五 拝み殺して下さい
元治元年正月
その男は加茂の野原を歩いていた。
急いでいる風ではない。のんびりしている風でもない。ただ、歩いている。
派手な花柄の刺繍の入った着物を重ね着している。高下駄が時折小石に当たってこつりという。
齢が良く分からない。ただ若者としか表現できない。
顔はとても整っている。千鶴のような清純な美貌でもなく、お恋のようなきゃいきゃいとした可愛らしさでもない、妖しげな色気のある顔である。
暗闇なので隠されていたが、随分と小柄だ。
そうこうしている内に彼は町中に入った。
目指す音が聞こえてくる。
周囲は土壁。とん、と勢いをつけて跳び、土壁の中に失礼した。分厚い土壁である。
随分大きな屋敷だ。そのまま真っ直ぐ向かうと、はっきりと音が聞こえた。
土壁越しに聞こえてくるのは肉が裂ける音、骨が断ち切られる音、刀がぶつかり合う音。
一対五、六人か。
見当をつけて、また耳をそば立てる。
哄笑が闇夜に響き渡った。
「アーハハハハハッ! まだだ! まだ死ぬな! まだ足りないんだまだァ!」
……良い趣味してるな。と胸中で呟く。
斬り合いの音が止んだ。代わりに漂ってくる血肉の臭い。
「ククククアーハハハッ」
まだ哄笑は止まない。次の瞬間だった。
土壁がばらばらに斬り開かれたのである。
とっさに屋根の上に跳ね上がって逃れる。その身のこなしはまるで猿だ。
瓦や土壁の破片の向こうから黒い着物に赤い椿の模様、赤い簪が見えた。
屋根を走り、伝いながら今度は口に出して呟く。
「人間業じゃねえ」
翌日の昼、またしても彼は同じ場所を歩いていた。
死体はすっかり片づけられているが、生々しく血の痕が残っている。血の量を見ると六人相手だったようだ。
軽く肩を竦めて先程の野原に戻る。
命令無しに動いている身だ。大っぴらに出歩けない訳ではないが、なるべく討幕派と関わりたくはない。
「お兄さんお兄さん」
それなのに、向こうから声をかけて来た。
「…………………………・何ですか?」
たっぷり沈黙したのは声をかけて来たのが桃割れに髪を結った十七程の娘である事が理由ではない。その娘は、昨日の人斬りであったのだ。
娘は屈託なく笑いながら問う。しかも草原に寝そべって。
「お兄さん、暇?」
ポーカーフェイスで答える。
「暇に見えますか?」
「すっごく暇そう」
ポーカーフェイスを崩さず。
「お兄さんはねーとっても忙しいんですよー。今も仕事中なんですよー」
勝手に始めた仕事ではあるが。
「昼間なのに忙しいの?」
不思議そうな顔をされる。少し気になった。
「私はどういう仕事だと思ってます?」
「陰間」
……聞くんじゃなかった。
「私は陰間じゃありません。と、いうかあなた陰間の意味分かってらっしゃいます?」
「馬鹿にするなよ! 君みたいな恰好して男の人と遊んで稼ぐ人だろ!」
「正解です」
「ところで何して遊ぶの?」
「……基本的なところで理解の欠如がありますが、此処は往来です。あなたにそれを教えたら私が変態と思われます。自力で調べてください。保護者には聞かないように、一生の後悔をします」
「んー、よく分かんないけど君が人に知られたらまずいようないやらしい仕事してるって事?」
「本当の陰間に失礼です」
「だって君いやらしい感じの格好してる」
「この着物を選んだのは私じゃあないです。と、いうかいやらしいから離れてください」
「じゃあ、何してる人なの?」
紅を塗った唇が反った。
「祈祷師ですよ……。拝み屋、霊能者、何でも呼び名がありますが、ね」
「ふうん、で、京まで何しに来たの?」
「何で京の者じゃないと分かるんです?」
「だから馬鹿にするなよ! 京言葉じゃないからに決まってるだろ!」
