Ⅵ-9
二階に集まる雑兵の大部分を『閃光』で焼き、光剣が肉厚の成長型AFを和紙のように引き裂いた。
悠々と進むシロの後ろを三人は黙したまま進む。弾薬は温存するに越したことはない。だが、シロがここまで強いと知らなかったケイジと之江は、複雑な思いでその背中を見つめていた。
「シロさんって、強いんですね」
なまじ『魔法権利』を持っている為に複雑な思いを抱く二人とは違い、七隈はシロの戦闘能力を素直に評価する。だが「全然よ、所詮は前衛の真似事。クロとは天と地の差があるのよ」と、シロは全く意味のない比較対象を持ち出して躱す。
クロの動きは長弓から放たれる矢のように速く鋭い。対してシロの動きは舞い落ちる木の葉のように柔軟で軽い。比較して優劣を付けるにしても、あまりに性質が違いすぎる。
「……それだけ動けるのに、何でクロと一緒に前に出ねぇんだ? 二人で戦えば殲滅に掛かる時間は半分、負傷も半分、手間も半分で良いこと尽くめじゃねーのか」
数日間の戦闘を間近で見てきたケイジは、シロの消極的な姿勢を疑問に思う。最前線に立ちAFを叩いてきたクロとは違い、シロはずっと後衛に徹してきた。更に加えるなら、敢て『閃光』を多用せずにクロの背後に隠れていたようにも思える。
「だって私が出しゃばると、クロの見せ場が減るじゃない」
一瞬何を言ったのか理解出来なかったケイジが「……は?」と間抜けな声を漏らす。しかしシロの顔は大真面目で、気恥ずかしさから若干赤みを帯びていた。
「それに好きなのよ、クロが……私の為に戦う姿を見るの」
白髪赤眼のシロが――人類を苦しめる化け物を独りで容易く殲滅した人類は、三階へと続く階段の踊り場で朝日を背に妖しく輝いていた。
AFより恐ろしく、そして不気味に……。
三階に踏み入れた一行が目にしたのは、廊下の中央を占拠し座り込む一人の男だった。
野戦服をきっちりと着込み、立派なスコープとサプレッサーが取り付けられた巨大な対物狙撃銃を抱えている。その全長は之江の身長ほどもあり、扱う為に求められる技術の高さは一目瞭然であった。ただ、目の前でどっしりと構える男は、その水準を軽く乗り越えている――本当に技術があるかは兎も角、そんな貫禄を醸し出していた。
「AFの気配はしないね……、人間なのかな?」
之江が念のために『魔法の銃』を抜く。相手が人間かどうかは二の次でいい。大切なのは、あの狙撃手が敵なのか味方なのかをはっきりさせることである。
そんな緊迫した雰囲気が作り上げられるより早く、軍服の男が声を掛ける。
「やあ、橙堂少尉。無事だったのか」
男の言葉は一瞬誰に向けられたモノなのか分からなかった。普段は下の名前でしか呼ばれない仲間の苗字など、誰も覚えていない。
「ご、ご無沙汰してます、山吹中佐」
「陸では少尉だ。……知らんとは思うが、一応訂正しておく」
ケイジはびくびくと対応する。そのケイジの様子とAFが存在する異様な戦場にまるで怯まず、寧ろ余裕すら覗かせる雰囲気から、之江は一つの推測を口にする。
「あ、もしかして海軍情報部の軍人さん?」
之江の推測に、他人を精査出来るかのような眼光を放つ軍人が答える。
「ああ、その通りだ。お嬢さん」
「お、おじょ……!」
ダンディズム溢れる淀みない返答に、之江はたじろぐ。普通の生活をしていたら、まず出会うことない種類の人間だった。眼光は猛禽類のように鋭く、AFどころか人間すら寄せ付けない雰囲気を纏っているが、それは無闇矢鱈に周囲を威圧するモノではない。
上手く言葉に出来ない、不思議な性質を持った人物であった。
「それで、中佐……いや、少尉殿。ここで何を?」
「見て分からないのか? 私はここで敵の進攻を食い止めている」
見て分からない。それがケイジを除く三人の心の声であった。だがケイジだけは山吹と背後に並ぶ教室を見比べ、納得する。
「なるほど、避難してきた人を匿ってるのね」とシロも遅れて理解する。
