Ⅴ-6
「ふぅー、何日ぶりのお風呂だったかなー」
「僕もさっぱりしたよ」
腰近くまである銀髪の先端を弄ぶシロと、タオルを肩に掛けすっかりと血色が良くなった之江が並んで出てくる。シロは視界の端でクロの姿を見つけると、これ幸いと近寄ってくる。
だが、いつもの無表情にほんの少しの陰を浮かべたクロを見て心配を口にする。
「……クロ、ちょっと疲れてる?」
「いや、問題ない」
とは言いはしたが、シロの言葉通りクロは疲れていた。正確に言うなら、待ち疲れていた、になるが……。二人の入浴中にケイジとの騒動と頼んだ物資の確認と運搬を終わらせて戻ってきたが、そこから更に待たされたのだ。
女の長風呂に辟易するのは、自分が男だからである。そう言い聞かせて話題と気分を変えるために、足元の箱をコンコンと爪先で蹴り注意を引く。
「車に積めなかった装備を届けてもらった。之江も良ければ使ってくれ」
クロの足元に並べられた箱は大小合わせて九個ほど。之江はそれらに手を伸ばし、順に中身を取り出していった。
「装備? もしよければ……って僕に何を求めてるの」
箱の中から現れたのは、武器としては限定的で個性的な代物ばかりである。鉄パイプや大量に纏められた妙な形の投げナイフの束、果ては凝った繋ぎの鎖や小さな球体など用途不明のモノまである。
「その辺りの武器っぽくないのは、殆どクロ専用かな」
シロはそう言いながら一番武器らしくない球体をベルトポーチに収める。
「これが一番武器っぽいけど、僕の手には合わないかな」
「それも俺しか使えない特注品だ」
之江が見出したのは、三十センチほどの二対のナイフであった。
しかし選んでみたものの、鞘に納められた二本の肉厚ナイフのグリップは之江の手に収まり切らず、『円熟』を駆使したとしても持て余すことは確定していた。クロは重量のある二本のナイフを軽々と之江の手から取り合げ、鞘を外して刀身を晒す。片方からは鞘と同じく肉厚の刃物が、もう片方からは鞘の大きさから掛け離れた錐のようなモノが姿を現す。
「で、出たー、クロの変態ナイフ!」
「否定はしないが、その言い方は刀匠に失礼だ」
シロの茶化した掛け声を軽くあしらって、クロは驚愕を瞳に浮かべたままの之江に自慢のナイフを見せつける。無表情ながらも、どこかうっとりと陶酔しながら刀身を見つめるクロ。シロは変態ナイフと言ってはいたが、その二本はどう見ても一般的なナイフとは程遠かった。
「こっちの太いのが<アプレーター>で細いのが<霧肌>だ。<アプレーター>で裂き、<霧肌>で斬る」
<アプレーター>は、ブッチャーズナイフの肉厚さだけをサバイバルナイフの型に強引に埋め込み、遠目でもはっきりと分かる程の鋸刃が備え付けられている。逆に<霧肌>は<アプレーター>のような無骨さはなく、とにかく細く纏まっている。長さは<アプレーター>と同じであり、それが細さを助長していた。その形状はナイフよりスティレットに近く、クロは斬ると言ってはいたが、それを成し得る性能を持っているとは思えなかった。
「こいつらの素晴らしさは、今度しっかりと見せてやる」
そう言って左手に握った<霧肌>から手を離し、箱から二本のナイフと共に収められていたベルトを拾い上げ、身に着けていく。そしてナイフの鞘をベルトに取り付ける段になって、之江はクロの足元にポツンと存在する異様な光景に気が付く。
「クロ、<霧肌>の刀身がないんだけど……?」
地面に横たわる<霧肌>は、グリップから先が見えない。
之江の疑問の答えとして、クロは体を前屈みにし<霧肌>を拾い上げる。之江の疑問とは裏腹に、<霧肌>には刀身が煌めいていた。
「細い見た目の割に頑丈で、切れ味もずば抜けてるのよ。自重だけで、ほら……」
シロはクロの足元を指差す。アスファルトには厚紙にカッターの刃を当てた時のようにスッと一本の線が刻まれている。その細さは間違いなく<霧肌>によって刻まれたモノであり、その細さこそが<霧肌>の切れ味の所以なのだと之江は理解した。
之江は自分の世界の狭さを呪いながら、恐る恐る二人に尋ねる。
「……まさかなんだけど、全部妙な仕掛けが施してあったりするの?」
「全部ではない」
ナイフを腰のベルトに収めたクロは、之江に扱い難いがお勧めの武器を手渡す。
「これって、鎖……? 思ったより軽いんだ……」
「妙な仕掛けがしてあるから、試しに振ってみれば分かるわよ」
シロに促されるままに之江は纏まっていた鎖を解き、全長二メートルのそれを軽く振ってみせる。しかし鎖はくねくねと腕の動きに沿って曲がるだけで、妙な仕掛けなどは見て取れなかった。
「ええっと……もっと全力で……」
「あの木に向かって振ってみろ、叩き付けるように」
曖昧なシロの助言とは違い、クロは適切な助言を与える。但しクロの言葉を鵜呑みにするのなら、木は之江から十メートルほど離れている。届く筈がないと之江は眉を顰めつつも、無言で視線を送り続けるクロのために鎖を握る手に力を込める。
そして之江は、目標に向けて全力で腕を振った。
ヒュッ……と風切音の後、反動が之江の腕を襲う。鎖はぎゅんと伸びクロの指した木の表面を削る。
「なにこれ、凄い! なんで伸びるの? えっ、僕これ欲しい!」
感動と興奮をごちゃ混ぜに、之江は握った鎖と共に手をぶんぶんと振り回す。その鎖はクロの言葉通りに十メートル先の木まで届き、枝の一本に巻き付いていた。