「そこは常識的なんですね。あなたも……」
ちらりと視線を娘の口元に移す。
「京言葉じゃありませんけど」
「僕は京女じゃないもん。生まれた所の訛りは直したんだよ」
「ほう……」
娘はまだ草原に寝そべって両肘で上半身を起こしている。
「若いお嬢さんが行儀が悪いですよ」
「だって立ってたら寒いもん」
「家に帰りなさい」
「あに様に追い出された」
「え……何やったんですか?」
昨夜のはやはりやり過ぎであったのだろうか。
「書類書いている時に後ろからしがみ付いて「抱き人形ー」って遊んでたら邪魔だって追い出された」
「そりゃ相当鬱陶しいですよ! 本当邪魔ですよ! 何やってるんですか!」
「何だと! 君に僕らの絆は切らせないぞ!」
「別に絆を切る気はありませんけど、お兄さんの堪忍袋の緒はもう切れた後でしょう」
「あに様堪忍袋の緒、やわやわだからなあ。しょっちゅう切れる」
「しょっちゅうやってるんですか!」
「で、話は戻るけど、何しに来たの?」
真っ黒な目がこちらを見据える。
「私は祈祷師ですよ。京の都に怪しい出来事が多いってんで、祓い清めに参りました」
「怪しい?」
「ええ。飴買い幽霊、墓場の火の玉……そして札貼り侍」
「へえ……札貼り侍まで知ってるんだ」
「祈祷師、ですからね」
唇を釣り上げたまま答える。
札貼り侍とはここ七日程連続して起きている人殺しである。その死体のあまりの異様さから、巷ではもっぱら妖怪変化の仕業と噂されている。
それ、に襲われるのは侍ばかりだ。彼らの躯には必ず額に深紅の札が貼ってある。そして札を剥がすと彼らの顔は札の貼ってあった所だけ、ミイラのように干からびているのだ。
「そんな最近の事を知ってるなんて、いつから京に居るの?」
「ごく最近……ですよ」
「今まで何処に居たの?」
「それはあなたも知られたくない事なんじゃないですか?」
ごろり、と娘は仰向けに転がった。
「それはその通りだ」
「ね。そういう訳で詮索は無しって事で」
下駄を鳴らしてその場を離れる。今は時では無い。
「佐幕派ばかりだな」
札貼り侍の犠牲者のリストを全て見終わった千鶴が言う。
「吉田のおじちゃんに報告する?」
「まだ時期尚早だ」
それを聞くとお恋はまた玩具に夢中になった。
小さな木の板に小さな木の杭が沢山打ちつけてあり、それを立てかけて平べったい人形を落とし、カタカタと引っかかる音を楽しむ、シンプルな玩具であるが相当気に入ったらしい。赤燕も作ったかいがあったというものだ。
「でも、僕らのほかにも狙っている人居るみたいだよ」
「佐幕派をか?」
「ううん」
首を振り、また玩具をカタカタ鳴らす。
「札貼り侍の方」
「……何故知っている?」
海老反りのように起き上がり、そのまま座る。
「会ったから」
「誰に?」
「祈祷師のお兄さん。京に怪しい事が多いから祓い清めに来たんだって。京の人じゃないよ」
「どんな人でしたか?」
慶庵が割って入った。
「うーんとね、陰間みたいな恰好で――」
一通り姿口調が説明されると、慶庵は頭が痛そうに唸った。
「うー……あいつかあ……」
「知り合いか?」
千鶴に首を縦に振る。その困り切った顔を見て、赤燕がははあ、と。
「お前、男にも手ぇ出してたのか」
成程。と納得する兄妹。慌てて否定する。
「違いますよ!」
「ええ!? 汚れを知らない初心な少年が垂らし込まれた揚げ句捨てられて、復讐を誓い京まで上って来て慶庵の命は風前のともし火なんじゃないの!?」
「そこまで言ってませんよね! 何で命の危機まで発展するんですか!?」
「じゃあ世間の荒波に揉まれて生きる事に何の希望も見出せなくなっていた青年を、口八丁で仮初めの希望を見せ、信じ切られたところで何も言わずに姿を消したのを追って来て慶庵の命は風前のともし火なんじゃないの!?」
