Ⅵ-11
「やっぱりクロ欠乏症なんですね」
窓際に追い詰めたまま、逃がさずに六人目のサザンを殺したシロに三峰が声を掛ける。すっかりと受け入れる男から立ち向かう男の姿に変わっていた。
「そうよ」
立ち向かう相手にあっさりと肯定される。「何か問題が?」と消耗しきったサザンから目を離し、シロは三峰と向き合う。光剣をより長いモノに変え、シロは迎え撃つ構えを取る。
シロの瞳の赤色は深く沈み、ゾッとするような暗さを灯し始めた。
「いや、ただ俺は……」
もし普通の人間がそんな視線に射抜かれたなら、委縮して立つことも、喋ることも儘なら無い。だが三峰は、そんなシロの敵意も意に介さずに光剣の間合いに近づいていく。
「ただ俺は、下に落ちる手助けをしようかと」
そう一言告げると同時に、三峰の手刀が横薙ぎにされる。サザンと同じだけの負担が掛かっているにも拘わらず、その速度はサザンほど衰えてはいない。成熟した男の筋力と未熟な少女の筋力――強化型の『魔法権利』によって底上げされたとしても、埋まる差など嵩が知れている。
だが、理由はそれだけではない。シロの集中力が持たないのだ。
シロは二つの『魔法権利』を同時に使いながら戦うことに慣れてはいない。片方をクロに伏せている以上、堂々と披露することは出来ず、可能なのは精々イメージトレーニング程度である。
何もクロとシロは四六時中一緒にいる訳ではない。就寝や入浴、各々が設けたプライベートなどをしっかりと守り、一つ屋根の下で十五年間の生活を共にしてきた。一緒にいるのは、多めに見積もっても四五時中――日に二十時間、義理とは言え他人が知ると正気を疑いたくなるような事実である。互いが互いを束縛している訳ではなく、自然と必要以上に依存し合っているだけである。
クロとの生活を言い訳にしようなど、シロは微塵も考えていない。
強いて言うなら、元々使う予定のなかった『魔法権利』を追い込まれて使う破目になっただけだった。
迫る三峰の手刀を見ながら、シロは選択肢を用意する。隠し玉を使ったのは、少女と三峰を同時に相手にするのが無理そうであったからだ。少女が倒れた今、『閃光』一本に絞って三峰を返り討ちにするのは、それほど難しいことではない。ただ、二つを同時に使い続けることは、負担を度外視するなら悪いことではない。寧ろ今ここで解除したなら、きっとAFを宿した三峰は水を得た魚のように、羽が生えた馬のように快活で縦横無尽な動きを披露するに違いなかった。
手刀は普通の打撃ではない。『拡散』を帯びた一撃必殺の手刀だ。
対応を誤れば、即座に棺桶逝きに――いや、棺桶に入る肉体すら残らなくなる。伸るか反るかの博打はしない。シロは最も安全で確実な方法で――二つの『魔法権利』を維持しながら、三峰の攻撃の範囲外に体を逸らしながら、光剣で手刀を迎え撃つ。
シロの光剣は見た目通りの光の束ではない。AFにとっての劇薬――『閃光』を凝縮した特別製だ。当然三峰にも効果絶大である。だが、――――!
