Ⅱ-4
目的の階まで昇り終えた二人が廊下に顔を出すと、すかさず銃弾の雨が降り注ぐ。
「途中で止められると面倒だと思ってエレベーターを使わなかったのが裏目に出たな。まさか、こうもピンポイントに先回りされるとは…………」
弾丸が掠った頬に炙られたような痛みが生まれる。クロはその傷を指で揉み痛みを誤魔化す。その仕草は煙草の火を消すような気軽さで、苦痛の類は微塵も表情に浮かばせない。
「クロ、動かないで」
ローザはそう言うとフッとクロの横顔に息を吹きかける。甘い香りに少し遅れてやってきた冷気がジンジンと痛む頬から熱と痛みを奪い去る。クロは驚いて指を離し、付着した血をコートで拭う。
「俺の傷はいい。放っておいても治る」
「それでも、クロ……」
「それよりも、ローザ」
ローザの言葉を制したクロが、いま必要なことを取捨選択して口にする。
「ここをどうやって突破する?」
いま大切なのは掠り傷ではなく現実に迫る大きな危機。その対処を誤れば互いに掠り傷では済まなくなる。
「具体的に言うなら階段の下の奴らとエレベーターの奴ら、どちらを始末するかだ。単純に倒すだけなら下の奴らの方が楽だが、そうすればエレベーターの奴らに頭上を抑えられて今のように、……いや今より動けなくなる可能性が高い」
クロは先程階段で倒した男たちから奪った短機関銃で応戦しながら、二人が釘付けにされていることを存分にアピールしながら、ローザにどうするのかを問う。
「上の方は危険は大きい。ほぼ直線の狭い廊下で、銃火に身を晒さなければならない。だが倒してしまえば後は跳ぶだけだ」
「成功率は?」
「その気になれば八割、今はシロがいないから三割程度だ。どれだけ鍛えても銃弾を恐れる気持ちと撃たれる痛みだけは変わらない」
ローザは首を捻り、クロの言葉の端々に現れる”シロ”という存在について問い掛ける。クロという人間と組むなら、クロという男を理解するには、そのシロを知らなければならないとローザの女の勘が嗅ぎ取ったのだ。
だがクロは押し黙り、エレベーター側への牽制を止めてローザを見つめる。澄んだ鳶色の瞳に見つめられたローザは思わず瞳の深さに魅入られそうになるが、完全に魅入られるのを妨げるかの如くクロは口を開く。
「シロは義妹……、そうだ。俺はシロを助ける為にニキに会わなければならない。こんな場所で立ち止まってる時間はない」
そう言い残すとクロは短機関銃を棄てて廊下に飛び出していく。その手には妖しく輝く鋏の片割れが握られ、飛び出して数秒も経たずに幾多の絶叫が廊下を越えて階段にまで響き渡る。
「あっ……」
ローザは慌ててクロの援護に回ろうとクロの捨てた短機関銃を拾い上げて顔を出すが、タイミング悪くクロの襲撃から逃れた一人と鉢合わせてしまう。ローザは咄嗟に銃を構えるが、既に相手の銃口は自身へと狙いを定めている。
――――死ぬ、と自身の行く末を覚悟したローザであったが、それを撃ち破るかのように銀の刃の切先が男の喉から飛び出した。
ローザは引き金に掛けた指を離し身を屈めて、脊椎に深刻なダメージを受けた男の虚ろな瞳から逃れる。そしてローザの残像を追うように男の短機関銃が火を噴き、硬直した指をそのままに崩れ落ちる。
クロはひょいと右手を動かして元鋏の投げナイフに結ばれた釣り糸を手繰り、ナイフを回収する。
ローザは血の気の引いた顔で新たに作り出された死体を見つめる。銃を握っていない左手を口に当て、乱れた呼吸を整えようとする。
「行くぞ、ローザ」
そんな掛け声と共にクロはローザの左手を引き、無理矢理立ち上がらせる。ローザが立ち上がり、一歩二歩と進んだ時には既に体は浮いており、所謂お姫様だっこの要領で抱え上げられていた。
「ちょっと待って、クロ」