「どんだけ外道だと思われてんですか俺は!」
「ま、風前のともし火部分は冗談としても……」
「そこだけ冗談じゃ駄目です! 全部冗談にしてください!」
「じゃあ何なのさ」
額に手を当ててぼそり、と言う。
「あれは令尼と言いまして……俺の息子なんですよ」
「今日の死体はあれですよ」
山崎の案内で辻を曲がると、確かに真っ赤な札を額に貼られた死骸が転がっている。
「ちゃっちゃっと見てくださいね。俺だってそんなに無理できないんですから」
「解っている。如何だ? 慶庵」
札を剥がすと、やはり、顔の額がミイラのようになっていた。
「間違いありません。俺の開発した「血吸いの札」ですよ」
「如何いう仕組みだ?」
札をくるりと裏返すと、薄い割れたガラスと針がへばり付いている。
「注射器の要領です。この札を額に押し付けると針が突き刺さって血液を吸い上げ、内部のガラスに溜まる。必要な分吸い取ったらガラスの容量も一杯ですから更に強く押してガラスを割るんです。すると札が溜まった血で真っ赤に染まる、と。息の根を止めようと思ったら、確実に仕留める血管の場所を把握していないといけませんが、令尼なら可能です。俺がいろはを叩きこんでますから」
「そうか……。父親が相当な不良だと息子も影響を受けるのだな」
「俺が元凶みたいに言わないでくださいよ」
項垂れるのを軽く無視して山崎に向き直る。
「して、貴様はこの件、如何する?」
肩を竦めて返答する。
「黙っておきますよ。俺が討幕派だってバレたら困りますからね。あんたって人は解ってる癖に聞くんだから」
「ならば撤収するぞ。世話になった」
「あの……それだけですか?」
「それだけだが?」
「何かお礼とかそういうのは……」
「今言ったであろう。その両の耳は飾りか。飾りならば不格好だ。取り替えろ」
「何!? 何で俺罵られてんの!? そうじゃなくて物品的なものですよ!」
慶庵が懐から紙包みを取り出す。
「ありがとうございました、山崎さん。では」
十秒後、「何でお礼に下痢止めええ!?」という怒声が響く事になる。
闇夜を走っていた。背後から提灯の灯りが追いかけてくる。
「姿を見られたな……」
令尼は呟く。
「何だあいつの速さは!」「ま、待て!」
その台詞が終わらぬ内に、令尼は屋根に跳ね上がった。そのまま一直線に町屋の上を走り抜ける。追っ手が横付けで追って来る。令尼はまた跳ねた。通りを一またぎして、向かいの屋根に飛び移る。
「何処だ!?」
声が遠のいていくのを確かめながら、何度も跳ねた。飛び移るにつれて追っ手の声が聞こえなくなった。
カツ。
最後の屋根に飛び移ると、下駄が瓦に当たって音を立てた。しまった、と思うが聞いている者もいるまい、と思い直す。
しかし。
「遅かったね」
屋根の上の暗闇から声がした。思わず目を見開く。
そこには、黒の上下に赤い椿の簪を挿した侍が立っていた。
「待ち伏せ……ですか?」
「ううん」
愉しそうな声だ。
「気付かれないように追いかけて行って先回り」
「それを待ち伏せっていうんですよ……」
余裕があるように見せかけているが、実のところ余裕など皆無だ。
あの全力疾走を気付かれぬように、追って来て、なおかつルートを読んで先回り。
「ねえ」
再び声が発せられた。
「何です?」
「鬼ごっこしようよ」
「わざわざやらなくても……あんたはもう鬼でしょうよ。人斬りお恋さん」
「あれ? 何でその話知ってるのかなー?」
じり、と後ろにさがる。
「長州では少しばかり噂になってましてね。ご存じなかったんですか」
「うん。知らなかったー」
