Epilogue - 成果/代償
全体が病的な白さで染められ、不自然に整った空調で管理された病室の、鳥肌が立つ程に清潔なベッドの上で、真っ白なシロは目を覚ます。筋肉痛で少し張る以外、特に体に異常もない。記憶も、九州で『拡散』で腕を消し飛ばされた時までならはっきりと思い出せる。
「私の腕……」
左腕は肩の筋肉から指先まで、全て自分の意思に沿って動かせる。折角伸ばした髪が短くなっているのは気になるが、腕の代わりだと考えれば悪くはない。クロならきっと、こんな髪型でも悪くないと認めてくれる。
そしてシロは、大切なことに気付く。
「クロは……クロは何処にいるの……?」
シロは傍にいる筈のクロがいないことに不安を感じる。今自分の傍にあるのはベッドと花瓶、腕に繋がった点滴くらいで、シロが最も求めているクロの存在はない。
重たい体を無理矢理動かし点滴を引き剥がす。震える足でベッドから立ち上がると、感情の渦に足を取られて倒れそうになる。
窓からは高層ビルの群れが見える。長閑な田舎の診療所ではない。ここは都会の病院だ。
「クロ……、クロ、クロ、なんで!」
曖昧な記憶に縁取りが現れ、形を取り戻し始める。
今より前に一度、山奥の診療所で目を覚ました。その時もクロは傍に居なかったが、代わりに之江とカー君が居て、クロは用事で席を外していると言っていた。けれどクロが戻ってくる前に診療所が襲われ、之江とカー君は一瞬で倒され、自分は意識を奪われ拉致された。
拉致され、クロが助けに来てくれた。
クロの髪は普段より伸びていた。頬が痩せこけ、顔色も悪かった。自分は変わったとクロは呟いていたが、涙目のまま自分を抱きしめたクロの感触は、いつものクロと変わらなかった。
一人で血を流しながら戦い、倒れ、そしてシロが止める間もなく何かに急かされるようにして出ていった。
「どうしてなの、クロ」
涙を流しながら、シロは病院の廊下を歩く。明らかに情緒不安定なシロに、誰もが道を譲る。同じ入院患者も、その見舞いに来た一般人も、病院に勤める医療関係者すらも、シロの美しさに目を惹かれ、言いようのない不気味さとのギャップに驚き離れていく。
「私を置いて逝かないでで、クロ」
その徘徊は、主治医が到着するまで続く。
流れる涙を止められる者は、ここにはいない。
ケイジと之江が病室を訪れた時、鎮静剤を打たれ、呆然とベッドに横になるシロの綺麗な顔には、二本の涙の跡が残っていた。憂いは女性に儚さという武器を与えるが、今のシロは憂いと表現出来る度合いを軽く超え、とても痛ましくて見ていられない。
病室に入ったケイジと之江は、掛ける言葉が見つからずにシロの反応を待つ。
「ケイジ、之江。クロは……、クロと一緒じゃないの?」
この質問は、二人にとっては避けて通れない難所である。寧ろその答えを渡す為にここに来たと言っても過言ではなく、当然シロの疑問に対する答えも用意してきた。
「クロ……、クロは何処なの?」
しかし、いざシロを目の前にすると言葉が詰まる。伝えなければならないと覚悟はしていても、伝えた後のシロの姿を見るのは想定していたより遥かに堪えそうだと二人は息を飲む。
今ですらこの様子なのに、現実を知ったら壊れてしまうかもしれない。
知れば壊れ、知らなければ緩やかに腐っていく。
「シロ、今はまだ知らない方がいい。覚悟が出来たら話してやる」
「まずは自分の身体のことだけを考えて。リハビリ、僕も協力するから」
時間を置いて、知っても壊れないまで回復してから伝えるしかない。ケイジも之江も、二人目の友人まで失いたくないのだ。
「…………」
シロは黙したままケイジと之江をジッと見つめる。目の周りは泣き腫らした所為で赤くなり、瞳の深紅はどんよりと翳りを見せている。
どんな罵声も甘んじて受けるつもりだった。シロにとってクロとは、兄妹で半身で大切な人だ。その相手の安否を知りたいと言うのに、自分の身を案じろと返せば、反発が生まれるのは必然だ。
「そう、お見舞いありがと。私もリハビリ頑張って、早く元気になるね」
だがシロはそれで話を切り上げ、再び黙り込んでしまう。
その言葉の裏に仕込まれているのは、明白な拒絶だ。クロについて二人が言葉で表さなくても、その真意はシロに伝わっていた。けれど受け入れるには……、十五年ともに過ごしてきた片割れの喪失から立ち直るには、まだまだ時間が掛かる。
独りで、ゆっくりと泣く時間が必要なのだ。
「そっか。クロ、死んじゃったのか……」
ケイジと之江が帰った後、病的に白い病室でただ一人、シロは膝を抱えて泣き続けた。