「安心しろ、敵は始末した。相手も焦って連携が取れていない。逃げるなら今が好機だ。片手で支える。しっかりと首に腕を回せ」
「そうじゃない、待って」
クロはローザの抗議を聞き流し、廊下の先にある大きな窓――防弾仕様ではないが頑丈な造りをした大きな窓ガラスに向けて短機関銃を向け、引き金を引く。タタタッと短い音が響き、同時に分厚いガラスに罅が入る。だがビル風に耐えられる造りをした分厚いガラス相手では罅程度で止まり、割れる気配もない。
クロは銃弾を吐き出させながら徐々に歩調を早め、次第に本格的な『加速』に移る。右手に握られた短機関銃は全ての弾丸を吐き出したが、罅を増やしただけで窓ガラスは割れていない。
「喋ると舌を噛む。飛ぶぞ」
腕の中で狼狽えるローザを黙らせ、クロは窓に向かって最後の一撃を――短機関銃そのものを『加速』させて投げつける。空中分解しながら窓ガラスに叩き付けられた短機関銃は窓ガラスを粉砕し、気温差が三十度以上ある外部の冷たい空気がクロの『加速』を阻むかのように流れ込む。
けれど、クロは跳んだ。
そしてローザは見た。クロが飛び出した窓の先――隣の建物までの距離は三メートル弱どころではなく、合計四車線と歩行者用の道路合わせて二十メートルは下らない。
空中で更に加速する。
下の街では疎らに車のヘッドライトや住宅の灯りが輝き、漆黒の空から街の灯りにを助けるかのように純白の雪が降り注ぐ。
幻想的な風景――――超高速で滑空していなければ、楽しむ余裕もあったかもしれない。
滑空時間は思いのほか長く、跳び終えて向かいの雑居ビルの屋上に着地したクロは、積もった雪に体を滑らせ、鉄柵に自身の体を受け止めさせる。肺が圧迫され、骨が軋み、思わず呻き声が漏れる。ローザの心配そうな表情を見て見ぬふりをして、抱えたローザを開放する。
徐々に近づいてくるサイレンとホテルの周囲で慌ただしげに閉められる車の扉の音が聞こえる。警察が介入しない算段は、二人が大した抵抗なく捕縛された時限定のモノだったのかもしれない。いくらホテルを買収しても、銃撃戦を始めたら介入は避けられないのは明白だ。そんなことを考えながら、クロはふと思い出してローザに尋ねる。
「ローザ、何があったんだ? 跳ぶ前に妙に焦っていたが……」
素知らぬ顔で尋ねてきたクロに、ローザは呆れて言葉も出なくなる。
「どうした、ローザ」
「…………なんでもない。行こう、クロ」
クロはホテルを一瞥し、逃げるように動き出したローザの背中を追う。規則的に動いていた二本のおさげが今は不規則に揺れている。その不満が見え透いた背中を確りと見つめながら、クロも歩調を速めていった。
徒歩で進むには限界がある。けれどもクロとローザは寒空の下、愚痴一つ漏らさずに薄らと雪の積もった道を進む。
サクサクと雪を踏む音と共に二人の口から語られるのはただ一つ――敵の手法だ。
「先回りされる理由に心当たりが?」
「ある。…………いや、推測に過ぎない。けれど、まず間違いなく『魔法権利』が関わっている筈」
クロは足を止めて眉を顰める。予想している『魔法権利』が本当なら、それが実在するのなら、自分たちに抗う術など残されていない。
「未来視系の『魔法権利』……、『予想』や『予知』だのが関わっている可能性が高い。そうでないと、完璧に先回りされる理由が説明できない」
「噂には聞いていたが、実在するのか?」
「実在する。環太平洋条約機構の主要加盟国――ロシアに日本、アメリカは既に数人確保している。私も会ったことがある。彼らの力は本物」
現代の太平洋側の世界の技術は十年で驚くべき進歩を遂げている。
液体粒子コンピューターに生体ナノマシン、超小型循環電池など多岐に渡る技術――十年の月日では到底到達しえない進歩の殆どは未来視系の『魔法権利』で先取りした未来の技術である。
