Ⅵ-18
地表――落下予測地点には、元三峰が立ち、二人を待ち構えていた。
大怪我と死の割合が、大きく変動する。
変動する? いや、このままでは十中八九死ぬ。
思考を『加速』させ、生存を賭けた突破方法として最も可能性が高いモノを探す。
ケイジの言葉――アフリカでは女王の死を境に、AFの戦い方は変わった。
女王の言葉――AFと化した三峰は、女王の指令を無視するようになった。
女王を盾にしても、諸共殺される可能性は高い。
三峰の『拡散』――触れたモノを粒子状に分解する『魔法権利』。
クロの『加速』――ただ物体の速度の上昇率を上げる『魔法権利』。
単純に打ち合えば、クロに勝ち目はない。女王も死ぬ。
地表まで残り二十メートルを切る。手元にある武器は投げナイフが二本。『拡散』相手では焚火にくべる薪同然だ。
地表まで残り十五メートル。サッと三峰の付近を見渡すが、平らな地面にクロの助けになる類のモノはない。
打つ手がない。
最悪、道連れにするしか――と覚悟を決めたその時、「んんっ」とクロの耳に小さな声が飛び込み、『加速』した思考は瞬時に起死回生の策を組み立てる。まず、その為に必要なのは――――
「悪いが、我慢してくれ」
女王の覚醒である。
クロは右手の親指を女王の脇腹――ちょうど肋骨の下辺りから上に向け、抉るように突き上げる。内蔵を刺す痛みは女王の体を反り返らせ、意識を現実に引き戻す。
「飛べ! 早くッッ!!」
息を吐く間も与えずにクロは怒鳴り、女王は反射的に『魔法権利』を発現させ、四枚の翅を作り出す。
「うわわわっ!」
いきなり視界が捉えた迫る大地に、女王は驚き、翅を震わせる。浮力が生まれ、重力に引かれていた体が持ち上がり、二人は衝突することなく空中に留まる。
しかし、起死回生には至らない。
慣性に耐え切れなかったクロの左腕は、女王の細い胴体から離れ、一瞬で手の届かない位置まで離れていった。
クロは目を見開き離れた指先を追う。女王は未だに状況が読めずに、呆然と落ちていくクロの体を見送る。
「ああ、くそっ!」とクロは乱暴に吐き捨て、見通しの甘かった数秒前の自らを呪う。
クロはサッと体を反転させ、地表の元三峰と向き合う。
女王の再起により落下の速度は和らぎ、クロに幾分か余裕が生まれる。元三峰との接触まで掛かる時間は二秒もない。だが『加速』を行使するクロにとって、二秒は長すぎる猶予であった。
クロは投げナイフを一本だけ抜き、元三峰に向けて投げる。
『加速』の乗ってないナイフは一直線に元三峰に向かい、それを落下速度を『加速』させたクロが追随する。『挑発』を持つAFを打ち砕いた蹴り――足の裏にナイフの刃を生やした蹴りが元三峰に迫る。
防弾防刃ジャケット含め百キロ超のクロは、その重量と速度を以て元三峰を粉砕せんとする。元三峰もまた迎え撃とうと腕を動かすが、『加速』したクロに反応し切れていない。
クロの蹴りは――ナイフの尖端は、振り抜く前の元三峰の肩口に刺さる。
「――――なっ!」
そう、刺さった。『拡散』が発動せずに、だ。
ナイフは柄まで深々と刺さり、クロの足は元三峰と接触する。
投げナイフを一本犠牲にして元三峰を足場として利用し、『拡散』が発動する前に離脱する――タイミングはシビアだが、不可能ではない。それがクロの見立てであった。
「くそっ!」
クロは爪先に力を入れ、跳躍する。接触した時間は、僅かだ。それでもクロのブーツの裏は消え、足の皮も散り、筋組織の鮮やかな赤色を晒していた。出血はないが、外気に触れた瞬間刺すような痛みが走る。
『加速』を発動させたまま傷付いてない足で着地し、クロは身構える。
五十メートルの高さから落ち、たったこれだけの負傷――結果だけ見れば決して悪くはない。着地しさえすれば、後はどうとでもなる。
その見立ても、また甘かった。
元三峰は刺さったナイフを『拡散』で消し、クロを追う。
乱暴に振り回す元三峰の両腕を、クロは十分に距離を取りながら躱す。『加速』によって上昇した反応速度と卓越した体捌きは、元三峰に触れるどころか目で追うことすら許さない。攻撃は次第に大振りとなり、そんな雑な動きでは余計にクロを捉えることは出来なかった。
しかし何の前触れもなく、クロの体が揺れる。
足に力が入らない――けれど背筋だけで後方回転、所謂バック転で強引に距離を取る。
激しい痛みが太腿を襲う。腰を下ろし片腕を大地に着け、顔を下に向け――その覚えのある痛みの原因を知る。
まるでピーラーで剥いた野菜のように、クロの右太腿は赤を晒していた。
