Ⅵ-16
校庭の隅――壁に背を付けたままシロは覚醒する。覚束ない思考と弛緩した身体に鞭打ち、重い瞼を持ち上げる。
地面に直接座り込み、通常より低い目線で飛び込んできた光景は、――――
「天国か地獄かで言えば、断然地獄の方ね……」
何故こうなったか。その合間を見ていないシロには理解出来ないモノであった。
クロは立ったまま動かず、校舎内にいた筈のケイジとサザンは校庭の一画で睨み合い、之江と謎のAF――三峰と同じ気配を放つ成長型AFは、黒炭の塵と炎を盛大に巻き上げて、散らして、戦っている。
「ミツは、間に合わなかったのね」と小さく口にする。大口を叩いておきながら殺し損ねてしまったことに、シロは言い様のない気恥ずかしさを覚える。
そして殺し損ねた原因――それを思い出す。
間延びした少女の声。
首に掛かった縄の触感。
足の爪先から下に引っ張られる感覚。
力の抜けた右腕を動かし、括られた筈の首に当てる。幸い縄の跡は残っておらず、痛みも殆ど引いている。一瞬首から下の感覚自体を失ったのかと疑うが、細部に至るまで無事であることを確認し、シロは自身の頑丈な首に感謝する。
しかし――――、とシロは再び意識を外に向ける。
女王がいない。
少なくとも、首を大きく動かさずに入る視界の中にはいないのだ。
歩哨兵の如く少し離れて前に立つ七隈に尋ねようかと声を出そうとするが、考え直す。
女王は空を飛べるのだ。もっと上の方にいるかもしれない。
「――――ッ!!」
そう思って首を上げたシロは、激しく後悔する。
遥か上空の女王の双眸と地表に座り込むシロの赤目が、意図せず噛み合ったのだ。
シロは慌てて立ち上がろうとするが、足に力が入らずにふら付き、壁に凭れる。思った以上に動かない愚鈍な体に、シロは焦りを覚える。強化型の『魔法権利』を持っていないシロの体は、一般人とあまり変わらない。只でさえ発散型は体外に力を放出する為に消費が激しく、更にシロは複数もの『魔法権利』を使用した。体力の回復が全く追いついていないのだ。
下手な詮索などせず、大人しく座っていればよかった。
だが、もう遅い。シロが苦労して立ち上がる間に、女王は余裕をもって周遊し、地上の虫を攫う燕のような軌道で、急降下を始めていた。せめてもの抵抗としてシロは体全体を壁に密着させる。運とタイミングが良ければ、地表を転がるように回避も可能になるからだ。
シロは覚悟を決め、女王を睨み、待ち構える。
だが唐突に女王の体が回り、速度が落ちて軌道がずれる。その直後に銀の閃光が女王の軌道に重なり、シロが凭れ掛かるブロック壁の上部に突き刺さる。
そこには見覚えのある柄が――刀身が壁を豆腐のように切り裂き、やっと止まったそれは確かにクロの持つ<霧肌>であった。
「――クロッ!」
シロの歓喜の声に合わせて、黒い旋風が突き抜ける。クロの右手には<アプレーター>の鋸刃が妖しく輝き、その踏み込みの速度は薄く広がる黒炭を吹き飛ばす。シロの頭上にまで到達し今まさに仕掛けようとしていた女王は、離脱する為に慌てて翅を震わせる。
だが、もう遅い。
女王は最初の接触を間一髪で回避するが、小鳥を捉える猫のように敏捷な体捌きでクロは壁を蹴り、女王の体を掴み取る。装備諸々含めて百キロ近いクロが抱き着いたことにより女王はバランスを崩す。
「わっ、わわっ!」と、女王は可愛い声を漏らしながらも持ち直す。その顔は引き攣り、焦りが色濃く浮かんでいた。
「なんっ――――!」
しかし可愛い声に似合わない手際でクロの刺撃は防がれる。
クロは無力化する為に左肩に狙ったが、<アプレーター>はを握った右腕は『加速』で底上げしているにも拘わらず最低限の動作で女王に逸らされ、固めた拳で柄の底を突かれたことにより、勢いをそのまま<アプレーター>はクロの手からすっぽ抜ける。
幾ら強化型の恩恵を受けているとしても、クロはこの利き腕で<安全地帯>を振り続けたのだ。常人離れした握力が翳りを見せても仕方がなかった。