未来視系の権利者の一人である『遠視』は膨大で不確定な未来の道筋を伝えるより、未来の技術の断片をより多く集めて現代の歯車に組み込むことを選んだ。
進み過ぎた技術の導入は恩恵以上に余計な混乱を招く恐れがある。けれども彼や、彼の理念に賛同した人々は口にした――人類の為に、奴らに勝つ為に、と。その言葉の意味を知るのは、遠い未来を見た彼らだけである。
「だが未来視系の『魔法権利』を持つ相手から逃れる手はあるのか?」
「クロ、未来視は万能じゃない。現に私たちは逃げてきた」
「先回りできても対処し切れなければ意味がない、か……。確かに言われてみればそうだな、万能じゃない。逃がされた可能性を考慮しないならだが。どちらにせよ厄介なことには変わりない」
クロは足を動かし、思考を回す。
「だが待て、俺たちを狙う目的は何だ? 単純に殺すだけなら方法は幾らでもある。先回りできるなら、その都度爆弾でも仕掛ければいい。それだけで俺たちは簡単に死ぬ」
「ホテルを襲撃した権利者は、数日間足止めをすると言った。銃を持った奴らはきっと時間稼ぎの捨て駒、負傷させれば幸運程度の気持ちで投入されたと予想。敵は私たちに動かれると邪魔。けれど殺せない理由もある。するとそれは――――」
クロは頭を掻きながら呟き、ローザもそれに頷く。
「ニキ、か……」
「そう。厄介な奴に追われているとニキは言った。ニキを追う相手は、まだニキを捉えていない。そこに私たちが現れた。私たちはニキと、ニキも私たちと接触したがっていると敵は知っていた」
「敵の目的は適度に俺たちを煽ってニキの居場所を特定――もしくはニキを呼び寄せる撒き餌代わりに使うことか。難しいな……」
難しい、とクロは率直な感想を口にした。
敵の思惑が想像通りなら、自分たちの目的とも合致する。そして誘い出した三人を待ち構える罠は確実に用意されるだろう。しかしクロとローザの目的はニキと接触することで、守ることでも連れ帰ることでもない。詭弁ではあるが、出会いさえすれば後は何もせず撤収してもいいのだ。
けれど敵はこちらの目的とは関係なしに始末しようとするだろう。今までの仕掛け方を見るに敵の組織は大きく、武器も満足に用意出来ないこちら側を消耗させようと昼夜問わずに仕掛けてきている。未知の相手だ。一般市民は壁にならない。少しでも気を緩めれば、隙を見せれば、背中から刺されかねない。
真っ向から挑む相手を返り討ちにするのは容易い。けれど戦闘を繰り返して無傷でいられる保障はなく、消耗した状態で敵の本命と出会うと――極端に相性の悪い権利者を差し向けられると、途端に危うくなる。
「やはり、ニキとの合流が最優先だ」
ローザの持つ情報によれば、詳細は極秘であるがニキの『魔法権利』は恐ろしく使い勝手が良いらしい。そんなニキを追い詰める相手に太刀打ち出来るかは別として、最善手はニキとの接触という終着点を目指すことであった。
「けれど、手掛かりがない」
「更に言うなら、俺たちに安全な場所があるかどうかも怪しい」
その言葉を聞き、少し前を歩いていたローザは立ち止まる。そして追い越したクロのコートの袖を掴み呟く。
「クロ、……私の家に来て」
クロは自身の耳を疑いながら振り返ると、そこには耳を真っ赤に染めたローザいた。表情は俯いている所為で見えないが、耳と同じく真っ赤なのは容易に想像出来た。
そして、どういう思いでそれを伝えたのかも。
クロは思考の枷を外れて早くなる鼓動を感じながら、ただ頷くしかなかった。
百円の恋見てきました
色々凄かったです知らない世界を見れるのが映画の醍醐味だと改めて実感
安藤サクラ、キネ旬で見た時は美人だったのに、この映画じゃ……
でもよく考えると愛と誠の時も別に美人じゃなかったです