「反則だ、それは!」
クロはあまりの理不尽に憤怒する。力を入れた太腿から血が滲み、波状に襲う激痛が立ち上がる意思を奪う。
よく見れば筋肉の一部も『拡散』で消えている――立ち上がれる筈もない。
クロの体を襲ったのは『拡散』を付与した元三峰の血液であり、接触だけ――その制限を撃ち破った『拡散』は、威力は劣るものの、十分に反則級の恐ろしさを誇っていた。
足に力を籠める――が、動かない。
動けないクロに、元三峰の凶拳が迫る。
クロは動かない体を、無理矢理動かす。
「ぐぁっ!」
上体だけ逸らし拳だけは何とか躱すが、飛び散った血液が胸元のジャケットを抉る。痛みは既に上限を超え、新たな生傷が付け入る余地はない。
苦し紛れに最後のナイフを投げ、『拡散』で防がれることなく左目に刺さる。
けれど、止まる気配はない。
『加速』――逃げられない。
『挑発』――思いつかない。
死が攻撃という形でクロを襲う。もう躱せない。避けられない元三峰の腕が迫る。
「諦めんじゃねえ、クロ――ッ!!」
ケイジの叫びが――『影打』が、元三峰の動きを止める。
「ウガ、アアアアアアアアアッッ!!」
しかし止めたのは一瞬。即座に『影打』は破られ、一時停止した映像が再び流れ出すように、元三峰の攻撃はそのまま進む。
一瞬で良い。クロの命を繋ぐには、それで十分であった。
クロと元三峰の間に光を纏った白い影が――良く知る人影が、長髪を靡かせ飛び込む。
「やめろ、シロ――ッ!!」
クロは思わず叫ぶが、シロはまるで躊躇わずに元三峰の腕を受け止める。
『閃光』と『拡散』は拮抗することなく、ジリジリとシロの左腕を指先から散らしていき、肘を過ぎた辺りで止まる。
止められ、――――そして止めたのだ。
「あ……あ、す――ませ――……」
AFと成り果てた筈の三峰が、拙い言葉を紡ぎ出す。
「良いのよ、クロは無事だから」
シロは微笑み答え、右手に作り出した光剣を一閃させる。首は簡単に刎ねられ、元三峰の胴体は倒れ、微かな痙攣を経て動かなくなる。
腕一本と引き換えにクロを助け三峰を葬ったシロもまた、力尽き倒れる。クロは慌てて駆け寄り支えるが、左腕を失った激痛と精神的な苦痛、そして血液循環に及ぼした影響は甚大である。
シロはクロを助ける為に無理をした――その結末が、これだ。
クロはシロを抱いたまま、「すまない……すまない、シロ……」と何度も謝罪を口にする。その声も嗚咽が混じり始め、静寂に溶け聞き取れなくなる。
誰も二人に近寄れない。
之江とサザンは悲哀に暮れるクロを呆然と眺め、女王もクロの豹変を受け入れられずに戸惑い、目的もなく空を漂う。
ただケイジだけは彼らの中で最も正常な反応で、最も異様な行動を行う。妙に焦った顔で二人を見つめ、誰も注目していないのを良いことに、顎の裏辺りに手を当てブツブツと呟き始める。
「ああ、急いでヘリを回してくれ。片方が危ない。片方を失えば、もう片方も――。分かってる。俺が、やる……中佐は援護を、ええ、大丈夫です」
独り言のようで、独り言ではない。
ケイジが触れたのは、内蔵型小型無線――顎と耳の裏に備え付けることで、脳波を感知し無言で通信を可能にする海軍情報部の技術の結晶である。小型無線機は中継機器としての役割も果たし、同様の無線機を持つ者を一定間隔に配置することで従来の通信機器に匹敵する通信性能を発揮する。
無言でも使えるがケイジは敢て声に出す。
無言でいるとクロの咽び泣きに中てられ、気が滅入りそうだったからだ。
そして二人の関係を知っているからこそ理解して、理解しているからこそ諦めていた。
「終わりだな……ここで終わりだ、俺たちのドライブは。……地獄の果ては遠かったな」
《ケイ……橙堂少尉?》
ケイジは小型無線の回線を閉じ、を装填し終えた散弾銃を空に向ける。
「俺はまだ死ねない。悪いが地獄には、お前たちだけで逝ってくれ」
誰にも聞こえないように呟き、引き金を絞る。
放たれた散弾は、『影打』で固定され、無防備を晒した女王の背を襲う。散弾を浴びた翅は穴だらけになり、無惨にも女王は地に落とされる。
動かない女王を冷やかな目で眺めつつ、ケイジは悲しそうな顔で呟く。
「地獄ってのはな、辿り着くまでが辛いんだ」
ドサッと腰を下ろし、曇天の空を見上げる。空を飛ぶ女王は、もういない。
「俺は二度とごめんだ。地獄はもう懲り懲りだ」
遠くからヘリのローター音が聞こえる。
クロとシロ、そしてケイジの旅は、既に終わりを迎えていた。