たった二メートルの鎖は、五倍もの長さに伸びていた。
「コツを掴めばもっと伸びるし、器用に動く。貸してみろ」
之江から鎖を受け取ったクロは軽く腕を動かし木の枝から鎖を外し、それを続けることで鎖は元の二メートル程度の長さまで戻ってしまった。その様子を興味深く眺める之江を横に、クロは『加速』を使って鎖を撓らせる。
ギギッ……ガサガサッ……
目にも止まらぬ速さで鎖が伸び、之江の時と同様に木の幹に巻き付いたらしい。……巻き付いたらしい、と最後に推測が付くのは、今現在クロの放った鎖は木に巻き付いていないからであり、それ以上に木そのものが真っ二つに切断されていたからだ。
「発想はチェーンソーの応用……いや、チェーンソーの簡略化かな……」
分析を行いつつ之江は再び鎖をその手に収め、撓らせ、そして振る。目に見える速さで動く鎖は、木の表面だけを掠め取っていく。
「やっぱりクロのようにはいかないね」
「クロと比べちゃだめよ、凄いんだから」
之江は力不足に落胆していたが、そもそも比べること自体が間違いなのだと、シロは誇らしげに励ました。クロの筋力は、鍛えた大人の男の筋肉を強化型の『魔法権利』で補強して、更にそこから『加速』で出力を高めることが可能なのだ。並の人間では太刀打ち出来る筈もなく、少し補強を加えた十代の少女でもそれは変わらない。
「僕も分かってはいるんだけどさ、クロとは基礎が違いすぎるんだよ。『円熟』のおかげで技術面は互角か僕が少し上だとしても、引き出せる身体能力の差で簡単にひっくり返されちゃう」
ふくれっ面で鬱憤を晴らすかのように鎖を左右に振る之江に、呆れたシロは以前の自分と同じように代案を出してやる。
「似た構築を組もうとすると、劣化になるのが分かってる。ならクロが持ってない要素を構築に組み込めば、方向性も変わって劣化じゃなくなるかな」
之江はその言葉にピクリと肩を動かし、やっと半分まで削れた木の幹への八つ当たりを止める。しかし鎖の操作は継続し、ヒュンヒュンと風切音は鳴り止んでいない。
「クロ、この鎖さ、……僕に頂戴?」
尋ねはしたが之江はクロの返事など待たずに、再び鎖を木の幹へと当て始める。
そして、鎖の命中と同時に木の幹は燃え上がる。
答えが喉元まで出掛っていたクロは口を開けたまま固まり、シロは神妙な面持ちで頷いている。一方、之江は鎖を振り回すのを止め、その全身をじっくりと眺めていた。
「良かった、こっちの方は燃えないみたい」
「『点火』を使って燃やしたのか」
「うん、これなら対AF戦闘でも実用レベルかな」
気が済んだのか之江は鎖を最初のように束ね始め、それが終わるとクロに差し出す。差し出されたクロは、受け取らずに首を捻る。
「なんだ、使わないのか?」
「クロが使うなら、僕は使えないよ」
「いや、寧ろ使えないのは俺の方だ」
妙に噛み合わない会話を交わす二人に、シロは救いの手を差し伸べる。
「気にしなくていいよ、之江。クロがそれ使えないってのは、クロの事情だから」
「そもそも、その所有者はシロだ」
「私のだったの! アハハ、…………全く知らなかった」
シロから譲り受けた鎖を握った之江の興味は、クロの事情とやらに移り、臆せず尋ねると二人から同じ答えが返ってくる。
「危険だからだ」
「クロが『加速』を使いながらそれを振り回したら、誰も近寄れないし、クロ自身も切り傷じゃ済まなくなる。度の過ぎた破壊力は、クロでも持て余すのよ」
例えるなら半径十メートル超の範囲でチェーンソーの刃が神速かつ自由自在に飛び交うような状況になればAFは造作なく葬れるだろう。だが、仲間も意図せず簡単に切り刻める。クロが腕を振るだけでサイコロステーキの山が積み上がるのだ。
「なら何で持って来たの? 使わないんだよね、クロもシロも」
そんな理由を聞きながら、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「本命は他のモノだが、一つひとつ箱を開けて調べると手間になる。軍は融通が利かないことが多いが、それを求めなければ組織としての完成度が高く、完璧な仕事を約束してくれる」
「つまり、中身関係なく全部持って来させたのよ」
クロは足元の箱を爪先で小突きながら、その仕事振りを評価する。
「でも、軍はきっと私たちのこと快く思ってないよ」
先の公開処刑の中に、軍服姿は六人ほど――内二人は人間に戻り、四人はクロと之江によって処理された。軍とは、集団の完成系である。互いに命を預けているため、学校や会社、そして時には家族より深い繋がりを要求される。
そんな繋がりの一端を、部外者である自分たちが踏み抜いていった。
どんな正当な理由があるとしても、個々人が仲間の死を許容することはない。
「だとしても、次の移動に軍の協力が必要なんだよね? もう少し早く分かっていれば、僕も手加減出来たんだけど……」
申し訳程度に肩を竦める之江を、二人が責めることはない。
軍とは集団だ。そこでは個人より集団が優先される。集団の生存を図った自分たちを軍が責めることは出来ない。だからと言って調子に乗ってやりたい放題をすると、援助は容易く弾丸へと変わってしまう。
しかし過ぎたことは言っても仕方なく、クロはポンポンと之江の頭に手を置いて、気にするなと短く告げた。