「本来なら……海軍情報部中佐としての私ならば兎も角、西部方面軍第七大隊所属の狙撃小隊、その少尉として派兵に応じた。狙撃手としての役目は終えたが、私以外が死に絶えていない以上この場を放棄する訳にもいくまい。……まあ、私が暇で死にそうであるがね」
そしてケイジが車内で行った情報部についての説明の焼き直しを、山吹中佐の口が紡ぎ出す。
海軍情報部が請け負う任務は多岐に渡る。潜入、破壊工作、情報操作、扇動、護衛、盗聴、窃盗、拉致、拷問、暗殺、粛清――それらの中から『魔法権利』や能力適正に合わせて最低二つの分野を習得して初めて、情報将校としての地位を得る。捕えられた脱走兵や現場復帰が困難な負傷兵、個性的で孤立しがちな問題児――彼らが特別な科学技術や特殊技能を与えられ、第二の人生を謳歌出来る場としても情報部は機能していたのだ。
ケイジは山吹中佐から顔を背け「中佐の得意分野は暗殺と護衛だ」と三人に補足する。
「私の『魔法権利』では、奴らを殺すことは出来ても捕えることは出来ん。三峰兵長に至っては殺せもしない。故に私はここに座っている。しっかりと住民たちを守りながら、だがね」
山吹中佐はあっさりと自分の力不足を認め、自分の役割に専念すると宣言する。
「……と言うことは、中佐さんは女王を見てるってこと?」
「ああ、だがそれだけだ。女王はこちら遠巻きにしていただけ――他の二人とは挨拶を交わす仲になるほど顔を合わせている。だが女王は私に挑む以前にあまり降りて来なかった」
山吹中佐は女王の『魔法権利』を見ていない。つまり参考になるような情報は、あまり握っていないのだ。女王はまだこの上にいる――持っている情報は精々その程度である。
一行は山吹中佐が居座る三階を後にし、四階に続く階段に足を掛ける。
「女王を捕えるには先にミツとあの少女を、あの少女を捕えるには先にミツをどうにかしないとね」
シロが冷静に分析する。先の不意打ちは三峰の『拡散』が主軸に使われていた。次に遭遇した時には、十中八九三峰と笹葉耳の少女をセットで相手にしなければならない。こちらの戦力は権利者が三人と一般人が一人、相手は最低でも権利者が二人――更に言うなら、この狭い校内で三峰の『拡散』を相手にするのは自殺行為に等しい。先に少女を潰すにしても、誰かを三峰の前に立たせなければならないのだ。
そして大して長くない階段を上り終え、一行は四階に足を踏み入れる。
「……うっわ、索敵で知ってたけど、いざ目にすると怯むよ」
目の前に広がる光景に、之江は辟易する。
今まで通過してきた一階から三階までがAFの詰所であるなら、この四階はAFにとっての食堂――早く成長しようと寄生型が蠢き、人間のパーツが散らばり、成長型がそのパーツを貪る場となっていた。
「ははーん、なるほど。奴らは俺たちの相手より、仲間の戦力を増やす方を優先したってことか」
一目でその光景が示す意図を読み取ったケイジが奇妙な声を上げる。
「とんだ三流だな」
「まるで自分が一流みたいに言うのね」
防衛を疎かにし戦力確保に勤しんだ敵に対する感想に、シロが辛辣な皮肉を送る。だがケイジは気にした風もなく、一行を睨むAFたちに銃口を向ける。「もう節約しなくていいよな?」とシロに確認を取る。
「勿論」
「よし、七隈伍長は撃つなよ。撃つのは俺が弾切れになってからだ!」
ケイジが叫び、それに続くようにAFが吼え、銃口が火を吐いた。
掃討は概ね順調に進んでいた。
どれだけAFの身体能力が高かろうと、ケイジの持つ機関銃の前では然したる意味を持たない。四肢を穿たれ、動きを封じられてしまえば、あとは硬く大きな的でしかない。
ただ、そんな的でも盾にはなる。
「数だけは無駄に多いわね」
膝から下を失い倒れた成長型AFの背後から飛び出した小柄なAFを、シロが『閃光』で焼き切る。光を絞り、出力を限界まで落とした光線であるが、小柄なAFにとっては効果絶大であった。
「なら代わる? 僕、凄く暇なんだけど……」
