前編
少し暗いですが、美しい話を目指しました。
後編に続きます^@^
彼女はレモンの絵が上手だった。
勿論、上手だったのはレモンだけでは無かったが、その中で、とりわけ、林檎でも梨でもなくレモンが上手だった。そして彼女はほとんどレモンしか描かなかった。
彼女のレモンは、瑞々しそうな果汁と果肉をその断面に持ち、その独特な黄色はまさしくレモン色をしていて、優美で甘美な曲線を描いた形をしていた。
ある時は雑多な果物が詰め込まれた果物籠に孤独に存在して、またある時はそれ単体として白いキャンパスを独占したりもしていた。
私はどうしようもなく彼女が描くレモンにココロ惹かれていた。これが、ただ単にとある有名な画家の檸檬ならここまで思い焦がすことは無かっただろう。彼女が描いたレモンだからこそ
ここまで私のココロを引きつけて止まないのだ。
「どうしてレモンばかり書くの?」
いつだったか、彼女に一度聞いたことがあった。
彼女は無表情な顔に少しばかりの明るい色を混ぜて答えてくれた。
『綺麗だから』
そう答えた。
毎日のように美術室でレモンを描く彼女の脇に座って、純白だったキャンパスに色がつけれていくのを見ていた。
少し、また少しと無の世界に形づくられるレモンの型。そして彩られる美しい黄色。
私がその場にいることにかんしては、別に彼女はなにも言わなかったし、ほかのあまり真面目とは言えない美術部員も干渉したりはしなかった。
私と彼女の間に、何の気まずさは無かった。触れたら崩れそうな華奢な体、小さくて生気がみれない端正な顔、そして筆を握る白い手。その手のどこに私のこころを掴む力があったのだろうか?
いつも二人しか残らない美術室に下校を促す校内アナウンスが流れて、ようやく彼女と私は画材の片付けをはじまる。
『寒い?』
手袋を持たない私の凍えた手をいつも、彼女はあの白い手で温めるように握ってくれた。会話なく手をつないで帰った、あの帰り道だけは今でも変わらない。
今思えば、私には彼女の隣にしか居場所が無かった。醒めきって崩壊しいそうな家庭に、歪んだ学校、自分勝手な大人と矛盾に気づかない子供しかいない世界•••勿論、私もその世界の腐った一片に違いない。
その中にあった聖域が、彼女の隣だった。私の全て包みこんで暖めてくれる場所は、そこにしかなかった。
きっと、永遠に私を守ってくれると信じていた。当時の私は本気でそう信じていた。
だが、この世に永遠な物など決して存在しないのだ。
朽ちない家などないし、古くならない自動車もない、死なない動物だっていない、変化しない人間関係だってない。
そんな当たりまえのことも、私は分からなかったのだ。
彼女のレモンも、終わりを告げる。