Ⅵ-1 羊たちと狼
クロは謎の侍に――山吹守矢に刀を突き付けられながらも、携帯端末を取り出して通話ボタンを押す。
《クロ! おい、クロ!! 返事をしろ! 聞こえているか!!》
携帯端末からけたたましい呼び声が届き、クロは思わず耳を離して通話終了ボタンを押してしまう。通話相手はケイジで、この男は通話前に電話が掛かってくると知っていた。だとすると、この男は…………
「アンタ、海軍情報部か……」
先進国の特殊部隊の一部では、体内に無線機を埋め込み言葉を発さずに通信する方法が編み出され、配備されているとクロは知っていた。一切の言葉を発さずケイジからの連絡が来ることをを知っていた守矢はその無線機を埋め込み、ケイジと同じ部隊に所属していると考えて間違いないだろう。
守矢は何も答えず、刀を腰に納めて倒した三人へと戻っていく。
クロはその姿を見送ると、携帯端末を操作してケイジを呼び出し、ワンコールも掛からずに通話が始まる。クロは再びけたたましい歓迎を覚悟したが、携帯端末からは前回と比べると小鳥の囀り程度の声しか聞こえない。
「すまない、ケイジさん。あまりの大声で、つい」
《俺も大尉に叱られちまった。声の出し方を忘れたのかって》
クロは携帯端末を耳に当てたまま、傍らで倒れた紅緒の頬を軽く叩いて覚醒を促す。
《それで、クロ。女王を連れ出したってのは本当か?》
情報の伝達速度こそ内蔵型無線機の強みである。しかし持っていない方からしてみれば、どれだけ情報を共有しているのか分からないことは恐怖でもあった。
「ああ」
《あれだけ軍と敵対するなと言ったのに……、言ったよな、クロ!》
「ああ、聞いた」
《女王が何故地下階層にいたか分からないお前じゃないだろ! クロ、この件を知っているのは俺と大尉、それと情報部の数人だけだ。今すぐ元の場所に戻せば、情報部の内部で握り潰せる》
ケイジは必死に説得する。それが自分を思っての言葉と分かっていても、分かっているからこそクロも遠慮などせず引っ掛かりを口に出す。
「……紅緒の存在と一緒に握り潰すのか?」
《――――ッ!》
電話越しに息を飲む気配を感じ取り、やはり後ろめたさが残っているのだとクロは確信する。紅緒の首輪の五年という耐用年数は嘘で、その気になれば何十年と閉じ込めることだって出来るのだろう。
《……それを、それを決めるのは俺じゃない。だがもしお前がそいつを連れ出して、捕まれば期限なしの幽閉生活が待っている。いや、待て! そもそも首輪はどうした? まだ地下なのか? それとも機能していないのか……?》
「俺が外した」
《冗談言うな、クロ》
「信じないならそれでいい。現に紅緒は表に出てきている。裏を取るなら大尉とやらに訊けばいい。それよりシロを攫った相手の情報をくれ、ケイジさん」
《…………》
我ながらに良い面の皮をしている思う。他人の意向は一切聞かず、ただ自分の願いだけを押し通そうとしている。難色を示すのは当然だ。
《やっぱり攫われてたのか……》
「衛星で追ったりできないのか?」
《衛星は万能じゃねぇぞ、クロ。いや、それより今は女王のことだ!》
「それについては、私に提案がある」
《……守矢大尉?》
両肩にそれぞれサザンとナインを抱えた守矢が、横から会話に割り込む。ケイジと守矢は声を出しながら無線通信を行い、クロと守矢は直接に会話を行う。顔を合わせていないにも拘わらず、実質的に三人同時の会話を実現していた。
「女王の首輪が外れたなら、新たな首輪を用意すればいい」
「新たな……?」
「クロ、貴様がそいつの首輪になれ。死ぬか任が解かれるまでまで傍に置いて、目を離さず、逃げ出さないように、奪われないように貴様が見張れ」
解き放った責任は本人に取らせる。それが守矢の提案であったが、ケイジは又も難色を示す。