きゃらきゃらと笑って屋根の上に座る。一件隙だらけ。その実、間合いに入ったら体の一部とサヨウナラだ。
「ねえ。それよりもさ。しようよ。鬼ごっこ」
「お断りします。あんた、俺なんかと鬼ごっこするより、男前と色恋沙汰での鬼ごっことでもなさったら如何です?」
「君も十分カッコいいと思うけどなあ。色恋沙汰は興味ないけど」
次の瞬間、幾重にも纏った着物の胸倉が掴まれた。目の前に娘の血に誘う顔。
「捕まえた。僕が捕まえたから今度は君が鬼だよ」
「……参加するとは……言っちゃあおりませんが……」
胸倉に力が込められる。思わず血吸いの札に手を伸ばす。
ぱしんと音を立ててその手が叩かれた。
「参加しなくてもいいけど……そうなったら君の大事な人が死んじゃうよ」
「大事な人……? 何の事やら」
作り笑いに無邪気な笑いが返される。
「君のお父さん。蘭学に通じる為に脱藩して、今は表向き陰陽師をやりながら維新活動をやっているお医者さん」
「!」
息を呑んだのがバレたのであろう。またお恋は愉しげにきゃらきゃらと笑う。
「クク……うぞうぞするなあ……」
次の瞬間、お恋は頭から先程またいだ通りに飛び降りた。くるりと一回転して着地する。
「早く追って来なよ」
「ち! 意地の悪いお人だ!」
令尼も屋根から飛び降りた。
そのまま黒い着物を追う。
「おい! お前!」
向こうで声が上がった。
「ぎゃあああッ」
次に血の臭いと悲鳴が木霊した。
「何があった!?」
今度は背後からの声。
「あ! お前はさっきの……」
先程の追っ手であった。一人か。
札を取り出し、相手の眉間に貼りつける。手に力を籠めると、血を吸い取る感触とガラスが砕ける感触。
追っ手の男が絶命した途端、今度は三人の男が現れる。だんだらの羽織は。
「新撰組……ですか」
「貴様、何者だ!?」
うっそりと答える。
「ただのしがない……祈祷師ですよ」
「ふざけるなッ」
上段の構えで斬りかかって来た男の上に跳ね、逆に頭上を取る。
「失礼しますよ」
血吸いの札を眉間に貼りつける。男の頭部に体重をかけ、背後から斬りかかって来た男の頭に跳びかかって札を貼る。
「きええええッ」
最後の新撰組隊士は突きを放って来た。とっさに方向を湾曲して動き、眉間に札。
三枚の札が赤く染まった。
「さあ、鬼ごっことやらを続けますか……」
地を蹴って走り出した。悲鳴が聞こえる。あちらか!
見当をつけてからはショートカットをする事にした。屋根の上を駆け抜けていく。
「おかしい……」
悲鳴と血臭の方向は如何考えても祇園。繁華街だ。目立つ事は避けるのが人斬りの常。
「まさか……祇園の人を皆殺しにしようっていうんじゃ……」
通常に考えればそんな事をしても意味は無い。しかし……相手は……通常では無い。あの殺意に酔いしれた永久の闇の瞳。
「考えていても仕方ない」
再び足を速める。刺繍を縫い付けた着物が夜に閃く。
「俺達は、明るい所に出ちゃいけない。だからって……」
祇園に到着した時、店の提灯と言う提灯が全て切り裂かれていたのだ。当然辺りは無明の闇。
「何や何や?」「いきなり灯りが消えたで」
野次馬が大量に集まっている。常人なら何も見えない状況に好奇心を持って。
この中で相手の気配が分かるのは人殺しに慣れた者。すなわち、令尼とお恋と。
「静まれ!」
新撰組。
屋根から降り、野次馬の中の一人に声を掛ける。
「捕まえましたよ。お恋さん」
クスリ。
「君も捕まりそうだよ」
次の瞬間、背後の首が刎ね飛ばされた。
「紛れるならもっと巧くやりなよ。新撰組さん」
分からなかった。
抜刀からの納刀まで、一切気付かなかった。
「如何したんだ!?」
闇の中、血臭に気付いたのであろう新撰組達が走って来た。
