小舟デート
爽やかな風の吹く湖で、小舟が大きく揺れながら進む。
器用に舟を漕ぐジュリアン様に感心する。
「右と左の漕ぎ方で、進む方向が変わりますのね……興味深いですわ」
(シャツを捲りあげた腕……最高に絵になりますわ!)
「クラウディア……ずっと下を向いていると酔うぞ。スケッチは……後にしてくれ」
「……わかりましたわ。絶対にとびきり良い絵になりそうでしたのに。後でじっくり描かせてくださいね」
「ああ」
照れたように視線を泳がせるさまが、なんとも可愛らしい。
──あの日。
朝早く、我が家にスカイライン侯爵家の使いが駆け込んできた。隣の領地と接する橋が崩れてしまい、至急ジュリアン様の技術が必要なのだという。
『すまない。修理を終わらせたら、すぐに戻る!』
慌てて脱ぎ散らかしていた服を拾い集める彼。
シャツのボタンを一段掛け間違えていて、慌てぶりに笑みが込み上げた。
そっと近づき直すのを手伝う。
『慌てずにしっかりお務めを。絵の続きをゆっくり描いてお待ちしていますわ』
(……待って。お利口に送り出してはダメよ。打倒泥棒猫!)
シャキっとしてドアに向かおうとする彼の広い背中に、私は後ろからぎゅっと抱きついた。
『ク、クラウディア……!?』
突然のことに、ジュリアン様の身体が硬直する。彼の背中に頬を寄せながら、耳元へ近づきそっと甘く囁いた。
『本当は……とっても寂しいですわ。しっかりお務めを果たしたら、少しだけ慌てて……私のもとへ帰っていらして』
彼の肩がびくっと跳ねる。その耳たぶがみるみる真っ赤に染まっていくのを見逃さず、私は背中から腕を回し、彼のシャツの裾をキュッと握りしめた。
『……だって、昨晩の続き……まだ途中ですもの』
ジュリアン様は盛大に咽び、顔を真っ赤にして振り返った。
『……頼む、それ以上は。顔が戻せそうにない』
『ふふ。いってらっしゃいませ……ジュリアン』
驚きと羞恥で目を丸くする彼の頬に軽く口づけて、ダメ押しに耳元で甘く名前を囁いた。
『……っ!?』
頬を押さえながらふらふらとドアに向かうジュリアン様を、私はとびきりの笑顔で見送ったのだった。
(あれは心臓が早鐘を打ってましたわ!でも、上出来よ!)
◇
小舟を漕ぎながら、穏やかに微笑むクラウディアとゆっくり語らう。なかなか悪くない時間だ。
「橋がすぐに直って良かったですわね。要所の橋が壊れてしまっては、街の皆さんもお困りでしょうから。……さき程サンドイッチを買ったカフェの店長もジュリアン様のことを褒めていらしたし、ジュリアン様は街の皆さんに大変慕われておりますね」
「ここに暮らして5年は立つからな……幼い頃も毎年訪れていたから、打ち解けてはいるかもしれない」
「『スカイラインの坊ちゃん』ですものね」
「あれは……少し、恥ずかしいが」
クスクスと笑うクラウディアが可愛らしい。
「ジュリアン様、あの杭が並ぶところに小舟を止めてくださいませ」
ふと目を止めた彼女が湖から突き出た杭を指差した。
「承知した。……どこか眺めるのか?」
「お針子のマリーさんに聞いたんですの。そこに止めると良いのですって」
「……?」
立ち並ぶ杭から水鳥が飛ぶ。
「……クラウディア……?」
目を閉じて、一体何をしているんだ。
「揺れて少し怖いですわ……早くしてくださいませ」
「何を」
「何ってキスですわ。ここで口づけを交わした二人は末長く結ばれるそうですの。マリーさんによりますと、有名な話らしいですわ」
「……全く知らなかった」
小舟をピタリと静止させ、杭に縄をかける。
水面が穏やかに揺れ、周囲には私たち二人以外の音はない。
舟べりを掴み、目を閉じて待っている彼女は、隙だらけで……たまらなく愛らしいが。
まったく……とため息をつく。
(……マリーの奴、余計な知恵を……いや)
逃げ出したい弱気をなんとか抑える。
むしろ、感謝するべきか。クラウディアのまっすぐな想いが自分に向いているなんて。
「……クラウディア」
「んっ……もう、遅いですわよ。揺れて、怖いで……」
迷うことなく、私は彼女の頬にそっと手を添えて唇を重ねた。
「……言い伝えがなくとも、自分でしっかり叶える。……だが、お姫様の希望は叶えたぞ」
クラウディアの顔がみるみる真っ赤に染まっていく。かなり恥ずかしかったが──こうして彼女を抱きしめられたなら、頑張った甲斐があるというものだ。
その可愛さに負け、私はもう一度彼女の柔らかい唇に口づけた。
◇
「小舟デート、大成功でしたわ!マリーさん、ありがとうございました」
服飾店の隅で、私たちは嬉しくなって手を取り合う。
「私も、お化粧や髪型のアドバイスをありがとうございました!服のアドバイスも……この頃、毎日が楽しくて仕方がありません」
「それはよかったですわね」
──先日、雑貨屋で泣いていた、あの町娘。
再び訪れた雑貨屋で知り合った私たちは、おかみさんの温かい許可をいただいて、店の奥でこっそり作戦を練ったのだ。
『自分の姿を、一番のキャンバスにするのですわ。マリーさん、あなたお肌も綺麗だし、少しお粉をはたいて紅を差すだけでも……見違えることでしょう。きっと気分も明るくなるわ』
『いいねぇ、あたしも応援するよ!』
おかみさんが貸してくれた化粧品で、マリーさんをめいっぱい可愛く変身させる。
髪を横から編み上げたら、少し赤みの差す頬がよく見えて、驚くほど愛らしい。せっかくだからと、服のデザインや着こなしのコツも教えてあげた。
『せっかくのお針子の腕を、他の誰かではなく、まずは自分のために使わなくちゃ』
私の言葉にマリーさんが力強く頷き、この日、私たちは固く手を取り合ったのだ。『ダメ男撃退、打倒泥棒猫」を胸に誓って。
──そんなマリーさんが、今は頬を染め、恥ずかしそうにおずおずと小さな紙袋を差し出してきた。
「あの……例の、試作品です」
「まあ、早いですね!」
私はそっと紙袋の中を覗き込んだ。
ごくりと息が鳴る。
想像以上の仕上がりだわ。
洗練されたレースに、艶やかな色合い──。
見た瞬間、自分の顔が一気に熱を帯びるのがわかる。私の頬も、きっと真っ赤に染まっているはずだ。
「た、試してみるわね……!」
「……応援してます。また、ぜひ感想を聞かせてくださいね」