校庭に突き刺さり、徐々に遠ざかる<アプレーター>に目を向け、クロは歯噛みする。
「空を飛ぶのは、初めて?」
左腕で抱き着いたこの少女が気安く話しかけてくる。その軽さが、クロは堪らなく気に食わなかった。
女王はぐんぐんと高度を上げる。
お前の命は私が握っていると言いたいのか、クロの体を連れて。
同じ『魔法権利』でも、扱う者によって性能は変わる。
素人が握った刀剣と達人の握った刀剣――性能は同じでも斬れる範囲が大きく異なる。『魔法権利』もそれと良く似ている。刀剣の類ほど顕著に差は表れないが、それでもやはりキレが違ってくる。
今の三峰は――三峰の皮を脱ぎ捨てたAFの『拡散』は、大した脅威ではない。
成長型AFの身体能力は凄まじく、『拡散』の威力は変わっていない。ただ、それでも与し易い相手と判断する材料は二つ――それは相手の戦い方にキレが無くなったことであり、隠しきれない『拡散』の欠点を見つけたからであった。
キレが無くなった原因は具体的に言うなら大雑把で、真っ直ぐで、雑な戦い方だ。銃は使わず使えず、優秀な身体能力だけを前面に押し出す本能重視に移ったのだと之江は推測する。
そしてその変遷は、『拡散』の欠点をより致命的にする。
確かに『拡散』と高い身体能力の合作は、驚異的な突破力を誇る。但しそれは、三峰が『拡散』を体全体に適用して、ほぼ無意識に発動出来ることが前提条件である。事実三峰が人間の皮を被っていた時、反応速度だけはその水準に達していた。
しかし常時適用出来ない箇所がある。それに之江は気付いた。
それは足の裏――大地に立つ者に与えられる一種の枷。歩きながら、そこに『拡散』を使うことは出来ない。
之江の選んだ戦法は、罠と誘導を使った消耗戦だ。直接対峙せず、『点火』を付与したコインをばら撒き、足の裏から炙りダメージの蓄積と機動力の奪取を同時に行う。
今や黒一色に染まっていた校庭は多数の足跡などにより、隠れていた土色を晒し、斑模様に変わっていた。そんな斑模様の中でも、銀色のコインは目立ち、幾ら直線的になったとはいえ、罠と分かって踏む程分別が無くなった訳ではない。
当然、元三峰も足元に最低限の注意を向け進むが――――
「――――グッ、ガァッ!」
不意に足元から炎が噴き出す。軽く炙られ、呻き声が終わるより早く炎は消える。
バランスを崩したその巨体に、間髪入れずに之江の銃弾が突き刺さる。弾丸は『拡散』で散って消えるが、衝撃は消えずに元三峰を揺らす。流石に踏ん張って耐えるが、自分がどのようにして『点火』に曝されたのかを推測する余裕はない。
元三峰は咆哮を上げて迫り、之江は正面から迎え撃たずに後退を繰り返す。
追い追われる消耗戦は相手に一方的な負担を強いれる之江が優勢に見える。だが幾つもの汗の珠を浮かべ息を切らす姿は、とても優勢とは言えない。随時回収可能とは言えコインの枚数は有限であり、ブラフを混ぜて撒くには辛くなってきた頃合いである。
しかし『点火』を使った罠の仕組が知られたら、もう止められなくなる。
之江は自身の足跡に『点火』を付与し、罠として利用していた。
(理論上は可能なんだけど、やっぱり管理が大変すぎ……)
指先でコインを弾く時のように、之江は『点火』を付与しながら爪先で地面を蹴っていた。流石に足跡全てに施してはいないが、元三峰がどのルートで追ってくるか確実に分からない以上、自然とその数は多くなる。
どの足跡に付与したかを覚えていないと、タイミングが合わずにダメージを与えられない。しかし足跡だけに集中し過ぎると、今度は元三峰への対処が疎かになる。どれか一つでも抜けると、一気に瓦解しかねない危うさが、之江の周りに積み上がっている。
妥協出来ない緊迫した時間が、精神を擦り減らしていく。
肉体と精神の消耗戦――その終焉は、もうすぐ訪れる。