《――――ッ! 大尉、クロは民間人だ!》
「軍の秘密施設に侵入した権利者付の敵一個分隊を追い掛けて壊滅そして敗走させ、尚且つ保護監視対象の牢と首輪を外して手懐けた男――そんな奴が民間人に分類されるのなら、何十何百と首を刎ねてきた私も明日から立派な民間人だ」
《ですが……っ!》
「そもそも今回の件は国自体の落ち度、多少は追及されん。工作員の入国を許した海軍と入管、潜伏した工作員を炙り出すどころか気付きすらしなかった公安、診療所と地下施設を守り切れなかった陸軍と私たち情報部。誰が責任を取る? 誰がこれだけの責任を取れる? 言い出したらキリがないぞ」
《…………》
「恐らく今回の件、誰の責任も追及せずに隠匿される。消防と警察に十数人の犠牲者は出たが、予想外に広がった火事に原因を擦り付けることが出来る。火事も"偶然"現地に居合わせた同盟国の協力者により一瞬で消し止められたからな」
守矢はクロを一瞥するとフンと鼻を鳴らす。偶然現地に居合わせた同盟国の協力者とはまず間違いなくローザで、この男……いや、海軍情報部は何故ローザが日本に来たのかも知っている素振りを見せた。
クロは底知れぬ気味悪さを感じるが、ぐっと飲み込んで守矢の提案を受け入れる。ケイジも今度は食い下がらずに《……了解しました》と短く答え、クロとの通話も終える。
「そこの狸寝入り、お前もそれでいいな?」
守矢がぎろりと視線を向けると、横たわる紅緒の体がびくりと揺れ、跳ねるようにして起き上がる。
「気付いてたの!?」
「当然だ。それで返答は? 断るならこいつらと一緒に別の監獄行きだが、どうする?」
「断る理由がないの」
紅緒は衣服に付いた土埃を払うと気絶し守矢に担がれていたサザンの柔らかな頬を指で突く。熟れすぎた果物のように全身を青痣と切り傷で彩ったサザンはぐったりと動かない。「こうはなりたくないの」と言いながら、紅緒はそんな様子のサザンをニヤニヤとしながら突いていた。
「……もう一人は何処だ?」
その段になって、守矢が二人しか抱えていないことにクロは気付く。守矢が抱えているのはサザンと強化兵装の男で、地下階層で出会ったチャイナドレスの拳法使いがいない。
「心配しなくてもいい。追跡ナノマシンを埋め込んで逃がした。権利者ならば敵も無下に処分したりせんだろう。しっかりとこちらで追跡させてもらう」
「追跡ナノマシン……」
ペンダント型発信機や携帯端末のGPSと言った調達し易い類の発信機ならば、シロは常に複数個身に着けていた。それは入院中のベッドの上でも例外なく、シロが人目を引くほど美しく、稀代のトラブルメーカーであることに対する保険であった。しかし誘拐慣れした相手(する方)となると見つかり易い通常の発信機は排除されて頼りにならない。見つかり難く排除し難い追跡ナノマシン等が入手出来ればいいのだが、管理の難しさや寿命の短さ、費用の膨大さを考慮すると一個人では到底扱いきれる代物ではない。
いっそのこと、軍籍でもあれば……とクロは考え、首を振る。今回の件において、シロは巻き込まれただけだ。それに過剰に反応して軍に入り、自ら危険の中に飛び込んでいくのは本末転倒だ。軍の相手はAFだけじゃない。もっと厄介で数の多い、人間とも戦わなければならないのだ。
「紅緒、行くぞ」
「何処に行くの、ご主人?」
言うまでもなく、シロを取り返しに。
無言で歩き始めたクロの背中からそれを察した紅緒は小走りで駆け寄り、尋ねる。
「橙堂少尉も場所を掴めてなさそうだったの。そんな相手を、どうやって探すの?」
「勘だ」
「男らしくて潔い返答なの、ダメっぽけど……」