黒白二挺の拳銃を抜き一行の殿を務める之江は、遠慮なく退屈を口する。だがその眼差しは真剣そのもので、警戒を絶やさない。之江の瞳が見据える先は後方ではない。
之江の警戒は、まだ現れぬ三峰に向けられていた。
索敵を無効化する三峰――送り込んだ力の波動を吸収し、反射させない三峰の存在は、思った以上に厄介であった。多くの人が目や耳で距離を推測出来るように、権利者は力の波動の機微で相手との距離を大まかであるが感じ取れる。権利者にとって索敵を封じられるということは、一般的な人間が持つ五感の一つを封じられることと同義であり、また封じられたということは逆説的にそれが可能な相手の存在を証明しているのである。
つまり、三峰は近くにいる。恐らく上に――屋上にいる。
『拡散』により抜け道を作る奇襲は、相当なプレッシャーを四人に与えていた。
前回は降りてきたのが普通のAFであり、その場所も多少離れていた為に対処は容易であった。だがもし次に降りてくるのが三峰で、誰かの背後に現れたなら……。
きっとゾッとするような結果になる。
それを避ける為に、位置を悟らせない為にシロは敢て『閃光』の出力を落とし、三峰の奇襲に対応する為だけに之江を温存している。
だが、その戦法にも限界が来てしまう。
雷鳴のような銃声が止み、それに合わせて順調に進んでいた一行の足も止まる。
「一番嫌なパターンだぜ」
銃口を降ろしたケイジが唾を吐き捨て、目の前に立つ少女を睨み付ける。教室一つ分の距離――約二十メートル先に立つサザンは既に剣を抜き、戦闘準備を整えている。AFは目に見える範囲には少なく、完全にサザンに戦いの場を譲っていた。
「そんなことないわ」
シロは冷や汗を流すケイジの隣に立ち、冷静にそれを否定する。今まで想定してきたパターンで、この状況は二番目に最悪なパターンである。三番目が三峰と二人一緒に現れるパターンで、一番は誰も現れずに逃げられるパターンだ。
シロは光剣を作り出さず素手でサザンと対峙し、ケイジは下がって援護に専念する。
トントンとブーツの爪先で足捌きのリズムを整えながら近接戦闘に備えるシロに対し、サザンは前回と同じように剣を構えたまま直進する。シロもまたゆっくりと進み始め、ちょうど中間で両者は衝突した。
剣と拳――衝突して傷を負うのは、間違いなく拳だ。
「――――!」
だが細剣がシロの柔肌を裂くことはない。サザンが振り抜くより先にその腕を掴み、体の回転だけでサザンの細身を巻き込む。柔道の有段者が息を巻くほどの動きで、シロは鮮やかにサザンを押さえ込む軌道に入る。
技を極めること自体は、それほど難しくはない。シロとサザンの身長差は20cm以上もあり、腕の長さを含めれば有効範囲はシロの方が遥かに広い。つまりはサザンの持つ細剣に怯みさえしなければ二人の力量差は開いたままであり、縮まることはない。クロとお揃いの防刃防弾ジャケットを身に着けているシロにとって、サザンの剣先に恐怖を感じることはない。
『魔法権利』を使う前のサザンにシロが遅れを取ることは、まずないのだ。
シロに掴まれたまま宙に浮いたサザンが、そのまま床に落ちる。
「――――チッ!」
サザンは受け身を取らない。
受け身を取れば、『魔法権利』の発動条件を満たせないからだ。
サザンを取り押さえた筈のシロが横に飛び、そこを新しく現れたサザンの細剣が薙ぐ。細剣はシロの頭部を掠り、腰まである長い髪の一部が切れ、結びの一部が解け乱れる。体勢を立て直したシロは自身の髪を一瞥し、迫る二撃目を難なく避ける。
サザンは威力を重視した捨て身の大振りを止め、狭く早く相手を寄せ付けない剣筋に変えて攻める。逆に細かな回避運動で足りていたシロは、大きな回避を迫られる。間一髪で剣先を躱し、また数本の髪が飛ぶ。シロから離れた銀髪は急速に輝きを失い、背景に消えていった。
その数本――クロが梳いてくれた髪を目で追いながら、シロは大きく叫ぶ。
「ケイジ、やって!」
「――――おう、任せろ!」