「ああもう、やっぱり!」
光剣が砕け散り、『拡散』を帯びた手刀はシロの鼻先寸前を通り過ぎる。必殺同士がぶつかり合って光剣が打ち負けることは、当のシロにも予想出来ていた。打ち負けた理由は
密度を保つ出力が足りないからであり、『閃光』の出力を上げる余力が残っていないことを理解した上で、敢て迎撃に出たのだ。
打ち砕かれたシロの剣は、ただの剣ではない。
『閃光』を束ねた剣なのだ。
「――――ッ! グアッ……」
当然収束が解かれた光剣は、ただの『閃光』に戻る。『閃光』は周囲に惜しげなく広がり、それを真正面から浴びた三峰は体内を焼かれ、呻き声を漏らす。
だが、止まらない。
体を焼かれながらも三峰は踏み込み、シロに拳を繰り出す。シロも軽やかに後ろに下がりながら攻撃を躱す。幾ら図書室が広いと言っても限界がある。攻撃を避け続けるシロは窓際に追い詰められていく。逆に幾ら三峰が女王の処置を施されたからと言って、底上げされた身体能力には限界がある。傷を負った状態でシロのもう一つの『魔法権利』に蝕まれた体は、前に出る意志とは裏腹に悲鳴をあげる。
一歩一歩、互いが互いを追い詰めていく。だが、先に限界に達したのは――――
「ちっ……」
シロである。攻撃を避け、後退し続けた背中が窓ガラスに触れる。三峰は息を荒げながらも平静を保ち、避けられないよう堅実に詰め、シロに攻撃を加える。三峰の体の先では之江たちが驚きの表情で駆けてくる姿が映る。窓ガラスの先からは、注意を促す叫び声も聞こえる。
「逃げろ、シロ!」と叫ぶ声の主は、間違いなくクロだった。
叫び返したい気持ちを抑え、心の中で大丈夫と答える。シロにとってそれは強がりでも何でもなく、ただ漠然とした事実であった。
三峰の拳が、ついにシロの左肩に刺さる。
「何故、なんですか……」
だが『拡散』は発動せずに、三峰の拳はただ拳で終わる。
「『閃光』で消したのよ!」
三峰が『拡散』で光剣を打ち砕いたように、シロは『閃光』を一点に集中させ、それを『拡散』で消し続けさせたことによって、強引に拳に付与した『拡散』の処理能力を越えさせたのだ。
シロは後ろに下がっていたが、逃げていた訳ではない。少しでも三峰の体力を削ぎ、恐ろしい『拡散』を手に負える範囲に収める為に待っていただけである。案の定、三峰の 『拡散』は体力が削がれると共に威力と操作性能を落とし、遂にはシロの『閃光』を打ち破れない程に弱ってしまった。
シロは短い光剣を作り出し、目を見開く三峰に向けて振り上げる。
「後ろ、危ない!!」
之江が叫び、三峰が微笑む。その理由を知らないシロは、怪訝に思いつつも戦闘に区切りを付ける為に光剣を振り下ろし――――
「――――えっ?」
三峰を切り裂く寸前でシロの体は、ガラスを叩き割る音に合わせて強い力で窓の外へと引っ張られていく。その段階になって初めて、シロはクロの警告の真意を知った。
手にした光剣を維持出来なくなり、霧散する。
「つ~かま~えたぁ~」
動揺と自身の首に掛かった縄を感じるより先に、誰かの声がシロの耳に届く。
体が重力を受け入れ、全体重を縄とそれに括られた白く細い首だけで支える。宙に浮く体のように、シロの意識も遥か彼方へ飛んでしまう。
外ではシロを吊るした女王が、翅を震わせ、満足そうに飛んでいた。
様子を見守っていた三人は慌てて図書室へと駆け込む。見守る最中に装填した黒の拳銃を手に、之江が叫ぶ。
「ケイジ、シロを支えて!」
その短い言葉から之江の意図を察したケイジは、『影打』でシロを縛る。縛った直後に之江は躊躇わずに狙いを付け、走りながら引き金を絞る。
「――――ッ!」
弾丸は慌てて飛び起き射線に入ったサザンの肩口を貫通し、軌道を逸らす。だが之江はサザンの『分裂』などまるで気にせず、二発目を撃つ。今度の弾丸は誰にも邪魔されずにシロに巻き付いた縄と女王に吸い込まれ、その縄を千切り――――
キンッ! と女王の肩辺りで弾かれる!