勘だ――と言いはしたが、心当たりがない訳ではない。拳法使いはシロを海を越えて移送すると言った。嘘か本当かは分からないが、人を攫って移動する集団が軍の警戒網を破って長距離を進めるとは思えず、尚且つこの近辺の港から海外に逃亡する船舶あったなら、まず間違いなく哨戒中の軍艦に拿捕される。潜伏して哨戒ルートを解明してから動くか、何かしらの後方支援を受けて合法に出国する。それが一番合理的で現実的な方法だ。
そして人目がなく潜伏に最適な場所が、今の日本には存在する。
「奴らは九州にいる。詳しくは少尉から聞け!」と遠くから守矢が叫ぶ。
クロは申し訳なく思いながらも遠慮なく、懐から携帯端末を取り出そうとする。しかし横からスッと伸びた手が、クロの手を押さえる。
「女王を通信機代わりに使え。アイツの中に同じ無線機が埋め込まれているのをすっかり忘れてたぜ、なの。橙堂少尉が言っていたの」
突然低い声と妙な口調で、紅緒がクロに語り掛ける。言葉を向けられたクロは目を丸くするが、すぐにその意図を読み取りたった一言だけ返答する。
「ケイジさんの声真似は止めろ。普通の口調で良い」
山を割くようにして造られた高速道路を時速300キロを超えるスピードで銀のバイクが弾丸のように進んでいた。常人なら怯み、身を竦める状況であるにも拘らず、ゴーグルを掛け、バイクを駆るクロは焦りと物足りなさを感じて更に速度を上げようか悩んでいた。
「無理ぃぃぃいい! これ以上、無理なぁぁのぉぉぉおお!!」
「騒ぐな、吼えるなら速度を上げるぞ」
「止めて! 本当に止めて!! なの!!!」
背中から回された手に洒落にならない程の力が籠められ、クロは仕方なくアクセルを緩める。それでも並の乗用車の倍以上出ているのだが紅緒は多少落ち着きを取り戻し、大きく息を吐く。
「し、死ぬかと思ったの」
「大袈裟だ。海を走った時はさっきの倍の速度が出ていた」
「大袈裟じゃないの。体がぎゅーって後ろに引かれてたの」
クロは返事に疲れ、ただ黙って前を見る。降り注ぐ雨粒の如く一瞬で過ぎ去った標識によれば、目的地――本州と九州の境目まで残り五キロを切っていた。通行禁止を伝える看板やバリケードは端に避けられ、クロの走行を邪魔するモノは何もない。橋への到達まで時間にして一分弱――そうであるにも拘わらずクロは更に速度を『加速』させる。再び紅緒の両手がクロの体を絞めるが、今度は速度を緩めない。
「紅緒、怖いなら飛んでいても良い」
クロの提案が紅緒の耳に届き、紅緒が答えようと口を開けた時には既に、目的の橋はすぐそこに迫っていた。本州と九州を繋ぐ関門橋――問題があるとするなら、AFの発生と同時に橋は爆破され、修復するという宣言も準備の段階で停滞して道がない点だけだ。
クロは更に『加速』させ、橋の先端から飛び出す瞬間に前輪を上げ、そのまま低く鋭い軌道で宙に飛び出した。
通常なら僅か数メートルで失速、そして墜落の未来しか待っていないのだが、常識を遥かに超えた速度で進むクロのバイクは、慣性の助けもあって十数メートルの空白を悠々と飛び越えた。
唸りを上げるエンジン、高速で回転するホイール、薄く張った霧に飲み込まれる銀の車体――全てがクロの期待に応え、抜群の働きを見せていた。
「ひぃっ! はぁっ!!」
飛び出して数秒後、着地の瞬間――衝撃で手が解け、紅緒は妙な悲鳴を上げながら空中に放り出される。
「――――おいっ!」
クロは慌てて『加速』を抑え、速度を落とす。大型バイクのバランスは、余程のことがない限り崩れないと知っているクロは、上体だけを捻って振り返る。最悪でも地面を転がる紅緒だけでも回収しようとするが――――
「あっぶないの!」
翅を震わせバランスを取っていた紅緒はちょうどクロの背中にぶち当たり、偶然にも元いた場所に収まった。紅緒はクロを見ながら目を見開き口をパクパクと動かしていたが、クロが目を逸らして前を向いた途端、ダムの水位調整の為に行われる放水のように口から言葉が流れ出す。
