何故なの?」


 クロに押さえられて飛ぶのは止めたが、翅は収納しない。そして「気付かれても問題ない」と言わんばかりに紅緒は首を傾げる。


「敵はサザンちゃん込みで三人、気づかれても問題ないの」


 確かに紅緒の主張は一理ある。強化型の権利者が二人――それも身体能力が高いクロと紅緒相手に立ち回れる相手など、そうそういない。仮にそれだけの存在がいたとしても、一息で距離を詰めて反撃を許さずに畳みかければ良い。


 しかしそれでも、クロは止める。


「あの甲高い悲鳴、俺が地下で遭遇した拳法使いの悲鳴だ。悲鳴を上げるということは、それに足る何かが存在するということ。相手は恐らく俺たちがここにいることを知らない。拳法使いと悲鳴を上げさせた何か、どちらもだ。仕掛けるのはその何かを確認してからでも遅くはない」


 紅緒は「納得なの」と短く答えると並走を止めて、クロの背中に隠れるようにして追走する。抜け道から診療所まで二百メートル弱、悲鳴を聞いて即座に走り出した二人は、その一部始終を見ることが適った。


「いた」


 敵は居た。正確には、敵が連れて行ったサザンが居た。


「あの人、凄いの……」


 物陰に身を潜め、同じくその様子を見守っていた紅緒が驚嘆を漏らす。


 サザンは、宙を舞っていた。


 それは誇張でも何でもなく、たった一人の剣士によってバトミントンのラリーのように地面に着くことを許されずに掬い上げられていたのだ。鞘に納めた日本刀がサザンの身体を一打一打丁寧に掬い上げ、肉を打ち骨を砕く不快で小気味よい音が二人の耳にまで届いていた。『分裂』は発動していない。恐らく何度も発動させ、今は発動させる力が全く残っていないのだ。


 茶髪の侍――コートに袴姿のポニーテール男は、落ちてきたサザンを受け止めると、他の二人と同じように駐車場へと転がした。一人は強化兵装(パワードスーツ)を着込んだ男、もう一人はチャイナドレスの拳法使い――どちらも着衣の上から膾切りにされ、小さな血溜まりの中心で倒れていた。



 不意に、目が合う。



 ぞくりと背筋に寒気が走り、クロは反射的に『加速』を発動させる。隣の紅緒も同様に翅を取り出し、いつでも飛び上がれる体勢を取っていた。あの侍はこちらの存在に気付いていた。サザンを放り出したのは


「次は貴様らか?」


 次の獲物を見つけたからだ。


 背後からの声――目の前の男は煙のように消え、同じ男が二人の背後に立っていた。


 一瞬の出来事だ。飛び上がろうとした紅緒の顎を鞘に納めた日本刀で殴打し、振り向いたクロの鳩尾には硬い爪先が突き刺さる。紅緒はたったの一撃でやられて翅を広げたまま地面に倒れ、傷口を刺激されたクロは血の塊を吐き出した。


 膝を付き腹部を抱えて蹲るクロの前に侍は立ち、鋭く冷たい瞳で見下ろす。


「電話を取れ、クロ」


 自分は名乗っていない。けれども何故か侍はクロの名を呼んだ。


「何故俺の名前を……」


 クロは男に尋ねるが、それを邪魔するかのように携帯端末が呼び出し音を鳴らす。リィンリィンと軽い音だけが、緊迫した空間で鳴り続けた。






ソロモンの偽証前篇見てきました

やっぱり中学生役は中学生にやらせるのが一番ですね

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