機関銃を抱えたままのケイジが『影打』を使いサザンの動きを止める。強制的に隙を作らされたサザンは余裕たっぷりに深紅の瞳をほんの一瞬だけケイジに向けて、すぐにシロへと戻す。シロはその視線の移り変わりを訝しむこともなく遠慮なくサザンに詰め寄り、左手を細剣の柄に――サザンの小さな手などまるで気にせずに添える。
両者の視線が交わり火花が飛び散り――――カッ! と『閃光』が迸る。
出力を抑えた『閃光』は辺りを焼くことはないが、『影打』で動きを封じられたサザンは溢れる光から逃げることも出来ずに視界を白銀に染められてしまう。視界の収奪によって齎された一瞬の動揺を見逃さず、シロはサザンの手から細剣を叩き落とす。
サザンの『魔法権利』は、発動していない。細剣を失ったままサザンは『影打』とシロの拘束を撃ち破り、徒手空拳でシロに挑む。だが体格差もあり、クロと共に鍛えていたシロには全く歯が立たない。終始攻勢であったにも拘わらず、遂に押され始める。拳は届かず、蹴りは受けられる。そして隙を見せると即座に押さえ込もうとする。
シロとサザンの戦いは、まるで子供と大人の喧嘩であった。
事実体格差もまさに子供と大人であるが、その攻防、身の熟しは熟練者同士の組手を見ているように鮮やかだった。だがやはり、両者の間には体格差に違わぬ実力差が見て取れる。相手を打倒しようと躍起になり攻め立てるサザンと逆に、シロは手段を慎重に選び相手を手玉に取っていた。
そして再び、シロはサザンの細い体を捕まえる。
「もう、逃がさないわよ」
シロは離れようと抵抗するサザンを強引に――けれども飴細工を扱うように慎重かつ軽やかに引き寄せる。僅か一分にも満たない接近戦であるにも関わらず、命を掛け金に動き回った二人の体温は上がり息は乱れていた。
的確な拘束に諦めがついたのか、サザンは抵抗をやめてジッとシロに顔を向け、シロも自然と抱きかかえたままの少女を見下ろす。遠目では深い赤色にしか見えなかった瞳は、よく見るとクロとよく似た鮮やかな鳶色をしている。思わず見つけてしまった共通点の下らなさにシロは嘆息し、銃を構え周囲を警戒していた三人に向けて叫ぶ。
「ケイジでもクマさんでもどっちでもいいから、この子をお願い。……私は拘束に使えそうなモノ探してくるから」
了承を伝える声と共にケイジと七隈が駆け寄ってくる。本当なら拘束器具の一つや二つ用意するべきであった。だが最初に用意したそれらは墜落したヘリから持ち運べず、結果そこに放置した。拘束する相手が分からない以上、現場で適したモノを見つけ――最悪ケイジの『影打』を常時使い続けるのが最良だと一行は判断したのだ。
まずはAFを掃討して、それから対決、そして捕獲――そんな流れを想定していた一行は、まさか標的がこんなに早く容易く手中に落ちるとは、少しも考えていなかったのだ。
乱れた呼吸が平常に戻り、それに伴ってシロは余裕を取り戻していた。そして余裕と連動するかのように疑惑がジワリと思考の隅に浮かび上がる。
随分と、諦めが良くない……?
初遭遇時に戦って負けて捕えられ三峰の助けを得て逃げ出した少女が、なぜ再び、それも単独で自分たちの前に現れたのか。その理由を見過ごしてはならない。必ず追及しなければならない。さもなくば、取り返しがつかない事態を招いてしまうという予感が、サザンを抱えるシロの胸に渦巻き始め、次第に大きくなっていった。
シロは再度サザンに目を向け、彼女の行動に潜む真意を探る。だが、――――
「――――――!! ――――ッ!」
サザンの口から耳を劈くような大声が放たれ、それに合わせて踵がシロの足を踏む。
「いたっ!」
何を叫んだかは分からないが、踵と相成ってシロの注意の全てはサザンに向けられる。ちょうど二人に近づいていたケイジと七隈も、シロの手の内にある少女に意識を奪われてしまう。
そして三人の意識が下に向いたと同時に、上が消えて無くなった。
シロの頭上に、『拡散』の穴がぽっかりと開いていた。