クロは言葉が届かなくなるまで速度を上げようかと考えたが、思い留まる。
ここからの道路はケイジが手回しした本州の高速道路とは違い、AFの発生で住居を失った人の一時避難場所となっている。いくら軍とはいえ彼らを退かせることは出来ず、林立する仮設テントの合間、狭い空間を縫って進めるだけの運転技術を持ち合わせていなかったクロは、必然的に速度を落として一般道に降りるしか道はなかった。
速度をぐっと落とし、クロは人のいない国道を走り抜ける。後ろに乗った紅緒は速度に対する不平不満を漏らさなくなり、今は通信機の役割を果たしている。
「ご主人、やっぱり敵は下の関門トンネルを使って逃げたみたいなの」
関門橋が破壊されて以降、AFの感染者が通過しないように関門トンネルを封鎖して通行を制限していた。両入り口には二十四時間絶えず検問部隊が張り付き、警戒を途切れさせることはなかった。
だが逆に言えば、それだけの警戒しかしていなかったのだ。
用意周到な敵組織は、その甘さを見逃さない。検問を務めた部隊はケイジや守矢が所属する海軍情報部のような特殊部隊ではなく、怠惰ではないが優秀とも言えない陸軍の部隊だ。封鎖の報が世間に出回って数か月、定期連絡の頻度は他と比べ物にならない程に多いが、滅多に客が訪れないトンネルの封鎖任務は緩むには申し分ない閑職であった。
「配置されてた軍人さんはトンネル内部で死体になってたらしいの」
自分たちが襲撃されるなど微塵も思っていない部隊は、実際に襲われると抵抗どころかその報告すら許されずに殲滅され、検問部隊は敵に成り変わられた。少なくとも、シロと診療所の警護に当たっていた情報部の二人を乗せた車は通り抜け、今の今まで検問と定時連絡は問題なく機能していたと紅緒の口から報告が漏れる。
検問に敵が潜んでいる可能性を脳裏に浮かべていたクロは、敵と戦闘になり生じる時間の浪費にトンネルを潰される危険性、壊れた橋を飛び越える危険を比べて後者を選んだ。幸か不幸か検問に成り変わった敵部隊は撤収済みであったが、クロにとってはそれが有難かった。
何故ならクロが今追っているのは、その撤収した部隊だからだ。
「何故、軍は急襲を仕掛けない?」
ケイジがクロに教えたのはシロの居場所ではなく、シロと同じく攫われた情報部の二人の通った道筋である。情報部の顎裏には内蔵型無線機が埋め込まれ、それを逆探知すれば敵の位置も割り出せる。
「私に訊かれても分からないの」
「ケイジさんに訊いてくれ」
関門トンネルからその地点までの最短ルートに、目的の車がいる筈だ。クロの『加速』と似たようなことをしていない場合に限り、妙なルートを選ぶ理由はないのだ。
「即応部隊がないからって言ってるの。あ、でも本当は権利者を相手にすると損耗が激しいから部隊を動かしたがらなくて、お前たちが権利者だけでも始末してくれれば……って漏らしたの。……橙堂少尉は特殊部隊なのに、かなーりお喋りな気がするの」
想定通りの答えにクロは心の中でほくそ笑む。ケイジの言葉の裏を読み取れば、攪乱して時間を稼ぐか敵の権利者を潰せば、後始末は軍がしてくれることに他ならない。手柄を譲ると伝えたら、きっと誰もが率先して面倒な後始末を引き受ける。きっと情報部は、そんな工作を仕掛けるのだろう。
「それがケイジさんの良い所だ。……紅緒、本人には言うなよ」
「んふふー、考えておくの」
バイクは夜と朝の合間を走る。
クロと紅緒の二人に追われる者たちは、追われていることを知る由もない。
奴らには二度と朝日を拝ませない。心に秘めたクロの怒りも、当然。
第二章最終話突入です