敵は三人。
一人目は一直線に突っ込んできた。体を捻ってかわし、眉間に札を貼り付ける。
二人目はその瞬間を襲った。横薙ぎに払って来る刀。しかし僅かに令尼のスピードの方が勝っていた。とっさに鳩尾に蹴りを加え、相手が呻いて体勢を崩したところに札を貼る。
その札を貼っている間に刀を振りかぶる風切り音がした。
殺られる。
しかし、刀は振り下ろされなかった。お恋が間に立って、新撰組隊士の刀を受け止めていた。
新撰組隊士の眉間に札を貼った時、お恋は大声を上げた。
「わらわは天照大神なり!」
バン。
隣の茶屋が爆発し、焔が辺りを照らし始める。
気を取られている間に、着物が切り裂かれ、下着の肌襦袢一枚の姿にされる。そして顔に血が模様のように塗りたくられた。
「何を……?」
問いの答えは無かった。群衆に紛れてお恋は叫ぶ。
「わらわは天照大神なり! わらわの末裔、現人神の時代は来たれり! 皆の者、天皇を崇めよ! 崇めずないがしろにする無礼者共はわらわが天刑を下したぞえ! 真紅の札はわらわの札、日輪の色の札なり!」
誰の事を言っているのかは分かった。群衆は皆令尼に平伏していたのである。
いつもの飲み屋で、千鶴と吉田は酒を酌み交わしていた。
「しかしお前の大胆さは凄まじいな。神まで味方に付けるなんざ」
「神? 然様な者居るとは思えぬ。居ても頼ろうとは思わぬ」
「……不遜だぞ」
非難がましい目を無視して、稲荷寿司を口に運ぶ。形の良い唇がもくもくと動く。
「大衆とはいと操り易きもの」
「またその台詞か」
「己を正義と思い込むことによって、人は悪辣非道な振る舞いを己に許す。逆にいえば代議名分が無くば動かぬ」
「……・お前に代議名分なんてあるのか?」
「私は例外として必要としていない」
「ああ、そう」
酒を猪口に注ぐ。
「要するに、人心を味方に付けるには、それが正義の行いと思い込ませねばならぬのだ」
「……・その言い方何とかならんか?」
「ならぬな」
「そうか……まあ良い。続けてくれ」
「現在の正義、すなわち最も権力がある者は幕府だ」
「それは俺達が変えていくことだ。俺達が正義となり維新を成し遂げて」
「黙れ。話の途中だ」
一言で切り捨てられ、仕方無く稲荷寿司に齧りつく。美味い事は美味い。
「故に、正義を変える為には更なる権力が必要だ。人々の象徴となる存在がな」
「それで天照大神か」
「うむ。しかし実在せぬ物を象徴とするには時間がかかる」
「いや、だから実在せんと決まった訳じゃ……」
「黙れと言っている」
「……・」
「そこで使えるのが天照大神の末裔とされている天皇だ。あれは象徴に有効だぞ」
「そこが分からん。如何やって天照大神を出現させたんだ」
「出現などしておらぬ」
「……?」
首を傾げる吉田の顔を見て「間抜け面だな」と一言。
「令尼の着ている着物はお恋の言っていた事から分かっていた。慶庵のみつくろった通りの着物だとな」
「……それが?」
「まずは夜な夜な佐幕派を殺して回っている令尼を探し出し、お恋の後を追わせる。お恋の方が足は速いから、先に祇園に行かせて提灯を全て消す。これで辺りは暗くなる」
「それは野次馬に行った奴も言っていたな。急に火が消えた、と」
「そこで新撰組とやり合う。令尼は血吸いの札を使う。お恋はそれまでの道のりで新撰組隊士を斬っている、さて、人を斬ったら何が流れる?」
「血?」
「疑問形にするな。他の物が出て堪るか」
「いや、色々考えたぞ。魂とか涙とか」
「その血が役立ったのだ」
「……無視か」
「令尼が棒立ちになっている間に、お恋が着物を切り裂き、顔に血で化粧をした。そして赤燕が爆発を起こす。尋常でない状況での尋常でない姿の者、これは一体何であろうか? 考えが纏まる前にお恋が名乗りを上げる。天照大神、とな。状況が状況だ、民衆は信じ込む」