「痛いじゃないの!」と怒声を向ける女王など見ずに、之江は駆ける。自分たちがいるのは四階であり、外にいる女王も当然その高度を維持している。
あのまま落ちたら、シロが死ぬ。
シロを守ると宣言した以上、それの履行は絶対だった。……いや、理由はそれだけではない。言葉や行動には表れないが、之江はクロやシロほど他人に死を割り切れていないのだ。助かる可能性があったら尽力する――たとえそれが、危険の大きな賭けであっても。
「イか……セませンよ!」
疾走を続ける之江の前に、三峰が立ち塞がる。強化型のサザンと違い発散型の三峰は回復が遅く、その姿はどこか力が抜けて見え、動きは緩慢である。しかし三峰は『拡散』という目に見えて強力な『魔法権利』を揮う相手――表面の動きだけで、脅威を計ることは出来ない。
だが之江は三峰を一瞥するだけに留め構わずに進む。避ける暇はなかった。今のシロはケイジの『影打』によって辛うじて落下を待逃れている状態だ。そしてケイジが女王ごと押さえ込んでいる現状、女王が『影打』を打ち消せばシロも落ち、そもそも『影打』の持続時間はとても楽観出来るものではない。
「僕の! 邪魔を!」
之江は黒の拳銃をホルスターに収め、その手をベルトポーチに突っ込む。
「しないでよ!」
その中身を無造作に掴んで、三峰に投げつける。駅での戦闘後に誰かが気を利かして回収した券売機のコインがジャラジャラと空中に散らばる。之江はコインを投げたその手で口元を覆い隠し、そのまま直進する。三峰も女王を守るため、引く訳にはいかなかった。今ここでシロに次いでの脅威とは、間違いなく目の前の少女だったからだ。
ただ――、之江の放ったコインは普通のコインであれど、そこに秘められたモノはシロの『閃光』と同じく必殺に相応する。
それを、三峰は失念していた。
『拡散』を帯びた右腕とコインが接触すると同時に、宙に散ったコインが一斉に炎を纏い、三峰の右腕と顔、そして体の大半が『点火』の炎に包まれた。
「アアッ、ギァアアアアアッッッ!!!」
之江は既に、絶叫する三峰など眼中にない。見据える相手はシロとともに滞空する翅の生えた少女――女王ただ一人であった。故にトドメも刺さずに、勢いをそのまま窓枠に足を掛けて空中の女王へと飛び掛かる。
狂気の沙汰ではない。分類だけ見たら『円熟』は強化型の『魔法権利』である。だが『加速』と異なり、その強化は肉体面より精神面や技術面に作用する割合が大きい。もし避けられたなら、之江は十数メートルの高さから落下する。それでも死にはしないだろうが、動けずに無惨な姿を晒すことになる。
だが、之江はシロの体を捕まえた。
右腕でシロの腕を掴まえ、左腕で女王の肩に縋り付く。シロの体を力一杯引き上げ、なんとか抱える。そしてシロをの首が無事であること――骨折などがなく、ただ意識を失っているだけという事実を確認し、之江は安堵する。
そしてシロを助けたことを安堵し、まだ危険な賭けを乗り切っていないことに気付く。
シロから視線を戻したその時、正面の人間――女王と目があった。
「キミはまさか――――!」
「いらっしゃい、待ってたわ」
やつれた女王を間近で見た之江は、見覚えのある顔に戦慄する。だがそれ以上に逃げ場のない空中で、尚且つ両腕を塞いで対峙してしまったことをひどく後悔した。この際、女王の正体など些細なことだ。敵であることは変わらないのだから。問題はどうやってシロを抱えたまま離脱するかであり、ケイジと七隈を強敵二人のいる校舎内に残してきてしまったことである。
之江は必死に思考を巡らせる。
離脱については目途は立つ。だが、どうやってもシロを抱えた状態から元いた場所には戻れない。女王の腕が頭に向かって伸びる。彼女の目の下には、『魔法権利』発現の印がくっきりと浮かび上がっていた。シロとケイジたち――二者択一を迫られてはいたが、どうやらゆっくりと選んでいる余裕はない。
「ケイジ、ごめん!」と之江は小さく叫び、――――飛んだ。
当然、ただ闇雲に飛んだのではない。左腕一本で二人分の体を持ち上げ、女王の体を蹴ることで背中から校舎に向かって飛んだのだ。しかし強化型の『円熟』があるとはいえ、四階の窓には届く筈もなく、放物線を描きながら落下していく。その最中、之江は暇な左手で白の拳銃を抜き、下を見ることもせずに二回だけ引き金を絞る。二階と三階――丁度之江の落下予定に当たる二か所の窓ガラスの砕け、少し遅れて三階の窓枠に之江が乗る。
窓枠に乗って、またすぐに飛ぶ。その動作を二階部分でも繰り返し、最後に之江は悠々と地上に到達する。それは傍から見れば背を向けた懸垂降下――それも命綱なしの命知らずの行動であったが、之江は難なくやり遂げた。
之江はホッと息を付き見上げる。
途中で校舎内に飛び込むことも出来た……が、之江は地上まで降りることを選んだ。女王をやり過ごすなら、沸いてくるAFを迎え撃つなら、校舎内の方が遥かに容易い。それでもここに降りてきた理由は、偏に下にはクロがいたからだった。
どの道、シロを抱えたままではどうにもならない。戦うことも、逃げることも、生き残ることも儘ならない。
之江は心の中でケイジに謝りつつ、上の敵たちを引き付けてくれることを願った。
イントゥ・ザ・ストーム見てきました
手に汗握る展開でした、あとパパ強い