「成程。だが、何故令尼が棒立ちになると予測できたんだ? 普通抵抗するだろう」
「名前を呼ばせたのよ」
「名前?」
「そう、他の者に気付かれぬよう、慶庵が名前を呼んだのだ「令尼!」とな」
「すみませんでした」
令尼は深々と土下座をした。
「随分デカイ息子だな」
赤燕の感想に慶庵が微笑む。
「血は繋がっちゃおりませんよ」
「へえ、慶庵が若作りなんだと思った」
「お恋……それは誉めてるんですよね?」
「けなしてるよ? 「じゃあ相当若い内から遊んでたんだと思った」って言おうとしたもん」
「……」
令尼の髪を掴んで慶庵が顔を上げさせる。
「痛っ」
「この子はね、俺が陰陽師に成り立ての頃、祓い殺すのを頼まれた子なんですよ」
座敷牢にその子供は座っていた。まだ幼い顔に表情と言うものは悲哀以外浮かばない。
『陰陽師様。こちらがうちの娘が鬼に孕まされた鬼子で御座います』
『鬼子……?』
少年の細い指を見る。
『はい。孕んでいるのが分かったとき、相手を問いましたら、毛むくじゃらで大きな角を生やした鬼だと』
『ほう……』
『直ぐに殺しておけば良かったのですが、何分鬼子を宿したと知れ渡らせる訳にも行かず……。しかもこの鬼子口が利けるようになると、毎日言うのです』
『何を?』
少年が口を開いた。乾いた唇から発せられたのは小さな声。
『殺すと祟るぞ』
『ひいっまた言った! 陰陽師様! この鬼子を調伏してください! なんておぞましい声だ』
『そうですかねえ、結構可愛い声だと思いますが。まあ、これは鬼子じゃありません。レイニーデビルですよ』
『れいにーでびる?』
『ええ。泣き虫の悪魔。正体は猿に食い殺された子供の亡霊です』
『何でも良い! 早く退治を!』
『いや、こいつはこの国では珍しいので、俺が連れて帰ります。さあ、来るんだ』
初めて出た外で、子供は初めて着物らしい着物を着せられた。
『うん。やはり良く似合っている』
俯いたまま子供は問うた。
『何故助けた』
『外に出たくなかったのか?』
『俺は悪魔なんだろう』
大笑いが響いた。心底可笑しそうに、その陰陽師は馬鹿にした。
『お前、あんな馬鹿な話を本気で信じてたのかうわはははは!』
『じゃ……じゃあ……』
『お前はただの捨てられた子だ。それに、言っただろう? 泣き虫だって』
ぎゅ、と抱き締めてくれた大きな手の持ち主は言った。
『お前の名前は令尼に決めたよ』
「ねえ、令尼、僕何で君がこんな事したのか分かっちゃったよ!」
「お恋……」
「慶庵と一緒に居たかったんでしょっ。慶庵に帰って来て欲しかったんでしょっ」
「……」
家の扉が開いた。
「それは困る」
「あ、あに様!」
「千鶴……」
「慶庵は我らの維新において失うのは大きな痛手だ。令尼とやら。貴様の役目は終わった。失せろ」
令尼は俯いたまま立ち上がった。のろのろと玄関に向かって行く。
「すみませんでした。失礼致します」
「待て」
千鶴が呼びとめる。
「貴様は何を買って来いとも聞かずに使いに行くのか。何をする気だったのだ。無能め」
ぽかん、とした表情に続けて命ずる。
「貴様の行為は愚行だが結果的に得たものはあった。そして戦闘能力もある。私の手駒として動くのなら、命は助けてやらん事も無い」
令尼の顔が慶庵の方を向いた。
「慶庵様……」
鋭い叱責が飛んだ。
「話をしているのは私だ。自分でその程度の事も考えられぬ手駒など不要ぞ!」
令尼は廊下で膝を付いた。
「仰せのままに、千鶴殿」
「あに様優しいーーっ」
「お恋、抱きつくな、鬱陶しい」
2006年ごろ初稿 2018年9月23日誤字脱字訂正